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騎士団長イグニス・ガルシアとの邂逅

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 あれからオルフィロスとロータスの婚約は驚くほどスムーズに進められた。
 ロータスが日々、自分の行動の証拠として残していた書面をオルフィロスは人目を忍んで保存していたのだ。
 その書面によりロータスが冤罪であったことは証明され、あの処分は不当なものだとのプリマヴェル内で見解を得た。そもそもプリマヴェルでは、魔王討伐の時に見せたロータスの行動への評価は高く、それを理解せず国外追放の処分を下した王や王族・貴族たちに不信感を持っていた。

 彼女の冤罪を確実に証明するかのように、プリマヴェルの王太子であり、護り人でもあったオルフィロスが死の森からロータスを救出したことにより、逆にフェアファクス王国のロータスへの処罰について不信感が強まった。誰かがロータスを罠にかけて、その地位を失墜させたのではないかと皆が思うようになっていった。

 プリマヴェルではリュミエールの光の加護がある者の力が強く、その者の判断はリュミエールのご意思であると認められる。プリマヴェルの王太子オルフィロスは、歴代最強の神聖力を保有しており、その行動を咎める者は国王も含め誰一人としていなかった。
 
 誰にも文句を言わせることなく婚約式を無事に終えて、二人は各国の神殿を訪問する旅に出ていた。

「ここは聖なる水が湧き出る街なんだ。神殿が配布する聖水はここから汲み出され、各国へ運ばれていく。高級なポーションの原料としても使われる」
「死の森で私に使ってくれたポーションはこの地の聖水から作られたのですね」

 ロータスが言うと、オルフィロスはうなづく。

 標高四千メートルの山々が連なるプリマヴェル北部の山岳地帯は夏にもかかわらず、湿気がなく涼しい。標高四千五百メートルのレムリーア山の中腹にあるメドウという町に来ていた。

 レムリーア山は、死の森で囲まれた死を象徴するエタナル山と反対に生命の起源を持つ山と言われ、メドウはその中でも特に神聖な土地であった。
 
 メドウは、小さな町ではあるが、各国から多くの怪我人や病人たちがこの地で治療に来ていた。
 魔獣の毒の解毒に、メドウの水は高い効果があり、通常の毒消ポーションで完治できない重傷者が、ここに集まっていた。湯治の施設も整っているため、薬では治らない病を患った人々も集まり、町は活気に溢れていた。

「君の足もきっとここで完全に良くなるはずだ。あとでネヴァに水を部屋まで持って来させよう」

 ロータスの脚は問題なく歩けるようになったのだが、未だ脚を少し引きずってしまうため、しばらくここに滞在して治療することになった。
 ネヴァというのは、優秀な神官で、史上最年少でメドウの神官に着任したらしい。
 
 街を歩きながら、神殿の奥にある王族専用の別荘、ハウス・メドウへ行こうとしていると「オルフィロス」と呼ぶ声が聞こえた。
 
 振り返ると攻略対象者の一人である騎士団長イグニス・ガルシアがフェアファクスの負傷した騎士たち数十名を引き連れて、神殿に向かっている所だった。
 百九十五センチの長身に広い肩幅、砂漠の砂のような日焼けした肌、深紅の短髪、銀灰色の鋭い瞳は、攻略対象者に相応しいビジュアルだ。
 
 性格は、真面目で一度決めたら考えを変えず、融通がきかない頑固者。けれど実直で素直、小動物好きという一面に乙女たちは胸をきゅんきゅんさせていた。
 初めは素っ気ない態度を取り、ぶっきらぼうな口調で主人公に接するが、親密度が上がってくると主人公を一途に守り通し、時折囁く無口な彼から紡がれる愛の言葉は甘い。
 普段無口で無表情なイグニスが、切ない表情を浮かべて自分の内面を吐露する場面は、彼を推す乙女たちの萌えスチルの一番人気だ。
 
 ゲームだとしたら、他と違ったタイプとして楽しんで攻略するのだが、ロータスは実際彼に何度も酷い目にあわされていたので、全く好感が持てなかった。

 騎士団の手伝いで国境に行かされた際、魔獣がいる森へ置き去りにされたり、せっかく作った魔法陣を邪悪なものだと壊されたり。自分の忠告を無視して、騎士が魔獣の討伐に行ったにも関わらず、その騎士が負傷して戻ってきたら、その責任をロータスに押し付けられたこともあった。あの時は、あまりの理不尽さに唖然として言葉が出なかった。
 頭が固すぎて、正しい判断ができない騎士団長に命を預けなければならない騎士たちは彼のことをどう思っているんだろうか。物静かというより、言葉数が少なすぎてコミュニケーションがままならないという印象がある。
 
