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第六話

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 平日、卓はシフトの予定表に土日の希望を書き、バックヤードから夕方の惣菜を陳列しに店内に出る。しばらく作業をしていると、レジの応援要請が店内放送されて店長が卓の肩を叩いた。
「もうできるよね? 応援行ってくれる。いますぐ」
「わかりました」
 とりあえず、手に持っている唐揚げパックだけ並べて、台車を元に戻しレジに向かうと、レジに長蛇の列ができている。レジの開設だけしてもらい、卓は初めてレジに立った。
 緊張してバーコードを通す手が震え、声も釣銭受けのカルトンも震えた。野菜の番号や値引きのボタンは、以前店長が教えたことをはっきりと覚えていたので、スムーズにいく。
 初めてのお客さんに深々と頭を下げて、次のお客さんを見ると、その後ろには十数人が控えており、みな一様にそわそわしながら卓をちらりと見る。パニックになりながらも、卓は商品を落とさないように慎重に会計を進めた。今まで接客をしたことがない卓は、自分を情けなくも思ったが、五人ほどこなすと少しずつ緊張が和らいできた。
 ひととおりレジを捌いて一息つくと背後から声がする。
「なにやってるの? レジでぼーっとしちゃだめ。早く陳列終わらせなさい」
 いつの間にか後ろに店長がいる。どうやら卓はチェックされていたようだった。
「あ、すみません。レジをどうやって締めたらいいか分からなくて」
「いいわけしなくていいから。分かってるから」
 店長はテキパキとレジを閉めて、去っていった。卓は無意識にため息が漏れた。

 土曜日の三時、愛華が時間通りにやってきて小海の部屋でミーティングが始まった。
「今日は、チームのメンバーにステータスの割り振りをして登録したいと思う。事前に俺がステータスを振っておいた」
 卓は画面に選手のパラメーターの一覧を表示させた。
「おっさん。これ……八番のスタミナ最大じゃない? 他の選手が弱くなりすぎるでしょ」
「そう、相手のバランスを崩すため攻撃型ミッドフィルダーの八番は、突破口を作る役割を担っている。そのかわり、センターフォワードのスタミナはほとんどない。敵が近づく前にシュートすることが役割になるから、愛華ちゃんしっかり覚えておいてね」
「わかりました」
「……ふーん。ディフェンダーの二番以外は、比較的平均値だね」小海は画面をぼーっと見ているようだが、前監督の経験があるので、気づきが早い。
「ディフェンスは戦略が特に試されるところ。ボールを取らなければ話にならないから、二番のサイドバックにやや偏ってパラメータを配分して、ボールをカットする役割を担ってもらう」
「でも、おっさん。これだと、敵がボールをキープして時間稼ぎしたら、だれが取りに行くの。まさかサイドバックが上がってくるの」
「おっ、さすが前監督」卓はにやりとして、フォーメーションが表示されている画面の前に立った。
「まず一人で捕りに行くことはしない。この中盤に位置する守備型ミッドフィルダー二人で捕りに行く」
「それだと、穴があいちゃうじゃん。二人を引き付けて、パスされたら攻められるよ」
「そうだな。攻めたくなるよな。それでディフェンスのサイドバックが効いてくるんだよ」
「……ふぅん」と小海は口を尖らせて「まぁそう上手くいくかな」と言った。
 卓と小海はあれこれ戦略について話し合う。愛華は熱心に聞いているようだったが、話し合いに参加せず、よく頷いていた。
 やがて夕方になり、気づけば六時になっていた。
「……すまん! ちょっと時間を使いすぎた」卓は時計を初めて確認すると、愛華と小海に両手を合わせた。
「ホントだよ! おっさんどんだけ時間使うの! 愛華もう帰りがきちゃうじゃん!」
「いえいえ、これから楽しみになりました」
 愛華は卓の忠告に従って、少し暗くなるようであれば両親に車で迎えに来てもらうことにしていた。玄関のチャイムがなり、卓が挨拶もかねてドアを開ける。
「ええっ? 店長、どうしたんですか?」
 玄関ドアの前には、ディスカウントストアの店長が立っていた。
「あ、あれっ?」店長は開いたドアの後ろに回って、部屋の番号を確認する。
「もしかして、小海ちゃんのお父さん?」と目を丸くして、店長は頭を下げた。「いや、全然知らなかった」
 パート採用の履歴書には配偶者の有無しかないため、娘の友達の父だとは思ってもみない様子だった。おそらく家庭では小海のことを苗字で話さないのだろう。
「すみません。私もまさか、愛華ちゃんのお父さんが店長だったなんて」
 店長は居心地が悪そうに、「愛華?」といって呼び寄せながら「いつも娘がお世話になっています」と付け足す。
 卓も丁寧に返答した。
「小海ちゃん、また明日ね」愛華はいつもどおりの明るい笑顔で店長と去っていった。

