上 下
32 / 35
第四章 聖女は幸せになるようです

因果

しおりを挟む
(寒い……)

 エレノアは、瘴気が漂う森の中を、麻袋に乱暴に詰められ荷物のようにオーガに抱えられて移動していた。
 マイナス三十度の中、部屋着のままで連れ出され身体はあっという間に冷え切った。
 ヘイムとか言うオーガが、通行料としてゴブリンに自分を渡すと言っていたのを聞いたが、手足を拘束されていて、今は何もすることができない。
 ただ拉致される寸前に、緊急信号を送ったので、そのうちミドルアースから助けが来るはずだ。
 それまでは何とか時間をかせがないと。

 オーガたちは、休みも取らず暗い森を走り抜けている。これからヴィエルガハへ向かうとも言っていた。
 ペルケレのやつ、こっそり自分の領地でオーガを匿っているなんて、お父様に報告しなくちゃ。
 これは連合国法に基づき反逆罪として裁かれるべきだ。ミドルアースの王女を拉致した罪で、これを機に魔族もオーガ族も魔水晶の原料にしてしまえばいい。
 本当に忌々しい下等生物たちめ。
 
 あれこれ考えを巡らせていると、オーガたちは走る速度を緩める。気温が少し変わり、空気が湿り、カビの臭いが漂ってくる。森の木々のざわめきが聞こえなくなり、風の動き、音の反響の感じから、どうやら洞窟の中に入ったようだった。

「ヤラル、ここからはゴブリンの縄張りだ。ここのゴブリンは割と話が通じるから問題はないと思うが、念のため気をつけろ」

 ヘイムがマリーノを抱いているヤラルに声をかける。ヤラルは頷くとマリーノを毛布できつく包む。

「マリーノさん、ここからは絶対に声を出してはいけません」
「わ、分かりました」
 
 マリーノは緊張した声で答える。その緊張を察したのか、ヤラルは気を使うようにマリーノに言う。

「何かあったら、私が死ぬ気で守りますから、安心してください」
「ヤラルさん、死ぬ気だなんて言わないで下さい。ここにはあなたの子もいるのですから」

 ヤラルは驚いた顔をした後、「分かりました」と薄茶色の頬を少し赤らめて、ほのかに笑う。

(ふん、しょうもない雌犬ね。生き残るために誰彼構わず尻尾を振るんだから。オーガとの子なんて汚らわしくてゾッとするわ)

 エレノアはそのやり取りを聞き、心の中で悪態をつく。猿ぐつわをされており、言葉を話すことができなかった。

 助けはまだかしら。そろそろミドルアースの騎士団が来てもいい頃よね。
 そんなエレノアの思惑を無視して、一向は洞窟の奥へと進んでいく。ざっざと歩く足音が、天井に響いてうるさいくらいだ。
 洞窟の奥へと向かうほど、血生臭さが強くなる。風に乗って、唸るような声や甲高い悲鳴のような声が微かに聞こえる。
 風の……音なのかしら。エレノアは少しだけ怖くなる。
 
 どのくらい進んだか分からないが、突然歩みが止まる。オーガたちの間にピリッとした緊張感が漂う。
  ヘイムが挨拶をする。

「ゴブリンロード・ルポルディ、この度は大勢で押しかけてきてしまい、申し訳ありません」
「よい。事前に連絡は貰っていたからな。色々と大変だったな」

 ヘイムが話している相手は、共通言語ができるゴブリンだった。
 これはついている。言葉さえ通じれば後は交渉すればどうにかなる。エレノアは、自分の幸運に明るい気持ちになる。

「前置きはさておき、こちらほんの気持ちです。お納めください」

 どさりと乱暴に地面に落とされ、痛いと思う間もなく袋が開かれる。エレノアの視界が一気に開く。
 目の前にいたのは、巨大スライムのようにでっぷりと太った緑の肌を持つ、醜悪な容姿のゴブリンロードだった。むっちりとした指にはそれぞれ違った種類の指輪が嵌められ、首からはごてごとした大ぶりのネックレスをかけていた。たるんだ腹は華美な腰巻の上にだらしなく乗っていた。
 生臭いような、腐敗臭のような臭いにエレノアは顔をしかめる。

「名は何というのだ?」

 ルポルディは、口をくちゃくちゃと開き、ヘイムに訊ねる。茶色く汚れた鋭い歯が見えて、生理的嫌悪感を感じる。
 
「……ミドルアースの王女、いや、名前、何だっけ……」

 ヘイムは、エレノアの名前は憶えていないようで、思い出そうと首をかしげる。
 
「直接教えてもらうとしよう。猿ぐつわを外せ」

 ルポルディが側にいたゴブリンへ指示を出すと、乱暴に猿ぐつわが外された。エレノアが膝立ちで、ルポルディに近づくと拘束された両手をルポルディの前につく。
 まずはゴブリンロードに助けを求めて、オーガたちを殲滅してもらわないと。

「それで名は?」
「――っ、偉大なるゴブリンロード様、た、助けてください。私はこいつらに拉致され……」

 そう言った瞬間、ばしん、と脳を揺らすような衝撃が走る。
 エレノアは、身体がその場から吹き飛び、壁に激突する。

「……え?」

 一瞬何が起こったか理解できなかった。
 ……殴られた……の?

