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第一章 聖女は仕事をがんばるみたいです

王宮にまつわるエトセトラ

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 頬に風があたり、ひやりとした空気が天音の肌に触れる。いつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開くと、天音は聖堂のような場所にいた。

 無駄に広い空間はがらんとしており、丸いドーム型の天井には美しいステンドグラスで宗教画のようなものが描かれている。青の装飾タイルとステンドグラスが、光の加減で聖堂内の白壁をうっすらと濃い青に染めている。丸い天井を支える柱には蔦を模した金の装飾が、施されている。

(何だか、シグナイ様を思い出させる色味だな)

 少し小高くなっている祭壇のような石の上に天音は横たわっていた。
 ゆっくりと身体を起こすと、おお、という歓声が下の方であがる。
 天音はノースリーブのロングワンピースを纏っていた。その生地は、絹糸で編んであり、肌にあたる感触がすべすべと気持ちがいい。ひっそりと銀糸で生地に編んである刺繍は、クラリセージの花の様だった。

 もう少し胸を盛ってくれればよかったのにと自分の身体をペタペタと触る。そんな風に思うほど、シグナイが用意してくれた身体は、元の天音の身体と外見は同じに見えた。
 生前、暴力をふるわれた時についたアザや傷は消えて、本来の綺麗な乳白色の肌になっている。

 天音がいる祭壇まで続く階段をコツコツと誰かが登ってくる気配がしたので、音の方を向くとにっこりと微笑む美丈夫が立っていた。

「ようこそいらっしゃいました。聖女様。私、メイオール王国の王太子、アルテア・メイオールと申します」

 アルテアは、恭しく天音の横で膝をつき、頭を下げる。ちらりと見えた王太子の顔は、とても優しい笑みを浮かべているように見えた。

(何だか、想像と違うな。もっと前世の本家の異母兄弟のような、俺様な王太子殿下をイメージしていたのだけれども。上に立つものとして頼りなさそうな気もしなくもない……)

「おおーー神から遣わされた聖女様! ご神託の通り、メイオール王国にいらしてくれた!」

 声に反応して階段の下を覗くと、赤いローブ、クリーム色に金糸の刺繍が施されている祭服を着た神官たちが、抱き合ったり、拍手をしたりと歓迎ムードが漂っていた。

 天音はあまりの歓迎に驚き、思わずアルテアの方を見る。アルテアは神官たちの様子を穏やかに見ていた。正面からは分からなかったが、ロングのプラチナブロンドの髪を後ろでゆったりと結んでいるのが見えた。天音の視線に気が付くと、琥珀色の瞳を天音に向ける。

 計算し尽くされた作り笑顔が美しい。天音は、学生時代小遣い稼ぎにモデルをしていたことや、いつも周りの人々の顔色を伺って波風を立てないようにしていたことから、他人の表情には敏感だった。

「私も含めて皆、聖女様を長い間お待ちしていたのですよ」
「……そうなのですね。私、こんなに歓迎されるとは思っておらず、驚いてしまいました」

 大きな猫をかぶりながら、天音もおしとやかに返答する。相手の出方を推し測っているのはこちらも同じだ。
 それにしても、これまで自分の存在をこんなに喜ばれたことがあっただろうか。――いやない。
 生まれた時から、周りの人々は元より、実の母にもうとまれていた。圧倒的な孤独感は自分に常にまとわりついていた。そしてそれはいつしか当たり前の日常となり、死ぬ前の天音は孤独をほとんど感じなくなっていた。
 
 天音は初めて感じる歓迎ムードに戸惑いつつ、高揚感に包まれた。自分の存在が認められることが、こんなに恥ずかしく、けれど誇らしいものだったとは。
 
 生まれた時からそれを持っていた異母兄弟である本家の御曹司は当たり前に享受していただろうこの甘美な感覚は、人を惑わせることもあるかもしれない。
 あんなに傲慢な人間に彼が育ったのは仕方ないことだったのだなと思った。

