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4巻
4-3
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◆ ◆ ◆
コウヤ達がテルザの家に向かっているその頃。
王宮では、集められた貴族達の前にアビリス王が姿を現していた。
「しばらくぶりだ。皆には長く心配をかけた」
アビリス王が体調を崩して寝込んでいたことは、ここにいる貴族全員が分かっていた。こうして集められ、王の声を直接聞くのは何年ぶりのことか。それほどまでに久しくなかったことだったのだ。
「今回、集まってもらったのは他でもない。まずは正式に次期王を発表しようと思う」
「「「「「っ、おおっ……」」」」」
ざわざわと空気が揺れるのは仕方のないこと。これまで正式な発表は慎重に見送られていたのだ。継承権の序列は発表されていても、指名とは違う。血や生まれによる継承権と、正式な次期王の発表は別なのだ。
実際に何代か前には、継承権第三位だった王子が多くの功績により、兄王子達を退けて王となっていた。だからこそ、現在の王宮も第一王子派と第二王子派で揉めているのだ。
今回は、長く王宮にいなかった王弟の姿もあり、貴族達は息を呑んでその発表を待った。
アビリス王が厳かに言い渡す。
「次期王は……第一王子であるジルファスを指名する。ジルファス。前に」
「はっ」
ようやくという安堵の表情を浮かべる者達と、悔しそうに顔を伏せる者達。そして納得だと頷く者など、様々な表情がジルファスの後ろに広がっていた。ジルファスはアビリス王の前に跪く。
「ジルファス。これより、次期王としての自覚を持ち、国のため、民のために尽くせ」
「はっ。これまで以上に邁進して参ります」
「うむ……頼むぞ」
「はっ!」
そうして、ジルファスが元の場所へ戻ると、次に宰相が一歩前に出た。
「先日、こちらへ多くの嘆願書が提出されました。その精査がこの度完了しましたことを、まずはご報告させていただきます」
またざわざわと騒ぎ出す貴族達。一体何のことか分からないのだろう。一人の貴族が手を挙げる。
「失礼、宰相殿。その嘆願書とは一体どのようなものなのでしょうか」
これに答えたのはアビリス王だった。
「お前達が無理に通した法案が原因で、犯罪にさえ手を染めながら集められたものだ」
「っ、い、一体それはどういう……」
「私にも責任は大いにある。だからこそ、いつでも責任を取り退位できるよう、次期王を決めたのだ」
「っ、そ、そんなっ……」
王の目には、強い光があった。それは覚悟を決めているからこそ見せられるものだ。
「いや、だがそうだな。まずはあの法案を廃止せねばならん。宰相」
「はっ。六年前に議決され、施行されました『貴族の婚姻に関する法案』、それを廃止、撤廃することに決定いたしました」
長子とその次に家督を継ぎ得る男児以外の子息は、貴族の家から令嬢を娶ることができないという法だ。血統を重んじる第二王子派の貴族が、強く推進して制定した経緯がある。
『霧の狼』にいた三男以下の元貴族達は、これによって愛する令嬢との婚約を引き裂かれていた。
「血を守るのは悪いことだとは言わぬ。だが、それに固執するあまり狭い世界としてはならん」
貴族達は沈黙した。これによって、問題となったことを察した者も少なくはなかったようだ。
「それと、この際だ。言っておこう。わたしはこうして多くの者の尽力により体調も戻った。今後、今まで皆に苦労をかけた分以上のことをするつもりだ。今回の嘆願書の精査により、ここにいる者達の幾人かは、以後顔を見ることもできなくなるだろう。それも含めて……」
ゴクリと喉を鳴らす音がそこここから聞こえた。ここまで王が言うのだ。心当たりのある者達は青ざめている。そして、アビリス王は立ち上がり、真っ直ぐに貴族達を見据えて伝えた。
「皆の者、これまでご苦労だった」
それを聞いた者の大半は静かに跪き頭を下げ、何かを察した者達は力なく震えながらの礼だ。しばらくそれを見つめた王は、一度目を伏せてから宰相へ続きを任せる。
「これより、名を呼ばれた者から順に別室にて質疑に入る。罪ある者は捕らえ、そうでない者は順次領地へ帰還していただく。詮議の結果は後日、それぞれの家に通達、報告する。また、呼ばれた者以外のこの場からの退室は認められないので、そのつもりで待たれるように」
そうして、王や王子達が退室。残された貴族達は静かに沈黙し、呼ばれるのを待つしかなかった。
退室したアビリス王に続いて、ジルファスと第二王子、そして、王弟アルキスが部屋を出て行く。
「兄上よ。本当に調子が良さそうだな」
弟のそんな声かけに、アビリス王は苦笑を浮かべながら答えた。
「お前にも心配をかけたか」
「なんでそこ、ちょい疑問形なんだ? 心配したに決まってんだろ」
「それにしては長く、王宮どころか国を空けていたようだが?」
「あはは。じっとしておられんのが俺の性分だと兄上は知っているだろう」
「……まったく……」
奔放な王弟の様子に、ジルファスも苦笑を浮かべるが、王弟はこうは言っていても国のために尽力していた。王弟アルキスは現役のAランクの冒険者として有名だ。王が病で臥せっている間、他国からの無駄な干渉を受けずにやってこられたのは、彼の存在が大きい。それが分かっているからこそ、アビリス王も苦笑するしかないのだ。
「それはそうと、テルザのじじいが引退を考えてるってのは本当なのか?」
「ああ……引き留めてはいるがな」
王弟アルキスの問いに、アビリス王は頷く。
