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8巻
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しおりを挟む第一章 女神の国防計画
暗い闇の中に落ちていく感覚を覚えて、どれだけの年月が経っただろう。
天使として生まれたジェルバが地上に降りたのは、全て神のためだった。
弱くて命も短い人族が、強靱で長命な他の種族と共存できるようにと、神は人族に七つの『神具』を与えた。それらは七つの属性に分かれている。
火……ゴーゼン(浄化)の【神焔】。あらゆるものを焼き尽くし、悪しきものを浄化する。
水……シンスール(癒やし)の【神器】。あらゆる薬を生み出す。
風……ダシラス(武闘)の【神旋】。武闘の才を与える。
土……ラプーシュ(守護)の【神環】。守護する場所を結界で守る。
光……イズリス(楽園)の【神玉】。土地を潤し、失われた植物も芽吹かせる。
闇……セラヴィータ(干渉)の【神笛】。荒ぶる心を静め、思いに干渉する。
神……バトゥール(記憶)の【神鏡】。世界の記憶から読み取られた者を映し出す。
けれど、これらの『神具』は長い年月の間に正しい力を失い、在り方を変えてしまったのだ。
それによって人々は傲慢になり、愚かな行動を起こすようになった。三柱の神々は『神具』による争いに心を痛めている。
回収すべきだとジェルバは思った。天使である自分がやらなくてはと思い、地上へ降りたのだ。
そのことを、なぜだかずっと忘れていた。だがこの数ヶ月、たびたび夢を見るのだ。
その日、聞こえてきたのは、ここ何百年と思い出すことのなかった愛しい人の声だった。
「ねぇ、天使様。そんなに急いでどうするの? 時には翼を休めることも必要だと思うわ」
ハイヒューマンの里長であるルーフェニアが、優しく微笑みかけてくる。
赤い髪と瞳。精霊の声を聞くことができ、高い魔力と身体能力を持つ。それが神に愛されたハイヒューマンという種族だった。
「……私のことは気にしなくていい……」
ジェルバが邪険にしても、ルーフェニアは微笑みを絶やすことがない。そして、木にもたれかかることしかできないほど傷付き、疲れ果てたジェルバを癒やそうとしてくれた。
更には森の魔獣からジェルバを守るように、彼女の家族も近くに控えてくれている。それほど気にかけてもらっても、地上に生きる者というだけでジェルバに不信感を抱かせた。
「天使様は、この『神具』をお探しだったのでしょう?」
「っ、それは……【神玉】!?」
彼女が見せてきたのは、両手で覆ってしまえるくらいの水晶だ。それは間違いなくジェルバが探していた物の一つ【イズリスの神玉】だった。
「里にはもう一つ、命の水さえ作り出すといわれる【神器】がありますよ」
「どうして……」
どうしてそれを教えるのか。探していたことを知っているのなら、それを回収しようとしていることも察しているはず。
ジェルバにはルーフェニアの意図が分からなかった。しかし、彼女は事もなげに言ったのだ。
「私のもとへ『神具』が集まってきたのは、それをいずれ天に返すためだと思っていましたから」
予想外の言葉に、声が出なかった。
ここは醜い争いばかり。神が愛する者達は強欲で、なかなか『神具』を手放そうとしない。むしろ、それが尊い神から与えられた物だと知ると、他の『神具』をも手に入れようと自ら戦いを仕掛ける有様である。それが、地上に降りて知った実情だった。
これが本当に神々が助けたかった者達なのだろうか。そんな自問をどれだけ繰り返したことか。そうして暗い闇に沈んでいたジェルバの心に今、ようやく一筋の光が差し込んだようだった。
「泣かないでください」
知らぬ間に涙が頬を伝っていた。手足だけでなく、頬にも傷があるのだろう。涙が少し沁みる。
神の真意を知ろうともしない愚かな人々。それに追われて逃げる弱い自分が許せなかった。神の力を争いに使う人族が許せなかった。誰も信じられないまま、たった一人でこの地上にいることが嫌になっていた。
けれど、ルーフェニアはそんな醜いものとは無縁だった。その微笑みを浮かべた表情は、敬愛する神にとてもよく似ていた。
「行きましょう。その翼を休めて、明日に希望を見出すために」
「……ありがとう……」
差し出された手を掴んだ時、ジェルバは確かな安らぎを感じたのだ。