 日曜の朝、パート先の控室に入ると、店長が卓に対して敬語になっていた。
「今日は天気がいいから、日用品外に出しましょうか」
「分かりました」
「北々さんはそれだけ、お願いします」
 卓は大ワゴンにいれた日用品を外に出し、キャスターにロックをかける。どうやら店長は飲料水の荷出しを別のアルバイトに交代させた様だった。
 昼になるとランチ弁当を買い求める客でレジ周りは戦場になる。バーコードのスキャン音や、店員の声、子供の泣き声。二つで三百円の惣菜パックをお客さんが勘違いして、一つしか買い物かごに入れていなかったことをきっかけに、会計待ちの列がどんどん伸びる。
 諦めるか、レジ係がもう一つを取りに行くか、お客さんが行くかで揉めに揉め、ほぼそのレジは機能しなくなった。
 すぐに応援の店内放送が流れた。
「ごめん、北々さん。レジ応援に入ってくれる?」店長は小走りで卓に近づく。
「分かりました」
卓はレジに入ると同時に、レジスターの前には店長がついた。卓は袋入れのサポートだけをする。あっという間に会計が進み、みるみるお客さんの列が縮まっていく。卓は横で店長の素早いレジ捌きに舌を巻いた。

「愛華ちゃん! 十番のセンターフォワードにパスしないと!」
「ああっ! そうでした……! ごめんなさあい!」
 愛華は食い入るように画面を見て叫ぶ。
 ミッドフィルダー八番を操作する愛華は、敵ディフェンダーを振り切ったあと、間違って逆サイドにあがったウイングのフォワードにパスを出してしまった。
 日曜日の夕方四時から大会の予選は始まった。毎週、オンラインで公式大会に参加し、最終上位3チームが決勝へ招待される。その初めてのオンライン公式戦に、チーム竜王は臨んでいた。
「大丈夫大丈夫、もう相手チームのステータスはだいたい分かった。小海、俺が今からディフェンダー配置、変更するからな」
「了解」
 卓が装着しているゴーグルには映画館並みのスクリーンが広がっていた。各選手が持つ色のついた『ピン』を打つことで、配置を自由に変更できる。小海が操作している選手には三角マークがつき、だれが今どの選手を操作しているか、すぐに分かる仕組みになっていた。このゲームを作った人は天才だな、と卓は感心する。まるでピッチで指示する監督と同じように――いやそれ以上に、リアルタイムで敵味方のプレイ状況をよく把握できる。
「愛華ちゃん、八番から十番の攻めをもう一回やってみよう。八番を警戒しすぎて、十番の配置に敵はまだ気づいていない」
「わ、わかりましたっ!」
 後半戦1対0で竜王がリードしている。ここで追加点をあげれば、かなり優位になる。鉄壁のディフェンダーは相手からボールを奪うと、スタミナ最大のミッドフィルダー八番の奥にボールをパスする。
 小海の操作は卓より断然うまく、よく卓の戦略を理解しており優れていた。
 八番はドリブルで敵の最初のディフェンダーを難なくかいくぐる。次のディフェンダーを敵が送り込むと、十分に引き付けた後、オフサイドぎりぎりに配置されていたセンター十番へパスをつないだ。集中した愛華は、テクニックが必要なダイレクトシュートを放ち、十番でゴールを決めた。
「よおし!」
卓はガッツポーズをきめると、ハッとしてゴーグルを浮かせ、周囲に目をやる。感極まって隣人にも届く大声を上げてしまった。
 しかし愛華のにんまりとした顔が卓の目の前にあると、頬に軽くキスをされる。
「ちょっと! 愛華! 何をしてるの! だめだって!」
小海は愛華の手を引いた。
 初戦は2対0で勝利し、順調な滑り出しだった。
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