テルザ・ワイズといえば、宮廷薬師の筆頭だった。それが突然引退すると言い出したのは、アビリス王の治療が始まってすぐのことだ。
「あのじじいが自分で辞めるって、本当に言ってるのか? あいつは死ぬか起き上がれんくなるまであの地位にしがみ付くようにしか思えんのだが」
部屋に着いた所で、アビリス王はその答えを口にした。
「本人から正式に告げられたことだ。自分の力が及ばず申し訳ないと言ってな」
「はあ? あのじじいが? それ、本当にじじいか?」
「……嘘を言ってどうする……だが、そうだな……何か心境の変化があったようだ。まるで人が変わったようだとな。それと、わたしの治療薬を作った薬師達も職を辞すると言っているらしい」
これには困ったと、アビリス王はソファーに深く腰掛けてため息をつく。その向かいに座った王弟アルキスは、逆に身を乗り出して目を見開いた。
「ちょっ、ちょい待て。すっげぇ難しい薬だったんだろ? 他の薬師らが調合法を知っても作れんかったって聞いたぞ。それを作れる薬師が……辞める? どうすんだそれっ」
優秀な薬師達が全員辞めるなど、簡単に許可できるものではない。アビリス王も頭を抱えていた。
「本当にな……そこのところ、説明してもらえるか? ジルファスよ」
「……はい……」
ここで父に話を振られたジルファスに、叔父から鋭い声がかかる。
「どういうことだジルファス。そういや、お前んとこの騎士達が薬の材料集めをやってたらしいな」
「ええ……」
ジルファスがどうやって説明しようかと考えていれば、王弟アルキスを挟んで反対側に座っていた第二王子が口を開いた。ジルファスとは歳が離れた異母弟で、十八歳の若者だ。
「兄上は、薬師や騎士達を邪神と契約させたと聞きました。あんな急激な成長は普通あり得ないと」
「……シンリーム、それは誰が言ったのだ?」
第二王子シンリーム・アクレート・トルヴァランは、父の問いに不安げに答える。
「……母上です……」
「相変わらずだなあ、あの女は」
王弟アルキスも呆れ顔だ。アビリス王はまた大きくため息をついた。
「お前はあれの言葉を信用し過ぎる。そうなってしまったのは、わたしにも責任があるがな……」
「あなただけの責任ではありませんわ」
「っ、母上? それに、イスリナ……」
現れたのは、ジルファスの母である第一王妃ミラルファと妻のイスリナだった。
この部屋に、第二王子のシンリームの母カトレアと、ジルファスの息子以外の王族が揃った。
「カトレアのことは、ここまで来る前にわたくしがどうにかするべきだったと思っています」
ミラルファ王妃は、申し訳ないと夫である王に頭を下げる。
「いや……わたしが王として、夫としてしっかり言い聞かせるべきだったのだ。そうしていれば、今回のような問題も起きなかっただろう」
「……あの、父上……母上が何かしたのですか?」
ほとんど顔を合わせることのなかったミラルファ王妃やジルファスの妻を前にして、シンリームはようやく何かを察したらしい。この場に第二王妃であるカトレアがいないのはおかしい。
「そうだな。お前ももう子どもではない。カトレアは今の段階では、永久的に謹慎処分となる。お前であっても、わたしの許可なく会うことは許されない」
「っ、な、なぜそのようなことに!?」
シンリームが顔を白くして説明を求めた。
「先ほどの場で言っただろう。嘆願書の中には、カトレアのことも書かれていたのだ」
「そんっ、そんなっ……こと……」
王妃であるカトレアがなぜそんなことに、と思わずにはいられないだろう。シンリームはそこでふっとジルファスの方を向く。唇を引き結び、異母兄をキッと睨みつけた。
「兄上ですかっ! 母上をっ、母上をはめたのですねっ」
「……そんなことはしない……」
「だったらなぜっ!」
立ち上がり、大きな声でジルファスを責めるシンリームの肩を掴んだのは、間にいる王弟アルキスだった。
「落ち着け。そんでその曇りまくった目を閉じろ」
「っ、だってっ」
「もう一回言うぞ? その曇りまくった目を閉じろ。それともう一つ。口も閉じて歯を食いしばれ」
「は……っ……ぶふっ‼」
その時だった。シンリームはミラルファ王妃によって殴り倒された。
「お~……予想はしてたが本当にゲンコで行くとか……義姉上、さすがだわ……」
「は、母上っ……」
ミラルファ王妃は直前まで開いていた手を、思いっきり握って殴り飛ばした。そのせいでシンリームはソファーからも転げ落ち、床へと酷い転がり方をしたのだ。
「このバカ王子が! カトレアはねっ、あんたを次期王にするためなら何でもやったのよ! 裏金で取り引きなんて日常的にやっていたし、ジルファスに暗殺者を仕向けるのだってやった。本当に色々とやってくれたわ! 決定的な証拠が上げられずに今まで手をこまねいていたけど、知らないのはあんただけで、貴族達なら誰でも知ってるわよ!」
「っ……そ、そんな……そんな、母上が……っ」
「カトレアの言うことを全部鵜呑みにして、カトレアが正しいとしか思っていないあんたには失望したわっ。何度殺してやろうと思ったかっ」
「ひっ」
鼻からも口からも血を流すシンリーム。それにようやく手を差し伸べたのがジルファスだった。
「母上。落ち着いてください。シンリームはカトレア様の教える世界以外を知らぬだけです」
「それでもっ。王子として生まれたのならば、自分で気付くべきですっ。バカな貴族どもの傀儡になるしかない王子など迷惑なだけだわっ」
ミラルファ王妃は大層ご立腹だ。この場に剣などなくて良かった、とジルファスは安堵した。