だが、ここにあるのは残酷な現実――夢の残り香を必死に集める自分が浅ましい。
ずっと忘れていた過去を夢に見たからかもしれない。数ヶ月前に受けた傷が酷く痛む。けれどそれがジェルバに現実を思い出させてくれた。
「うっ、くっ、どうして……っ」
いつもそうだ。目を覚ますと、記憶はどんどん薄れていく。まるで霧に隠されていくかのように。それは、真っ白だったジェルバの翼が黒く染まった時から始まった。
塗り潰されていく過去を思い出したくても思い出せず、狂気に染まった思考が渦巻いていく。
そんな日々を、もうどれだけ生きてきたのだろう。死にたいと願ってもそれは叶えられず、弱っていく心の欠片を必死で集めた。けれど今、ようやく終われる予感がある。
「あれは女神……っ、間違いない……早く、早くっ」
黒く染まり片方だけになった翼では、天に戻ることができない。願いが叶うとすれば、神が地上に降りてきた時だ。そう、その神が今地上にいる。呪われた自分に傷を負わせたことがその証明だ。自分を消滅させられるのは神だけ。
「女神、女神よっ……どうか滅して……っ」
ジェルバは神に祈る。罪深い自分をどうか天に還してくれと。
髪の毛一本、血の一滴さえ残さず、この地上から消してほしい。
女神によって切り捨てられた左腕は、サラサラと砂のように時折崩れ落ちていく。再生するはずの体なのに、完全に元には戻らないのだ。
その痛みは現実を思い出させる。けれど、その現実さえ塗り潰そうとする狂気は、止まることを知らなかった。
「神の傍にあるべきなのは私だっ……」
最後に見た光景が忘れられなかった。ジェルバの金の目に焼き付いた光景。
それは、女神の傍にある汚れのない真っ白な翼。神気に染まった金の髪。雲一つない澄み渡った青い空の色を映す瞳。
神に仕える天使の姿。その場所には自分がいるべきだ。
「ひひっ、はははっ、ははははははっ」
怒りでおかしくなっていくのを止められない。だからどうか――
「女神よ。どうか……私に死を……」
ジェルバは今日も静かに祈り続ける。完全なる終わりの日を願って。
◆ ◆ ◆
フリーデル王国。王都から馬車で一時間ほどの場所に、学園街と呼ばれる街がある。
様々な学び舎が集まるこの街で、その中心となるのが、貴族の子息子女が通うフェルマー学園だ。この学園の創設は古く、約六百年という長い歴史を持っている。
ヒュースリー伯爵家の令嬢ティアラール・ヒュースリーが通うのも、この学園である。
学園が創設された頃、ここにはバトラール王国という国があった。その第四王女として生まれたサティア・ミュア・バトラールが彼女の前世だ。
そう、彼女には前世の記憶がある。その理由は『断罪の女神』として信仰を得てしまったことに起因していた。
「ティア、本当に本気なのか?」
不安げに尋ねてくるのは保護者兼護衛のルクス・カランだ。彼はつい数ヶ月前にティアが女神サティアの生まれ変わりだと知った。そのせいだけではないが、今日まで貪欲に強さを求めてきた。そして今朝方、ティアが彼にあることを提案したのだ。
「もちろん。もう王都の冒険者ギルドに申請も済ませたからね。今から行ってきて」
現在ティアは学園街にある別邸の門先で、ルクスに冒険者のAランク認定試験を受けさせようと説得を続けていた。
三ヶ月前、妖精王の棲む『赤白の宮殿』で伝説の剣に主人と認められたルクスは、間違いなくAランクに届く実力を持っている。その剣を手にできたという事実だけで実力の証明になるのだが、本人が認めようとしないのだ。
これまでも冒険者ギルドのマスターであるハイエルフのシェリスにたびたび相手をしてもらい、メキメキとその実力を伸ばしてきたルクスだ。希有な剣を手に入れたことを抜きにしても、試験を受ける資格はあった。それを渋っていたのは、ティアや周りの者達を基準にしているせいで、自分の実力を低く見積もっているからだ。
「私の判断が信用できない?」
「そんなことはないっ。……自信がないだけだ」
ティアやシェリスだけでなく、その友人である魔王のカルツォーネ、学園の教師をしている獣人族のサクヤなど、ティアの前世を知る者達の実力は最上位のSランクだ。もう数百年もの間、そこまでの力をつけた者は人族には存在しない。
彼らと手合わせをしたり、一緒にクエストを受けたりしていれば、自信が持てなくなるのも分からなくはない。
「何度も言うけど、シェリスやカル姐を基準にしちゃダメだよ。今のルクスはAランクの実力が充分にあるから。私を信じてよ」
