聖女に転生しました。殿下のアレを慰めるだけの簡単なお仕事みたいです

おりの まるる

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第三章 聖女は守りたいものがあるようです

お姫様が蒔く不穏の種

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 アルテアの執務室でいつものように天音はお茶の時間を過ごしていた。外せない予定がない限りは、相変わらず同じように時間を過ごしている。

 ノックの後、ドアが開きセスが深刻そうな顔で執務室に入って来た。青みがかった銀髪は、今日もさらさらと美しい。地方の神殿から戻った足でそのまま王城へ来たようで、祭服ではなく、白の上下のシャツとパンツという動きやすそうな簡単な服装だった。飾りの宝飾類も付けておらず、それが本人の美しさを際立たせている。疲れているにもかかわらず、その静かで凛とした容姿は神々しい。

「あら、セス様、こんにちは。今日お戻りになったのですね」
「聖女様、アル、邪魔をしてすまない」

 セスは、一年半前のあの事件から国内各地の神殿に赴き、天音が作った聖水晶を配布したり、瘴気の状況を確認していた。天音も時間が許す限りセスについていき、神殿に結界を張り、何かあった時に人々が避難できる場所を増やしていた。
 今の所、国内には、悪意ある存在の目撃情報はなく、異常な濃度の瘴気も発見されていなかった。

「エレノア王女殿下が、こちらに療養のためにやってくると聞いた。しかも王城の敷地内の別邸に滞在するらしいが、本当なのか」
「セス、そうなのですよ。先日書状が届きました。なにやら瘴気で患っているそうで」

 アルテアが、まるで気楽な友達のお茶会に招待されたかのように、にこやかに答える。

「アル……、お前、そんなふわふわしていて、大丈夫なのか。断ることはできなかったのか?」
「理由もなく断ることは、難しいですね。子が生まれたばかりでという理由が通じるような国王でもあるまいし」
「ベルーゲンのナルヴィク侯爵邸に滞在ならば、ましだったのにな」

 先日、トウライアムウル連合国からエレノア王女殿下の療養のため、しばらくの間メイオール王国に王女を滞在させてほしいと連絡があった。

 現在、ミドルアース領は、瘴気による大気汚染がひどく、肌を外気にさらすことができず、マスクをしないと外出できないようだった。人々は家に閉じこもり、内外の移動が減り、経済活動は壊滅的であると言われている。今は在庫の天然の魔水晶や人口魔水晶を外国へ売って、何とか食いつないでいる状態であった。

 瘴気の浄化が追い付かず、ついに王族たちも瘴気で患うものが出てきたという。
 他国へ移住できる裕福な国民や商人たちは脱出し、残っているのは国に残る選択肢しかないものたちだけだった。

 瘴気は相変わらず、トウライアムウル連合国ミドルアース領からの北西風に乗って流れてきていた。その瘴気が、日に日に濃くなっていることでミドルアース領の状態が悪化していることは分かっていた。
 エレノア王女の滞在は、当初ナルヴィク侯爵邸でと、こちらは主張していたが、過去のオーガ襲撃事件を持ち出され、安全面から王城での滞在にという話になってしまった。

「まあ、そうなんですが。私たちも何も準備してこなかったわけでもないですし」
「本当に、療養のためだったら、断わることはできないですしね」

 アルテアと天音は、淡々とセスに答える。

「二人とも暢気すぎる。そんなわけないだろうが……」

 呆れた顔をしてセスが、ため息をつく。

「セス様、王都の神殿の避難場所の確認と、各地の神殿に再度何かあった時には国民の方々は避難するようにお知らせをお願いしますね」

 天音は、セスの鈍色の瞳をまっすぐに見つめる。セスは、その迷いなく輝く天音のペリドット色の瞳に何かとても嫌な予感を感じたのか、ごくりと唾を嚥下する。そして天音の手の甲を一瞥し、ひどく悲し気な表情を一瞬浮かべる。

「それは……承知している。聖女様には、王城の結界強化をお願いする」
「はい。心得ております」
「私ごときが聞いていいことではないのですが……、お心は、既に決まっているのですね?」

 セスは苦し気に眉をしかめる。

(セス様は、分かっているのかもしれない。白鳥の文様の輝きと私のここに居られる時間の関係が……)

「……はい」
「では、私は聖女様のご意向に従うだけだ」
「まあ、どうにかなりますよ。わが国には、聖女様と能力あるセス神官長がいらっしゃるのですから」

 雪解けの光のようにアルテアは、優しく笑う。そんなアルテアを見るセスの瞳は、再び悲し気に見えた。

「では、私は失礼します」とセスは執務室から、急ぎ足で出て行った。

 部屋に静けさが訪れると、アルテアは何も言わずに、天音に口づける。
 
「無理は絶対にしないでくださいね。今度は外出禁止ではなく、王城の奥深くに監禁になりますからね?」

 揺らめく琥珀色の瞳が、心の底を測るように天音の瞳を覗き込む。

「無理はしません。できることを頑張りますね」
「側にいてくれるだけでいい。私の願いは、ただそれだけなのです。本当にそれだけなのです」

 アルテアはそう言うと天音を力いっぱい抱きしめる。アルテアのプラチナブロンドの髪から漂う彼の香りが、天音を切なくさせる。『はい』とはっきりと言える気がせず、天音は無言でアルテアをそっと抱きしめ返した。

***

 それからほどなくして、エレノア王女殿下一行が、メイオール王国へやってきた。
 
「お兄様ぁー!」

 魔動車から無邪気そうに手を振るエレノアは、とても病人には見えなかった。前世の四トントラックのような大きさのコンテナを積んだ魔動車が何台も連なり、王城の別邸を取り囲むように駐車された。そのため別邸の様子は、外側からはほとんど見えなくなってしまった。

 どうやらエレノアを世話する使用人や身の回りの荷物を全て運んできたようだ。療養というよりは、こちらに引越ししてきたような大荷物だった。

 謁見の間にあいさつに現れたエレノアは、一年半前に出会った時とは別人かと思うほどに美しく変わっていた。その容姿は洗練され、細い腰に生育が良い胸、ピンクブロンドの髪は腰まで艶やかに波打ち、翡翠色の丸い瞳は潤い、庇護欲を掻き立てる。
 若い子の一年半は本当に成長がすごいのねと天音は内心驚いた。

「皆様、今回はこちらでの滞在を快く受け入れて下さり、誠に感謝いたします」
「エレノア王女殿下、お体の具合が良くなるまでゆっくりしていくといい」

 ベアーグが、重々しく答える。

「はい、お父さ……、あ、ごめんなさい。間違えました。ベアーグ国王陛下、よろしくお願いいたします」
「うむ」
 
 エレノアが少し恥ずかしそうに笑うとベアーグはまんざらでもないようで、恥ずかしそうに強面の顔を赤らめる。横に立つアンジェラもほほえましいものを見るように、穏やかに笑っている。
 自分が来なければ、エレノアがベアーグのことを本当にお義父様と呼んでいたのかもしれない。そう考えると、罪悪感が湧く。今更そんなことを言っても仕方のないことだというのに。

「アルテア、ちょっと」

 一通りのあいさつが終わると、ベアーグがアルテアを呼ぶ。天音とエレノアは部屋を出る。天音は無言で居住区の方へ戻ろうとすると、エレノアに声をかけられる。

「以前お会いした時に、アマネ様にはご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございませんでした」

 以前のように無視されると思っていたので、天音は突然エレノアに話しかけられて驚く。

「い、いえ。誰でも恐ろしいことがあれば、感情的になってしまいますし、普段ならしないような発言もしてしまうこともありますから」
「本当に、アマネ様はお心が広いのですね」
「……いえ、そんなことは」
「では、こちらに滞在していれば、もうああいう事件は起きないですよね?」

 エレノアの翡翠色の瞳が歪む。天音は何と答えれば正解なのか瞬時に判断できなかった。

「ねえ? アマネ様、もう瘴気もこちらには現れないし、オーガも来ませんよね? 王城内は聖女様がいれば安全な場所ですから」
「そう、ですね。王城内のみならずメイオール国内は安全ですよ」
「国から連れてきた使用人たちは、皆心配しているのですよ。私は、アマネ様を信じていますので、大丈夫だって言っているのですが。心配が過ぎますよね。あの噂、わが国では現実だと考えられているのですよ」

 ……あの噂。厄災の竜の眷属という話か。

 アマネより少し背の低いエレノアが、下から口角を上げながら、蛇のように天音を睨む。天音の背に冷たい汗が流れる。一年半前と変わらず敵意をはらむ視線は、今もなお強く天音に向けられている。

(今もまだアルテアのことが好きなんだ。私が彼と離縁されるのを望んでいるのね……)

 ベアーグとの話が終わったアルテアが、部屋から出てくると天音とエレノアが話をしているのに気が付く。

「どうしましたか?」
「あ、お兄様。アマネ様に以前の事件についての謝罪をしていたのですよ。あの時は本当に私まだ子どもで。恐ろしいことが起こったので気が動転してしまったのですわ」

 エレノアの表情は、一瞬で花もほころぶ笑顔に上書きされる。

「謝罪は不要です。あれ以降国内にオーガの出現は確認できていないし、瘴気は自然発生的に起こるくらいのものしかないので、問題はありませんよ」
「この王城内は安全なんですって! アマネ様が保証してくださいましたのよ。さすがは聖女様ですよね」

 エレノアは、周りの人々に聞こえるような大きな声で話す。そしてアルテアの腕にしがみつき、「アルお兄様、王城内を案内してくださいますか」と身体を密着させる。
 優し気な美麗な王太子と若い美貌の王女の二人は、とてもお似合いに見えた。

 そして天音は、自分がいなくなった後も、ここで続く時間について考えてはいけないないと頭を振る。きっと自分がここを去った後、アルテアの心も元に戻るだろう。

 そうなった時に、エレノアとの関係が良好の方が、国にとってもいいはずだ。どうなるかは誰にも分からないけれど、彼の将来の選択肢を、自分のせいでつぶすわけにはいかない。

「アルテア殿下、どうぞご案内して差し上げて下さいませ。そろそろシリウスの目が覚める時間なので、私はこちらで失礼します」

 天音は、精一杯のほほ笑みを浮かべてその場を去った。
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