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6巻
6-2
しおりを挟む「さぁってと、探すぞぉ!」
財宝の山の中に、先ほどから嫌な気配をヒシヒシと感じていた。それも一つや二つではない。そのうちの一つは、サクヤが取り戻してほしいと言っていたナイフだろう。
「呪いのナイフとか……ちょっとトキメクんですけどぉっ」
サティアは、期待に胸を膨らませていた。実際に呪いのナイフなどというものを見た事はないし、好奇心旺盛なサティアにとっては、それが恐ろしい物であるという印象もなかった。
「ふんっ、ふふ~んっ。あ、これは結構ヤバそうな鏡だなぁ……ノゾキ見禁止ってやつだね」
好奇心は旺盛だが、マティアスに鍛えられた危機回避能力は高く、本当にヤバイものには手を出さない。
そうこうしているうちに、サクヤから頼まれたナイフより先に、サティア自身の探し物を見つける事ができた。
「あっ、笛みっけ。うんうん。これで間違いないね」
友人であるアスハのものだったその笛を、サティアは何度も目にした事がある。しかし、サティアは伸ばそうとした手を咄嗟に止めた。
「なんで……?」
見た目は確かにアスハの持っていた笛だ。だが、その笛から発せられている力のようなものが、いつもとは違ったのだ。
サティアの中の何かが、触れるべきではないと警告している。その時、何者かが姿を現した。
「誰?」
「はっ、失礼いたします。サティア様」
現れたのは、クィーグという部隊の三番手とされる人物だった。
「え~っと……確かシルさん?」
「はい。覚えていてくださったとは……」
「うん? だってシルさん、私の担当みたいだったから」
「……そういうわけではないのですが……」
「あ、今度会ったら聞こうと思ってたの。名前教えてよ。シルって、古代語で三って意味でしょ?」
普段は姿を見せないが、いつも見守ってくれているクィーグ部隊の気配にサティアは気付いていた。
クィーグ部隊の事を知っているのは、王族と一部の近衛や大臣のみ。そして、部隊に命令ができるのは王族だけだ。ただ、そうなったのはここ十数年の事らしい。
元々彼らは、サティアの母マティアスを中心とする『豪嵐』のメンバーに仕えていた。だが、マティアスの結婚によりパーティが解散したため、王妃となったマティアスのいるバトラール王家に仕える事になったのだ。
常に王族の陰に控えるクィーグ部隊は十人。彼らは実力順に番号で呼び合うのが習わしだった。
「サティア様。我らに名はありません。どうぞ、シルとお呼びください」
「え~……なんかヤダ」
「……」
嫌だと言われても、シルにどうにかできるものでもない。黒い布で隠された彼の表情を窺い知る事はできないが、唯一見えるその瞳には、少々困惑の色が浮かんでいた。
「私が考えてもいい?」
「……御心のままに……」
これは彼らが答えにくい時の常套句だが、サティアは気にする事なく満足げに頷く。
シルにしてみれば、ナンバーを名乗れる事の方が誇らしいのだ。以前の名を名乗るのは部隊を退いた時だという矜持もある。だが、サティアがそんな事を理解できるはずもない。
「やったぁ。ならねぇ……シリウスっ。そしたらシルって呼んでもおかしくないでしょ?」
「っ!?」
サティアの提案に、子どもの戯れだろうと軽く考えていたシルは息を止めた。そんなシルの様子を見て、サティアは不安そうに首を傾げる。
「だめだった?」
「いっ、いえっ」
シル自身どうしてか分からなかったが、その名で呼ばれた時、どうしようもなく胸が熱く高鳴ったのだ。
サティアは主の大切な娘。だが、そんな当たり前の事はどうでも良かった。今、目の前にいる少女が他の誰でもない自分自身を見ている。いずれは代わってしまうクィーグの三番手を見ているのではない。一人の人物として自分を受け入れてくれたのだ。
クィーグ部隊が始まって以来、主人となった者達は誰も彼らに名を付けようとしなかった。それも当然だろう。クィーグ部隊の顔ぶれは実力で決まる。いずれナンバーと役割は移り変わっていくのだから名など必要ない。
顔を覚えられるのも良い事ではない。それが彼らの矜持でもある。だから必死で己を磨き、ナンバーを守るのだ。
けれど、自分自身を見てもらえる事がこんなにも嬉しいものだとは知らなかった。だからシルは思わず口にしていたのだ。
「シリウスの名、頂戴いたします」
