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鬼②

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 現代日本の社会の中に、どれだけの数の妖怪が入り込んでいるか、知っている人間は一握りであろう。

 明治政府が樹立されたその時、妖怪の代表として鬼の棟梁が交渉に赴いた。
 世の中は大きく変わる。そう感じた鬼の棟梁は、妖怪が人間社会に入り込めるように尽力した。

 既に半信半疑の存在であった妖怪に対して、突きつけられた条件は、

 一つ、存在を秘匿し続ける事。
 一つ、人間の法に則る事。

 たったこれだけの事であったが、これがどんなに難しい条件であるかは、存在の有り方がまるで違う妖怪には明白であった。

 それでも鬼の棟梁はそれを妖怪全体に課した。
 法を守らぬ妖怪を妖怪が断罪する事で、政府との信頼関係を築き、今に至る。

 当初あった反発も現代となれば、正しい選択であったと言えるだろう。

 世界は大きく変わった。鬼の棟梁が睨んだ通りに。

 都市部では夜でも暗闇は消えて、田舎でも隠れて犯罪ができぬ程に防犯カメラがそこら中に設置されている。
 人間の傍にあってこその妖怪だっている。限られた自然の中にしかいられない者もいる。
 早い段階で人間社会に溶け込めるように鬼の棟梁が動いたからこそ、今も人知れずにあり続けていた。

 まあ、結果、現代っ子の妖怪も増えているのだが、それはそれで構わない。
 一部の頑なに昔ながらの生活を続けている妖怪もいるのだが、そういった者は人間の前には姿を現さない。
 
 ただ、町の変化を見れば、興味を抱く事もあろう。憧れを抱く者もいるだろう。
 そんな者らや、人間の学校では正体を隠しておけない者を集めた学校があった。

「はい、旅の栞だよ」

 朧車ならぬ朧バスの中で、座敷童が渡してくれた。

「ありがとう」

 閻鬼えんきは受け取とると、出発の待つ間にパラパラと捲って読んでいく。逗子の紹介があったが、子、の文字だけが滲んでいるのは、コピー機すらない学校がガリ版で印刷したせいか。

 鬼の棟梁の血筋に近い彼女は、その特徴的な可憐な美少女の姿をしている。妖怪の頂点にある鬼の棟梁は女であり、数百年を生きるが見た目は十歳程度なのだ。

 だから、閻鬼もまた容姿的には近い。もう少し大人びてはいるが。

 鬼族の中でもエリートであり、実年齢では棟梁に近い。なのに、今更、学校に通っているのは、二百年近く、修行で山籠もりしていたせいであった。

 そろそろ、下りてもいい頃かと思ってみれば、人間の街はまるで変わってしまっていた。
 飛騨の山奥にいたのだが、遠目で見えた世界遺産がそのままだったので、そこまで変化しているとは思っていなかったのである。

 棟梁を頼る為に江戸、現在の東京まで歩いて向かい、そこで学校に入る事を勧められたのである。

 そして、三年が過ぎ、片手でスマホを弄る程にはなっていた。

 ――あっ、ホース娘がもう事前予約できるのね。楽しみ。

 現在の人間の文化を勉強するのに推奨されたのが、漫画やアニメなど。そこには、人間の若者の青春が凝縮されていたり、感性を磨くのにも良かった。

 さて、今日は修学旅行の初日である。
 すっかり現代っ子妖怪となった閻鬼は、めでたく卒業できる見込みとなっていた。同じく今年卒業する二十体の妖怪と共に向かう修学旅行だ。

 群馬の山奥に押し込まれた学校から、久しぶりに人間のいる都市部を回る二泊三日。
 尚、妖力を使った幻術により、朧バスも普通の観光様に見えるようになっている。

 ――いっそ、猫の顔ならそのままでいけたのに。

「猫の顔だったら、そのままでいけたんじゃないの?」

 同じ事を考えている者がいて、視線を向けたが、直ぐに逸らした。

「な、何よ」

 肩までの横広がりの髪を赤く染めている女である。元々は黄土色の髪のはずだが、憧れの存在に似せて染めたそうだ。

 彼女は妖狐である。狐の耳と尻尾を持っていた。
 その昔、彼女の憧れの存在と鬼の棟梁は戦争をしている。故に、閻鬼と彼女は仲が悪い。
 正確には、一方的に妖狐の方がライバル視でいているのだ。

「別に……」

「はあ? さっき、こっち見てたでしょ」

「いいから座りなさい。もう出発よ」

 この妖狐、名前を燃尾もえびといった。気に入らないのは、とにかく胸元の装甲が分厚いのである。それでもって、下着を付けずに、薄い白のブラウスで、短いスカートと無制限に色香を振り撒いているのだ。

 日本の妖狐は大陸から来た九尾に習い、男を惑わすようにしてきたから、その習性のせいなのだろうが、胸部装甲の薄い閻鬼には目障りである。

 ――まっ、いいわ。どうせ、もう直ぐお別れだもの。

 ここを卒業すれば、棟梁が経営する企業グループに入る事が決まっていた。人知れずに悪行を働く妖怪を罰する特殊部隊が、就職先になる。
 そこには敬愛する棟梁だけでなく、崇拝する白き衣の神――その夫もいるので、今から楽しみで仕方がない。

