死神とミュージシャン

たける

文字の大きさ
上 下
13 / 43
3日目

しおりを挟む
翌朝、漸くミックススタジオに──道が複雑で、地図を記憶していても少し迷った──辿り着いた。スタジオは5階建てのコンクリートで出来たビルで、長い年月が、かつて白かっただろう壁を灰色に変え、蔦も絡まっている。看板も古いらしく『ミ クススタシオ』に見えた。
鉄製の赤茶けた扉を開けて中に入ると、緑色をしたリノリウムの通路が真っ直ぐ伸びている。左右に木目調の扉もあって、私はどこに早瀬タクミがいるのかと、辺りを見回していた。すると通路の奥から男が1人、こちらへ歩いてくる。目を凝らして見ると、その男こそが早瀬タクミだった。

「なぁ、君、もしかして、田中アユム君?」

早瀬タクミは黒いサラサラの髪をし、パッチリとした大きな目に少し大きい鼻と厚い唇だった。その唇が、私に尋ねている。坂井だと名乗ろうと思ったが、彼には私が田中アユムに見えているらしい。私は今度は、田中アユムに成り済まして返事をした。

「はい……そうです」
「初めまして、俺は早瀬タクミ。こちらこそ、わざわざ来てもらって悪いね」

じゃあ、と彼は言い、ついてくるよう私に促した。通路を奥へ進むと、突き当たりの右側にはエレベーターの乗り場があり、左側には喫茶室があった。早瀬タクミは左側に向かう。そこには10人程の人間がいて、飲食や煙草を吸ったりしていた。私達は1番奥に向かい合って座った。

「何か飲む?」
「じゃあ、コーヒーを」

早瀬タクミがコーヒーを2つ注文し──ウェイトレスが下がると──私は漸く担当相手に会えた事を喜んだ。と同時に、今私は、早瀬タクミにどのように見えているか気になり、窓に映る姿を確認した。
ウェーブのかかった黒髪と、内気そうではあるが鋭い目と、スッと通った高い鼻の、均整の取れた顔立ちをしていた。
これが田中アユムと言う男か。と言うか、私はこの姿を知っている。確か早瀬タクミに接触しようと入った喫茶店から、ラジオ局に入る人間を見たが、その時の人物だ。もうこの世にはいないが。

「やっと会えた……」
「それはこっちのセリフだよ。この間君が持ち込んだテープ、俺も聞かせてもらったんだけどさー、凄い良かったよ!是非会いたいって頼んだぐらい」

ニコリと笑う早瀬タクミの口元から、八重歯が覗く。私には知らない話だったので、黙っていた。すると彼は、また話し出した。ウェイトレスがコーヒーを運んできたが、止めたりしない。

「俺がプロデュースしたいぐらいだったんだけど、社長がさー、偏屈でさー。ところでさー、常沖タケオって人、知ってる?」

突然質問を投げ掛けられ、私はコーヒーカップに指をかけたまま、早瀬タクミを見返した。
これも私には分からない話だ。と言うか、このままでは話が先に進まない。こちらもどう言う理由で会いにきたのか、ちゃんと伝えなければ、と思い、私は質問を無視した。

「まず、私の話を聞いてほしい」

そう言うと、早瀬タクミはうん、と言って頷いた。

「実は私は死神なんだ。君の死期を伝えにきた。少し接触するのが遅くなってしまったが、君はあと4日の命だ」
「え?」

いきなり理解しろ、と言うのが無理な事ぐらい、私は知っている。だから、彼が頭を整理するのに口をつぐんだ。暫く目を丸くして私を見ていた早瀬タクミは、無理に笑みを浮かべた。