誰もがシルと呼ぶが、サティアがシルと呼んだなら、それはシリウスと呼んだ事と同じ。ただ一人、サティアだけがこの名を知っている。三番手ではなく、シリウスとしてのシルを呼ぶ。いずれ継承されるナンバーではない、唯一の名前。
ならば、今まで以上にこの立場を守ろうと思った。何より、サティアの傍にいるために。そして、サティアにシルと呼んでもらうために。
この名前はシルにとって一生の宝となるのだが、そんな事は呑気なサティアには分からなかった。
「うんっ。それで、どうしたの? シルさんが出てくるなんて。まさか絶体絶命のピンチが近いっ!? 任せてっ! 心の準備も戦闘準備も、もうできてるからっ」
そう言いつつ何かを取り出すサティアに、シルは困惑する。
「いえ、そうではなく……というか、いつもの棍棒はどうなさったのですか? 今どこから……その不可解な物はなんでしょうか……」
「うん? コレ? いいでしょぉ」
サティアが右手にはめたのは、銀に煌めく指輪のような武器だった。
様々な武器に精通するクィーグ部隊。その三番手であるシルでさえ、ティアが自慢げに見せるソレは見た事がなかった。
親指を除く四本の指がそれぞれ入るように開けられた四つの穴。そして、でこぼこと波打つ形。
厚みのある鉄でできたそれは、サティアの小さな手指にピッタリとはまっていた。
「これねっ、母様が指輪をした手で盗賊を殴った時、ものすっごく痛そうにしてた盗賊を見て思いついたのっ。これならかさばらないし、オシャレのうちだと思えばドレスを着た時も身につけてられるかなって」
「……」
サティアは失敗を反省し、次に生かせる子だと評判だ。だが、時に大幅にズレた解決策を打ち出してしまう。ちなみに前回の失敗は舞踏会を抜け出し、姉を誘拐した犯人を武器も持たずに追った事だった。
「これでもう、アリアに怒られなくて済むよね」
ドレスを着た状態でも身につけられる武器の考案。それを達成できたとサティアは得意げに胸を張った。
それを着けたままで舞踏会に出るのはおかしいのではないか。そう指摘しないのは、余計な口出しは無用だとするクィーグ部隊の方針だ。ただし、今回はサティアが考えて出した答えを否定して傷付けたくないという心情もあった。そんな思いを隠すため、シルは別の事を口にした。
「……一つ、確認させていただいてもよろしいでしょうか……」
「何?」
その凶悪な形やサティアの話から使用法を予想していたシルは、布で隠れているため普段からほとんど使う事のない頬の筋肉が、少々痙攣するのを止められなかった。
「……どう使うのですか?」
「うん? どうって……こう、抉るように殴るんだよ。これならしっかりホネまでダメージがいくね。殴る場所を選ばないと、服が血で汚れちゃうかも」
サティアは微妙に捻りを加えながら拳を前に突き出す。美しいストレートのモーションだ。盗賊達が一発で沈む幻影が見えた気がして、シルは顔色を変える。動揺する心を落ち着かせるため、時間稼ぎの質問をしておいた。
「……ちなみに、その武器の名をお聞きしても?」
「作ってくれた人は、拳鍔って言ってた。ほら、剣にも鍔ってあるじゃん。あれをコブシに着けたみたいだからとかなんとか」
「……なんて物をこの方に……っ」
シルは、これをサティアと共に発明し、与えたであろうダグストールを恨んだ。そこでサティアがある事を思い出す。
「はっ! それで、実験台はどこっ?」
「……残念ながら、この近くには現在、外で倒れている見張りの一人しかおりません」
「なんで? シルさん、お祭りの予告に来たんじゃないの?」
「なんのお祭りですか……」
ここに盗賊達が来れば乱闘になっていただろう。それすなわち祭りと認識している時点で、サティアがかなり危険な思想に染まっている事が確認できた。ちなみに乱闘を祭りだと教えたのはマティアスに他ならない。
「じゃあ、なんで来たの?」
新しい武器が試せると期待していたサティアは、不満そうに口を尖らせる。危うくシルも、ここに来た目的を忘れるところだった。
「その笛ですが、持ち主から引き離されて時間が経ったために、力が溢れてしまっているのです。こちらで対策を練り、回収致しますので、お触れになりませんようお願いに参りました」
「へぇ~……うん。今は触んない方が良いのは分かった。早く何か方法を考えてね」
「はい。では、くれぐれもよろしくお願い致します。私は至急報告に行って参りますので」
「オッケー。その間にもう一個の方を探しとく」
