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数日が過ぎ、ジェシカの家に産婆がやってくると、数時間後に産声が上がった。それを庭先で確認したグロウは、意気揚々とジェシカの家を訪ねた。
「生まれたようだな、その子を私に寄越せ」
玄関でグロウを出迎えたのは夫だった。だがグロウがそう言っても、まごまごしてなかなか赤ん坊を連れて来ようとはしなかった。
「約束をした筈だ、ラプンツェルを食べさせてやる代わりに、生まれた子を私にくれると!」
グロウが声を荒げると、夫はすっかり閉口し、ジェシカの元へ引き返して行った。程なくグロウは夫に呼ばれ、初めてジェシカの家の中へ入った。
家具や調度品を見る限り、彼女がグロウよりもうんと裕福な事が分かったが、それに腹を立てるでもなく、グロウは夫に着いて二階へ上がり、漸くジェシカと対面した。
「ご苦労だったな」
そう言葉をかけると、ジェシカは不愉快そうな顔をしながらも、えぇ、と小さく返事をした。
「彼と二人きりにしてちょうだい」
赤ん坊を抱いたジェシカがそう言うと、夫は産婆を玄関まで見送る為に部屋を出て行った。
二人きりになった途端、グロウは怒りや憎しみよりも緊張に唇を戦慄かせ、それでもしっかりと彼女を見つめた。
産後直後の彼女は、化粧っけもなく酷く疲れていたが、それでも十分美しかった。汗に濡れた金髪が頬にまとわりつき、それを赤ん坊が不思議そうに見つめている。
「この子を差し上げるわ。ハッキリ言わせてもらうけれど、私は貴方がこの子を欲しいと言ってくれて、凄く嬉しいの」
相変わらずの刺々しい言葉でそう言うと、ジェシカはグロウに白い布にくるまれた赤ん坊を差し出してきた。その顔と態度には、何ら後悔や辛さなど見る事が出来ない。
「何故嬉しいんだ?」
赤ん坊を受け取り、グロウは不馴れな手付きで抱いた。赤ん坊は愛らしい女の子で、一瞬顔をしかめたが、すぐにグロウへ笑顔を見せた。
「貴方にだけ教えてあげるけれど、その子はジョンの子じゃないのよ。いい?貴方がそれを誰かに話したら、私は貴方を人拐いだと言いふり回すわ」
そう言ってジェシカは笑った。
グロウは赤ん坊を抱いたまま、女の言った意味を理解した。
この女は浮気をしていたのだ。そして浮気相手との間に出来てしまった不貞の子の後始末を、押し付けたのである。
何て酷い女なのだろう!
グロウは怒りを思い出し、強く唇を噛んだ。だがそれは、今朝までジェシカに抱いていた、仕返ししたいと言う思いではなく、グロウを利用しようとしている事への怒りだった。
「この人でなしめ!」
そう女を罵倒し、グロウは赤ん坊を抱いたまま部屋を飛び出した。
最初は、女から奪った赤ん坊を酷く扱い、不幸にしてやろうと考えていた。そうする事で、ジェシカが辛い思いをすればいいと思っていた。
だが今は違う。この子に罪はない。罪深いのはやはりあの女なのだ。そう改めて思い直し、グロウはこの赤ん坊を大切に育ててやろうと誓った。
グロウは自宅の前を行き過ぎ、石畳を渡って町の外れにある森へと向かった。そこにはすっかり廃れてしまってはいるが、教会がある。その教会で牧師をしていたのは彼の父だった。
だが、今はもういない。
悪魔崇拝者だと罵られ、いたたまれなくなった父は、この教会で首を吊って死んだ。母もまた、後を追うように同じ場所で同じ様に死んだ。遺された幼いグロウは、両親の後を追う事はなかったが、誰かに頼れる訳もなく、父が最期まで尊んだ聖母マリアにすがるより他になかった。
元々町の人間からの寄付で成り立っていた教会は、見る間に荒み、貯金もないグロウは学校を辞めざるをえなくなった。それからは細々とした生活を強いられ、自宅で最低限の学問を学んだ。日に日に食べる事も出来なくなって行くグロウは、両親が死んでから近付く事のなくなったこの森へ、木の実等の食べられる物を探しに来るようになった。そして辛い時にはこの教会に入り、幸せだった頃の思い出に涙を流し、そして町の人間を憎んだ。
グロウは教会に入ると、壊れ腐り始めた祭壇に赤ん坊を乗せて、聖母マリアに両手を組み合わせた。グロウには牧師としての知識は全くなかったが、見よう見まねで近くの井戸から水を汲み上げ、洗礼の儀式を赤ん坊に行った。