それは周囲の者も同じ思いで、剣を持っている騎士達は絶対に近寄らないように目で訴え合っていた。控えていたメイドや執事達も、武器になりそうなフォークやスプーンなどを素早く隠しにかかっている。そっと自分の体で隠すように、花瓶の前に移動している者もいた。
ジルファスの母であるミラルファ王妃は、王家に嫁ぐ前に数年、国を見て回ると言って冒険者をしていたことがあったのだ。その頃、仲間の一人として一緒にいたのが王弟アルキスだった。
「義姉上、怒るのも分かるが、そういう環境しか用意してやらんかった俺ら大人の責任でもある。それは分かってんだろ」
「もちろんです。ですから、わたくしが今後シンリームを教育いたします。イスリナも良いですね」
「はい。お義母様。これは決定ということですわね? では、もうシンリーム殿下にも座っていただいて、ジルファス様から大事なお話をしてもらっても構いません?」
イスリナは綺麗な笑顔で場を収める。そして、シンリームを起こしにかかっていたジルファスを真っ直ぐに見つめた。
「話?」
「はい。ジルファス様。わたくし、考えましたの。息子のリルを絶対にシンリーム殿下のようにしたくはありませんわ。だから、『良いお兄さん』が必要だと思うのです」
「っ……そ、それは……コウヤの……」
今度顔色を変えたのはジルファスだった。その一方で、嬉しそうに提案するイスリナの口は止まりそうにない。
「わたくしも会いたいのですっ。薬師達やワイズ宮廷薬師長までもが尊敬する薬師の一人だと言い、騎士達が魔神様とまで呼んで畏れる。そんな素敵なお兄さんをリルにあげたいのですわ」
「……い、いや、だがコウヤはっ……」
「分かっています。また血がどうのと言う者もいるでしょう。でも、王家に迎え入れて欲しいとまでは、わたくしも言いません。いいえ、もしも『良い』と言われるのでしたら、そうしても良いと思います。ですが、それも、あちらが望まないのならば仕方がありませんもの。それでも、お兄さんとして会わせるのには問題ないと思いません?」
イスリナは、どうあっても息子をコウヤに会わせたいらしい。
「あ、変な勘ぐりはなしですわよ? わたくし、常々言っておりましたが、ファムリア様こそが真の聖女様であり、わたくしの人生で唯一、心から尊敬するお方だと思っておりますの。そんな方を姉上と呼べる日をずっと、ずっと待っていたんですっ」
ファムリアとはコウヤの亡き生母のことだ。神教国に聖女として仕えていたが、教会のあり方に疑問を抱いて出奔し、最期はこのトルヴァランで人助けをしながら亡くなった。
イスリナは手を合わせて熱い思いを打ち明ける。
「それが叶わぬ今、あの方の息子を自分の息子とすることに、何の躊躇いもございませんの。寧ろ、そんな出来た息子にお母様と呼ばれたいですわっ」
「……」
キラキラしていた。
ジルファスは前々から思っていたことがある。
イスリナは、ファムリアを想うジルファスだからこそ結婚を決めたのではないかと。
第一王子の妻ではなく、かつてファムリアを迎えようとしていたジルファスの妻になろうと。
その予想は外れてはいなかったようだ。結婚の前に包み隠さず、ファムリアとのことを話したのがいけなかったのだろうか。それを今更考えても詮無いこととは分かっている。
「その子が王族と関係を持つのが嫌だと言うのでしたら、わたくしっ、ジルファス様と別れても構いませんわっ。もちろんリルには継承権を捨てさせて、連れて行きます。新しい妻をお迎えください」
「……っ……」
ジルファスは泣きそうになった。イスリナの口調は先ほどまでと同じだが、どうやらかなりお怒りだ。なぜコウヤのことを黙っていたのかと。
「イスリナ……? 話が読めないのだけれど……ジルファス、どういうことか説明なさい」
「……はい……っ」
母に言われ、ジルファスは肩を落としながら、コウヤについての話を始めた。
コウヤとの出会いから、薬についての話、そしてユースールでのことを話し終えたジルファスは、沈黙する一同を見て不安げに小さくなる。
シンリームはメイドに濡らした布を渡され、それを殴られた頬に当てていた。血も綺麗に拭き取られている。顔の左半分が見事に腫れているのだが、今は痛みよりもジルファスと聖女ファムリアの間に子どもがいたという事実に衝撃を受けていた。
その上、母であるカトレアが差し向けた追っ手から逃げる間に二人が出会い、カトレアの脅威が退けられるまでは一緒になれないと思って諦めていたことなど、知りもしなかったのだから。
ここでようやく、シンリームは自分が何も知らずに生きてきたことを理解し始めていた。しかし、そんな良い傾向を感じ取れるだけの余裕を持っている者は、残念ながら今ここにはいない。
「ファムリアが亡くなってからは、ファムリアの教育係であった今の『聖魔教』の司教様方が育ててくださっていました。それでも十歳を過ぎて、冒険者ギルドの職員になり、現在は十三歳……冒険者達にだけでなく、ユースールの町の者の多くに慕われております……」
これを聞いて、アビリス王が重々しく口を開く。孫が苦労して生きていたという衝撃は大きかった。
「……今は一人で暮らしていると?」
「はい。自身で建てた立派な家に、従魔達と一緒に住んでいました。薬学に精通し、料理も裁縫も得意で、ギルドでは新人の冒険者に戦闘講習をするほどの腕を持っています。Aランクの冒険者でさえ、コウヤの忠告やアドバイスはしっかりと聞くそうで、誰もが頼りにしていました」
「うむ……それは少し出来過ぎでは……」
アビリス王は親の贔屓目ではないかと判断に困る。だが、これを聞いていた騎士達がそわそわとしていた。それに気付いた王弟アルキスが話を振る。