「皆、乗ったな」

 担任教師が点呼を確認していく。
 スキンヘッドに顎鬚。堀の深い顔立ち。トレンチコートを纏い、ダンディというか、ハードボイルドっぽく演出している。
 ハリウッド俳優をそのままにした顔だが、こいつは化狸だ。
 イケオジが好きな女子には堪らない雰囲気だが、中身は狸だ。

「うわ、今から化けてるよ」

 とても嫌そうに燃尾が呟いた。人を化かすという狐と狸であるが、確かに仲が良いとは聞いた事がない。
 担任に関しての意見は、同じである。それで、視線を合わせて笑い合うという事もないが。
 バスが最初のトイレ休憩で止まるまでに、姿を人間に合わせればいい。

 元から人間に近い姿をしている閻鬼などは、角を隠せば済むだけなので、幻術を使わなくても帽子を被ればいいのだ。最悪、そのままでも誰も本物の角だと思う事はないだろう。

 それは何故か通路を挟んだ隣に座った燃尾も同じだ。同人誌即売会のイベントなどにいけば、そのままでも歩けるだろう。いや、その前に、スケベな格好をどうにかしろ。

 バスは出発する。
 久しぶりに山奥から下りていくのだから、もう少し外の風景に興味を持ってもいいところだが、それは無邪気な一部のみ。

 川猿とクネユスリが並んでスマホを弄っている。海座頭がずんべら坊に顔を描いてやっていて、雪女と二口女はもう缶ビールを開けていた。
 実年齢もバラバラ。趣味趣向も全く違う。それでもそれなりに仲良くやっているのは、妖怪にとってそれが当たり前だからだ。

 妖怪は徒党を組まない。だが、共通の脅威に対して、団結できるのも妖怪である。
 かつて、人間を根絶やしにしようとした一体の強力な妖狐に対して、鬼の棟梁は人間との共存を望み、これに対した。

 閻鬼にとっての誇りである。

「見えない」

「何にも見えない」

 風景を眺めていた蔵ぼっこと座敷童が不満そうに漏らしていた。
 スマホで目的地の情報を検索していた閻鬼も外に目をやれば、周囲は深い霧に包まれている。

 これが人間であったなら、不安に感じるレベルの視界の悪さだ。
 そこは乗客も妖怪なら、走っているバスも妖怪である。道路を走っていない感覚があっても、気にする事はなかった。実際、空を飛ぶ事だってあるのだから。

 眠気を覚えた。
 起きる頃には到着しているだろう。そんな風に気楽に考えて、眠りに落ちた。

 ――――

 気付いた閻鬼は一人きりであった。
 バスにも乗っていなかったのである。

「…………」

 とりあえず立ちあがって、周囲を見渡せば、西部劇で見たような荒野のど真ん中であった。

「狐か狸に化かされているのかしら」

 鬼の中でも五指に数えられる自分を騙すとは言い度胸である。
 と、ぷんすか怒ってみたが、どうやら妖気は感じない。つまり、妖怪の仲間の悪戯ではないようだ。

「異常事態には間違いがない。とすれば……」

 大規模な超常現象なら、神の仕業が最も最有力であろうが、魔界の関係者や西洋悪魔だって候補にあがる。

 乾いた風が吹き付けてきた。砂埃に顔を顰め、このままじっとはしていられないと感じる。
 まずはスマホを確認した。

「…………繋がりそうにありませんか」

 何かしらの反応を期待して、周囲に妖力を撒き散らしてみた。もしも近くに仲間の妖怪がいれば自分の場所を伝える事ができるし、仮にそれ以外の妖怪がいた場合、なんらかの警告行動がされるはずだ。

「ふむ、何も起きませんか」

 さて、遭難の場合は動かないのが鉄則で、救出を待つべきなのだろうが、旅行鞄もない。取り出しておいたおやつもないので、食事の確保を考えておくべきだ。

 とにかく、今、自分が置かれている状況が分からない。これが一番の問題で、情報を集めなくては対応もできないのだ。

 空を見る。薄曇りであったが、一番眩しい場所に太陽があるのは分かる。
 周囲の地形を頭に入れるように努め、少し移動してみる。

 スマホの時間からすれば、意識を失くしていたのはほんの五分程度だ。
 だが、これで場所を推察する事も不可能。五分もあれば、黄泉平坂にいても不思議ではないのだ。

 そう、風や空気が、自分たちがいた日本とは違う気がした。

「困りましたね、海外旅行の経験はありませんし……」

 こんな状況にありながら、実はそんなに焦ってはいなかった。
 たとえここが魔界であっても、自分を害するだけの力の持ち主は限られる。実際に魔界にいった事はないが、白き衣の神の話では、自分は爵位持ちの悪魔よりもずっと強いらしい。