「聖母マリアよ、この哀れな赤ん坊に祝福を……」
「生まれたようだな、その子を私に寄越せ」
玄関でグロウを出迎えたのは夫だった。だがグロウがそう言っても、まごまごしてなかなか赤ん坊を連れて来ようとはしなかった。
「約束をした筈だ、ラプンツェルを食べさせてやる代わりに、生まれた子を私にくれると!」
グロウが声を荒げると、夫はすっかり閉口し、ジェシカの元へ引き返して行った。程なくグロウは夫に呼ばれ、初めてジェシカの家の中へ入った。
家具や調度品を見る限り、彼女がグロウよりもうんと裕福な事が分かったが、それに腹を立てるでもなく、グロウは夫に着いて二階へ上がり、漸くジェシカと対面した。
「ご苦労だったな」
そう言葉をかけると、ジェシカは不愉快そうな顔をしながらも、えぇ、と小さく返事をした。
「彼と二人きりにしてちょうだい」
赤ん坊を抱いたジェシカがそう言うと、夫は産婆を玄関まで見送る為に部屋を出て行った。
二人きりになった途端、グロウは怒りや憎しみよりも緊張に唇を戦慄かせ、それでもしっかりと彼女を見つめた。
産後直後の彼女は、化粧っけもなく酷く疲れていたが、それでも十分美しかった。汗に濡れた金髪が頬にまとわりつき、それを赤ん坊が不思議そうに見つめている。
「この子を差し上げるわ。ハッキリ言わせてもらうけれど、私は貴方がこの子を欲しいと言ってくれて、凄く嬉しいの」
相変わらずの刺々しい言葉でそう言うと、ジェシカはグロウに白い布にくるまれた赤ん坊を差し出してきた。その顔と態度には、何ら後悔や辛さなど見る事が出来ない。
「何故嬉しいんだ?」
赤ん坊を受け取り、グロウは不馴れな手付きで抱いた。赤ん坊は愛らしい女の子で、一瞬顔をしかめたが、すぐにグロウへ笑顔を見せた。
「貴方にだけ教えてあげるけれど、その子はジョンの子じゃないのよ。いい?貴方がそれを誰かに話したら、私は貴方を人拐いだと言いふり回すわ」
そう言ってジェシカは笑った。
グロウは赤ん坊を抱いたまま、女の言った意味を理解した。
この女は浮気をしていたのだ。そして浮気相手との間に出来てしまった不貞の子の後始末を、押し付けたのである。
何て酷い女なのだろう!
グロウは怒りを思い出し、強く唇を噛んだ。だがそれは、今朝までジェシカに抱いていた、仕返ししたいと言う思いではなく、グロウを利用しようとしている事への怒りだった。
「この人でなしめ!」
そう女を罵倒し、グロウは赤ん坊を抱いたまま部屋を飛び出した。
最初は、女から奪った赤ん坊を酷く扱い、不幸にしてやろうと考えていた。そうする事で、ジェシカが辛い思いをすればいいと思っていた。
だが今は違う。この子に罪はない。罪深いのはやはりあの女なのだ。そう改めて思い直し、グロウはこの赤ん坊を大切に育ててやろうと誓った。
グロウは自宅の前を行き過ぎ、石畳を渡って町の外れにある森へと向かった。そこにはすっかり廃れてしまってはいるが、教会がある。その教会で牧師をしていたのは彼の父だった。
だが、今はもういない。
悪魔崇拝者だと罵られ、いたたまれなくなった父は、この教会で首を吊って死んだ。母もまた、後を追うように同じ場所で同じ様に死んだ。遺された幼いグロウは、両親の後を追う事はなかったが、誰かに頼れる訳もなく、父が最期まで尊んだ聖母マリアにすがるより他になかった。
元々町の人間からの寄付で成り立っていた教会は、見る間に荒み、貯金もないグロウは学校を辞めざるをえなくなった。それからは細々とした生活を強いられ、自宅で最低限の学問を学んだ。日に日に食べる事も出来なくなって行くグロウは、両親が死んでから近付く事のなくなったこの森へ、木の実等の食べられる物を探しに来るようになった。そして辛い時にはこの教会に入り、幸せだった頃の思い出に涙を流し、そして町の人間を憎んだ。
グロウは教会に入ると、壊れ腐り始めた祭壇に赤ん坊を乗せて、聖母マリアに両手を組み合わせた。グロウには牧師としての知識は全くなかったが、見よう見まねで近くの井戸から水を汲み上げ、洗礼の儀式を赤ん坊に行った。
「聖母マリアよ、この哀れな赤ん坊に祝福を……」
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