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第三章 聖女は守りたいものがあるようです

陽が登らない暗鬱な季節

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 人々の不安を掻き立てるかのように、極夜が始まる。人々は必要以上に出歩かず、家に篭る。
 いつもなら、この時期の陰鬱な夜の気分を盛り上げるために、ホームパーティやさまざまなイベント、夜のマーケットが開かれるが、今年はそういった催しは自粛されていた。

 終日暗いこの時期、明るい灯りがあるところ以外では、瘴気が見えづらい。どこに生じているのか分からない瘴気に怯え、不要不急の外出をしない人々が多かった。
 状況は依然として悪く、神殿も瘴気により患う人々で溢れかえっていた。

 何よりも人々を脅かせたのは、厄災の竜の封印が風化し、既に解けているという噂だった。
 国王からの正式な通達がないにも関わらず、その噂はメイオール国内に広がり、様々な憶測を生んだ。
 人々は疑心暗鬼になり、ミドルアースの神話『厄災の竜の眷属』は誰だといがみ合うようになっていた。街のあちこちで、暴力事件が起こり、治安が悪化した。

 エレノアが連れてきた使用人たちが、街でその話を広め、天音の関与を促すような噂を流しているようだった。
 神殿で治療をしている時に明らかに天音に嫌悪感を向ける人々も現れ出した。

「傷、大丈夫ですか?」
「このくらい大丈夫です」

 神官の一人が天音に傷薬を塗り、包帯を巻く。先程、神殿で治療をしていた際に患者の一人にものを投げられ、それが額にぶつかり、天音は出血してしまった。
 その後病室は、天音を擁護するグループと非難するグループに分かれて、あわや殴り合いの喧嘩になる所だった。

「聖女様は、しばらくこちらに通うのをお休みにした方がいいな」

 事態を収集させて、やって来たセスが疲れた様子で言う。

「すみません。仕事を増やしてしまって……」
「そう思うのだったら大人しく治癒の魔法をかけさせてくれればいいのに」

 セスは手で、天音を治療してくれた神官に病室へ、他の患者の治療に戻るようにジェスチャーをする。神官は心配そうな顔をしながら、部屋から静かに退出する。

「魔力は患者さんたちに使ってください。私のは、ただのかすり傷ですから」
「でも、結構深く切れている。私が治癒しようか?」
「本当に、大丈夫です」
「そうか……。あなたの身の安全を保証できないから、しばらくこちらには来ない方がいい」
「……分かりました」

 天音は、虚しい気持ちになる。自分にできることは少ないというのに、ここにいるだけで結局は人々の不安を掻き立ててしまい、あわや騒動になる所だった。
 天音の暗い表情を見て、セスはフォローするように言う。

「こちらに来なくても、陛下や王妃様、シリウスを守ることは、何よりも大事だろう? 今陛下が倒れられたらそれこそ取り返しのつかないことになる」
「はい。承知しています」

 セスは心配そうに天音の額の傷を撫で、亜麻色の髪にゆっくりと指を滑らせる。

「私は、あなたのことが一番心配なんだ。無理はするな」
「でも、今無理をしなかったら、私は後悔すると思うのです」
「言い出したら聞かないからな。せめてアルがこちらに戻ってくるまで、大人しくしていろ。ベルーゲンからこちらへ戻ろうとしているそうだが、極夜と瘴気で戻りが遅れているらしい」

 天音は、久々に聞くアルテアの現状に驚く。最近は自分からも敢えて聞かないし、ベアーグやアンジェラともなかなか会えず聞かずじまいであった。アルテはと会いたいような、このまま会えないままでもいいような気持ちが交錯する。

「……そう、なのですね」
「知らなかったのか? 聖女様のことばかり、私に聞いてくるから不思議に思っていたのだが、あいつは聖女様に連絡をしていなかったんだな」
「はい。でも……もういいのです。無理はしません」

 天音は諦めたように微笑む。

「一度、あいつが戻ったらきちんと話し合った方がいい」
「時間があったらそうしますね」

 天音は話をしないのだろうなと思ったのか、セスは苦笑いをする。

「あ、そう言えば、セス様にお渡ししたいものがあります」

 天音は手荷物の中から二枚のスクロールを取り出し、セスに渡す。

「これは?」
「王城のシリウスの部屋と神殿の移動スクロールです。もし……私や陛下、王妃様に何かありましたら、シリウスをお願いします」
「――っ。聖女様、アルが戻るまで、王城でじっとしていてください」
「万が一の時の保険はいくつかあった方がいいですから、念のためです。こんな状況ですし、今度いつセス様にお会いできるか分かりませんから」

 セスは天音をじっと見つめながら、スクロールを手に取る。

「……私は、聖女様に少しでも長くメイオールにいて欲しい。あなたからは、神託を受けた時のような清浄な空気を感じる。神の存在を感じることができる」
「それはきっと私がシグナイ様の力をお借りしているからですよ」
「そうなのかもしれない、けれどあたながあなたであるから、私はそう感じるのかもしれない。とにかくいてくれるだけで、周りに安らぎを与える存在であることは確かだ」
「きっと、この借り物の神聖力のせいです」