「お前ら、なんか知ってんのか?」
「っ、は、はい! コウヤ様のことは、我々も直接見て、聞いて知っております! 我らの中の誰も敵いませんでした!」
「いや、十三の子どもに転がされるのを誇ってどうすんの?」
絶対に敵わないし、と自信満々に言うことではない。
「差し入れだと仰って、食べたことのないほど美味しい手料理をいただきました!」
「餌付けか? いい大人の男が、子どもに気ぃ遣わせんのはどうなんだ?」
いやいや、あれは美味し過ぎるんで、と蕩けた表情で言われても、尚更どうかと思う。周りの騎士達も思い出すように目を閉じて頷いていた。そんなにか、とアルキスがちょっと羨ましくなるほどだ。
「身なりは見えない所もきっちりするようにと、シャツを繕ってくださいました!」
「「「えっ、それ知らない!」」」
シャツを繕ってもらったという騎士は嬉しそうに破顔し、そんな貴重なことを、と他の騎士達が本気で羨ましそうにしていた。
「それ、なんかのお守りみたいな感じなん?」
騎士たちがあまりにありがたがっているので、王弟アルキスとしては呆れるしかない。
「……コ、コウヤの差し入れ……繕い物……っ」
ジルファスの方も地味に悔しそうな表情をしていた。羨ましいのだろうか。これを聞いて、ミラルファ王妃まで居ても立っても居られなくなったようだ。
「そんな出来た子なんて、絶対に会ってみたいわ! ユースールに行けば会えるのですねっ? わたくし、行って来ますわっ。何よりもシンリームの良い手本になる予感がします! あなたも元気になりましたし、半年や一年王宮を空けても問題ありませんわよね?」
「い、いや、さすがにそれは良いとは……っ」
ここへ来て、ミラルファ王妃は自分の殻を何枚も破り去ったらしく、その勢いにアビリス王もビクビクと怯えている。カトレアというストレスの元がなくなったのが良かったのだろう。
するとイスリナも嬉しそうな声を上げた。
「まあっ。良いですわね。わたくしも会いたいです! ご一緒しますわ! あ、リルを連れて行きますから、ジル様はお義父様と安心して国の立て直しをしてください。今回のことで、かなり欠員が出ていますでしょう?」
「そ、それはそうだが……」
イスリナは見た目や口調は天然おっとり系だが、実際はそうではない。寧ろ、その見た目などを上手く使って罠にはめる系の策士だ。今回の騒動のこともしっかり理解して把握している。
そうでなくては、あのカトレアから身を守ることなどできなかっただろう。否、カトレアのような存在が傍にあったからこそ、身につけた処世術なのかもしれない。悪女は周りを強くしたようだ。
そこで、一人の騎士が恐る恐る手を挙げた。
「あの……もしかしたら近くまで来ておられるかもしれません」
「っ、コ、コウヤが!?」
ジルファスが反応する。自分が守らなくては、母や妻に襲われそうなのだ。父として必死だった。
「は、はい。恐らく、ワイズ薬師長に会いに来られているのではないかと……先ほどから教官殿とパックンさんが薬師棟の方にいらしているようでして……それに、以前、薬師達が三ヶ月後に迎えが来ると言っていたのを聞きました」
気配を消せるルディエとパックンだが、今回は騎士達には教えておいてやろうという気遣いで僅かに漏らしていた。これには『来てるけど邪魔するな』という言外の意味も含まれている。
「教官……ルディエ君か。あっ、た、確かにっ……」
ジルファスも感じ取れたらしい。その隣で、現役Aランクの王弟アルキスも頷く。
「へぇ……俺でもギリギリ感じる気配だぞ? よくお前ら気付けたな」
「教官殿の気配は覚えました! 寧ろ、気付けという感じですので! 完全に気配を断った教官殿やコウヤ様は絶対に分かりません!」
「……だから、自信持って負けを認めんなよ……」
国の誇る騎士がそれでいいのか、とツッコむ気力さえ消えた。
「それならば、その教官殿?を連れて来てくれるか? ワイズも一緒にな。会えるか直接聞いてみようではないか」
「「「え……っ」」」
アビリス王の提案を聞いて声を出したのは騎士達だ。彼らは一気に青ざめた。
「どうした? 大丈夫か?」
王弟アルキスがこの変化に眉を寄せる。これは王命だ。騎士ならば応と即答すべきところだろう。
はっとした騎士達は姿勢を正す。
「っ、はっ! この命を賭してでもお連れできるよう努力いたします!」
「騎士の名に恥じぬよう、散って参ります!」
「わたくしはこの場に残ります!」
「「おいっ!」」
アビリス王に目を向けられた場所にいたのは三人。一人裏切った。
アビリス王としては一人行けば良かったので特に問題はない。ただ、なんだか戦場に向かうようだなと思った。必要以上に気合いを入れて部屋を飛び出していく二人の騎士達を、他の騎士達が涙を堪え、敬礼して見送った。まるで死地に赴く者を見送るように。
「なに……本当にその教官殿ってヤバイ感じなん?」
「「「ヤバイです!」」」
「そんなに?」
王弟アルキスはそれを聞いて少しばかり期待する。冒険者としては、強い相手に惹かれずにはいられない。
「タリス殿が『コウヤちゃんやルディエ君は僕の現役時代より強いんじゃない? 僕はパックンちゃんやダンゴちゃんにさえ勝てなかったと思うな』と仰っていました!」
「ん? タリスって誰?」
これは失礼しましたと、王弟アルキスの疑問に騎士が答える。
「冒険者ギルド・ユースール支部のギルドマスターの、タリス・ヴィット殿です!」
「まさか、前グランドマスターか!? マジかよ……」
タリスの噂や伝説に憧れない冒険者はいない。特に現在の高ランク冒険者は、タリスを神聖視するほど尊敬している。王弟アルキスもその一人だった。
