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第4話
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外は猛暑だが室内は涼しく快適だ。
しかも、ここは図書館なので無料で何時間でも滞在が可能である。
夏休みなので人の出入りが多かったり、騒ぐ子供の声が聞こえることはあってもすぐに静かになる。
空調だけでなく、周囲の状況も快適である。
おそらく、図書館内にいる人の何割かはタダで涼みに来ているのだろう。
彼もその中の一人である。
昨夜までは漫画喫茶の連泊プランを利用していたが、数日で息苦しさを感じて仕方なかった。
外出も普通にできるのだが、なにか人間性が失われていく気がし今日は別の形で過ごそうと考えたのだった。
しかし、出費は抑えたかったので図書館に来てみた。
隣町の図書館は初めて来たが、自分が昔通っていた図書館より綺麗で広かった。本棚の並ぶ中に所々ゆったりと座れる椅子が設置されているのも良い。
彼はもう数時間同じ場所にいた。
図書館の奥の方、「政治・経済」の本が並ぶ付近の椅子に座っていた。
一応、まだ興味が持てそうな本を手に読んでいる振りをしている。いや、最初は一応読むつもりだったのだが、興味が持てな過ぎて振りになっている。
2回、本を替えたが彼にとっては似たり寄ったりだった。
滅多に人が来ない場所でもあるので、静かに過ごせるのは良い。
スマホもパソコンも無いため手持無沙汰だったが、今朝からその方が楽な気もしてきていた。「デジタルデトックス」という言葉が脳裏によぎった時、彼は人の気配を感じた。
ぼうっとしていたから気づくのに遅れた。
座る彼の前に人が立っている。
驚いて顔を上げる彼が見たのは背の高い男性だった。その人は同年代くらいに見えたが、長い前髪の隙間から三白眼で彼を見ていた。
その視線が睨みつけているようにも見えて、彼は思わず身構えた。
椅子の後ろは壁なので、本が取りたいというわけではない。この人は間違いなく彼に用があるのは明白で。
-絡まれるっ。
中・高・大とそういった生徒とは縁がなかったので適切な対処法が浮かばず、彼は内心でパニックになっていたがその時間はすぐに終わった。
「近藤勝吾さん…ですよね。探しましたよ」
彼は知らない人に本名を呼ばれたことよりも、その後の言葉に驚いた。
「探し…た?」
警察の人間かとも思ったが、相手がとてもそうは見えなかったのでその考えは捨てた。
「俺は柳。探偵事務所の人間です」
そう相手は名乗った。
「探偵…?」
彼が言葉を呟いていると、柳は手に持っていた紙片を無造作にシャツの胸ポケットに入れた。
「ちょっと話しましょうか。図書館もそろそろ閉まるんで、外で」
一方的に言うと柳は踵を返して歩き出した。
柳の言葉に彼は時計を見た。
あと20分ほどで図書館が閉館する時間だった。
そんなにぼうっとしていたのかと自分で驚きつつ、彼は椅子から立ち上がりすぐそばの棚に本を戻してから柳の後を追っていった。
外はまだ明るかったが、昼頃の殺人的な日差しはなりを潜めていた。
図書館の隣の公園では遊ぶ子供が多少はいた。日中は暑すぎて外に出られないので、今の時間から遊んでいるのか元気が有り余っているように見える。
ベンチは隣にある木のおかげで日差しがさえぎられて、周囲よりは涼しい。が、そもそもの空気が蒸し暑いので環境が良いとは言えない。
柳は捜索対象の勝吾をベンチに座らせると、バッグからペットボトルを2本取り出す。
「コーラと麦茶ならどっちが良い?」
「えっ」
戸惑いを見せる勝吾に柳は続ける。
「どっちもまだ冷えてるから」
図書館に近いコンビニで買ってきたので、まだ10分も経っていないので2本ともよく冷えている。
「あ…じゃあ、麦茶で」
どこかおびえた感じでそう答えた勝吾に柳は麦茶を渡すと、自分もベンチに腰を下ろした。
彼の母親は卒業写真より太ったとかなんやかんや言っていたが、柳の目で見る限りは順当に年を重ねたとしか思えなかった。
太ったといっても、言うほどではないだろう。中肉だし、おとなしい雰囲気ではあるが決して暗いという印象はない。
自信なさげではあるが。
柳がペットボトルの蓋を開けると、勝吾も柳に習って開けた。