「う……うっそだー!俺をからかってんだろ?」

正体を明かした時の人間は、大体冗談だと笑うか、馬鹿にしてと怒るか、心当たりでもあるのか泣き出したりする。

「悪いが死神は冗談を言わない。信じろとは言わないが、4日後、真実だと思い知るだけだ」

彼の笑みが固まった。どうやら信じ始めてくれたらしい。

「死神って、骸骨の姿してると思ってたけど、人間と変わらないんだな……」

顔を合わせた時の元気は消え失せ、今や萎れた花のようにしぼんでいる。

「そう見えているだけだ」

実に面倒だが、私は死神の姿について説明してやった。それから、姿を固定する為、尋ねた。

「私は早く姿を固定させたい。今君が会いたいと強く願うのは誰だ?頭に思い描いてくれ」
「会いたいと……強く願う人?」

困ったなと言わんばかりに眉を下げたが、腕を組んだ。やっと姿が固定される。さて、彼はどんな相手を思い描いたのだろうと、窓に映る自分に目をやった。

「田中……アユム……か」

私の姿は変わらなかった。

「何故田中アユムなんだ?」

今までだと、恋人や親だったり、有名人だったりしたので、不思議に思って聞いた。

「いや……何でだろ……俺はアユム君には会った事ないんだけどね」

苦々しく笑うと、早瀬タクミは私の姿をジッと見つめてきた。

「もう姿は固定してしまった。今更別人にはなれない」

そう言うと、彼は顔の前で軽く手を振った。

「や、そんなんじゃないんだ。ただ、アユム君って、こんな姿してたんだなーって思ってさ」

早瀬タクミは、そう弁解じみた事を言うと、突然ちょっと待っててと言い、私を残して喫茶室を出て行った。
逃げたのだろうか?中には死神が死を連れて来ると思い込んでいる人間がいて、我々の前から逃亡したりするが、あいにく死神は死を連れて来たりはしないし、期日が来れば必ず死ぬ。ただそう言う場合──逃げられて、居場所が分からないままな時──は、我々は担当の死を見届ける事が出来ず、報告書──死因を書く為の簡単なメモ書きみたいなもの──が提出出来ない。そうなったらなったで、仕事を怠慢したと、ペナルティを──その死神の好きなものが容易にない場所に派遣させられるのだが、大体の死神が好きなものがあるので皆恐れている──与えられてしまうだけだ。
逃げたら逃げたで──期日までに探さないといけないのが面倒だが、私が担当した人間に、そう言う者が少なからずいた──仕方がないさと、私は取り敢えずコーヒーを飲んで暫く待つ事にした。味がしたらいいのだろうが、全く分からない。
どうして死神と言うものには、味覚などと言った感覚が与えられなかったのだろう?これは、私が人間のものを口にした時に毎回思う事だが、知っている者はいないし、誰かが教えてくれるでもないので、いつだって宙ぶらりんになっている。答えが分からなくて困る、と言う訳ではないが、いつかは答えを知りたいとは思う。
そんな事を考えていると、早瀬タクミが戻ってきた。逃げた訳ではなかったらしい。取り敢えず私は──ペナルティが与えられない事に──安堵する。

「ごめんごめん。俺さー、今、アルバムを作ってる途中でさ、休憩中に君に会いに来てたんだけど、今日はもう終わりにしてきたよ」

そう報告されても、別に私は何も思わない。ただ、そうなのかと、呟いただけだった。

「でさ、話の続きなんだけど」

さっき喋った事と、どう続くのか分からないが、彼には私に聞いてもらいたい事があるようだ。

「何だろう」
「何でアユム君なのかって、君、聞いてきたよね?それは多分、アユム君の歌を、もっと聞きたかったからかなって思うんだ」

話しながら煙草に火をつけると、早瀬タクミはふーっと煙を吐き出した。
人間の中には、煙草を上手そうに吸っている者もいるが、実際どんな味なんだと聞いても、きちんと説明出来る人間に会った事はない。彼にも聞いてみようかと思ったが──早瀬タクミは特に──上手そうに吸っている訳ではないような顔をしていた。

「どんな歌なんだ」

そう促すと、早瀬タクミは肩を竦めて見せた。

「実はそのカセットテープ、担当の人に返しちゃって持ってないんだよね。でもさ、とにかく凄いんだ。ギターもいいけど、何てったって声がいい」

上手く伝えていそうでいて、そうではない。人間が多用する言葉に、とにかく、だとか、なんか、があるが、私にはそれがどんな感じなのか皆目分からない。それなのに人間はそれらを多用し、コミュニケーションを取っているのだから驚きだ。