コウヤ達がテルザの家に向かっているその頃。
王宮では、集められた貴族達の前にアビリス王が姿を現していた。
「しばらくぶりだ。皆には長く心配をかけた」
アビリス王が体調を崩して寝込んでいたことは、ここにいる貴族全員が分かっていた。こうして集められ、王の声を直接聞くのは何年ぶりのことか。それほどまでに久しくなかったことだったのだ。
「今回、集まってもらったのは他でもない。まずは正式に次期王を発表しようと思う」
「「「「「っ、おおっ……」」」」」
ざわざわと空気が揺れるのは仕方のないこと。これまで正式な発表は慎重に見送られていたのだ。継承権の序列は発表されていても、指名とは違う。血や生まれによる継承権と、正式な次期王の発表は別なのだ。
実際に何代か前には、継承権第三位だった王子が多くの功績により、兄王子達を退けて王となっていた。だからこそ、現在の王宮も第一王子派と第二王子派で揉めているのだ。
今回は、長く王宮にいなかった王弟の姿もあり、貴族達は息を呑んでその発表を待った。
アビリス王が厳かに言い渡す。
「次期王は……第一王子であるジルファスを指名する。ジルファス。前に」
「はっ」
ようやくという安堵の表情を浮かべる者達と、悔しそうに顔を伏せる者達。そして納得だと頷く者など、様々な表情がジルファスの後ろに広がっていた。ジルファスはアビリス王の前に跪く。
「ジルファス。これより、次期王としての自覚を持ち、国のため、民のために尽くせ」
「はっ。これまで以上に邁進して参ります」
「うむ……頼むぞ」
「はっ!」
そうして、ジルファスが元の場所へ戻ると、次に宰相が一歩前に出た。
「先日、こちらへ多くの嘆願書が提出されました。その精査がこの度完了しましたことを、まずはご報告させていただきます」
またざわざわと騒ぎ出す貴族達。一体何のことか分からないのだろう。一人の貴族が手を挙げる。
「失礼、宰相殿。その嘆願書とは一体どのようなものなのでしょうか」
これに答えたのはアビリス王だった。
「お前達が無理に通した法案が原因で、犯罪にさえ手を染めながら集められたものだ」
「っ、い、一体それはどういう……」
「私にも責任は大いにある。だからこそ、いつでも責任を取り退位できるよう、次期王を決めたのだ」
「っ、そ、そんなっ……」
王の目には、強い光があった。それは覚悟を決めているからこそ見せられるものだ。
「いや、だがそうだな。まずはあの法案を廃止せねばならん。宰相」
「はっ。六年前に議決され、施行されました『貴族の婚姻に関する法案』、それを廃止、撤廃することに決定いたしました」
長子とその次に家督を継ぎ得る男児以外の子息は、貴族の家から令嬢を娶ることができないという法だ。血統を重んじる第二王子派の貴族が、強く推進して制定した経緯がある。
『霧の狼』にいた三男以下の元貴族達は、これによって愛する令嬢との婚約を引き裂かれていた。
「血を守るのは悪いことだとは言わぬ。だが、それに固執するあまり狭い世界としてはならん」
貴族達は沈黙した。これによって、問題となったことを察した者も少なくはなかったようだ。
「それと、この際だ。言っておこう。わたしはこうして多くの者の尽力により体調も戻った。今後、今まで皆に苦労をかけた分以上のことをするつもりだ。今回の嘆願書の精査により、ここにいる者達の幾人かは、以後顔を見ることもできなくなるだろう。それも含めて……」
ゴクリと喉を鳴らす音がそこここから聞こえた。ここまで王が言うのだ。心当たりのある者達は青ざめている。そして、アビリス王は立ち上がり、真っ直ぐに貴族達を見据えて伝えた。
「皆の者、これまでご苦労だった」
それを聞いた者の大半は静かに跪き頭を下げ、何かを察した者達は力なく震えながらの礼だ。しばらくそれを見つめた王は、一度目を伏せてから宰相へ続きを任せる。
「これより、名を呼ばれた者から順に別室にて質疑に入る。罪ある者は捕らえ、そうでない者は順次領地へ帰還していただく。詮議の結果は後日、それぞれの家に通達、報告する。また、呼ばれた者以外のこの場からの退室は認められないので、そのつもりで待たれるように」
そうして、王や王子達が退室。残された貴族達は静かに沈黙し、呼ばれるのを待つしかなかった。
退室したアビリス王に続いて、ジルファスと第二王子、そして、王弟アルキスが部屋を出て行く。
「兄上よ。本当に調子が良さそうだな」
弟のそんな声かけに、アビリス王は苦笑を浮かべながら答えた。
「お前にも心配をかけたか」
「なんでそこ、ちょい疑問形なんだ? 心配したに決まってんだろ」
「それにしては長く、王宮どころか国を空けていたようだが?」
「あはは。じっとしておられんのが俺の性分だと兄上は知っているだろう」
「……まったく……」
奔放な王弟の様子に、ジルファスも苦笑を浮かべるが、王弟はこうは言っていても国のために尽力していた。王弟アルキスは現役のAランクの冒険者として有名だ。王が病で臥せっている間、他国からの無駄な干渉を受けずにやってこられたのは、彼の存在が大きい。それが分かっているからこそ、アビリス王も苦笑するしかないのだ。
「それはそうと、テルザのじじいが引退を考えてるってのは本当なのか?」
「ああ……引き留めてはいるがな」
王弟アルキスの問いに、アビリス王は頷く。
テルザ・ワイズといえば、宮廷薬師の筆頭だった。それが突然引退すると言い出したのは、アビリス王の治療が始まってすぐのことだ。