「……分かった……けど、俺が試験を受けてる間はあまり無茶しないでくれよ? どこかへ行く時はシルかクロノスを連れて行ってくれ」
「うん。分かってる。心配性だなぁ」
「し、仕方ないだろっ。今までの行いを思い出してみろっ」
「う~ん……昔より大人しいよ?」
「そうか……」
ティアの言う『昔』がサティアとして生きていた時のことだと察したルクスは、肩を落とした。
「いってらっしゃい。気を付けて」
「ああ……」
見送る気満々のティア。その足下には、ルクスを王都へ送り届ける役目を受けた、真っ白な子犬マティがいる。
《主、ここはもっとゲキレイするべきだって、ラキアちゃんが言ってる》
屋敷の窓から顔を覗かせているメイドのラキア。彼女が先ほどから身振り手振りで何かを伝えようとしており、それをマティが解説してくれた。
「んん? 激励か……ふむふむ、ほっぺたで良い?」
「え?」
なんのことか分からない様子のルクス。その腕を引っ張ったティアは、彼の右頬に唇を寄せた。
「んっ、いってらっしゃい」
「っ~っ……っ」
《ははっ、ルクス真っ赤。ヘンシンしてない時のマティと良いショウブだよ?》
楽しそうに笑う子犬の正体は、赤い体毛を持つ狼。伝説にして最強の神獣と恐れられるディストレアの子どもだ。
今は街中だということもあり、その特徴的な体毛をティアの魔術で白く変えている。本来ならば大人の男性の背丈に迫る体高を持つのだが、それも魔術で小さく変えていた。
「マ、マティっ。行くぞっ。送ってくれるんだろっ」
《は~い。それじゃあ主、行ってきま~すっ》
「寄り道しないでね」
《まかせてっ》
マティが生まれて七年ほど経つが、まだまだ遊びたい盛りのお子様なので注意が必要だ。
こうして、ティアは無事ルクスを送り出すことに成功したのだった。
この世界の休日である休息日まで、まだ三日もある。学園に通う学生であるティアは当然、授業を受けるために登校しなければならない。
「ルクスさん驚いてたよ? なんで話しておかなかったの?」
ティアの友人で、現在は同居人でもあるアデル・マランドが、隣を歩きながら責めるような目を向ける。朝食の席でルクスに試験を受けてくるようにと半ば命じているところを見ていたからだ。
「決意が固まるのを待ってたら全盛期を過ぎちゃうでしょ。人族の一生は短いんだから」
「それは分かるけど……なんか騙してるみたいに見えたよ?」
もう認定試験の申し込みもしておいたから、すぐに行っておいでなどと言う姿は、確かにそう見えなくもないだろう。だが、それもちゃんと想定済みだ。
「そこはほら。ルクスは慣れてるから」
「嫌な慣れもあったもんだな」
そう同情するのは同じく同居人で、近々親戚にもなる友人のキルシュ・ドーバンだった。
「え? キルシュもそろそろ慣れてきたでしょ?」
「一体何に慣らそうとしているんだ? いや、いい。言わなくていいからな!」
怯えたような表情になるキルシュ。ティアとの付き合いも二年目となれば、その破天荒ぶりにも慣れ始めていることだろう。それを指摘してやろうと思ったのだが、全力で止められてしまった。
「それより明後日の午後、王女に街を案内するって言ってなかったか?」
今年、フェルマー学園の最高学年に、隣国ウィストの第一王女であるヒュリア・ウィストが編入してきた。彼女はこのフリーデル王国の王太子と婚約しており、将来のために少しでもこの国のことを知ろうとしているようだ。
「うん。改めて学園内を回った後、街を案内することになってる」
入学式と同時に編入してから三ヶ月。学園に慣れることに重点を置いていたヒュリアは、肝心の『この国を知る』ということができていないことを気にしているらしい。それを知った学園長が、それならばとティアに依頼してきたというわけだ。
「それって、護衛としてなのか?」
「一応ね。けどまぁ、シルもついてくるんだろうし、王女の護衛は……やっぱり必要かな?」
口にしてから考え込む。ティアの影として動いてくれているシルの報告によれば、王女が国から連れてきたのはメイドと従者の二人だけらしい。
王女の護衛としては心許ない気弱な青年が従者。その妹であるメイドは、多少は武術の心得があるようだが、護衛とは呼べない力量だろうという見立てだった。
「なんで疑問形?」
アデルが難しい顔で思案するティアを見て、つられるように眉を寄せた。