 では、ここが魔界や地獄界のような場所かと言えば、それも考え難い。
 もしそうであるなら、直ぐに接触してくるはずなのである。出るも入るも厳しいのが、魔界や地獄界といった場所なのだ。

 歩きながら、他の可能性を考える。
 何らかの予期せぬ超常現象により、遠方の海外に飛ばされた可能性はないか。

 実はこれが一番可能性高いと思っている。
 ここまで何の接触もないから、サプライズとかではないだろう。つまり、本当に事故で飛ばされたと考えるべきだ。

 妖怪は人間から存在を隠す為に、幾つかの幻術や結界を使う。それが何らかの原因で暴走して、時空を超えてしまってもおかしくはない。

「ふふん、ならば、何処でしょうか? 風景はアメリカ……とか?」

 横浜に行く予定であったが、急遽海外旅行に変わっても文句はない。

 ――あはは、テキサスかな、アリゾナかな、ニューヨークに近いといいな。

 能天気だった。
 鬼に深刻な顔は似合わない。

 ギョエェエエ――――ェ! 生物の鳴き声を聞いて見上げれば、恐竜図鑑で見たような翼竜に似た物が飛んでいた。

「まあ、流石、アメリカ……、大きい。あんな鳥もいるのですね」

 そいつが自分を狙って急降下してきたので、大きな嘴を開けて迫ったそこをグーで殴ってやった。
 ズドンっとよく響くと、地によく滑り、止まると動かなくなる。

「…………はっ、やってしまいました。どうしましょう、天然記念物とか、保護動物とかではないですよね」

 傍に寄って確認してみる。胸肉がよく発達していて、美味しそうに見えた。
 脳裏に浮かぶ、から揚げ、照り焼き、チキンカツ。

 残念ながら、ここに調理道具はない。かといって、運んでいるところを誰かに見付かれば、場合によっては逮捕される可能性もあるのではないか。
 泣く泣く諦める。

 そこから更に移動していく。

 最初に見た太陽の位置と地形から、東西南北がどちらになるかと考え、気付いてしまった。

「時差を忘れていました。つまり、ここは、アメリカではない」

 早朝に学校を出発したのだから、経過時間を考えれば、アメリカならたとえ西海岸でも、もう暗くなっているはず。

「残念です。うーん、じゃあ、中国あたり? いえ、スマホの時間が狂っている可能性もあります」

 とにかく、誰かに合わなくては、情報は手に入らない。人間でなくとも、地元の妖怪か悪魔、モンスターでもいい。

 周辺で一番高い場所に登ってみた。
 見渡す限り、荒野が続いていたが、

「あら、煙……」

 自然発火したのでなければ、何かが熾したという事。火を恐れぬ知的生命体に違いない。

 ちょっと本気で走った。人の目がある場所なら問題があろうが、ここなら大丈夫であろう。

 もしかしたら、あの煙を見て、妖怪の仲間も向かったかもしれない。

 草履で地を蹴り、土煙をあげながら、真っ直ぐに煙の上がっていた方角へと向かっていった。着物の裾が僅かに捲れたが、みっともないと叱る者もここにはいない。

 人の気配が感じられる。
 喜んではいたが、慌てて速度を落とした。クーペ並のスピードで走る人間などいないのだ。

 ――集落でしょうか?

 まだ遠いが、人工的な囲が見える。

 歩きにして、帽子がないので、幻術で角を隠す。
 どうやら近付いているのは自分だけではないようで、布を被った豚が何体かいる。

「変な習性の豚ですね。まっ、食べられそうなら後で狩りますか」

 その場は無視して、人間の集団のいる場所へと近付いていった。

 どうやら向こうもやっと気付いてくれた様子である。
 辿り着けば作業中らしく、囲越しに、数人の男性が対応してくれた。

「$&##&%$!」

 見た感じは欧州の人間のようで、インディアンとかでもなさそうだ。アメリカ説は完全に消えた。

 それにしてもやけに警戒されている様子だ。
 言葉が分からないが、訝し気な瞳が向けられている。

「うーん、翻訳の術は……」

 西洋悪魔などとの接触があった時を想定して、覚えておいて正解だった。

 古いラジオの周波数を合わせるように、徐々に明確に聞こえてくる。

「誰だ! 何処から来た!」

 汚いシャツに、ボロのズボンの男たち。そんなに風呂にも入っていないのか、臭いもきつかった。尤も、それは人間基準であり、妖怪の中にはもっと汚く臭い連中だって多い。

「えーと、旅の途中で、仲間と逸れまして……」

 数人がこちらを監視するように睨んで、後で協議しているようだ。

 ――随分と不親切なのですね。困っている外国人がいたら、日本なら過剰に親切になるのに。

 しかも自分は、人間から見れば、可愛い小娘だ。訂正、物凄く可愛い美少女だ。男なら、競うように親切にしてくれていいはず。

「入れてやればいいさね」

 老婆の声が聞こえていた。まあ、きっと自分よりも年下であろうが。
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