30 / 43
6日目
1.
しおりを挟む
早瀬タクミは、人生最期の舞台を終えた。与えられた時間は、たった20分だったが、トークを交えて4曲披露した。そのうちの1曲は、田中アユムとの──と言うか死神との──ものだ。
出番が終わり袖に捌けると、三上がタオルを持って迎えてくれた。
「お疲れ様です」
心なしか、そう労ってくれた声が震えているように聞こえる。タクミはタオルを受け取りながら、思わず、どうしたの、と尋ねた。
「感動しました……」
「え?本当?」
「はい」
初めて、三上から聞いた言葉に、タクミは戸惑った。死神は、他の出演者に囲まれている。
「は……初めて聞くなぁ!」
「私も、初めて言います」
「やっと俺の魅力に気づいた?」
茶化すように言うと、睨まれた。だがその目は、少し潤んでいる。
「タクミさんの歌は、ずっと聞いてきましたけど、今日は何と言うか……胸に迫るものを感じたと言うか……」
次の出演者の為に出入口から少し離れると、辺りは薄暗かった。それにスタッフも忙しなく働いていて、取り敢えず控え室に戻る事にした。
2人して控え室に向かう通路を歩いていると、次の演奏が始まる音が漏れ聞こえてきた。
「そう言えばザ・トリプルズの出番は、ラストだっけ?」
沈黙に堪え切れず、タクミはそう尋ねた。
「あ……はい。確かそうです」
恐らくその出番も、社長の作戦なのだろう。タクミはいつも、ラストの出演者が終わるなり、さっさと帰っていたから。今回はそうはさせない、と言う、社長の見えない思惑が感じられる。
控え室に入ると、タクミはソファに座って煙草に火をつけた。三上は向かいのソファに腰掛けると、俯いて自身の爪先を見ている。
「なぁ、どうしたんだよ?」
タクミが尋ねると、三上は俯いたまま、あの、と、か細い声を漏らした。
「どうかしたのは、タクミさんじゃないんですか?何かあったんですか?」
「え……?」
心当たりに、一瞬動きが止まる。だがすぐ、何もないよと答えた。
「隠さないで話して下さい。私は貴方のマネージャーなんです、心身ともに、貴方を支えなければならないんです」
持ち上がった三上の目には──悲しみと怒りがない交ぜになった──複雑な色があった。タクミは灰を叩いて落とすと、そんな三上を見つめた。
「なぁんにもないって。逆に聞くけどさー、俺に何があったって言うの?」
「それが分からないから、お聞きしてるんです」
「大体、予測つけてんだろ?」
当たる筈はないが、そう聞いたタクミの声音は緊張し、幾分か低くなった。三上は再び俯き、膝上で小さな拳を握ると、失恋、と呟いた。
「失恋?俺が?」
なくはない。過去に幾度かは経験しているし、学生の頃には、ショックで立ち直れないと思った程、落ち込んだ時期もある。だが大人になった今、そんなに強く人を想う機会は減った。恋をしなくなった訳ではないが、付き合っても長続きしない。別れ話になっても、あぁそうか、と思うだけになっていた。
「そうです。以前タクミさん、女優の長淵タエコさんがお好きだと、言ってらしたでしょう?」
「あー……言ったよ。言ったけどさー、彼女とは何もないよ」
長淵タエコは──最近メディアに出るようになった──舞台女優だ。歳はタクミより3つ上で、冷たい印象を受ける美人だった。
そんな彼女を好きだと言ったのは、別に恋愛感情があったからではない。
「本当ですか?」
「ないよ。連絡先も知らないし、第一好みじゃない」
タクミの好みは──美人だとかそう言うのは関係なく──つい守ってあげたくなるような、可憐で儚い感じの女性だ。過去付き合ってきた女性も、そんな感じだった。
「じゃあ……何があったんです?」
「だからー!ないって言ってんじゃん」
死がもうすぐ訪れるとは、言えなかった。さっきの舞台が最期だったんだ、だから感情がいつもより乗っただけだ、とも言わなかった。
「そう……ですか……」
納得していないのは、すぐに分かった。だがタクミは、それ以上何も言わず、煙草を揉み消した。
「なぁ、アユム君、探してきてくれる?」
項垂れている三上に、タクミは出来るだけ優しい声音で頼んだ。三上は顔を上げると、分かりましたと言って出て行った。
1人になったタクミは、自身の肩を両腕で抱いた。もうすぐ人生が終わる。その事実が、独りになると寒気のようなものを伴い、思考を凍てつかせる。痛みのある最期なのだろうと言う、根拠のない考えに囚われ、いっそ、期限がくる前に、自身で楽な最期を遂げたらどうかと言う考えにもなった。
「もうすぐ死ぬ……」
そう呟いたが、涙は出なかった。
出番が終わり袖に捌けると、三上がタオルを持って迎えてくれた。
「お疲れ様です」
心なしか、そう労ってくれた声が震えているように聞こえる。タクミはタオルを受け取りながら、思わず、どうしたの、と尋ねた。
「感動しました……」
「え?本当?」
「はい」
初めて、三上から聞いた言葉に、タクミは戸惑った。死神は、他の出演者に囲まれている。