意外にも会話を始めたのは勝吾のほうからだった。
「あの…誰が依頼したんですか?」
「ん?」
飲みかけていたコーラを離し、飲み下してから答える。
「あなたの母親だよ」
「本当ですか?」
「なんで疑うんだ?」
間髪入れずに問う勝吾に柳は問いで返した。
その問いに勝吾は口を閉ざす。
柳はもう一口コーラを飲んでから言葉を口にする。
「まぁ、そう言いたくなる気持ちもわかるけどな」
その言葉に勝吾はびくりと体を震わせた。
「やっぱり、母は何か言ったんですね」
諦めたような、力ない言葉が零れ落ちた。
「別に、これといって言ってないさ」
「えっ」
短く驚きの声を上げると勝吾はゆっくりと息を吐きながらうつむいた。そんな彼から視線を外して柳は前を向いてコーラを口にする
まだ冷たいコーラは炭酸の強い刺激を喉に与えるので、一瞬だけ眉をひそめた。
一息つくくらいの時間が経ったが、勝吾が動きを見せないので柳は沈黙を崩すことにした。
「まぁ…これといった事は言っていないけど、なんとなくは察するさ」
勝吾の方を見ないで柳は言葉を続ける。
「父親か優秀、兄も優秀、母親だって悪くない。そんな中でそこそこは辛いよな」
「・・・」
その沈黙は肯定と捉えられた。
「別に悪くない…どころか良い方なのにな、あんたも」
「方じゃなくて、良いじゃないと評価してもらえなくて…」
か細く聞こえた声を耳にして柳は頭を掻いた。
色々と言ってやりたいことはある。
親の関心が自分に無いのはしんどいだろうが、学費は全額出してくれているし、邪険にされているわけでもない。
世間体はあっても、決して安くない探偵に依頼するほどには金をかけて良いと思われているのに…それなりに愛情はあるのだろう。
彼が求める量に達していないだけで。
柳も甘ったれてんな…と、説教の一つでもしたいところだが、面倒くさくはしたくないので堪える。
少しだけ、同情できる部分はあるから。
「状況はそれなりに察するさ。親が自分を見てくれないっというのは辛いからな」
後半の言葉に勝吾は柳に顔を向けた。少しだけ目に光が宿ったような気がする。そんな顔を横目でチラリと見て柳は言葉を続ける。
「俺はさ、産まれた時には父親が失踪していて、いなかったんだ」
「へ…」
「でー、母親は未婚で俺を産んだ。育ててくれたけれど、母親はずっといない父親を見てた。俺は見たこともない父親に結構似ていたみたいで何回も「お父さんみたいに格好良くなれるね」とか言われてた。名前だって、父親からイメージされた名前を付けられてるんだぜ」
「…そうなんだ」
にわかに信じがたいと言いたそうな勝吾を見ずに柳は続ける。
「だから、親の注意を引きたいって気持ちはわかるつもりさ」
柳のその言葉に嘘はない。
だから、勝吾も受け入れる事はできたのだろう。
少しだけ、柳を見る目の警戒心が減っている。
「…柳さんは母親と今はどんな関係なんですか?」
勝吾の問いかけに、柳はペットボトルを煽った。タバコを吸いたい気分になったが持っていないのだから仕方ない。
「関係はないさ。死んだから」
「・・・」
柳の言葉は予想外だったらしく、勝吾は声を発せなかった。自分の問いで気まずくなってしまったことに後ろめたさを感じたのか、勝吾が視線を逸らす。
柳は別に気にしていなかった。
「最後まで母親は父親を見ていたんだ」
「どういう事…?」
「看取ることは出来なかった」
柳はここまで言う必要があるのか自問しつつ言葉を口にした。
「死んだ母さんが握りしめていたのは、父親が残していったアクセサリーだった」
言って柳は後悔した。
もう大分経つのに色あせない記憶が脳裏によみがえる。
「まだ、母親は生きているんだろ?振り向いてくれないのなら、自分が前に回り込むことだって出来るんだろ。それがダメなら、自分を見てくれる人を探してみるんだな」
言って柳は立ち上がった。
勝吾が何か言う前に、柳は振り向きざまに言った。
「とりあえず、息子を見つけた事は依頼主の母親には伝えておく。自分から帰ってくるのを待つと言えばもう俺と会うことはないだろ。強制的に連れて行く事になればまた会うことになるだろ」
短く息を吸う。
「会う事になったら明後日のこの時間にまた来る」
柳は目をわずかに細めた。
「考えておくんだな」