「あのじじいが自分で辞めるって、本当に言ってるのか? あいつは死ぬか起き上がれんくなるまであの地位にしがみ付くようにしか思えんのだが」
部屋に着いた所で、アビリス王はその答えを口にした。
「本人から正式に告げられたことだ。自分の力が及ばず申し訳ないと言ってな」
「はあ? あのじじいが? それ、本当にじじいか?」
「……嘘を言ってどうする……だが、そうだな……何か心境の変化があったようだ。まるで人が変わったようだとな。それと、わたしの治療薬を作った薬師達も職を辞すると言っているらしい」
これには困ったと、アビリス王はソファーに深く腰掛けてため息をつく。その向かいに座った王弟アルキスは、逆に身を乗り出して目を見開いた。
「ちょっ、ちょい待て。すっげぇ難しい薬だったんだろ? 他の薬師らが調合法を知っても作れんかったって聞いたぞ。それを作れる薬師が……辞める? どうすんだそれっ」
優秀な薬師達が全員辞めるなど、簡単に許可できるものではない。アビリス王も頭を抱えていた。
「本当にな……そこのところ、説明してもらえるか? ジルファスよ」
「……はい……」
ここで父に話を振られたジルファスに、叔父から鋭い声がかかる。
「どういうことだジルファス。そういや、お前んとこの騎士達が薬の材料集めをやってたらしいな」
「ええ……」
ジルファスがどうやって説明しようかと考えていれば、王弟アルキスを挟んで反対側に座っていた第二王子が口を開いた。ジルファスとは歳が離れた異母弟で、十八歳の若者だ。
「兄上は、薬師や騎士達を邪神と契約させたと聞きました。あんな急激な成長は普通あり得ないと」
「……シンリーム、それは誰が言ったのだ?」
第二王子シンリーム・アクレート・トルヴァランは、父の問いに不安げに答える。
「……母上です……」
「相変わらずだなあ、あの女は」
王弟アルキスも呆れ顔だ。アビリス王はまた大きくため息をついた。
「お前はあれの言葉を信用し過ぎる。そうなってしまったのは、わたしにも責任があるがな……」
「あなただけの責任ではありませんわ」
「っ、母上? それに、イスリナ……」
現れたのは、ジルファスの母である第一王妃ミラルファと妻のイスリナだった。
この部屋に、第二王子のシンリームの母カトレアと、ジルファスの息子以外の王族が揃った。
「カトレアのことは、ここまで来る前にわたくしがどうにかするべきだったと思っています」
ミラルファ王妃は、申し訳ないと夫である王に頭を下げる。
「いや……わたしが王として、夫としてしっかり言い聞かせるべきだったのだ。そうしていれば、今回のような問題も起きなかっただろう」
「……あの、父上……母上が何かしたのですか?」
ほとんど顔を合わせることのなかったミラルファ王妃やジルファスの妻を前にして、シンリームはようやく何かを察したらしい。この場に第二王妃であるカトレアがいないのはおかしい。
「そうだな。お前ももう子どもではない。カトレアは今の段階では、永久的に謹慎処分となる。お前であっても、わたしの許可なく会うことは許されない」
「っ、な、なぜそのようなことに!?」
シンリームが顔を白くして説明を求めた。
「先ほどの場で言っただろう。嘆願書の中には、カトレアのことも書かれていたのだ」
「そんっ、そんなっ……こと……」
王妃であるカトレアがなぜそんなことに、と思わずにはいられないだろう。シンリームはそこでふっとジルファスの方を向く。唇を引き結び、異母兄をキッと睨みつけた。
「兄上ですかっ! 母上をっ、母上をはめたのですねっ」
「……そんなことはしない……」
「だったらなぜっ!」
立ち上がり、大きな声でジルファスを責めるシンリームの肩を掴んだのは、間にいる王弟アルキスだった。
「落ち着け。そんでその曇りまくった目を閉じろ」
「っ、だってっ」
「もう一回言うぞ? その曇りまくった目を閉じろ。それともう一つ。口も閉じて歯を食いしばれ」
「は……っ……ぶふっ‼」
その時だった。シンリームはミラルファ王妃によって殴り倒された。
「お~……予想はしてたが本当にゲンコで行くとか……義姉上、さすがだわ……」
「は、母上っ……」
ミラルファ王妃は直前まで開いていた手を、思いっきり握って殴り飛ばした。そのせいでシンリームはソファーからも転げ落ち、床へと酷い転がり方をしたのだ。
「このバカ王子が! カトレアはねっ、あんたを次期王にするためなら何でもやったのよ! 裏金で取り引きなんて日常的にやっていたし、ジルファスに暗殺者を仕向けるのだってやった。本当に色々とやってくれたわ! 決定的な証拠が上げられずに今まで手をこまねいていたけど、知らないのはあんただけで、貴族達なら誰でも知ってるわよ!」
「っ……そ、そんな……そんな、母上が……っ」
「カトレアの言うことを全部鵜呑みにして、カトレアが正しいとしか思っていないあんたには失望したわっ。何度殺してやろうと思ったかっ」
「ひっ」
鼻からも口からも血を流すシンリーム。それにようやく手を差し伸べたのがジルファスだった。
「母上。落ち着いてください。シンリームはカトレア様の教える世界以外を知らぬだけです」
「それでもっ。王子として生まれたのならば、自分で気付くべきですっ。バカな貴族どもの傀儡になるしかない王子など迷惑なだけだわっ」
ミラルファ王妃は大層ご立腹だ。この場に剣などなくて良かった、とジルファスは安堵した。
それは周囲の者も同じ思いで、剣を持っている騎士達は絶対に近寄らないように目で訴え合っていた。控えていたメイドや執事達も、武器になりそうなフォークやスプーンなどを素早く隠しにかかっている。そっと自分の体で隠すように、花瓶の前に移動している者もいた。