「はい。では暫し、失礼いたします」
「ほいほ~い」
シルがふっと姿を消した時、既にサティアはナイフを探しにかかっていた。
その後は探し物に夢中になっていたため、唐突に外が静かになった事にも気付かない。先ほど探し当てた笛の気配も濃さを増し、その存在を強く主張している。おかげで、他の不穏な気配を探るのが難しくなっていたのだ。
「これも違う……あとは……」
ぶつぶつと無意識に呟きながら、次々と感じる気配を辿る。そして、ようやくそれを見つけ出す事ができた。
「あった。黒い鞘と柄……これがサクヤさんのナイフだね。うん。……あ~、なんか刀身は抜かない方が良さそうだなぁ……」
そのナイフを手に取って分かった。かなりの力が込められているが、鞘がしっかりとその力を抑え込んでいるのだ。
「すごいなぁ。どんな魔術が込められてるんだろう」
一瞬抜いてみたい衝動に駆られるが、とても危険なものだと感じてやめた。
「抜かないぞ。さて、サクヤさんに……っ」
この時、ナイフや未だ主張を続ける笛のせいで、背後まで迫っていた盗賊の気配に気付けなかった。それでも撃退してしまったのは、完全に条件反射だろう。
「ぐわぁぁぁぁっ、ぐっ」
「っ……あ……」
サティアは手に持っていた呪いのナイフを抜き放ち、今まさに刃物を振り下ろそうとしていた男の腕を斬り飛ばしたのだ。
更に流れるような綺麗な動作で、男を入り口近くまで回し蹴りで吹き飛ばしていた。おかげで男はそれほど苦しまず、一瞬で意識を飛ばす事ができたようだ。
「ふふふっ、はははっ。さすがは私の娘っ。だが……腕はどこへいった?」
「へ? 母様?」
そこに現れたのは、サティアも久方ぶりに見る冒険者姿のマティアスだった。外が静かになったのは、盗賊達がマティアスによって可及的速やかに沈められたためだったようだ。
隣にはカルツォーネが立っており、マティアスに若干呆れたような目を向けている。
「笑い事ではないよ。でも、確かに腕がなくなっている……切り口も何かおかしいね……」
カルツォーネは、男の身体側の切り口をじっくりと観察していた。
「ふむ……あの黒い粉のせいかな」
部屋を見回したカルツォーネが、床に散らばる黒い粉へと歩み寄る。
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「あ……」
サティアは、呪いのナイフを抜き放ったままである事に気付いた。
その刀身は黒く光り、美しかった。だが見惚れては危ないと、慌てて鞘に戻す。
そこへサクヤが遅れて顔を覗かせた。
「あら? もしかして、使っちゃった?」
「サクヤ。どういう事だ?」
マティアスが、その綺麗な眉を寄せて問い詰める。
「やだ、マティったら怖い顔☆」
「自慢の尻尾を切り落とされたくなければシャキッと答えろ」
「うぅっ……久しぶりに会ったのに冷たい……っ、ご、ごめんなさぁいっ。言いますっ、言いますからっ」
サクヤとしては、十数年ぶりに再会したマティアスとの穏やかな語らいを希望していたのだが、マティアスにその余裕はなかった。
母となったマティアスは、そうは見えなくとも、娘であるサティアを大事に思っている。久方ぶりの友人との語らいより、妙なナイフを使った事で娘に害がないかという心配が先に立ったのだ。
「え、えっと、使った方に害はないのよ? 『呪いの~』なんて言われてるけど、身を守るための武器でしかないの。ただ、切りつけたところが結晶化しちゃったりするんだけどね。どういう理屈か分かんないんだけど、生き物とかだと切り離した部位は瞬時に結晶化して、こうやって粉になって砕けちゃうのよ……」
怖すぎる。万が一、自身を傷付けてしまったらどうするつもりなのだろうか。
「危険だね」
「良くないな」
「なんかやだぁ」
もう持ちたくないと、サティアが指で摘まむようにしているナイフに、カルツォーネとマティアスが鋭い目を向ける。その視線をサクヤが慌てて遮った。
「ちょっ、ちょっと、今すぐに処分しよう、みたいな目で見ないでよっ。彼氏からのプレゼントなのよっ!?」
サクヤはサティアからナイフを取り上げると、大切な物を抱き締めるかのように愛しげに胸に抱いた。
その様子をしばらく見つめていたマティアスは、ふと何かを思いつく。
「おい、サクヤ。ついでにそこの横笛を持ってこい」
「はぁ? ……横笛ってこれ? ちょっ、な、なんか嫌な感じがするわよっ?」
サクヤは違和感を覚えながらも、抵抗なくひょいっと笛を持ち上げた。