そう言った柳の額に浮かんでいた汗は蒸し暑さからだろうか。
捜索対象者がどんな表情でこちらを見ていたのか覚えていない。
夏の蒸し暑さが蘇った記憶を、情景をよりリアルにする。
足早に公園を後にした後、柳は小走りに駅に向かった。途中から走った。
「くそっ」
短く毒づいたが状況は変わらず、イラ立ちが収まらない柳は手に持ったままのペットボトルを感情に任せて足元へ叩きつけた。
破裂音とともに液体が飛び散った。
「柳。柳、いるんだろ」
ドアをノックするというより、叩くという表現が正しい音が室内に響く。それと合わせて黒井が呼ぶ声が聞こえる。
今日はカーテンをしっかり閉めているので、室内は真っ暗だ。
クーラーが寒いくらいなので、掛け布団はちゃんと掛け布団として機能している。
枕元にあるはずのスマホを取ることすら今の柳にはだるい。
黒井の声を闇の中で聞きながら、柳はそんな時間になったのかとうっすら考えていたが動くつもりはなかった。
このまま闇の中で微睡んでいたい…。
が、それは光とともに打ち砕かれた。
鍵が開く音、ドアが開く音、そして、蛍光灯の光。
「柳、起きろ」
合鍵を使って黒井が部屋主の許可なく入って来る。
「・・・」
ドアに背を向けているが音で情景がわかる状況に、文句の一つすら言う気にならない柳だった。
柳のそんな様子を見て、黒井は予感と現実がさほど相違ないことを知る。
黒井は腕を組むと少しだけ考えた。
「まだ、仕事は完了していないだろ。お前の依頼主からメールが入っていたぞ。息子から近々帰るって連絡があったと」
「・・・」
無反応な柳に黒井は短くため息を吐く。
「昼までには起きるんだな。で、借りたものを返す連絡を取るんだぞ」
聞いていないようで、柳が聞いていることを黒井は理解している。
「それが終わったら、また横になれ」
「…ん」
聞き逃しそうな小さな声…というより、音を柳が発した。
それを聞いて黒井は胸中で安堵のため息を吐いた。そして、何も言わずに部屋を出てそっとドアを閉める。
柳は横になったまま目を開けていた。
帰宅して、依頼主に連絡をしたのちすぐに自室で横になった。
それから一睡もしていない。
眠ったら消えない記憶がよりリアルな夢になる予感がして、眠れなかったのだった。
しかも、ここは図書館なので無料で何時間でも滞在が可能である。
夏休みなので人の出入りが多かったり、騒ぐ子供の声が聞こえることはあってもすぐに静かになる。
空調だけでなく、周囲の状況も快適である。
おそらく、図書館内にいる人の何割かはタダで涼みに来ているのだろう。
彼もその中の一人である。
昨夜までは漫画喫茶の連泊プランを利用していたが、数日で息苦しさを感じて仕方なかった。
外出も普通にできるのだが、なにか人間性が失われていく気がし今日は別の形で過ごそうと考えたのだった。
しかし、出費は抑えたかったので図書館に来てみた。
隣町の図書館は初めて来たが、自分が昔通っていた図書館より綺麗で広かった。本棚の並ぶ中に所々ゆったりと座れる椅子が設置されているのも良い。
彼はもう数時間同じ場所にいた。
図書館の奥の方、「政治・経済」の本が並ぶ付近の椅子に座っていた。
一応、まだ興味が持てそうな本を手に読んでいる振りをしている。いや、最初は一応読むつもりだったのだが、興味が持てな過ぎて振りになっている。
2回、本を替えたが彼にとっては似たり寄ったりだった。
滅多に人が来ない場所でもあるので、静かに過ごせるのは良い。
スマホもパソコンも無いため手持無沙汰だったが、今朝からその方が楽な気もしてきていた。「デジタルデトックス」という言葉が脳裏によぎった時、彼は人の気配を感じた。
ぼうっとしていたから気づくのに遅れた。
座る彼の前に人が立っている。
驚いて顔を上げる彼が見たのは背の高い男性だった。その人は同年代くらいに見えたが、長い前髪の隙間から三白眼で彼を見ていた。
その視線が睨みつけているようにも見えて、彼は思わず身構えた。
椅子の後ろは壁なので、本が取りたいというわけではない。この人は間違いなく彼に用があるのは明白で。
-絡まれるっ。
中・高・大とそういった生徒とは縁がなかったので適切な対処法が浮かばず、彼は内心でパニックになっていたがその時間はすぐに終わった。
「近藤勝吾さん…ですよね。探しましたよ」