「そうなのか」

興味は湧かない。もし田中アユムが作家なら、違ったのだろうが。

「君も聞いてみるといいよ。担当の人にさ、もしそっちに来たら、このスタジオに来て欲しいって伝えてもらうよう、言ってるから」

だからさっき──私を見るなり──田中アユムかと聞いてきたのか。だが残念な事に、もうこの世には田中アユムはいない。伝えるべきだろうかと思案していると、早瀬タクミは煙草を灰皿に押し付けた。

「ところで死神さん。君、名前とかあるの?」

死を受け入れた者にありがちな、どこか爽やかではあるが脆そうな笑みを、早瀬タクミは浮かべる。私は首を横に振った。

「死神に名前はない。君が呼びたいように呼べばいい」

大抵の人間は、固定した姿の名前をつけたり、それも面倒なら死神、と呼んだりする。早瀬タクミは私を、アユム君と呼ぶのだろうなと、予測した。先にも述べたように、人間は記号にこだわる質のようだから、人間が名前をつける、と言う作業に悩む姿も、見飽きている。そうでなくても、人間はよく悩む生き物だ。

「アユム君……や、でも、本物の田中アユム君がいるわけだから、ややこしいか……」

腕を組み、ぶつぶつと呟きながら私をジロジロと見ている。そんな彼に私は、遠慮はいらない、と言った。

「遠慮はいらない。本物の田中アユムは、もうこの世にはいない」
「え?どう言う……意味?」
「言葉通りの意味だ。本物なら、もう3日前に死んでいる」
「死んで……な、んで?」

困惑しているようで、早瀬タクミの視線があちこち漂っている。会った事がないのなら、それ程困惑する必要もないだろうに。

「ラジオ局の前で、トラックに跳ねられたんだ」

そう告げると──頭痛でもするのか──頭を抱え、髪を掻きむしった。指に抜けた髪が絡まっている。

「そんな……!トラックに跳ねられただなんて、そっ……そのニュース、俺、ラジオで……」

唾を飛ばしながらそう言ったかと思うと、早瀬タクミは急に、糸の切れた操り人形のようにぐったりとした。

「君は田中アユムの歌をもっと聞きたかっただろうが、それはもう無理だ」

聞こえているか定かではないが、そう言ってやった。返事はない。それでも私は、死を迎える人間に対し、1つだけ願いを叶える──人間で言うところの、サービスと言うやつだ──と言う事をしていたので、今までに担当した人間と同様、早瀬タクミにも尋ねた。

「ところで君は、最期に何か叶えたい事はあるか」

人間と言うものは実に様々な種類がいて、世の中に溢れている物と同じく、見ていて飽きない。
そして最期の望みと言うものも、その立場や年齢、性別によって異なる。1番多いのが、まだ死にたくない、だ。そんな事を私に言われても、叶えてはやれない。我々死神はただ、最期を見届けるだけなのだ。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

職業、死神

たける
キャラ文芸
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 死神とは、死期の近付いた人間に、それを知らせる伝達者。 また、夢の中で夢を叶える者。 1人の死神が、今日も仕事で人間の世界を訪れた。 そこで出会ったのは、今回担当する事になった若者と、同業者だったが……。 ※途中で同性(男同士)の性描写が少しだけ出てきます。また、残酷だと思われるような描写も少しだけ出てきます。 ご覧になる際は、上記の描写が大丈夫な方のみでお願いします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Rasanz‼︎ーラザンツー

池代智美
キャラ文芸
才能ある者が地下へ落とされる。 歪つな世界の物語。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

アカシックレコード

しーたん
キャラ文芸
人は覚えていないだけで、肉体が眠っている間に霊体が活動している。 ある日、ひょんなことから霊体としての活動中の記憶をすべて覚えている状態で目が覚める生活を送ることになってしまった主人公。 彼の霊体は人間ではなかった。 何故か今まで彼の霊体が持っていたはずの記憶がないまま、霊体は神界の争いに巻き込まれていく。 昼は普通の人間として、夜は霊体として。 神界と霊界と幽界を行き来しながら、記憶喪失扱いとなった主人公の霊体の正体を探す日々が始まる。 表紙、イラスト、章扉は鈴春゜様に依頼して描いていただきました。 ※この作品はエブリスタで公開したものを順次転載しながら公開しています

処理中です...