聖女に転生しました。殿下のアレを慰めるだけの簡単なお仕事みたいです

おりの まるる

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第四章 聖女は幸せになるようです

再会と約束

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 天音は、真っ白な空間で正座していた。
 ここは?

(私、死んじゃったのか。神聖力を全部使い切ってしまったのだから、仕方ないか……)

「やあ! 天音さん、久しぶり!」
「ひゃあっ! いきなり目の前に現れないで下さいよ。心臓に悪い」

 天音はシグナイののんきで美麗な顔を両手で押しのけた。

「ご苦労様。おかげでメイオール王国も後継ぎが生まれたし、瘴気の問題もいずれは解決するだろう」
「後、一年弱の期間が残っていましたが、神聖力を全部使いきってしまいました。アルテアとのお子も残せましたし、無事に役割がまっとうできてよかったです」

 天音がふわりと笑った様子を見て、シグナイはおや? という顔をする。

「君にここへ来てもらった時は、どうなるかと思ったけど、君も問題なく過ごせていたみたいでよかった」
「はい。皆様にもよくしてもらいましたし、アルテアと結婚して、子もなせて……。幸せ……でした」

 アルテアとシリウスを思い出すと、涙が溢れだす。今も胸が暖かくなる遠い日の思い出。

「天音さん? どうしたの、大丈夫?」
「最後にもう少し皆さんと一緒にいたかったかなって思いまして」

 涙は止まらない。あっという間に去っていった二年に胸が締め付けられる。

「前世では二十五年間生きていたのに、割と未練なくあっさりとしていたよね? 何か心境の変化でもあったの?」

 シグナイが、ブルーの瞳で興味深そうに天音を見つめる。天音は少しだけ恥ずかしそうに指を絡ませる。

「……分かっているのです。シグナイ様の力でアルテアが私のことを好きになってくれたことは。けれど、偽りでも自分の好きな人と相思相愛になったことは、今までになく幸せなことでした」
「ふむ」

 シグナイが考えるようにあごに指を添える。

「幸せというのは、普段何気なく過ごしている時には当たり前に感じていて、気が付かないものなのですね。意識しないと気が付かない奇跡のような瞬間の積み重ねだったんだなと思いました。……まあ偽物ではありましたが。だから」

 天音は、まっすぐに自信を持ってシグナイを見つめる。
 
「今度は、大切な人を愛し、その人から愛される幸せな人生にしたいです。できればその人と長く一緒に生きていきたい」

 天音は自分なりの幸せの答えを得た気がした。今なら堂々と胸を張って言うことができる。

「ふむ。まあ君を望む幸せな次の人生を過ごさせてあげることは、……できる。」
「約束ですよね。では、すぱっと転生させてください。ついでに記憶も全消去してください。覚えていると苦しいだけなので」

 天音の未だに涙で濡れる瞳をシグナイは見つめ、言葉を紡ぐ。

「ただ……僕は、アルテアに君を好きになるように細工をしたわけではない。単純に彼の一部は規格外だから、君の身体と合うように、君の依り代に細工をさせてもらっただけだったんだよ」
「……? つまり?」
「つまり、僕がやったことは身体の相性を抜群にしたことだけ。アルテアが君を愛していると言ったら、それは本心じゃないかな。彼は思ってもいないことを言う子じゃないからね」
「本当に? 私を? ……ちょっと信じられないです」
「人の心を操作するのは、たとえ神であっても難しいことだ。ほんのわずかな時間、そういう状態にすることはできるかもしれないが、二年もの間その状態を維持することは不可能だ。人の心は移ろいやすいだろう?」

 天音はどう考えていいかよく分からなかった。ずっとシグナイの能力でアルテアは自分を好きなのだと思い込んでいた。その認識をいきなり変えることはできなかった。

 自分が死んだら、魔法が解けたようにアルテアも正気に戻ると思っていた。

「もしそうだとしても、もう私は死んでしまったし、どうしようもないですよね」
「どうにかできるなら、天音さんはどうする? 今度は、メイオール王国がある世界で、君は寿命を全うするまで生きることになる。でもその世界は、本当に君が望む幸せな世界かな? 君を『厄災の竜の眷属』として傷つけたものもいただろう?」