彼は知らない人に本名を呼ばれたことよりも、その後の言葉に驚いた。
「探し…た?」
警察の人間かとも思ったが、相手がとてもそうは見えなかったのでその考えは捨てた。
「俺は柳。探偵事務所の人間です」
そう相手は名乗った。
「探偵…?」
彼が言葉を呟いていると、柳は手に持っていた紙片を無造作にシャツの胸ポケットに入れた。
「ちょっと話しましょうか。図書館もそろそろ閉まるんで、外で」
一方的に言うと柳は踵を返して歩き出した。
柳の言葉に彼は時計を見た。
あと20分ほどで図書館が閉館する時間だった。
そんなにぼうっとしていたのかと自分で驚きつつ、彼は椅子から立ち上がりすぐそばの棚に本を戻してから柳の後を追っていった。
外はまだ明るかったが、昼頃の殺人的な日差しはなりを潜めていた。
図書館の隣の公園では遊ぶ子供が多少はいた。日中は暑すぎて外に出られないので、今の時間から遊んでいるのか元気が有り余っているように見える。
ベンチは隣にある木のおかげで日差しがさえぎられて、周囲よりは涼しい。が、そもそもの空気が蒸し暑いので環境が良いとは言えない。
柳は捜索対象の勝吾をベンチに座らせると、バッグからペットボトルを2本取り出す。
「コーラと麦茶ならどっちが良い?」
「えっ」
戸惑いを見せる勝吾に柳は続ける。
「どっちもまだ冷えてるから」
図書館に近いコンビニで買ってきたので、まだ10分も経っていないので2本ともよく冷えている。
「あ…じゃあ、麦茶で」
どこかおびえた感じでそう答えた勝吾に柳は麦茶を渡すと、自分もベンチに腰を下ろした。
彼の母親は卒業写真より太ったとかなんやかんや言っていたが、柳の目で見る限りは順当に年を重ねたとしか思えなかった。
太ったといっても、言うほどではないだろう。中肉だし、おとなしい雰囲気ではあるが決して暗いという印象はない。
自信なさげではあるが。
柳がペットボトルの蓋を開けると、勝吾も柳に習って開けた。
意外にも会話を始めたのは勝吾のほうからだった。
「あの…誰が依頼したんですか?」
「ん?」
飲みかけていたコーラを離し、飲み下してから答える。
「あなたの母親だよ」
「本当ですか?」
「なんで疑うんだ?」
間髪入れずに問う勝吾に柳は問いで返した。
その問いに勝吾は口を閉ざす。
柳はもう一口コーラを飲んでから言葉を口にする。
「まぁ、そう言いたくなる気持ちもわかるけどな」
その言葉に勝吾はびくりと体を震わせた。
「やっぱり、母は何か言ったんですね」
諦めたような、力ない言葉が零れ落ちた。
「別に、これといって言ってないさ」
「えっ」
短く驚きの声を上げると勝吾はゆっくりと息を吐きながらうつむいた。そんな彼から視線を外して柳は前を向いてコーラを口にする
まだ冷たいコーラは炭酸の強い刺激を喉に与えるので、一瞬だけ眉をひそめた。
一息つくくらいの時間が経ったが、勝吾が動きを見せないので柳は沈黙を崩すことにした。
「まぁ…これといった事は言っていないけど、なんとなくは察するさ」
勝吾の方を見ないで柳は言葉を続ける。
「父親か優秀、兄も優秀、母親だって悪くない。そんな中でそこそこは辛いよな」
「・・・」
その沈黙は肯定と捉えられた。
「別に悪くない…どころか良い方なのにな、あんたも」
「方じゃなくて、良いじゃないと評価してもらえなくて…」
か細く聞こえた声を耳にして柳は頭を掻いた。
色々と言ってやりたいことはある。
親の関心が自分に無いのはしんどいだろうが、学費は全額出してくれているし、邪険にされているわけでもない。
世間体はあっても、決して安くない探偵に依頼するほどには金をかけて良いと思われているのに…それなりに愛情はあるのだろう。
彼が求める量に達していないだけで。
柳も甘ったれてんな…と、説教の一つでもしたいところだが、面倒くさくはしたくないので堪える。
少しだけ、同情できる部分はあるから。
「状況はそれなりに察するさ。親が自分を見てくれないっというのは辛いからな」
後半の言葉に勝吾は柳に顔を向けた。少しだけ目に光が宿ったような気がする。そんな顔を横目でチラリと見て柳は言葉を続ける。
「俺はさ、産まれた時には父親が失踪していて、いなかったんだ」
「へ…」