「聞かれたことのみを話せ」

 ルポルディが鷹揚に言う。エレノアは、のろのろと身体を持ち上げる。
 
「……あ……あ、あの……私は、エレノア・ミドガーラントでごさいます」
「エレノアと言うのか。処女の良い香りがするな」

 エレノアは、ルポルディの全身を嘗め回すような視線に鳥肌が立つ。そして先ほど殴られた頬と壁に打ち付けた背中が、じくじくと痛み出すのを感じる。
 もしかしたら背中からは、血が出ているのかもしれない。
 
(一体何なのよ。下等生物のクセに、この私に手を上げるなんて。ゴブリンも抹殺対象だわ)

「ちょっとうるさいですが、年も若いし、中身はいいものですよ、多分……」

 ヘイムがエレノアの身体を拘束している縄を掴むと、ずるずると彼女を引きずり、再びルポルディの前に転がす。

 作戦変更だわ。このゴブリンは話が通じなさそうだ。今は少しでも時間を稼がないと。きっと助けがこちらに向かっているはずだ。
 
 エレノアは、顔だけをヘイムへ向けると怒鳴りだす。
 
「どうしてこんなことするのですか!」
「害獣駆除して、害獣を有効活用するのは自然環境に良いとか言っていたそうじゃないか。まあこれもそういうことだよ」
「私が害獣だと仰るの? なんて無礼なのかしら。じきに私を助けにミドルアースの騎士団が来ます。お父様が黙ってないんだから!」

 ヘイムとのやり取りを興味深そうに見下ろしていた、ルポルディは、エレノアの言葉を聞くとにやにやと笑う。

「ほう。お前の父とはこれのことではないか?」

 エレノアが目を凝らして、ルポルディが指さしている部屋の隅を見ると、黒く丸いものがいくつも置かれていた。側のゴブリンが、光でそこを照らす。

「――ひっ!」

 エレノアの動きが止まる。
 恐怖で身体ががたがたと震え始める。

「お、お父様……。嘘……で、しょう?」

 洞窟の隅には、ミドルアース王族たちの首が無造作に並べられていた。父の顔には青紫のアザが浮かび、目口鼻からは血や涙が垂れていた。恐怖に怯えたような酷い顔をして絶命していた。
 
「ミドルアースの王城を攻めたら、簡単に落ちたぞ。我らもかなりの同胞を殺されているからな。やられたらやり返すのは、世のことわりであろう? 城の一人を捕まえたら、容易に秘密通路を教えたぞ。男は皆殺し、女は処女以外は凌辱の上、殺したよ」

 エレノアは、置かれた首の中に自分と同じピンクブロンドの髪を見つける。血にまみれ、べっとりと顔に張り付いたピンクブロンドの髪、死んだ母の顔は生前の見る影もなかった。
 
「ああ、お母様!」
「お前の母もいたか。お前は、殺さないから安心しろ。我らの孕み腹として利用してやるからな。いい子を産めよ?」

 ルポルディは、無表情にエレノアを見下ろす。

「助けて! マリーノ、いるのでしょう。私を、姫様を助けなさい!」

 エレノアは冷たくザリザリとした洞窟の地面の上で、地表に出てきてしまった雨上がりのミミズのように必死で身体を動かす。

 ヤラルは、「ちっ」と舌打ちすると、がたがたと震えているマリーノを固く抱きしめる。マリーノも耳を塞ぐ。

「もう国などないというのに、いつまでも姫気取りとは笑えない冗談だな。お前の姉たちもいるから、安心して我らの子を産むといい」

 ルポルディが、エレノアの髪を掴み、じっくりとエレノアの身体の匂いを嗅ぐ。むうっとルポルディの硫黄のような口臭が鼻をつく。
 
「いやよ! 触らないで! 汚らわしい!」

 エレノアがじたばたと暴れると、ルポルディの巨大な拳が、エレノアの腹部に打ち込まれる。

「――ぐっ、はっ」

(苦しくて声が出ない。信じられない、こいつ私のことをまた殴ったわ)

「生意気な女を屈服させるのは、何とも堪らないよなあ、ヘイムよ」
「いや、俺にはそんな嗜好はないですがね。怪我しているやつらもいるので、こちらで失礼します」
「うむ」

 オーガたちの足音が遠ざかっていく。髪を掴まれたまま、腹部を打たれた衝撃もあり動けない。ルポルディがエレノアを奥の寝室へと髪を引っ張りながら向かう。

「助けて! 置いていかないで。誰か! マリーノ!」

 オーガたちに向けての渾身の叫びが洞窟に響くが、それに答えるものはいない。反響するのは自分の声だけだ。
 シミだらけのシーツが敷かれた湿ったベッドの上にエレノアは投げ込まれる。ルポルディの体臭がエレノアを包む。

 巨大な両手がエレノアの部屋着を一気に引きちぎると、ひんやりとした空気が肌に触れる。
 手足の拘束はそのままに、下着も剥ぎ取られ、一瞬で全裸にされてしまった。エレノアの美しく伸びた肢体、豊かに育った胸、くびれているウエストラインが、薄暗い洞窟の中であらわになる。

「いやっ、やめて! 誰か」

 泣き叫ぶ様子を満足そうにルポルディは眺める。
 ルポルディも腰巻を外すと、既に屹立しているこん棒のような緑のアレが現れる。エレノアの顔色が悪くなる。

(気持ち悪い。あんな緑のアレがこの私に……。お兄様のために大事に守っていた私の……)

「さあ存分に楽しもうか」

 ルポルディの口から涎が流れ落ち、エレノアの顔に落ちる。生暖かいぬるりとした唾液が臭う。だらしなくたるんだじっとりと熱い腹がエレノアにのしかかる。

「い、いや……誰か、嘘でしょ……」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

あの子を好きな旦那様

はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」  目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。 ※小説家になろうサイト様に掲載してあります。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

処理中です...