「聖女様、失礼ながら、お名前伺っても?」
「申し遅れました。私は、アマネ・コトサキと申します。メイオール殿下」
「聖女コトサキ様、どうか私のことはアルテアと呼んでください」
「あ、では私のこともアマネと呼んでください、アルテア様」
「では、アマネ様、皆が首を長くしてお待ちしております。一緒に参りましょうか?」

 天音は、アルテアのとろけるように輝く微笑みをとてもまぶしく思いながら、『ここから始まるんだ。シグナイ様、私、三年間頑張ります。子どもを産んで、幸福な来世を掴み取ります』と心で握り拳を作った。内心のやる気とは正反対に、無表情で王太子の手を取った。

 神殿から王城までは馬車で三十分位かかるそうだ。神殿の外は、明るく晴れていた。しかし周りには雪が積もり、空気は凍るように冷たい。太陽の光が反射してダイヤモンドダストがキラキラと輝く。

「昨日まではぐずぐずとした天気で、雪が降ったり止んだりしていたのですが、今朝からは快晴で、まるでアマネ様がいらしてくれたことをよろこんでいるようです」
「そうだとしたら嬉しいですね」

 嬉しそうにほほ笑む琥珀色の瞳もキラキラと輝く。人からの好意に慣れない天音は、適当に流してしまう。

 天音は「裸足で歩かせることはできない」とアルテアに横抱きにされ、寒くないようにモコモコとした肌触りの良い毛皮に包まれて、馬車に乗り込む。

***

 雪が積み上げられている街は人で溢れており、活気があった。
 厚い防寒具につつまれて往来を行き来する人々には色々な種族がいるようだった。
 自分と同じような人間やファンタジー映画でしか見たことがない獣人や竜人、エルフや身体が小さな妖精たちが普通に各々の方法で歩いたり、飛行したりしていた。

(……これは、何とも不思議な世界だわ。魔法があると言われていたから、それだけは心得ていたけれど)

 道に沿って立つ、建物は寒い国らしく二重窓がはめられて、ぴっちりと隙間なくレンガで作られていた。無駄がなくシンプルな作りであったが、外気を遮断するための造作は、ここはとても寒い国なのだということを感じさせる。

 石畳の道には馬車や牛車などの動物が引く乗り物、自動車、バイクなどの乗り物が行き交っていた。

「アルテア様、なぜ、様々な乗り物が混在しているのでしょうか?」
「ああ、車やバイクは、魔水晶の動力で動いているのですが、魔水晶は非常に高価で、使用できる人が限られているのです。私たち、いわゆる王族や貴族は、魔水晶が極力国民に流通するように代替できる乗り物を使用しています」 

 天音はぴったりと隣に座るアルテアを気にしないようにしながら、振り向く。彼からほのかに香るスパイシーな香水が、天音の鼻孔をくすぐる。

「あ、あの、魔水晶って、どうして高いのですか?」
  
 天音は街を行き交う車や馬車などの乗り物に再び目を向ける。

「魔力が含有される天然の魔水晶は、もうメイオール王国内では、ほとんど採掘し尽くされてしまっているのです。あとは外国から、魔水晶か人工魔水晶を輸入するしかない状況なのです」
「それが魔水晶の値段を高めているのですね」
「最近隣国で開発された人工のものなら安価で購入できるのですが、製法が非公開という部分に信頼性が乏しく、また自然環境へ悪影響があるとも言われていまして、購入に踏み出せないでいるところです」

 微笑みながらも、苦しそうにアルテアは言う。

「なかなか大変なのですね」
「小さな国ですし、色々問題はあるのですよ。でもあなたには絶対に不便な思いはさせないから、安心してほしいです」

 天音はシグナイに頼まれて何だかファンタジーな場所に召喚されて、夢見心地であった。しかし、ここにも自分の前世と同じような様々な問題が存在しているんだと、改めて「王太子を助けてほしい」というカジュアルに頼まれたお願いの大変さに戦慄した。

(後継ぎを産むくらいしか私にできることってないのでは?)

 天音は不安に思ったが、自分の横で穏やかに天音に微笑むアルテアに自分のことで余計な心配をかけてはいけないと、こくりと頷いた。
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