「心配ない。お前は鈍いからな」
「どういう意味よっ!?」
「いいから持ってこい。城へ……いや、待て……寄り道をするか……」
「どこにっ?」
マティアスの呟きに、サティアが真っ先に食らいついた。
「ふっ、ティアも行ってみたいと言っていただろう。ダンジョンだ」
「っダンジョンっ!? 私も行っていいのっ!?」
「あぁ、見せてやろう」
今のサティアには、床に転がる盗賊の男などちょっとした障害物でしかない。それを飛び越え、満面の笑みでマティアスに駆け寄る。
「ちょっと、見せるって、まさかあそこ?」
「サク姐は苦手だったね。彼女が」
「うっ、仕方ないじゃない。気が合わないんだもの」
気まずそうに顔を歪めるサクヤに、カルツォーネはくすくすと笑う。
「自分に似ているからじゃないのかい? あれは同族嫌悪だろうと、前にシェリーが言っていた」
「……あの変態エルフっ……」
ギリギリと歯噛みするサクヤの様子を目の端で捉えつつ、サティアは不思議そうにマティアスへと尋ねた。
「誰かに会いに行くの?」
「そうだ。私達の創り上げた……というか、改造したダンジョンの主……妖精王にな」
「妖精王っ!?」
得意げに笑いながら口にしたマティアスに、物語でしか知らない妖精の存在を聞かされて、サティアは驚愕するのだった。
第二章 女神は気ままに振る舞う
ティアは午前の授業を終えると、いつものように仲間達を引き連れて学園を出た。
「あ~、久しぶりに体を動かせる」
そう言って体を捻るのはエルヴァスト・フリーデル。何を隠そう、この国の第二王子だ。素直で誠実な性格がにじみ出る快活な笑顔は、年を重ねるごとに魅力的になっていた。
ティアと出会った事で冒険者という別の顔を持つようになり、今ではBランクにも手が届きそうなほどの実力を身につけている。そんな彼を、ティアは実の兄のように慕っていた。
「エル兄様、試験の出来は?」
「まずまずだな。まったく、試験などせず卒業させてくれればいいものを」
卒業を控えた高学部の三年生は、今日までの五日間、試験期間だったのだ。
「あと一回あるんだっけ?」
「ああ。けど、ベルには最後まで追いつけそうにない」
「さっすが、お兄様っ」
「そっ、そんな……頼むからプレッシャーをかけないでくれ……特にティア」
エルヴァストの隣を歩くのはベリアローズ・ヒュースリー。ティアの実兄であり、ヒュースリー伯爵家の継嗣だ。その美しい容姿に、女性達は、まるで絵本の中から抜け出してきた王子様のようだと目を細める。しかし、今は気分が悪そうに胸を押さえているので台無しだ。
そんな様子も儚げに映るらしく、すれ違う女性達は少々見惚れていた。ただし、その隣を歩く少女を見てすぐに現実に戻る。
「大丈夫ですわベル様。ティアさんはベル様の事を本当に信じていらっしゃるんですもの」
「ユフィ。君の目にはアレの腹黒さは映らないんだね……」
ベリアローズにユフィと呼ばれた少女は、ユフィア・ドーバン。キルシュの姉で、ドーバン侯爵家の令嬢だ。幼い頃から魔力の循環が上手くできず、体調を崩しがちな体の弱い少女だった。嫁いだところで子どもも産めない、役に立たない娘だと侯爵家では冷遇され、一人静かに耐えていた。
だが、そんな彼女にも転機が訪れる。それはティアとの出会いだった。
ティアはユフィアが抱えていた病を軽減させ、なんとベリアローズの婚約者にしてしまったのだ。
今はティアによって体調が管理されており、今日のような外出も普通にできるようになった。そんな彼女の隣には、必ずベリアローズがいる。
「まぁ。ティアさんはとっても優しいわ。だってベル様の妹ですもの」
「ユフィ……君の義妹でもあるよ」
「ふふっ。光栄だわ」
「さすがはお兄様。甘々なところはお父様達に負けてないね」
万年新婚夫婦である両親を彷彿とさせる二人に、最近ティアはかなりダメージを受けている。
ティアに同意するのは、その足下にいる真っ白な子犬だ。
《ベルベルはもう、フィスパパとシアンママに文句言えないね》
「マティ。それは言わないでおいてあげて」
今はティアの魔術によってフワフワとした毛を持つ子犬に化けている。だが、その正体は最強の神獣と呼ばれるディストレアの子どもだ。普通の人間はまずお目にかかる事はないが、どこの親も自分の子どもに言い聞かせる。『赤い体毛を持つ魔獣に出会ったら逃げろ』と。
生まれて間もないマティをその母親から託されたティアは、頼もしい相棒として学園でも傍に置いている。