「でー、母親は未婚で俺を産んだ。育ててくれたけれど、母親はずっといない父親を見てた。俺は見たこともない父親に結構似ていたみたいで何回も「お父さんみたいに格好良くなれるね」とか言われてた。名前だって、父親からイメージされた名前を付けられてるんだぜ」
「…そうなんだ」
にわかに信じがたいと言いたそうな勝吾を見ずに柳は続ける。
「だから、親の注意を引きたいって気持ちはわかるつもりさ」
柳のその言葉に嘘はない。
だから、勝吾も受け入れる事はできたのだろう。
少しだけ、柳を見る目の警戒心が減っている。
「…柳さんは母親と今はどんな関係なんですか?」
勝吾の問いかけに、柳はペットボトルを煽った。タバコを吸いたい気分になったが持っていないのだから仕方ない。
「関係はないさ。死んだから」
「・・・」
柳の言葉は予想外だったらしく、勝吾は声を発せなかった。自分の問いで気まずくなってしまったことに後ろめたさを感じたのか、勝吾が視線を逸らす。
柳は別に気にしていなかった。
「最後まで母親は父親を見ていたんだ」
「どういう事…?」
「看取ることは出来なかった」
柳はここまで言う必要があるのか自問しつつ言葉を口にした。
「死んだ母さんが握りしめていたのは、父親が残していったアクセサリーだった」
言って柳は後悔した。
もう大分経つのに色あせない記憶が脳裏によみがえる。
「まだ、母親は生きているんだろ?振り向いてくれないのなら、自分が前に回り込むことだって出来るんだろ。それがダメなら、自分を見てくれる人を探してみるんだな」
言って柳は立ち上がった。
勝吾が何か言う前に、柳は振り向きざまに言った。
「とりあえず、息子を見つけた事は依頼主の母親には伝えておく。自分から帰ってくるのを待つと言えばもう俺と会うことはないだろ。強制的に連れて行く事になればまた会うことになるだろ」
短く息を吸う。
「会う事になったら明後日のこの時間にまた来る」
柳は目をわずかに細めた。
「考えておくんだな」
そう言った柳の額に浮かんでいた汗は蒸し暑さからだろうか。
捜索対象者がどんな表情でこちらを見ていたのか覚えていない。
夏の蒸し暑さが蘇った記憶を、情景をよりリアルにする。
足早に公園を後にした後、柳は小走りに駅に向かった。途中から走った。
「くそっ」
短く毒づいたが状況は変わらず、イラ立ちが収まらない柳は手に持ったままのペットボトルを感情に任せて足元へ叩きつけた。
破裂音とともに液体が飛び散った。
「柳。柳、いるんだろ」
ドアをノックするというより、叩くという表現が正しい音が室内に響く。それと合わせて黒井が呼ぶ声が聞こえる。
今日はカーテンをしっかり閉めているので、室内は真っ暗だ。
クーラーが寒いくらいなので、掛け布団はちゃんと掛け布団として機能している。
枕元にあるはずのスマホを取ることすら今の柳にはだるい。
黒井の声を闇の中で聞きながら、柳はそんな時間になったのかとうっすら考えていたが動くつもりはなかった。
このまま闇の中で微睡んでいたい…。
が、それは光とともに打ち砕かれた。
鍵が開く音、ドアが開く音、そして、蛍光灯の光。
「柳、起きろ」
合鍵を使って黒井が部屋主の許可なく入って来る。
「・・・」
ドアに背を向けているが音で情景がわかる状況に、文句の一つすら言う気にならない柳だった。
柳のそんな様子を見て、黒井は予感と現実がさほど相違ないことを知る。
黒井は腕を組むと少しだけ考えた。
「まだ、仕事は完了していないだろ。お前の依頼主からメールが入っていたぞ。息子から近々帰るって連絡があったと」
「・・・」
無反応な柳に黒井は短くため息を吐く。
「昼までには起きるんだな。で、借りたものを返す連絡を取るんだぞ」
聞いていないようで、柳が聞いていることを黒井は理解している。
「それが終わったら、また横になれ」
「…ん」
聞き逃しそうな小さな声…というより、音を柳が発した。
それを聞いて黒井は胸中で安堵のため息を吐いた。そして、何も言わずに部屋を出てそっとドアを閉める。
柳は横になったまま目を開けていた。
帰宅して、依頼主に連絡をしたのちすぐに自室で横になった。
それから一睡もしていない。
眠ったら消えない記憶がよりリアルな夢になる予感がして、眠れなかったのだった。
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