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交錯する過去と現在

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 オルフィロスのラピスラズリの瞳はロータスの方を見つめているようだが、焦点が合わず光は無い。無表情で感情が現れていない端正な顔は、まるで別人のようで。

 ロータスの側にいるのにもかかわらず、オルフィロスは遥か遠くに存在しているような距離感を感じる。

「……オルフィ、どうしたのですか? 気分が悪い?」

 しばしの沈黙の後、切れ長の目に光が戻り、オルフィロスは何度か大きく瞬き、頭を軽く左右に振る。すぐにいつもの悠然とした、柔らかな表情が戻ってくる。
 
「――オルフィ、オルフィロス・プリマヴェル……、私は……。リリィ? 君は、ああ、そうだ。ロータス・リリィ・マーヴィンだ」
「? 一体何を言って?」
「ごめん。何だか久々にここへ来たら頭がぼうっとしてしまって。エネルギーが強すぎるからかな」
「具合が悪いなら、もう帰りましょう? 最近、働きづめですよね。私のために無理させたくないです」

 オルフィロスは心配するロータスに無言でキスをする。

「んんっ……」
  
 キスは、段々と深くなり、オルフィロスの舌がロータスの口内にねじ込まれる。

「……ふぅん」
 
 神聖な光と死を守る闇の間で唇が溶けてしまいそうなほど熱いキスを繰り返す。オルフィロスの腕は、ロータスを逃がさないようにグッと腰を抱き、反対の腕で後頭部を拘束する。
 ロータスの口からどちらのとも言えない唾液が流れる。
 ロータスが立っていられなくなった所で、やっと唇が離れた。

「うん。リリィをチャージしたから、もう大丈夫」
「もう! 私が大丈夫じゃないです。立っていられないです。こんな神聖な場所でこんなこと……」
「君と私が奇跡的に出会い、結ばれてするキスは神聖な行為だろ? それともリリィは何か淫らなことを考えていたの?」
「――っ、違いますけど!」

 慌てるロータスを見て、とろけるような春の木漏れ日のような微笑みを浮かべる。
 
(いつものオルフィ……?)

 力が入らない膝で何とか立ちあがろうとオルフィロスの腕を掴みながら、ロータスは心の中で安堵のため息をつく。

「ずっと私の腕の中に閉じ込めておければ安心なのにね」

 不貞腐れるロータスに小声で言いながら、オルフィロスは力の入らない彼女を柔らかに抱きしめる。
 
『百合、ずっと僕の腕の中に閉じ込めたい。誰にも分からない場所に隠して、僕以外の誰にも触れさせたくない』

 ふと前世で最後に付き合っていた元彼、久条聖くじょう ひじりの言葉が浮かび、背筋に冷たい汗が流れる。
 
 言われたのは別れる少し前だった。
 付き合い始めてから段々と束縛がキツくなって、仕事に行くにも友だちに会いに行くのにも彼の許可が必要になった。
 ……どうして前世の元彼のことを思い出すのだろう。彼は聖ではないというのに。

「オルフィ、私たちもうすぐ結婚するのにどうしてそんな冗談を言うの?」

 ロータスは胸中を悟られないように、わざと明るく振る舞う。
 
「さあ、なぜだろうね。俗に言うマリッジブルーっていうやつかな?」
「もう、ふざけて。そろそろ戻りましょう」

 ロータスは胸騒ぎを覚えつつも、何事も無かったかのように歴代の王族たちの遺骨が納められている石碑の方へ進む。この光と闇のコントラストが強い場所に長時間いるのは良くない感じがする。
 オルフィロスの情緒が少し不安定なのも、きっとこの場所のせいだ。
 早く外に出なくては。このままここに留まったら良くないことが、起こるような予感がある。
 
 オルフィロスがロータスを追って、背後に立つのを感じる。
 
 再び鳥肌が立つ。前世で感じた、元彼の聖から執拗に追いかけられる恐怖を思い出し、腹の底から身体が冷え冷えとする。
 よく知っていた人が、ある日得体の知れない存在になる……。
 そんな恐怖を思い出す。いつもなら気にならない沈黙をかき消すように、ロータスは話し始める。

「あの一帯の古い骨壷は割れて、ほとんどこの神殿の砂礫と中身が混ざってしまっているみたいなのですが、いいのでしょうか?」
「ああ、あれはそのままでいいんだよ。死んだ後、魂と身体は分離し、魂は天へ登り守り神に、身体であった骨は地に還る。だから私たちはそのまま骨が地に還るのを見届けるんだ」
「そういう理由なのですね」

 前世でも墓石の下で骨壷がいっぱいになり、入りきらなくなると、古い骨を砕いて下の地面に巻くと聞いたことがある。それと近い感覚なのかもしれない。
 
「生きる人の地は、死んだ人の体でできていると考えると死と生は表裏一体とも言えるのかもね」
「それに天に登った魂が自分の守り神になると考えると、死別という言葉は無くてもいいような気がしますね」