 天音が自嘲気味に笑いながら、視線を下に落とす。セスは天音の手を取り、その甲にキスをする。白鳥の文様の輝きは、残りあとわずかになっていた。一年弱の生命維持に必要な量だけは残っていたが、今後神聖力を使うことは自分の寿命を削っていくことになるだろう。

「もう少し、一緒に生きていたかった、アマネ様」
「……それは私も同じことです」

 天音が泣き笑いをする。セスは、「裏口からそっと帰れ。何かあったらすぐに連絡しろ。神聖力は無駄に使うなよ。使うべき場所を間違えないように」とそっけなく言いながら、天音と抱擁をする。

「はい。心得ております。セス様もお気をつけて」

 セスは心配そうに天音の背中を見送る。

「アル、早く戻って来い。聖女様が逝く前に。もう二度と会えないかもしれない」


 午後の早い時間だが、太陽の恵みのない極夜は暗く寒く、心まで凍てついてしまいそうだ。天音は、神殿の裏口から馬車に乗るとひっそりと王城へ戻る。

 街は静まり返り、人気ひとけがない。街灯がうっすらと闇を照らす。自分が初めてここに召喚されて、馬車に乗って見た風景を昨日のことのように思い出す。
 多くの人々が往来を行き交い、寒さを楽しんでいるように生き生きとしていた。
 そんな極夜が明けの春の始まりは、この街にまた訪れるのだろうか。

 王城の正面で馬車を下ろしてもらい、官僚たちが慌ただしく働いている中を通り抜けながら、瘴気の状況を観察する。聖水晶を設置した場所を確認し、交換が必要なものを新しいものにしていく。

 朝見た時と同じように、王城内は清浄に保たれていた。
 一通り見回った後、天音は中庭に出る。刺すような寒さにぶるりと震える。
 中庭から暗闇の中、明るい別邸の方をぼんやりと眺める。別邸の明かりは、いつもと変わらず暗闇の中、不気味に輝いている。

 あれから何度か南の森から、別邸の裏へ行ってみようとしたが、あの辺一体の森に濃い瘴気が広がっており、近づくことができなくなっていた。
 
「あのコンテナは一体何なのだろう」

 天音が独り言を言うと、「ふうん、コンテナが気になるの?」と、突然後ろから話しかけられる。

「えっ⁉︎」

 誰もいないと思っていたが、天音の真後ろに、いつの間にかエレノアが立っていた。驚きのあまり心臓がバクバクする。

「エレノア王女殿下……」
「今日はずいぶんと早いお戻りね。怪我したの? かわいそうね」

 エレノアが天音の額の包帯に触れようと指を伸ばすが、天音は警戒して、エレノアから少し距離を取る。
 行き所を無くした指先が空を切る。

「あら、私は心配していると言うのに、随分警戒されてしまったのね」
「何かご用事でしょうか?」
「別に。ただあなたが見えたから、来ただけよ。そしたら独り言が聞こえちゃって、ね」
「用事がないなら失礼します」

 天音は踵を返し、来た道を戻ろうとする。エレノアが、天音に声をかける。

「いいわよ、コンテナ見に来ても。気になるのでしょう?」

 天音は足を止めて、振り返る。エレノアは、その翡翠色の大きな瞳で、天音の一挙手一投足を観察している。無遠慮な視線に居心地悪く感じながらも、頭をフル回転させる。
 絶対に罠だ。何か企みがある。けれど、これは千載一遇のチャンスでもある。

「どうしてそんな提案を?」
「別邸の瘴気を浄化してもらいたいだけよ。こちらも瘴気が濃すぎて、魔道具での浄化が追いつかないのよ。そのお礼にご興味がありそうなので、コンテナの中を見せて差し上げようかと思ったの」

 天音はしばし考える。誰かに相談してから、行くべきだが、多忙にしている陛下や王妃様の時間を奪いたくない。セスも患者の対応で手一杯だ。

(今手が空いているのは、この役立たずの私だけ……)

 天音は決意を固める。

「分かりました。いつお伺いすれば宜しいですか?」
「では今晩いらして。夜、使いを寄越すから、一人で来てね。メイオール人がたくさん来たら使用人たちが驚いちゃうから」
「分かりました」
「ではまた夜に」

 エレノアの甘い残り香が薄暗い廊下に漂う。もう後戻りはできない。天音は、再び煌々と輝く別邸を見る。

(飛んで火に入る夏の虫なのかな……私)

 天音は自分の判断が正しいかどうかよく分からなかった。しかし残された時間はあまりない。シリウスのこともセスにお願いすることができたので、思い残すことも怖いことも無いような気がした。
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