「――イグニス、久しぶりだな」
「元気か、オルフィロス? それにその横の女性は……マーヴィン侯爵家のご令嬢? 信じられない生きていたのか……」
「……ご無沙汰しております。マーヴィン家からは除籍されたので、今はただのロータスでございます」

 ロータスは、最低限の挨拶をするとさっとオルフィロスの後ろに隠れる。面倒なことを言われるのはごめんだ。

「それでここには療養に?」
「そうだ。フェアファクスは、ほころびた魔法陣から魔獣が入ってきて大変な状況なんだ」

 兄のテレンスが非公式にプリマヴェルを訪問した時、ザカライアスからの依頼を断ったからだとロータスは、オルフィロスの後ろで身をこわばらせる。
 彼女の心情を察したのかオルフィロスは早々に話を打ち切り、その場を去ろうとする。
 
「そうか、それは大変なことだな。隣国としてお役に立てることがあれば、陛下に助けを求めてくれ。では、私たちはこれで」
「ちょっと待て。プリマヴェルの王太子が婚約したと最近噂になっているが、もしかして相手はロータス嬢なのか?」
「それが何か? 君には関係のないことだ」
「ロータス嬢、あなたは、国が大変な時に何をしているんだ! 早く国に戻って、魔法陣を修復すべきだろう!」

 突然、怒鳴り出すイグニスにロータスは驚く。
 
(全く意味が分からない。私が国外追放となり国へ戻れないことは、あの日、玉座の間にいた彼も知っているはずだ。頑固な生真面目キャラじゃなくて、もしかして単に脳筋で頭が悪いだけなのかしら……)

 まじまじとイグニスの銀灰色の瞳を見上げる。
 
「あなたを探しに死の森へ行った多くの騎士が死んでいった。そして今また魔獣討伐に出ている多くのものたちも死んだ。あなたは自分の責任を放棄して、他国でのうのうと生き、王太子妃になるなんて」

 イグニスはその端正な顔を怒りに赤くし、震えながら、強くロータスのことを睨みつける。
 心の奥に溜め込んだ怒りを吐き出すように、大声で怒鳴る。
 
「恥を知れ!」

 イグニスの大声にざわついていた街が、一瞬にして静まり返る。
 このまま静かに行かせてくれなそうだと諦めたロータスは、はあ、と小さくため息をつく。ゆっくりと落ち着いた声で話し出す。
 
「ガルシア卿、私はあなたが一体何を仰っているか分かりません。私は、国外追放されたのです。お言葉ですが、今更戻る義理もありませんし、魔法陣を修復する責任もないと思います」

「何という恥知らずな女だ! お前の話はどうでもいいから国に戻り、責任を果たせ!」

 ロータスの落ち着いた様子に腹を立てたのか、イグニスの怒りは全くおさまらない。闘牛の様に今にも突っ込んできそうな勢いに圧倒される。ロータスはぎゅっとオルフィロスの腕を掴む。
 こ、これが乙女ゲームの攻略対象なんて、ありえない。それとも悪役令嬢という役割が、彼にこんな態度を取らせているの?
 
「イグニス、君は神聖プリマヴェル王国の王太子妃となる人に向かって無礼を働くのだな? お前こそ恥を知れ。死の森へ追放したのはザカライアスじゃないか。それを探しに行って騎士が死んだ? だったらそれはザカライアスの責任なんじゃないのか。リリィには関係ないことだ」
「しかし……今は国一大事なんだ。今日だって魔獣にどれだけの騎士が犠牲になったか……」

 イグニスの銀灰色の瞳が、国を憂うかのように揺れる。国と王太子殿下への忠誠心と自分の正義が正しいと思う気持ちは理解できるけど、それを他人に強要するのは違う。
 何よりも自分の命が大切だ。それに自分を愛してくれるオルフィロスと結婚して、やっと自分の人生を手に入れられそうなのだ。再びフェアファクスに戻り、不確実なゲームのストーリーに翻弄されたくない。
 
「ガルシア卿、私はもうフェアファクスの人間でもないし、戻る気もありません」
「ロータス嬢、あなたはそれで良いのか? マーヴィン侯爵、夫人とテレンスは、魔獣の毒で病を発症し王都を離れた。家族も見捨てて、他国で自分だけ平和に生きていくのか」