「ははっ。伯爵家は安泰だなぁ。羨ましい限りだ」
「まだ正式に婚約してるわけじゃないんだけど、これは早いところ侯爵に会っておかないとなぁ」
明るく笑うエルヴァストに、ティアは微妙な顔でぼやく。
その場の勢いと思いつきで言った事が、思いのほか上手くまとまってしまったようだ。そんな状況を見て、ティア達の前を歩くアデルとキルシュがヒソヒソと話す。
「ティアって、結局自分で後始末してたりするよね」
「自業自得というやつだな」
「ちょっと、そこの二人。聞こえてるからねっ」
すかさず指摘するティア。自分でもちょっとそうかなと思っていたのは棚に上げておいた。
ティア達が向かったのは、学園街にあるヒュースリー伯爵家の別邸。
そこで待っていたのはメイドのラキアと護衛のルクス、それと冒険者仲間のザランだった。
「やっほ、サラちゃんっ。お待たせ~」
ティアが本名のサランを縮めた愛称で呼ぶと、ザランはもう諦めたように苦笑を浮かべる。
「待ってねぇっ」
冒険者ランクBとなってからも、精力的に活動を続けているザランは、男気あふれる性格で誰からも愛されている。何より、面倒くさがりつつもティアの相手をしてくれるのだ。いい人でないはずがない。
「やだなぁ。ツンケンしちゃって。知ってるよ? 私のために寝る間も惜しんで走って来てくれたんだよね?」
「なっ、なんで知ってるっ」
「あ、やっぱそうなんだ」
「って、カマかけやがったのかっ」
「サラちゃん素直だもん。そんなサラちゃんが大好きだよ」
「やめてくれ~っ!」
本気で怯え出すのはティアの言葉から恐怖を感じたせいか、それともティア一筋の某ギルドマスターに聞かれたら絞め殺されると思っての事かは分からなかった。
「それじゃあ、出かけようか」
これから向かうのは冒険者ギルド。その後は恒例の特訓だ。ユフィアの事は優秀なメイドのラキアと、侯爵家から引き抜いてきた二人のメイドに任せ、ティア達は屋敷を出た。
ルクスとザランを加えて街を歩いていると、目につくのは真っ白い制服を着た騎士達だ。
「ほんと、どこにでもいるなぁ」
ティアが思わず口にしてしまった呟きをアデルとエルヴァストが拾う。
「何が?」
「あぁ、紅翼の騎士か」
肩のところに施された刺繍は紅い翼。この国に数ある騎士団の中で最も実力があると認められた場合のみ、白を基調とした制服を身につける事を許されるのだ。
「思い出したぞ、ティア。一体、彼らに何をしたんだ?」
ルクスは、今までなんとなく聞く機会を逸していた彼らとの関係を尋ねる。彼らが立派な騎士になる前の姿を知っているベリアローズとエルヴァストも、問い詰めるようにティアへと目を向けた。
この場であの騎士達の事を忘れているのはザランだけだった。
「紅翼の騎士? 王都で人気だっていうあの騎士達か? ああ、あいつらがそうか……ん? どっかで見たような……」
そう首を捻るザランを見て、ベリアローズが騎士達に同情する。
「ザランさん……豪快に殴り飛ばしてましたもんね……」
「おお、そうだったな。ちょうど、あの男の相手をしていたはずだ」
ギルドの訓練場で見た光景を思い出し、エルヴァストが騎士の一人を指さした。
「……殴り飛ばした? 俺が?」
どうしても思い出せない様子のザランに、ルクスが簡潔に説明する。
「『晶腐石』を取りに行って、帰ってきた時ですよ。彼らがウルさんとビアンを迎えに来て……」
そこまで聞いて、やっとザランが目を見開いた。
「おおっ。えっ? あの騎士達が紅翼? マジで?」
「マジだよ~ん。ちょっとバトラールモードで鞭打っただけなんだけどね~」
「「「おいっ」」」
冗談めかしたティアの言葉に、ザラン以外の年長組がツッコむ。
ちなみにバトラールモードとは、ティアが神属性の魔術によって成長した姿の事をいう。この場では相棒のマティの他に、ルクス、ベリアローズ、エルヴァスト、アデルがそれを知っていた。
「バトラールって、あのスーパーティア? えっと……鞭ってどんな?」
「あの? 鞭ってなんだ?」
アデルに続いてキルシュも首を傾げる。年少組には、鞭というものがいまいちイメージできないようだ。それに、ザラン以外の年長組が答える。
「「「知らなくていいっ!」」」
教育上、鞭打つという表現も、鞭自体も知るのは良くないと判断した。
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