「は……初めて聞くなぁ!」
「私も、初めて言います」
「やっと俺の魅力に気づいた?」
茶化すように言うと、睨まれた。だがその目は、少し潤んでいる。
「タクミさんの歌は、ずっと聞いてきましたけど、今日は何と言うか……胸に迫るものを感じたと言うか……」
次の出演者の為に出入口から少し離れると、辺りは薄暗かった。それにスタッフも忙しなく働いていて、取り敢えず控え室に戻る事にした。
2人して控え室に向かう通路を歩いていると、次の演奏が始まる音が漏れ聞こえてきた。
「そう言えばザ・トリプルズの出番は、ラストだっけ?」
沈黙に堪え切れず、タクミはそう尋ねた。
「あ……はい。確かそうです」
恐らくその出番も、社長の作戦なのだろう。タクミはいつも、ラストの出演者が終わるなり、さっさと帰っていたから。今回はそうはさせない、と言う、社長の見えない思惑が感じられる。
控え室に入ると、タクミはソファに座って煙草に火をつけた。三上は向かいのソファに腰掛けると、俯いて自身の爪先を見ている。
「なぁ、どうしたんだよ?」
タクミが尋ねると、三上は俯いたまま、あの、と、か細い声を漏らした。
「どうかしたのは、タクミさんじゃないんですか?何かあったんですか?」
「え……?」
心当たりに、一瞬動きが止まる。だがすぐ、何もないよと答えた。
「隠さないで話して下さい。私は貴方のマネージャーなんです、心身ともに、貴方を支えなければならないんです」
持ち上がった三上の目には──悲しみと怒りがない交ぜになった──複雑な色があった。タクミは灰を叩いて落とすと、そんな三上を見つめた。
「なぁんにもないって。逆に聞くけどさー、俺に何があったって言うの?」
「それが分からないから、お聞きしてるんです」
「大体、予測つけてんだろ?」
当たる筈はないが、そう聞いたタクミの声音は緊張し、幾分か低くなった。三上は再び俯き、膝上で小さな拳を握ると、失恋、と呟いた。
「失恋?俺が?」
なくはない。過去に幾度かは経験しているし、学生の頃には、ショックで立ち直れないと思った程、落ち込んだ時期もある。だが大人になった今、そんなに強く人を想う機会は減った。恋をしなくなった訳ではないが、付き合っても長続きしない。別れ話になっても、あぁそうか、と思うだけになっていた。
「そうです。以前タクミさん、女優の長淵タエコさんがお好きだと、言ってらしたでしょう?」
「あー……言ったよ。言ったけどさー、彼女とは何もないよ」
長淵タエコは──最近メディアに出るようになった──舞台女優だ。歳はタクミより3つ上で、冷たい印象を受ける美人だった。
そんな彼女を好きだと言ったのは、別に恋愛感情があったからではない。
「本当ですか?」
「ないよ。連絡先も知らないし、第一好みじゃない」
タクミの好みは──美人だとかそう言うのは関係なく──つい守ってあげたくなるような、可憐で儚い感じの女性だ。過去付き合ってきた女性も、そんな感じだった。
「じゃあ……何があったんです?」
「だからー!ないって言ってんじゃん」
死がもうすぐ訪れるとは、言えなかった。さっきの舞台が最期だったんだ、だから感情がいつもより乗っただけだ、とも言わなかった。
「そう……ですか……」
納得していないのは、すぐに分かった。だがタクミは、それ以上何も言わず、煙草を揉み消した。
「なぁ、アユム君、探してきてくれる?」
項垂れている三上に、タクミは出来るだけ優しい声音で頼んだ。三上は顔を上げると、分かりましたと言って出て行った。
1人になったタクミは、自身の肩を両腕で抱いた。もうすぐ人生が終わる。その事実が、独りになると寒気のようなものを伴い、思考を凍てつかせる。痛みのある最期なのだろうと言う、根拠のない考えに囚われ、いっそ、期限がくる前に、自身で楽な最期を遂げたらどうかと言う考えにもなった。
「もうすぐ死ぬ……」
そう呟いたが、涙は出なかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符
washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

職業、死神
たける
キャラ文芸
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
死神とは、死期の近付いた人間に、それを知らせる伝達者。
また、夢の中で夢を叶える者。
1人の死神が、今日も仕事で人間の世界を訪れた。
そこで出会ったのは、今回担当する事になった若者と、同業者だったが……。
※途中で同性(男同士)の性描写が少しだけ出てきます。また、残酷だと思われるような描写も少しだけ出てきます。
ご覧になる際は、上記の描写が大丈夫な方のみでお願いします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる