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第一章 聖女は仕事をがんばるみたいです
浄化
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王太子であるアルテアの一日は忙しい。
朝は騎士団と鍛錬し、朝食後は書類仕事を進め、面会があれば対応し、視察へ向かうこともある。夜は夜で、天音と子作りという仕事がある。
アルテアは鍛錬後、天音の元に、朝食を一緒に食べるために戻る。
「今日は神殿に行くのでしょう?」
「はい。神聖力で浄化の訓練をしてきます」
「無理しないで下さいね。あなたが神聖力で治療してくれたので、神殿にはもう瘴気でわずらい、長期滞在する方がいなくなったと聞きましたよ」
天音は、王城にいるだけでいいと王太子を始め国王、王妃にも言われたのだが、皆が忙しくしている中、一人でニート生活をしているのも気が引けて、神殿で自分の神聖力の使い方を習っていた。
天音の神聖力は怪我や病気も癒すことができるが、それ以上に瘴気に触れてしまった人たちの治療に格段に効果があった。
瘴気に触れてしまうと体調を崩したり、酷い時には病気を併発してしまい、神殿でしばらく浄化してもらう必要があった。またあまりに濃い瘴気に触れてしまうと、皮膚が壊死したり、身体を損傷することもあった。
天音の神聖力の治癒は、この瘴気による病気を治すのに特化していた。
異常な瘴気が発生するのはここ数十年のことだった。
アルテアは、異常な瘴気の発生と隣国での人工魔水晶の使用開始が同じ時期であることから、この二つには何らかの関係があるのではないかと考えているようだった。
また瘴気は、悪意ある存在を呼び寄せることもあった。悪意ある存在とは、鬼族や巨人族、闇に住まう多種多様な種族である。彼らとは意思疎通ができず、協定や法律でその関係性を保つことができず、常に敵対している。
瘴気は、厄災の竜の吐く息だと言われており、瘴気を糧に悪意ある存在は、力を増すそうだ。そのため瘴気ある場所には、悪意ある存在も引き寄せられる。
「私にも役に立つことがあるのが、嬉しいので引き続き頑張ります」
「アマネはここにいてくれるだけでいいのです。とても感謝していますよ。あなたの意志を尊重しますが、無理だけはしないで下さいね。瘴気の近くに行く事には、様々な危険が伴いますから」
アルテアは、心配そうに天音の手に自分の手を重ねた。
朝食を食べると神殿へ向かう。
大聖堂の裏口からそっと中に入る。一度、中央玄関から入って、聖女だとばれてしまい一般参拝客に囲まれて大変な騒ぎになったことがあったので、それ以来裏口を使わせてもらっていた。
「聖女様、いらっしゃいませ」
天音の到着を待っていた、神官長のセスがいつものように迎えてくれた。
セスは、青みがかった銀髪をサラサラと靡かせ、鈍色の瞳でまっすぐに天音を見つめる。アルテアは太陽のように柔和な朗らかさを携えているとすれば、セスは月のような落ち着いた静寂さを持っていた。
いつものように天音の手の甲の白鳥に口づけをすると、その文様をじっと見つめる。
こちらの世界で、このシグナイ様の文様を見ることができるのは、天音とセスだけだった。
今日もその白鳥の文様を確かめるように、セスは指先で恭しく触れる。
天音のわがままでお願いしている訓練を神官長であるセスに直々にしてもいいものか悩んだものの、「神官たちが優秀なので、私は意外と暇なのです」というセスの一言に押し切られてしまった。
忙しいとは思うのに、日々訓練に付き合っているセスには感謝しかない。
「おはようございます。セス様」
「昨日までに張ってくれた結界、さっき全て見回りしてきたけれど、とてもいい状態だったよ。結界の張り方についてはもう大丈夫だと思う」
「はい」
神殿に治療に来ていた人々が全ていなくなったところで、治癒の練習は終わり、昨日まで結界を張る練習をしていた。シグナイが言っていたように、治癒したい部分、結界を張りたい部分に手をかざすだけで、自分が思っている効果が発揮できた。
ただ力の注ぎ具合が難しく、神聖力の放出を適度に調整するというコツをセスから教えてもらっていた。
「今日からは瘴気の浄化を練習しよう」
濃い瘴気は、大気汚染のように周りを汚染し、植物を枯らし、人体に悪影響を及ぼす。
いつの頃からかメイオール王国でよくある病気の原因の一つとして瘴気について研究されるようになったが、そもそもなぜ瘴気が沼のように溜まってしまうのかは分からないままだった。
瘴気の原因は、厄災の竜の息だという。トウライアムウル連合国の建国の際に、当時の連合国の王たちがヴィエルガハ領に厄災の竜を封印してから、ほとんど瘴気が生じなくなっていた。
しかしここ十数年で、再び濃い瘴気が観測されるようになり、その封印が解けかけているのではという憶測を呼んでいた。
天音とセスは、瘴気が報告されている王都郊外の森林へと向かう。メイオール王国の国土の三分の二は針葉樹の森林地帯であった。
森林地帯は、隣国のトウライアムウル連合国の魔族王が統治するヴィエルガハ領と繋がっている。
天音は前世の記憶から、魔族と聞くと何だか悪いイメージがあったのだが、実際見た目は人族と変わりがないそうだ。寒い地域に住んでいるものが多いので、透き通った白の肌と黒髪という特徴を持ち、魔力量が多く強靭な肉体と人族の十倍長い寿命を持つという。
王都にも魔族の人々がいるそうだが、天音には全く見分けがつかなった。
森の入口に降り立つ。どんよりとした曇り空を背景に、雪をかぶった針葉樹がうっそうとしげっている。吐く息が白く、吸う息は痛いほどに冷たい。時折吹く湿り気を含んだ風が、頬を突き刺す。
森へと入る道は、警備に来る王国軍により除雪されており、もの寂しいこの場所にも人の気配を感じる。
セスは慣れた様子で、瘴気が報告された森の奥へと進む。ざくざくと薄く積もった雪を踏みしめていく。
「聖女様、大丈夫?」
セスが振り返る。天音は、歩きなれない雪道と沢山の重ね着で息も絶え絶えだった。アルテアのせいで全身筋肉痛というのもあるが。
「……私、進むの遅いですよね……。体力がなさ過ぎて、すみません」
「慣れていない雪道を歩くのは辛いから。ソリでも持ってきて、聖女様を乗せれば良かったかな。配慮が足りず、すまない」
セスは、天音がもたもたしていることについては、さして気にしている様子も見せずに淡々と言う。
「神聖力の使い方を教えてもらっているだけでも心苦しいのに、私こそ、すみません」
「もう少しだから、頑張って。帰りは責任を持って私がおぶろう」
「いや、本当に大丈夫です……。ごめんなさい」
天音はしょんぼりと謝る。自分が情けなくなる。その様子を見たからか、他の神官たちからも声をかけられる。
「神官長、私たちも聖女様をお支えします!」
「聖女様っ、私たち皆で背負って馬車まで戻りますから、ご心配をなさらずにっ」
瘴気の浄化についてきてくれた、他の神官たちも口々に申し出る。天音は、自分に向けられる熱意にたじろぐ。
「歩けますから! 私、重いですし、皆さんを逆に怪我させてしまいますから」
何だか変なテンションで、やる気に満ち溢れる神官の方々の好意を断るのは心苦しい。しかし、少し雪道を歩くくらいなのに、神官の方々に迷惑をかけるわけにはいかない。
ここでのお荷物は自分なのだから。
そんなやり取りをしながら、しばらく歩いていると、突然空気が変わる。暗く重い空気、黒い霧のようなものがたちこめている。
これが瘴気……。始めて見る黒い霧に、天音は緊張する。
「ここからは浄化をしながら進もう」
セスがそう言うと、神官たちも浄化魔法を発動させる。
天音も来る前に習った通りに、神聖力の出力を調整しつつ周りを浄化していく。
本道をそれて、木々の間に入る。昨晩降った比較的ふわふわとした雪を踏みしめながら奥へと進む。黒い霧が濃くなる。
「セス様、私はこれ以上はすすめそうもありません」と若い神官が、途中で膝をつく。
「分かった。ゆっくりと瘴気が届かない場所まで戻りなさい」
報告された瘴気は想定以上に強いものだったようで、次々と神官たちが脱落していく。
森の奥で瘴気を目視した時、天音とセスと数名の神官は息を飲んだ。
「……これは、瘴気の沼……のようだな」
いつもは感情を顔に表さないセスが、少し焦ったように言う。
曇天の弱い太陽の光を鈍く反射している黒い塊。気体であるのにも関わらず、個体のように重みがありそうな、コールタールのようなものが、木々の間にたっぷりと溜まっている。
その重い液体のような黒々とした瘴気から立ち上る黒い霧は、禍々しく、初めて見た天音もこれは良くないものだと感じる。
「これだけの濃い瘴気を私たちだけで、浄化するのは無理ですね」
「一度、神殿に戻って人を集めて来ましょう。すぐに手配をします。これが更に大きくなれば被害が、広い範囲に及ぶでしょう。悪意ある存在が近くに来ているかもしれないし、直ちに近隣住民に警報を出さないと」
神官たちがざわめき出す。
天音は、瘴気とその周囲を観察する。瘴気は周りの動植物を腐らせ、辺りに腐敗臭を漂わせていた。これが風で周囲に広がれば、住民たちに被害が及ぶ。
天音が神殿で治癒した人たちの様子はひどいものだった。濃い瘴気に触れてしまった人は、ここの動植物のように触れた部分がただれ、黒く腐っていた。治癒した後も、欠損した部分は戻らなかった。
「あの、セス様、戻る前にちょっと神聖力試してみてもいいでしょうか?」
天音はおずおずと申し出る。全部は浄化できなくても、少しはましな状態になるかもしれない。このまま何もせずに戻ったら、被害を受ける人が出るかもしれない。
セスは天音の顔を見るとため息をつく。
「ダメと言っても引いてくれなそうな気配を感じるな……」
「ちょっとだけ、試すだけですから。ダメそうならすぐに戻りましょう」
「ふむ……。無理させると、アルに怒られるのだが、浄化に急を要すのもまた然り」
セスは、残った神官を見回し、少しだけ考える様子を見せた後、指示を出す。
「私たちは周りを浄化する。聖女様は、瘴気の沼をできる所まで浄化して」
「はい! 頑張ります! 無理しませんから」
セスは天音の手の甲を心配そうに撫でる。天音は大きく息を吸って吐く。自分の中をめぐる神聖力に集中する。
(いつもは無意識だけど、神聖力を意識すると身体をめぐるシグナイ様の温かさを感じる)
どうか力を貸してくださいと祈る。
セスと残った神官は、天音の周りを浄化していく。
天音は手のひらをゆったりと瘴気に向けると、神聖力を放出する。
「浄化」
キラキラと輝く光の粒が瘴気を包むように放たれる。少しずつ黒い霧が消えていく。黒い塊も薄くなり、小さくなっていく。
「足りない……後、もう、少し……」
天音は神聖力を更に放出する。瘴気を包む、光が強まる。しかし、とたんに身体がぐっと重くなる。腕を上げるのも辛くなる。
「聖女様、これ以上はあなたの身体が持たない」
「でも、後少しで全部、綺麗になる」
「ダメ。もうここまでに!」
セスの警告を聞かず、天音は神聖力を更に流す。
頭が痛い、吐き気がする。べっとりとした嫌な汗が流れる。
魔力も神聖力も一度に大量に放出すると、身体に負担があるらしい。初めて体験する体調の悪化に、自分の身体の限界が近いことを感じる。
「聖女様! これ以上は、いけない!」
セスが大きな声を上げて天音の手を掴んだ所で、瘴気は全て浄化され、きれいに霧散した。
「セス様、これで瘴気は無くなったかな……」
「聖女様っ!」
ぐらぐらと視線が揺れて、自分で立てなくなり、天音はセスの方へ倒れ込む。
そして、天音はそのまま気を失ってしまった。
朝は騎士団と鍛錬し、朝食後は書類仕事を進め、面会があれば対応し、視察へ向かうこともある。夜は夜で、天音と子作りという仕事がある。
アルテアは鍛錬後、天音の元に、朝食を一緒に食べるために戻る。
「今日は神殿に行くのでしょう?」
「はい。神聖力で浄化の訓練をしてきます」
「無理しないで下さいね。あなたが神聖力で治療してくれたので、神殿にはもう瘴気でわずらい、長期滞在する方がいなくなったと聞きましたよ」
天音は、王城にいるだけでいいと王太子を始め国王、王妃にも言われたのだが、皆が忙しくしている中、一人でニート生活をしているのも気が引けて、神殿で自分の神聖力の使い方を習っていた。
天音の神聖力は怪我や病気も癒すことができるが、それ以上に瘴気に触れてしまった人たちの治療に格段に効果があった。
瘴気に触れてしまうと体調を崩したり、酷い時には病気を併発してしまい、神殿でしばらく浄化してもらう必要があった。またあまりに濃い瘴気に触れてしまうと、皮膚が壊死したり、身体を損傷することもあった。
天音の神聖力の治癒は、この瘴気による病気を治すのに特化していた。
異常な瘴気が発生するのはここ数十年のことだった。
アルテアは、異常な瘴気の発生と隣国での人工魔水晶の使用開始が同じ時期であることから、この二つには何らかの関係があるのではないかと考えているようだった。
また瘴気は、悪意ある存在を呼び寄せることもあった。悪意ある存在とは、鬼族や巨人族、闇に住まう多種多様な種族である。彼らとは意思疎通ができず、協定や法律でその関係性を保つことができず、常に敵対している。
瘴気は、厄災の竜の吐く息だと言われており、瘴気を糧に悪意ある存在は、力を増すそうだ。そのため瘴気ある場所には、悪意ある存在も引き寄せられる。
「私にも役に立つことがあるのが、嬉しいので引き続き頑張ります」
「アマネはここにいてくれるだけでいいのです。とても感謝していますよ。あなたの意志を尊重しますが、無理だけはしないで下さいね。瘴気の近くに行く事には、様々な危険が伴いますから」
アルテアは、心配そうに天音の手に自分の手を重ねた。
朝食を食べると神殿へ向かう。
大聖堂の裏口からそっと中に入る。一度、中央玄関から入って、聖女だとばれてしまい一般参拝客に囲まれて大変な騒ぎになったことがあったので、それ以来裏口を使わせてもらっていた。
「聖女様、いらっしゃいませ」
天音の到着を待っていた、神官長のセスがいつものように迎えてくれた。
セスは、青みがかった銀髪をサラサラと靡かせ、鈍色の瞳でまっすぐに天音を見つめる。アルテアは太陽のように柔和な朗らかさを携えているとすれば、セスは月のような落ち着いた静寂さを持っていた。
いつものように天音の手の甲の白鳥に口づけをすると、その文様をじっと見つめる。
こちらの世界で、このシグナイ様の文様を見ることができるのは、天音とセスだけだった。
今日もその白鳥の文様を確かめるように、セスは指先で恭しく触れる。
天音のわがままでお願いしている訓練を神官長であるセスに直々にしてもいいものか悩んだものの、「神官たちが優秀なので、私は意外と暇なのです」というセスの一言に押し切られてしまった。
忙しいとは思うのに、日々訓練に付き合っているセスには感謝しかない。
「おはようございます。セス様」
「昨日までに張ってくれた結界、さっき全て見回りしてきたけれど、とてもいい状態だったよ。結界の張り方についてはもう大丈夫だと思う」
「はい」
神殿に治療に来ていた人々が全ていなくなったところで、治癒の練習は終わり、昨日まで結界を張る練習をしていた。シグナイが言っていたように、治癒したい部分、結界を張りたい部分に手をかざすだけで、自分が思っている効果が発揮できた。
ただ力の注ぎ具合が難しく、神聖力の放出を適度に調整するというコツをセスから教えてもらっていた。
「今日からは瘴気の浄化を練習しよう」
濃い瘴気は、大気汚染のように周りを汚染し、植物を枯らし、人体に悪影響を及ぼす。
いつの頃からかメイオール王国でよくある病気の原因の一つとして瘴気について研究されるようになったが、そもそもなぜ瘴気が沼のように溜まってしまうのかは分からないままだった。
瘴気の原因は、厄災の竜の息だという。トウライアムウル連合国の建国の際に、当時の連合国の王たちがヴィエルガハ領に厄災の竜を封印してから、ほとんど瘴気が生じなくなっていた。
しかしここ十数年で、再び濃い瘴気が観測されるようになり、その封印が解けかけているのではという憶測を呼んでいた。
天音とセスは、瘴気が報告されている王都郊外の森林へと向かう。メイオール王国の国土の三分の二は針葉樹の森林地帯であった。
森林地帯は、隣国のトウライアムウル連合国の魔族王が統治するヴィエルガハ領と繋がっている。
天音は前世の記憶から、魔族と聞くと何だか悪いイメージがあったのだが、実際見た目は人族と変わりがないそうだ。寒い地域に住んでいるものが多いので、透き通った白の肌と黒髪という特徴を持ち、魔力量が多く強靭な肉体と人族の十倍長い寿命を持つという。
王都にも魔族の人々がいるそうだが、天音には全く見分けがつかなった。
森の入口に降り立つ。どんよりとした曇り空を背景に、雪をかぶった針葉樹がうっそうとしげっている。吐く息が白く、吸う息は痛いほどに冷たい。時折吹く湿り気を含んだ風が、頬を突き刺す。
森へと入る道は、警備に来る王国軍により除雪されており、もの寂しいこの場所にも人の気配を感じる。
セスは慣れた様子で、瘴気が報告された森の奥へと進む。ざくざくと薄く積もった雪を踏みしめていく。
「聖女様、大丈夫?」
セスが振り返る。天音は、歩きなれない雪道と沢山の重ね着で息も絶え絶えだった。アルテアのせいで全身筋肉痛というのもあるが。
「……私、進むの遅いですよね……。体力がなさ過ぎて、すみません」
「慣れていない雪道を歩くのは辛いから。ソリでも持ってきて、聖女様を乗せれば良かったかな。配慮が足りず、すまない」
セスは、天音がもたもたしていることについては、さして気にしている様子も見せずに淡々と言う。
「神聖力の使い方を教えてもらっているだけでも心苦しいのに、私こそ、すみません」
「もう少しだから、頑張って。帰りは責任を持って私がおぶろう」
「いや、本当に大丈夫です……。ごめんなさい」
天音はしょんぼりと謝る。自分が情けなくなる。その様子を見たからか、他の神官たちからも声をかけられる。
「神官長、私たちも聖女様をお支えします!」
「聖女様っ、私たち皆で背負って馬車まで戻りますから、ご心配をなさらずにっ」
瘴気の浄化についてきてくれた、他の神官たちも口々に申し出る。天音は、自分に向けられる熱意にたじろぐ。
「歩けますから! 私、重いですし、皆さんを逆に怪我させてしまいますから」
何だか変なテンションで、やる気に満ち溢れる神官の方々の好意を断るのは心苦しい。しかし、少し雪道を歩くくらいなのに、神官の方々に迷惑をかけるわけにはいかない。
ここでのお荷物は自分なのだから。
そんなやり取りをしながら、しばらく歩いていると、突然空気が変わる。暗く重い空気、黒い霧のようなものがたちこめている。
これが瘴気……。始めて見る黒い霧に、天音は緊張する。
「ここからは浄化をしながら進もう」
セスがそう言うと、神官たちも浄化魔法を発動させる。
天音も来る前に習った通りに、神聖力の出力を調整しつつ周りを浄化していく。
本道をそれて、木々の間に入る。昨晩降った比較的ふわふわとした雪を踏みしめながら奥へと進む。黒い霧が濃くなる。
「セス様、私はこれ以上はすすめそうもありません」と若い神官が、途中で膝をつく。
「分かった。ゆっくりと瘴気が届かない場所まで戻りなさい」
報告された瘴気は想定以上に強いものだったようで、次々と神官たちが脱落していく。
森の奥で瘴気を目視した時、天音とセスと数名の神官は息を飲んだ。
「……これは、瘴気の沼……のようだな」
いつもは感情を顔に表さないセスが、少し焦ったように言う。
曇天の弱い太陽の光を鈍く反射している黒い塊。気体であるのにも関わらず、個体のように重みがありそうな、コールタールのようなものが、木々の間にたっぷりと溜まっている。
その重い液体のような黒々とした瘴気から立ち上る黒い霧は、禍々しく、初めて見た天音もこれは良くないものだと感じる。
「これだけの濃い瘴気を私たちだけで、浄化するのは無理ですね」
「一度、神殿に戻って人を集めて来ましょう。すぐに手配をします。これが更に大きくなれば被害が、広い範囲に及ぶでしょう。悪意ある存在が近くに来ているかもしれないし、直ちに近隣住民に警報を出さないと」
神官たちがざわめき出す。
天音は、瘴気とその周囲を観察する。瘴気は周りの動植物を腐らせ、辺りに腐敗臭を漂わせていた。これが風で周囲に広がれば、住民たちに被害が及ぶ。
天音が神殿で治癒した人たちの様子はひどいものだった。濃い瘴気に触れてしまった人は、ここの動植物のように触れた部分がただれ、黒く腐っていた。治癒した後も、欠損した部分は戻らなかった。
「あの、セス様、戻る前にちょっと神聖力試してみてもいいでしょうか?」
天音はおずおずと申し出る。全部は浄化できなくても、少しはましな状態になるかもしれない。このまま何もせずに戻ったら、被害を受ける人が出るかもしれない。
セスは天音の顔を見るとため息をつく。
「ダメと言っても引いてくれなそうな気配を感じるな……」
「ちょっとだけ、試すだけですから。ダメそうならすぐに戻りましょう」
「ふむ……。無理させると、アルに怒られるのだが、浄化に急を要すのもまた然り」
セスは、残った神官を見回し、少しだけ考える様子を見せた後、指示を出す。
「私たちは周りを浄化する。聖女様は、瘴気の沼をできる所まで浄化して」
「はい! 頑張ります! 無理しませんから」
セスは天音の手の甲を心配そうに撫でる。天音は大きく息を吸って吐く。自分の中をめぐる神聖力に集中する。
(いつもは無意識だけど、神聖力を意識すると身体をめぐるシグナイ様の温かさを感じる)
どうか力を貸してくださいと祈る。
セスと残った神官は、天音の周りを浄化していく。
天音は手のひらをゆったりと瘴気に向けると、神聖力を放出する。
「浄化」
キラキラと輝く光の粒が瘴気を包むように放たれる。少しずつ黒い霧が消えていく。黒い塊も薄くなり、小さくなっていく。
「足りない……後、もう、少し……」
天音は神聖力を更に放出する。瘴気を包む、光が強まる。しかし、とたんに身体がぐっと重くなる。腕を上げるのも辛くなる。
「聖女様、これ以上はあなたの身体が持たない」
「でも、後少しで全部、綺麗になる」
「ダメ。もうここまでに!」
セスの警告を聞かず、天音は神聖力を更に流す。
頭が痛い、吐き気がする。べっとりとした嫌な汗が流れる。
魔力も神聖力も一度に大量に放出すると、身体に負担があるらしい。初めて体験する体調の悪化に、自分の身体の限界が近いことを感じる。
「聖女様! これ以上は、いけない!」
セスが大きな声を上げて天音の手を掴んだ所で、瘴気は全て浄化され、きれいに霧散した。
「セス様、これで瘴気は無くなったかな……」
「聖女様っ!」
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