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2.葉山ミノル
4.
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あれから1ヶ月は、何事もなく過ぎ去って行った。
俺もハヤトも、あの日体験した妙な恐怖なんか忘れて、近付いているバレンタインに少し、受かれていた。
『お前はさ、きっと看護婦の前田さんから貰えるよ、チョコ』
「えぇ?そうかなぁ……別に欲しくないんだけど」
『俺は貰えないんだから、貰えるもんは貰っとけよ』
ハヤトは童顔で、まだ高校生でも通用しそうだ。大きくて少し垂れた目と、茶色い髪と瞳が綺麗だ。
「貰えるならね。それより、明日は定期検診だって。ちょっと憂鬱だなー……」
『憂鬱っつったって、自分の為じゃん。俺も側にいるし、不安はないだろ』
テレビではニュースが流れていた。
デパートではバレンタイン商戦が加熱している、とアナウンサーが伝える。その後に天災や殺人などの情報が流れ、物騒な世の中になったものだと感じた。
「だって検査中は、ミノルとお喋り出来ないじゃん。そんなのつまんないよ」
『仕方ないだろ?俺の声はお前にしか聞こえないんだから』
だけど、と少し拗ねるハヤト。愛らしくて手を伸ばしても、虚しくその頭をすり抜けてしまう。
──やっぱり触れたい……
拳を握りしめ、少しだけ死んでしまった事を後悔したその時、玄関チャイムが鳴った。
「誰だろう?回覧板かな……」
そう言って立ち上がり、ゆっくりと壁を指先で撫でながら玄関に向かう。俺はまた、見るとはなしにテレビを見つめていた。
「はーい」
「村上ハヤトさん……ですね?」
低く、くぐもった声がする。隣の山下さんは女子大生だし、反対側は狭間さんと言う独身男性だが、こんなに声は低くなかった筈だ。
俺は妙だと思いながら振り返った。玄関先に、ハヤトより背の高い男が立っている。だけどちょうどハヤトの頭で顔が見えない。
「そうですけど、どちら様でしょうか?」
「アンタがそうなんだな?」
「え?あの、貴方は?」
ハヤトが首を傾げると、男の顔が見えた。鋭い目付きと頬の傷が見え、あの時の男だと分かった瞬間、俺はハヤトに駆け寄っていた。
『ハヤト逃げろ!そいつ、先月見たヤバい男だ!』
「え?あ、ちょ、離して!」
「静かにしろ。でないと、今すぐバラすぞ」
俺が駆け寄ったからと言って、どうにか出来る訳でもない。無駄だと知りながらも繰り出した拳は、男をすり抜けた。
「ちょっと来てもらいたいとこがあるんだよ。いいな?」
ハヤトにナイフが突き付けられ、可哀想なハヤトは足を震わせ涙ぐみながら頷いた。
『ハヤト!ハヤト!』
無理矢理男に手を引かれ、連れ出されるハヤトに続き、俺も部屋から出た。辺りを警戒しながらエレベーターに乗り込んだ男は──監視カメラから見えないように──ナイフをハヤトの背中に回した。
「い……一体何の用ですか?ぼ、僕は貴方を知らないのに……」
「静かにしろ。話は車の中でしてやる」
階下に到着すると、真っ黒なクラウンがマンション前に停車していて、ハヤトは後部座席に押し込められた。俺もその後に乗り込むと、感触もないのにハヤトの手に手を重ねた。
『大丈夫だ。俺がついてる』
俺が使う言葉の中で、これ程頼りなく、不安なものはないだろう。だけどハヤトは──キュッと唇を噛みしめ──涙を溢しながらも小さく頷いた。
サングラスをしている運転手が、ゆっくりと車を発進させる。
「よぉ、村上ハヤト君。アンタ、先月オレを川原で見たな?」
「え……?あの、そう言われても僕、目が見えないんです」
男は鋭い目を細めた。狐に似たその顔で、ハヤトの横顔を見つめている。
「あぁ、らしいな。けどアンタ、逃げただろ。それは見えてるって証拠じゃないのか?あぁ?」
「そっ……それは……」
「もしかしてアンタ、見えないフリして、障害手当てが目当てなんじゃないか?」
「違います!」
「ま、オレには見えてようが見えてなかろうが、どっちでもいいんだよ。逃げた事実には変わりねぇんだからな」
そう言って笑った男は、運転手に何かを耳打ちして、座席にゆったりと座り直した。
「僕を何処へ連れて行くつもりですか?」
「着いてからの楽しみにしといたらどうだ?せっかくのドライブなんだ、最後のな」
『お前!ハヤトをどうするつもりだ?殺すつもりなら、俺がお前を殺してやる!』
不気味に笑う男に、俺は聞こえないと分かっていてもそう怒鳴った。ハヤトは俯いたまま泣いていたが、必死に声を殺していた。
『ハヤト、俺がお前を殺させやしない!だから諦めるな!』
どんなに強く手を握っても、何の感触もない。温もりもなければ、ただ空気を掴んでいるようで虚しい。
──俺が生きていたら……!