ジルファスの母であるミラルファ王妃は、王家に嫁ぐ前に数年、国を見て回ると言って冒険者をしていたことがあったのだ。その頃、仲間の一人として一緒にいたのが王弟アルキスだった。
「義姉上、怒るのも分かるが、そういう環境しか用意してやらんかった俺ら大人の責任でもある。それは分かってんだろ」
「もちろんです。ですから、わたくしが今後シンリームを教育いたします。イスリナも良いですね」
「はい。お義母様。これは決定ということですわね? では、もうシンリーム殿下にも座っていただいて、ジルファス様から大事なお話をしてもらっても構いません?」
イスリナは綺麗な笑顔で場を収める。そして、シンリームを起こしにかかっていたジルファスを真っ直ぐに見つめた。
「話?」
「はい。ジルファス様。わたくし、考えましたの。息子のリルを絶対にシンリーム殿下のようにしたくはありませんわ。だから、『良いお兄さん』が必要だと思うのです」
「っ……そ、それは……コウヤの……」
今度顔色を変えたのはジルファスだった。その一方で、嬉しそうに提案するイスリナの口は止まりそうにない。
「わたくしも会いたいのですっ。薬師達やワイズ宮廷薬師長までもが尊敬する薬師の一人だと言い、騎士達が魔神様とまで呼んで畏れる。そんな素敵なお兄さんをリルにあげたいのですわ」
「……い、いや、だがコウヤはっ……」
「分かっています。また血がどうのと言う者もいるでしょう。でも、王家に迎え入れて欲しいとまでは、わたくしも言いません。いいえ、もしも『良い』と言われるのでしたら、そうしても良いと思います。ですが、それも、あちらが望まないのならば仕方がありませんもの。それでも、お兄さんとして会わせるのには問題ないと思いません?」
イスリナは、どうあっても息子をコウヤに会わせたいらしい。
「あ、変な勘ぐりはなしですわよ? わたくし、常々言っておりましたが、ファムリア様こそが真の聖女様であり、わたくしの人生で唯一、心から尊敬するお方だと思っておりますの。そんな方を姉上と呼べる日をずっと、ずっと待っていたんですっ」
ファムリアとはコウヤの亡き生母のことだ。神教国に聖女として仕えていたが、教会のあり方に疑問を抱いて出奔し、最期はこのトルヴァランで人助けをしながら亡くなった。
イスリナは手を合わせて熱い思いを打ち明ける。
「それが叶わぬ今、あの方の息子を自分の息子とすることに、何の躊躇いもございませんの。寧ろ、そんな出来た息子にお母様と呼ばれたいですわっ」
「……」
キラキラしていた。
ジルファスは前々から思っていたことがある。
イスリナは、ファムリアを想うジルファスだからこそ結婚を決めたのではないかと。
第一王子の妻ではなく、かつてファムリアを迎えようとしていたジルファスの妻になろうと。
その予想は外れてはいなかったようだ。結婚の前に包み隠さず、ファムリアとのことを話したのがいけなかったのだろうか。それを今更考えても詮無いこととは分かっている。
「その子が王族と関係を持つのが嫌だと言うのでしたら、わたくしっ、ジルファス様と別れても構いませんわっ。もちろんリルには継承権を捨てさせて、連れて行きます。新しい妻をお迎えください」
「……っ……」
ジルファスは泣きそうになった。イスリナの口調は先ほどまでと同じだが、どうやらかなりお怒りだ。なぜコウヤのことを黙っていたのかと。
「イスリナ……? 話が読めないのだけれど……ジルファス、どういうことか説明なさい」
「……はい……っ」
母に言われ、ジルファスは肩を落としながら、コウヤについての話を始めた。
コウヤとの出会いから、薬についての話、そしてユースールでのことを話し終えたジルファスは、沈黙する一同を見て不安げに小さくなる。
シンリームはメイドに濡らした布を渡され、それを殴られた頬に当てていた。血も綺麗に拭き取られている。顔の左半分が見事に腫れているのだが、今は痛みよりもジルファスと聖女ファムリアの間に子どもがいたという事実に衝撃を受けていた。
その上、母であるカトレアが差し向けた追っ手から逃げる間に二人が出会い、カトレアの脅威が退けられるまでは一緒になれないと思って諦めていたことなど、知りもしなかったのだから。
ここでようやく、シンリームは自分が何も知らずに生きてきたことを理解し始めていた。しかし、そんな良い傾向を感じ取れるだけの余裕を持っている者は、残念ながら今ここにはいない。
「ファムリアが亡くなってからは、ファムリアの教育係であった今の『聖魔教』の司教様方が育ててくださっていました。それでも十歳を過ぎて、冒険者ギルドの職員になり、現在は十三歳……冒険者達にだけでなく、ユースールの町の者の多くに慕われております……」
これを聞いて、アビリス王が重々しく口を開く。孫が苦労して生きていたという衝撃は大きかった。
「……今は一人で暮らしていると?」
「はい。自身で建てた立派な家に、従魔達と一緒に住んでいました。薬学に精通し、料理も裁縫も得意で、ギルドでは新人の冒険者に戦闘講習をするほどの腕を持っています。Aランクの冒険者でさえ、コウヤの忠告やアドバイスはしっかりと聞くそうで、誰もが頼りにしていました」
「うむ……それは少し出来過ぎでは……」
アビリス王は親の贔屓目ではないかと判断に困る。だが、これを聞いていた騎士達がそわそわとしていた。それに気付いた王弟アルキスが話を振る。
「お前ら、なんか知ってんのか?」
「っ、は、はい! コウヤ様のことは、我々も直接見て、聞いて知っております! 我らの中の誰も敵いませんでした!」