(あの世界で、天寿を全うするまで生きる。その覚悟が私にはあるのだろうか? 三年の間、過ごすだけだと考えて過ごしていた時もあった。自分がいなくても円満な世界ならば、戻ったって仕方ないのではないのでは……)
 
 無言になってしまった天音を見かねて、シグナイが提案する。

「今、メイオール王国では君の葬儀中だ。ちょっと様子を見てみるかい?」

 天音はうなずく。

 シグナイが手をかざすと白い霧が晴れて、天音の葬儀の様子が映し出された。
 
 神殿は、厳かに葬儀が行われていた。外は春の訪れを予感させる雨がしとしとと降っていた。
 太陽の光が少しずつメイオール王国に降り注ぐようになり、極夜の時期が終わりを告げている。

 神殿内部には貴族たちが、神殿の周りには国民たちが集まっていた。
 皆、一様に聖女の死を悼んでいるようだった。
 パートナーの肩を抱き、額を寄せ合い泣くもの、帽子取って項垂れるもの、不安げな子どもたち。
 アルテアの婚約者候補だったご令嬢たちも嘆き悲しんでいる。

 ベアーグとアンジェラはお互いの手を握り合いながら、無表情で葬儀の進行を見守っている。
 そして白百合の詰められた棺の近くにいるアルテアはシリウスを抱き、静かに号泣していた。

 棺の中には、青白く動かなくなった人形のような自分が横たわっていた。

 朗々と聖堂のドーム状の天井にセス神官長の祈りと別れの言葉が響く。

「おや、こちらでも君のために祈っているものがいるね」

 シグナイは違う場所に手をかざすと新たな場面が映し出さられる。

 ヴィエルガハ城では、ペルケレとその臣下たちが、左胸に手を当てて黙とうを捧げていた。
 次に、オーガたちの居住地が映し出され、ボルテクを始め、助けられたレーラズ族たちが祈りを捧げていた。
 ちびっこオーガたちは、身を寄せ合っていた。マリーノは、ヤラルの胸で嗚咽している。ヤラルは慈しむようにマリーノの背を撫でる。
 
 天音は思ってもいなかった光景に驚き、シグナイへ振り返る。天音の葬儀はもっとひっそりと行われて、皆が瘴気や悪しき存在への一定の解決を得て、幸せな春を迎えるものだと思っていた。

「どうして? 瘴気問題も解決できて、後継ぎも生まれたし、ハッピーエンドではないのでしょうか?」

 シグナイは、微笑みながら首を横に振る。

「君が、二年間、どれだけ皆の希望だったか、多くのものたちを助けてきたのかを考えたことあるかい?」
「考えたこと、ないですね……。シグナイ様の力を借りて、皆さんの手助けをしただけで、私自身、何かできたわけではないですし」
「力を持っていても自分のためにしか使わないものもいる。けれど君はその力を皆のために使った。そんな必要はないのにだ。僕との約束は、王太子を助けてほしい、後継者を産んでほしいだったから、別にそれ以外のことはしなくてよかったんだよ」

 幼子を慈しむようにシグナイが天音の頬を撫でる。

「でも私、本当に人助けと言う気持ちは無かったです。自分のために、シグナイ様との約束のためだけの行動でした。せっかくだから、シグナイ様の神聖力を使い切らないともったいないかなって思ったのもありますけど」

「君は、本当にいい子だね。人間は、生まれ持った宿命からは逃れられないけれど、運命は変えられるのだ。あの時、君の魂はひどく乾いていたけれど、決して闇に落ちることはなかった。そういう人に、僕らは手を差し伸べたくなるのだよ」

 天音は、再び地上へ視線を戻す。
 ニ年間、アルテアはどんなに苦しい時でも、笑顔を絶やさなかった。弱音を吐いたこともなかった。
 その彼が、大粒の涙を流し、悲嘆に暮れている様子に天音の胸はきりきりと痛む。