「王女なら、普通は騎士の一人でもつけてるもんなんだけどね。危機感がないのか、この国を信用しているのか……」
このフリーデル王国は、人族の国の中では治安が良い方である。たとえメイドが護身術程度しか使えなくても問題ないぐらいには安全だと認識されているだろう。
実際はそう呑気なものではないけれど、現在の学園街は別だ。
「この街の中なら、紅翼の騎士団もいるし、シルキーにも警戒するようにお願いしてあるけどね」
この国で今最も有名で実力のある騎士団はと聞かれれば、誰もが『紅翼の騎士団』と答えるだろう。彼らだけではなく、学園の地下に棲む妖精族のシルキーもこの街を守ってくれていた。
「あの騎士さん達、すっごい親切で強いもんね」
「……うん……」
ティアは苦い顔をした。何を隠そう、彼らが現在の姿になれたのは、ティアのおかげだったりする。
当時はこんなことになるとは思ってもみなかった。結果的には良かったのだが、複雑な気分になる理由は、単純に評価できない事情があるからだ。
「さすが、ティアのファンクラブ」
「その言い方ヤメテ……」
こうして歩いている間も彼らの視線を感じる。ティア達が使う通学路に異常がないかを確認し、陰から見守ってくれていた。明らかに過剰なサービスだ。
「でも、実際に彼らは強いのだろう? 国の騎士の平均的な実力は、Cランクの冒険者にも劣ると聞いたが……紅翼の騎士達は総じてBランク相当だというじゃないか」
貴族の次男や三男が騎士の大半を占めている現状、剣などお飾りも良いところだ。もちろん、確かな実力のある者達もいる。けれど、残念ながらそれはほんの一部なのだ。
「それってさぁ、あの『神の王国』だっけ? 変な魔獣とかけしかけてくる人達と戦えるの?」
「無理だろうね。今までは運良く先手を取れたけど、不意打ちで攻めてこられたら、国の騎士達だけじゃこの国は守れないよ」
ティアは数年前から『神の王国』と呼ばれる組織と交戦してきた。彼らは『人族至上主義』を宣い、『神具』を使って国を乱そうと暗躍している。
今まではたまたま彼らの行く先々でティア達が撃退してきたが、今の騎士達が彼らを相手にしようとすれば、確実に敗北するだろう。
「あっ、だからルクスさんにAランクの試験を受けるように言ったの? 冒険者だけで守れるようにとか、ティアなら考えるよね?」
アデルは今の状況からティアの意図を推察したようだ。
「半分正解。ルクス一人がAランクになったくらいでは、底上げにならないからね。けど、さすがに騎士達もAランクの冒険者が自分達より強いってことくらいは分かるでしょ? だから、もしもの時に騎士達に邪魔されないよう、Aランクっていう看板は背負っておいた方がいいんだ」
ティアが危惧しているのは、大規模な攻撃だ。これまではそれほど大事にならなかったけれど、相手の戦力がどれほどなのか未だに掴みきれない今、戦争というレベルの話になった時に騎士達だけに任せることはできない。
恐らく冒険者も入り乱れての防衛戦になるだろう。その時、平和ボケした騎士達に指揮など執られては堪ったものではない。
何より、紅翼の騎士達は別として、今の騎士達の姿勢にティアは不満があった。早急に、騎士としての正しい姿を取り戻してほしいのだ。
「相変わらず、抜かりないな……お前、それは王や国の重鎮が考えることだぞ」
キルシュの呆れたような声が聞こえるが、ティアは気にしない。仕方がないではないか。ティアには王女であった頃の記憶があるのだ。その頃の感覚はなくならない。
ただ、陰でこんな姑息な裏工作じみたことをするのは初めてだ。上手くやれるか不安ではある。
「もう、ここまで来たらって思うじゃん」
「だったらさぁ、騎士の人達にティアが稽古をつければいいんじゃない? 最近、ギルドでもおじさん達相手にやってるでしょ?」
冒険者ギルドでめぼしいクエストがない時は、鬱憤晴らしも兼ねて冒険者達に稽古をつけている。最初は最年少のAランク冒険者であるティアに、僻みから言いがかりをつけてきた者達をノシて遊んでいた。だが、それがいつしか稽古となり、この学園街の冒険者ギルドの名物となっている。
「アデル頭良い! ダンジョンに挑戦させるってのも考えたんだけど、そこまでの力もないんだもん。そうだよね。なら、稽古をつけてちょっと鍛えてやればいいんじゃん」
ニヤけた笑みを見せるティア。アデルは周りに学園の生徒達がいないかと心配しつつ、顔をしかめるキルシュに耳打ちする。
「騎士の人達、これから大変そうだね」