そうしたら、ハヤトを守ってやれるのに。
死んだ事をまた後悔しながら、俺は流れる景色を見ていた。
繁華街を抜けた車は、高速に上がった。いくつかの出口を通り過ぎ、漸く一般道に降りる。
この先は1つしかない。
どうやら俺達は、港へと連れて行かれるらしい。
俺もハヤトも、あの日体験した妙な恐怖なんか忘れて、近付いているバレンタインに少し、受かれていた。
『お前はさ、きっと看護婦の前田さんから貰えるよ、チョコ』
「えぇ?そうかなぁ……別に欲しくないんだけど」
『俺は貰えないんだから、貰えるもんは貰っとけよ』
ハヤトは童顔で、まだ高校生でも通用しそうだ。大きくて少し垂れた目と、茶色い髪と瞳が綺麗だ。
「貰えるならね。それより、明日は定期検診だって。ちょっと憂鬱だなー……」
『憂鬱っつったって、自分の為じゃん。俺も側にいるし、不安はないだろ』
テレビではニュースが流れていた。
デパートではバレンタイン商戦が加熱している、とアナウンサーが伝える。その後に天災や殺人などの情報が流れ、物騒な世の中になったものだと感じた。
「だって検査中は、ミノルとお喋り出来ないじゃん。そんなのつまんないよ」
『仕方ないだろ?俺の声はお前にしか聞こえないんだから』
だけど、と少し拗ねるハヤト。愛らしくて手を伸ばしても、虚しくその頭をすり抜けてしまう。
──やっぱり触れたい……
拳を握りしめ、少しだけ死んでしまった事を後悔したその時、玄関チャイムが鳴った。
「誰だろう?回覧板かな……」
そう言って立ち上がり、ゆっくりと壁を指先で撫でながら玄関に向かう。俺はまた、見るとはなしにテレビを見つめていた。
「はーい」
「村上ハヤトさん……ですね?」
低く、くぐもった声がする。隣の山下さんは女子大生だし、反対側は狭間さんと言う独身男性だが、こんなに声は低くなかった筈だ。
俺は妙だと思いながら振り返った。玄関先に、ハヤトより背の高い男が立っている。だけどちょうどハヤトの頭で顔が見えない。
「そうですけど、どちら様でしょうか?」
「アンタがそうなんだな?」
「え?あの、貴方は?」
ハヤトが首を傾げると、男の顔が見えた。鋭い目付きと頬の傷が見え、あの時の男だと分かった瞬間、俺はハヤトに駆け寄っていた。
『ハヤト逃げろ!そいつ、先月見たヤバい男だ!』
「え?あ、ちょ、離して!」
「静かにしろ。でないと、今すぐバラすぞ」
俺が駆け寄ったからと言って、どうにか出来る訳でもない。無駄だと知りながらも繰り出した拳は、男をすり抜けた。
「ちょっと来てもらいたいとこがあるんだよ。いいな?」
ハヤトにナイフが突き付けられ、可哀想なハヤトは足を震わせ涙ぐみながら頷いた。
『ハヤト!ハヤト!』
無理矢理男に手を引かれ、連れ出されるハヤトに続き、俺も部屋から出た。辺りを警戒しながらエレベーターに乗り込んだ男は──監視カメラから見えないように──ナイフをハヤトの背中に回した。
「い……一体何の用ですか?ぼ、僕は貴方を知らないのに……」
「静かにしろ。話は車の中でしてやる」
階下に到着すると、真っ黒なクラウンがマンション前に停車していて、ハヤトは後部座席に押し込められた。俺もその後に乗り込むと、感触もないのにハヤトの手に手を重ねた。
『大丈夫だ。俺がついてる』
俺が使う言葉の中で、これ程頼りなく、不安なものはないだろう。だけどハヤトは──キュッと唇を噛みしめ──涙を溢しながらも小さく頷いた。
サングラスをしている運転手が、ゆっくりと車を発進させる。
「よぉ、村上ハヤト君。アンタ、先月オレを川原で見たな?」
「え……?あの、そう言われても僕、目が見えないんです」
男は鋭い目を細めた。狐に似たその顔で、ハヤトの横顔を見つめている。
「あぁ、らしいな。けどアンタ、逃げただろ。それは見えてるって証拠じゃないのか?あぁ?」
「そっ……それは……」
「もしかしてアンタ、見えないフリして、障害手当てが目当てなんじゃないか?」
「違います!」
「ま、オレには見えてようが見えてなかろうが、どっちでもいいんだよ。逃げた事実には変わりねぇんだからな」
そう言って笑った男は、運転手に何かを耳打ちして、座席にゆったりと座り直した。
「僕を何処へ連れて行くつもりですか?」
「着いてからの楽しみにしといたらどうだ?せっかくのドライブなんだ、最後のな」
『お前!ハヤトをどうするつもりだ?殺すつもりなら、俺がお前を殺してやる!』
不気味に笑う男に、俺は聞こえないと分かっていてもそう怒鳴った。ハヤトは俯いたまま泣いていたが、必死に声を殺していた。
『ハヤト、俺がお前を殺させやしない!だから諦めるな!』
どんなに強く手を握っても、何の感触もない。温もりもなければ、ただ空気を掴んでいるようで虚しい。
──俺が生きていたら……!
そうしたら、ハヤトを守ってやれるのに。
死んだ事をまた後悔しながら、俺は流れる景色を見ていた。
繁華街を抜けた車は、高速に上がった。いくつかの出口を通り過ぎ、漸く一般道に降りる。
この先は1つしかない。
どうやら俺達は、港へと連れて行かれるらしい。
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