(――私のことを愛してくれていたなんて。臆病な私は一度も愛していると返したことはなかった。最後の時に勇気を振り絞って言えただけだった)

 メイオール王国で一生を過ごす。これから何年過ごすことになるかわからないし、ちゃんとできる自信も無い。
 けれど……。
 
「……シグナイ様」
「ん?」
「私、来世の約束を今使ってもいいでしょうか? メイオール王国のアルテアの側に、もう一度戻ってもいいでしょうか?」
「いいよ。来世の約束は、そのままにしよう」
「ちゃんとできる自信も無いし、これからこちらの世界でもどうなるか分からないけれど、もう少しここでできることをしてみたいです」
「分かった。全て終わったら、また戻っておいで。どうか僕の世界で健やかに生きて、僕の愛しい子よ。今度は、一生分の神聖力を君に与えよう」
 
シグナイが天音の額にキスをすると天音の手の甲の白鳥の文様が再びシルバーに輝きだす。

「シグナイ様、ありがとうございます」
「でも無理はしないように。元気で」

 周りの霧がうっすら晴れていく。天音は甘い白百合の香り、神官の朗々と響く別れの言葉、人々の嘆きに包まれていた。
 重い瞼を開くと美しいメイオール王国の建国の歴史が描かれている天井絵が目に入る。シグナイの姿も老人の姿で描かれていた。
 天音は、あんなに渋いおじいさんではないのにね、イケメンだけれどもと思いくすりと笑う。

 ゆっくりと棺のふちに手をかけ、腹筋に力をいれて、起き上がる。身体の不調は無い。神聖力が身体の中を巡っているのを感じる。
 白百合がはらはらと自分の身体から落ち、棺の外へも落ちていく。

 突然の事態に聖堂全体が沈黙する。
 何が起こったのか、理解できず人々は固まった。突然、棺の中にいた人物が起き上がったのだ。
 沈黙を破るかのように、アルテアに抱かれていたシリウスが、きゃっきゃと笑い出し、天音の方へ白いパンのようなふわふわとした両手を伸ばす。
 
「アマネ!」

 アルテアの声が聖堂に大きく響くと同時に、天音はアルテアの温かく大きい胸に包まれる。
 シリウスを抱いたアルテアの腕の中にすっぽりと納まってしまう。

「ああ、シグナイ様、ご慈悲に感謝します」
 
 アルテアは、天音の首筋に顔を埋めて、子どものように泣きじゃくった。天音は困ったような顔でほほ笑む。

「おはよう、アルテア。あなたって意外と泣き虫なのですね。シリウスと変わらないですよ」
「そうですよ。子どもっぽくて、すみませんね」

 嬉しい時にも涙が出るものなのだ。
 アルテアに泣き虫だと言ったけれど、自分も涙が止まらなかった。

「アルテア、私、シグナイ様に、お願いしたの。……愛する人の所で一緒に生きていきたいって。だから責任取っ……っ」
 
 アルテアは天音が言い終わる前に、唇を奪う。その激しさに離れていた時間の長さを感じて、天音はずっとここに戻ってきたかったのだと改めて思う。
 言葉以上に伝わるアルテアの想いに、胸が熱い。
 天音とアルテアの間にいたシリウスが、苦しそうに「むぅー」と言うまで、お互いの存在を確かめ合うように、深く口づけた。
 

「……奇跡だ。信じられない」
「聖女様……」

 人々は天音が生き返ったことが分かると、歓声の声を上げた。
 ほんの少し前までは、陰鬱でこの世の全ての希望が消えたかのような雰囲気だったが、一気に興奮と歓喜の渦が巻き起こった。

 セスは、何か聞こえたようなそぶりを見せた後、片手で顔を覆うと泣き崩れた。周りの神官たちが彼を支えるために集まる。

 神殿の鐘が厳かに鳴らされ、聖堂内に重厚に響いた後、「聖女を敬い、再び争うことのないように。互いに尊重し、地と天とともに生きろ。各々がこの日のことを忘れることのないように」と、セスは神託を伝えた。
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