「それより、気のせいか紅翼の騎士達の顔が引きつっているように見えるんだが……」
「あ、ホントだ。っていうか悔しそう?」
ティアの稽古が嫌で引きつっているのではない。自分達以外の騎士達がティアの稽古を受けることに嫉妬しているのだが、そんなことを知るよしもない二人は首を傾げる。
一方のティアは、早くも計画を練っていた。
「そうと決まれば、すぐにでも王様に打診しなきゃね。後で火王に手紙届けてもらおう」
火の精霊王である火王をただの郵便配達に使うのは、世界中でティアだけだろう。
◆ ◆ ◆
その日の夜。一人の男が、妖精王の住まう『赤白の宮殿』へとやってきた。彼がこのダンジョンへ来るのは約六百年ぶりのことだ。
灰色のローブは薄汚れており、長く風雨に晒されてきたことが分かる。そのローブの下の素肌は、大半が包帯で巻かれて見えなくなっていた。
顔も額の部分は隠され、襟の高い服が口元まで覆っている。目深に被られたフードのせいで、顔を判別することもできなかった。
「……」
無口なその男は、剣を一振り携えていながらも、妖精族の作り出す魔獣を拳一つで消滅させていく。
そうして十階層を突破した彼は、続く十一階層で特別な裏道へと入る。その先には彼が昔、友人から預かった剣が眠っているはずだった。
「……ない……」
たどり着いたそこには、青く輝くその剣がなかった。事情を聞こうと、男は妖精王の部屋へと向かう。そして聞いたのだ――剣に選ばれし者が現れたことを。
そんな彼に妖精王が提案する。
《久しぶりに来たんだ。子孫の様子を見に行っても罰は当たらんと思うぞ》
このダンジョンからもう少し行けば、亡き妻が遺した学園がある。その学園は今も彼の子孫が守っているはずだ。
会いたい気持ちはある。今の姿ならば、街に入っても問題はないだろう。真の姿がバレることはない。けれど、それよりも剣の行方が気になった。
「……剣の主……見てくる……」
《そうか。確かAランクの試験を受けると言っていたから今頃は……》
「……試験……? 剣の主は……人族か……」
妖精王の言うことは、男にはよく分からなかった。
《ああ。あの剣にも慣れてきたし、そろそろ試験を受けようって話になったらしい》
世情に疎い彼でも、旅をしてきた中で、人族の実力が昔よりも落ちていることは知っていた。Aランクといえば、現在の人族では最高ランク。異種族の者とも渡り合える実力だ。
「……様子を見る……」
《おう。あの剣の気配は分かるか? お前なら集中すれば感じ取れるだろうが》
特殊な魔力を帯びた剣だ。一度見れば忘れない。武人として気配を察知する能力は超人的な域に達している。このフリーデル王国ならば二つ三つの領内をまとめて探査できるだろう。
「……あっちか……」
《剣の主に会ったら、その主人にも会えよ。きっとお前にとっても悪い結果にはならない》
「……分かった……それと王……いや、また来る……」
ここへ来たのはただの寄り道のようなもので、彼は人を探していた。その情報があればと一瞬考えたが、今は剣を優先しようと意識を切り替える。
《おう。気を付けてな》
こくりと頷いた後、男はダンジョンを後にしたのだった。
◆ ◆ ◆
ルクスが試験に出かけて二日目。ティアは授業が終わるとすぐに王都へ向かった。
「フラム、本当に飛ぶの上手になったね」
《じょうず? うれしい》
フラムはティアと誓約を交わした真っ赤なドラゴンだ。ドラゴンは本来、魔族が保護している。人族の手には余る存在なのだから当然だろう。
そんなドラゴンを『神の王国』が使役しようとした事件があった。彼らはドラゴンを弱らせ、『神具』と呼ばれる魔導具を使って操ろうとしたのである。
結果的に、彼らの作戦は失敗に終わった。不完全な魔導具による弱体化。それは多くのドラゴン達に不調をもたらし、その隙に密漁者達の手で数頭が狩られてしまったのだ。
これによって両親を亡くしたフラムは、運良くティアに保護された。その恩を感じてか、自ら誓約を願い出たのである。
出会った時はティアの肩に止まれるくらい小さかったのだが、成体となった今は、大人三人を乗せても飛べるほどの大きさがあった。
「普段から練習してたもんね」
《はい》
普段は街中で暮らすために出会った当初と同じ大きさに変化させている。おかげで未だに甘えん坊な性格だった。
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