 『死別』という言葉に反応し、オルフィロスが息を飲む音がする。オルフィロスは、ロータスの背後に立ったまま、声をかける。
 
「ねえ、リリィ、生まれ変わりって信じる?」
「え?」

 突然始まった脈絡のない会話にびくりと肩が揺れる。
 リュミエール神の教えは、死を迎えた魂は神の国で修行をした後、その子孫の守り神となる。
 つまり、生まれ変わりの概念はその教義にはなかった。魂が循環することはない。輪廻転生という概念は存在しないのだ。
 それを神官でもあるオルフィロスが知らないはずはないのにと、ロータスは訝しげに振り返る。
 そこにはいつもと同じ人好きのする微笑を浮かべるオルフィロスがいる。

「ねえ、考えたことある? 死んだらどうなるかなんて、誰にも分からないのに、どうして人は勝手に死後のことを決めつけるのか。信じるものが違えば、その教義も変わる。誰も分からないことを勝手に想像して、名前をつけて、信仰という形にする。おかしいと思わない?」
 
「……どうしたの? あなたがそんなことを言うなんて。神聖国の時期国王になる人が軽々しくそんな発言をしてはいけない……と思うのだけど」

 国の宗教を否定することを、時期国王となる立場の人が言うのはあり得ないことだ。
 
(彼は一体何を言おうとしているの? もしかして私が転生したことに気がついてる?  少なくても、フェアファクスとプリマヴェールではリュミエール神を信仰しているから、その発想はないはず……)

 穴の開くほど美麗な顔を見つめても、何の感情も読み取れない。精巧に作られた人形のように、美しいが空虚で寂しそうな微笑み。
 ロータスは後ずさる。それを追うようにオルフィロスが一歩前に踏み込む。

「人は信じたいものを信じ、信じたくないものを信じない」

 オルフィロスは、ロータスの両肩をぎゅっと握る。硬く骨ばった指が、肩に食い込む。

「痛っ」

 ロータスの言葉には何も反応せず、オルフィロスは続ける。
 
「君が何を信じるのか、そしてどう行動するのか私にはコントロールできない。だからいつ君が私から離れていってしまうか、私は不安で仕方ないんだ」
「どうしたのですか? いつものオルフィらしくないですよ」
「私らしく……って一体何だろう。分からない。繰り返す輪廻の中で、そんなものはとうに失われていて、どうしたら君が私から離れていかないかということ考えてばかりいる。君に跪いて、この骨壷に並んで入るまで側にいて欲しいと懇願すればうまくいくのかな?」

 オルフィロスの言動がおかしい。会話が全然噛み合わない。何かとても焦っているような。
 
「どうしてそんな話になっているのですか。私たちは夫婦になるのでしょう? これからの人生を一緒に……過ごすのでしょう?」

(……もしかしてガルシア卿と会って話をしたことに気がついて、私がフェアファクスに戻ってしまうと思っているとか?)
 
「そう……だけど」
「だったらもっと私を信じてください」

 あまりに不安がるオルフィロスが少しだけ可哀想になり、思わずそう口にする。もともと戻るつもりはなかったし、嘘でない。
 そして彼を安心させるために、そっと大きな背中に腕を回す。

「分かった。そうだよね、リリィ。おかしなことを言って、ごめんね。ずっと、一緒だよね?」

 囁かれた弱々しい言葉に困ったように、ロータスは微笑む。しかし心の中では、いつもの落ち着いた、余裕たっぷりの彼とは全く違う姿を見て、激しく動揺していた。

「では戻りましょう」

 過去の王族たちの遺骨に一礼すると、二人は元来た道を戻る。ロータスが先に立ち、聖堂を通り抜ける。静かにオルフィロスがその後に続く。
 ザリザリと神殿の砂礫を踏みしめながら歩く。ロータスの足音にオルフィロスの足音が重なる。
 
 夜道で元彼に後をつけられた時のことを、再び思い出す。自分が止まれば、後ろの足音も止まる。
 足音は、いつも自分のものに重ねられていた。怖くて後ろを振り返ることができない。さっきから悪寒が治まらない。
 
 オルフィロスはストーカーではないし、ただ暗い神殿の中を歩いているだけだ。分かっているのに、先ほどの少し様子のおかしいオルフィロスが、怖くて怖くて仕方がない。
 逃げ出したいと本能が叫んでいる。現在と過去がシンクロしているようなそんな感覚に陥る。
 
 外の光が見えてきて、大聖堂から入り口まで戻ると、心の底から安心する。やっと帰れる。
 きっと外に出れば、この心を覆い尽くそうとする不安も恐怖も、情緒不安定なオルフィロスもきっと元に戻るはずだ。
 
 しかしここに到着した時の天気とは打って変わって、外は雷鳴が鳴り響き、地面に強く叩きつけられた雨の飛沫で外は白く煙っていた。
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