「いや、十三の子どもに転がされるのを誇ってどうすんの?」
絶対に敵わないし、と自信満々に言うことではない。
「差し入れだと仰って、食べたことのないほど美味しい手料理をいただきました!」
「餌付けか? いい大人の男が、子どもに気ぃ遣わせんのはどうなんだ?」
いやいや、あれは美味し過ぎるんで、と蕩けた表情で言われても、尚更どうかと思う。周りの騎士達も思い出すように目を閉じて頷いていた。そんなにか、とアルキスがちょっと羨ましくなるほどだ。
「身なりは見えない所もきっちりするようにと、シャツを繕ってくださいました!」
「「「えっ、それ知らない!」」」
シャツを繕ってもらったという騎士は嬉しそうに破顔し、そんな貴重なことを、と他の騎士達が本気で羨ましそうにしていた。
「それ、なんかのお守りみたいな感じなん?」
騎士たちがあまりにありがたがっているので、王弟アルキスとしては呆れるしかない。
「……コ、コウヤの差し入れ……繕い物……っ」
ジルファスの方も地味に悔しそうな表情をしていた。羨ましいのだろうか。これを聞いて、ミラルファ王妃まで居ても立っても居られなくなったようだ。
「そんな出来た子なんて、絶対に会ってみたいわ! ユースールに行けば会えるのですねっ? わたくし、行って来ますわっ。何よりもシンリームの良い手本になる予感がします! あなたも元気になりましたし、半年や一年王宮を空けても問題ありませんわよね?」
「い、いや、さすがにそれは良いとは……っ」
ここへ来て、ミラルファ王妃は自分の殻を何枚も破り去ったらしく、その勢いにアビリス王もビクビクと怯えている。カトレアというストレスの元がなくなったのが良かったのだろう。
するとイスリナも嬉しそうな声を上げた。
「まあっ。良いですわね。わたくしも会いたいです! ご一緒しますわ! あ、リルを連れて行きますから、ジル様はお義父様と安心して国の立て直しをしてください。今回のことで、かなり欠員が出ていますでしょう?」
「そ、それはそうだが……」
イスリナは見た目や口調は天然おっとり系だが、実際はそうではない。寧ろ、その見た目などを上手く使って罠にはめる系の策士だ。今回の騒動のこともしっかり理解して把握している。
そうでなくては、あのカトレアから身を守ることなどできなかっただろう。否、カトレアのような存在が傍にあったからこそ、身につけた処世術なのかもしれない。悪女は周りを強くしたようだ。
そこで、一人の騎士が恐る恐る手を挙げた。
「あの……もしかしたら近くまで来ておられるかもしれません」
「っ、コ、コウヤが!?」
ジルファスが反応する。自分が守らなくては、母や妻に襲われそうなのだ。父として必死だった。
「は、はい。恐らく、ワイズ薬師長に会いに来られているのではないかと……先ほどから教官殿とパックンさんが薬師棟の方にいらしているようでして……それに、以前、薬師達が三ヶ月後に迎えが来ると言っていたのを聞きました」
気配を消せるルディエとパックンだが、今回は騎士達には教えておいてやろうという気遣いで僅かに漏らしていた。これには『来てるけど邪魔するな』という言外の意味も含まれている。
「教官……ルディエ君か。あっ、た、確かにっ……」
ジルファスも感じ取れたらしい。その隣で、現役Aランクの王弟アルキスも頷く。
「へぇ……俺でもギリギリ感じる気配だぞ? よくお前ら気付けたな」
「教官殿の気配は覚えました! 寧ろ、気付けという感じですので! 完全に気配を断った教官殿やコウヤ様は絶対に分かりません!」
「……だから、自信持って負けを認めんなよ……」
国の誇る騎士がそれでいいのか、とツッコむ気力さえ消えた。
「それならば、その教官殿?を連れて来てくれるか? ワイズも一緒にな。会えるか直接聞いてみようではないか」
「「「え……っ」」」
アビリス王の提案を聞いて声を出したのは騎士達だ。彼らは一気に青ざめた。
「どうした? 大丈夫か?」
王弟アルキスがこの変化に眉を寄せる。これは王命だ。騎士ならば応と即答すべきところだろう。
はっとした騎士達は姿勢を正す。
「っ、はっ! この命を賭してでもお連れできるよう努力いたします!」
「騎士の名に恥じぬよう、散って参ります!」
「わたくしはこの場に残ります!」
「「おいっ!」」
アビリス王に目を向けられた場所にいたのは三人。一人裏切った。
アビリス王としては一人行けば良かったので特に問題はない。ただ、なんだか戦場に向かうようだなと思った。必要以上に気合いを入れて部屋を飛び出していく二人の騎士達を、他の騎士達が涙を堪え、敬礼して見送った。まるで死地に赴く者を見送るように。
「なに……本当にその教官殿ってヤバイ感じなん?」
「「「ヤバイです!」」」
「そんなに?」
王弟アルキスはそれを聞いて少しばかり期待する。冒険者としては、強い相手に惹かれずにはいられない。
「タリス殿が『コウヤちゃんやルディエ君は僕の現役時代より強いんじゃない? 僕はパックンちゃんやダンゴちゃんにさえ勝てなかったと思うな』と仰っていました!」
「ん? タリスって誰?」
これは失礼しましたと、王弟アルキスの疑問に騎士が答える。
「冒険者ギルド・ユースール支部のギルドマスターの、タリス・ヴィット殿です!」
「まさか、前グランドマスターか!? マジかよ……」
タリスの噂や伝説に憧れない冒険者はいない。特に現在の高ランク冒険者は、タリスを神聖視するほど尊敬している。王弟アルキスもその一人だった。
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