 家族の話に一瞬、ロータスの瞳が揺れる。しかしすぐに苦々しく微笑むと、落ち着いた声で返事を返す。
 
「……家族が、私を捨てたのです。もう帰る場所も理由も、フェアファクスには無いのです。ご理解ください」
「もういいだろう? 申し訳ないがこちらで失礼するよ。後ろの負傷した騎士たちも具合が悪そうだから早く神殿に行った方がいいのではないか? 罪のない女性を恫喝して、連れ戻すためにここへ来たのではないだろう?」

 オルフィロスに言われ、イグニスは後ろで会話を聞きながら戸惑う騎士たちを一瞥する。そしてイグニスはばつが悪そうに「こちらで失礼する」と言い捨てて、その場を後にした。

 ロータスは、遠ざかるフェアファクスの騎士たちの背中が小さくなると、安堵のため息をつく。
  
「オルフィ、どうして皆私をあの国へ連れ戻そうとするのかしら。あちらにはアリサ様がいるというのに」
「あの女が能力不足で使えないからだろう」

 まさかまだゲームの強制力があって、無理やりフェアファクスへ自分を戻そうとしているのだろうか。
 セカンドシーズンとか、本当に洒落にならないんですけど。
 
 それはそうとこれは乙女ゲームで、サスペンスやホラー、ザバイバルゲームではないはずよね。どうしてこんなに命の危険を感じるのかしら。悪役令嬢だから?
 理不尽過ぎる。
 一度国外追放エンドを迎えたというのに、未だにゲームに自分の運命を鎖でつながれているような心持ちになる。
 ぐるぐると思考を巡らせていると、オルフィロスが、ロータスを包み込むように抱きしめる。

「かわいそうに、こんなに震えて。フェアファクス王国の入国禁止令を出しておけばよかったかな」

 自分でも気が付かないうちに身体が震えていたようだった。ロータスはオルフィロスのたくましい背中へすがるように腕を回す。

「いっそのこと、殺してしまおうか?」
「え……?」
「君に害をなすものは全て取り払ってあげたい。イグニスは魔王討伐の時、君に何度も命を脅かすようなことをしただろう」
「そうですけど……。そ、それはちょっと物騒なのでは……」

 オルフィロスの腕の力が強まり、ロータスは彼の胸の中で動けないでいるため、その濃い青の瞳が狂気の色を帯び、憎悪の表情を浮かべている麗人の顔を見ることができない。

「リリィが、危ない目に合うを黙って見ていられないんだよ。心配なんだ。どうして君はこんなに色々なものから狙われるんだ?」

 (それは私が聞きたいです……。でも当時フェアファクスで何度も危険な状況に陥れられた時、いつも私を助けに来てくれたのはオルフィだった)
 
「ごめんなさい。心配かけて。でも私のことで、そんなことをしたら国同士の争いになりますよね……。それはやっぱり避けたいかも……です」
「優しいね、リリィは。でももし今度こんなことがあったら、私は黙ってはいられないから」
「うん……分かった。ありがとう、オルフィ」
「君を失ったら、私には生きている意味なんてないんだよ」

 耳元で響く切なげなオルフィロスの声に、胸が痛いような、ドキドキするような気持ちになる。彼とは婚約者だし、あれもこれも既に体験している間柄だというのに、落ち着かなくて照れくさい。
 ロータスは、思わず別の話題を切り出す。
 
「それにしても……マーヴィン家が魔獣の毒で病を発症したって。あの非公式の謁見の席で、お兄様の具合が悪そうだったのは……病を患っていたからなのでしょうか」
「君が気になるなら、フェアファクス王国のマーヴィン家の療養先の近くに赴任している神官へ状況を確認してもらおう」

 オルフィロスは、ロータスのミルクティ色の長い髪をさらさらと撫でる。
 
「すみません。ありがとうございます」
「私に任せて。君もまだ完全に身体が元通りになったわけじゃないのだから、あまり気にしすぎではダメだよ。また胃炎になっちゃうよ」

 ん? ロータスは、一瞬考える。
 
「……胃炎になったことありましたっけ?」
「あったよ。お守り代わりに胃腸薬をよく持ち歩いていただろう?」

 前世ではよくストレスで胃が痛くなり、胃腸薬は肌身離さずに持っていた。しかし今生ではそもそもあまり現実感なく生きていたし、生き残るためにむしろ何でも食べられる強い胃腸を育ててきた。
 一体……これは、どういう思い違いなの? 少しだけ力が緩んだ腕から、上半身を離し、オルフィロスを見上げる。逆光でその表情は暗く、伺うことはできなかった。

「……はい、気をつけます」

 何となく否定するのがためらわれて、ロータスは小さな嘘をついた。
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