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2巻
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しおりを挟む第一章 女神の新たな家族
晴れ渡った空の下、一台の馬車が街道を進んでいた。
「そんな顔をするな。両親に会うのは十年ぶりだろ? 半年後には王都の学園に入学するんだ。今のうちに親孝行ぐらいしておけ」
そう言ったのは、落ち着いた雰囲気のある初老の男だ。白髪が交じり出した茶色の髪を後ろへ撫でつけ、困り顔をしている。
「……」
男の向かいに座る少年は、無言のまま俯いていた。
「まったく。せっかくの美形が台無しではないか」
「っ……」
まるでお伽噺の王子様のように美しい少年は、むくれてそっぽを向く。それを見た男は、窓枠に片肘をついて溜め息を漏らした。
祖父と孫という関係である彼らは、長年離れていた本邸へと帰るところだ。
普段から部屋に閉じこもりがちな少年には、窓の外の景色を楽しむ余裕もない。旅など憂鬱なだけだと思っているのだろう。おかげで、会話さえ成立しなかった。
こうなると、一人思考に沈むしかない男は、少年の将来の事を考えていた。
(筋金入りの女嫌いだからな……先が心配だ……)
少年は人と関わる事を極端に嫌っており、特に女性が苦手だった。実の母親さえも嫌悪する始末で、唯一大丈夫なのは男の妻――つまり少年の祖母だけ。
過去に何人もの乳母達に誘拐されて、トラウマを植えつけられた結果だった。
(どうしろっていうんだ……なぁ、お前……)
男の胸元には、武骨な彼には似合わない小さなロケットがかかっていた。数ヶ月前に他界した妻の、肖像画と遺髪が入っている。
男はロケットをそっと撫でると、そっぽを向いたままの少年を見ながらまた溜め息を漏らす。そして、窓の外の懐かしい風景へと目を向けた。
周囲が騒がしい事に気付いたのは、そろそろ故郷の街に辿り着くという頃だった。
「どうした、ゲイル」
窓を開け、護衛を務めてくれている友人に声をかけると、いつになく焦った声が返ってくる。
「ちょい厄介な奴らに囲まれたっ。絶対に出てくんなよっ」
「……お祖父様……」
不安そうな少年に、男は大丈夫だと頷く。そして窓を閉め、カーテンの隙間から外を窺った。
(魔獣……いや、今噂の『魔獣使いの盗賊』かっ)
盗賊らしき者達の数は目視できただけでも八人。更にその倍の数の魔獣が馬車を囲んでいたのだ。
◆ ◆ ◆
魔獣と呼ばれる危険な生き物が跋扈するこの世界にあって、比較的安心して散策できる穏やかな森。木々が陽の光を程よく遮り、様々な鳥達の声が聞こえる。
その森に、少女の呑気な声が響いた。
「マティ。そっち行ったよ~」
彼女の名はティアラール・ヒュースリー。この領地を治めるヒュースリー伯爵の娘で、今年七歳になる。
ゆるいウェーブのかかった薄茶色の髪は、後ろで小さく一つに束ねている。茶色の瞳はぱっちりとしており、常に子どもらしい好奇心で満たされていた。
動きやすい服装は冒険者と呼ばれる者達のそれだ。手には長い棍棒を持ち、トレードマークとなっている赤茶色のベストがよく似合う。
「ぐるるるる」
マティと呼ばれた魔獣が威嚇しながら追いかけているのは、長い耳を持つ毛玉のような小さな生き物だった。それはウッドラビットと呼ばれる魔獣で、よく畑を荒らすために害獣とされている。額にある三つの角や皮は武器などの素材として高く売れ、肉はとても美味だった。
「その調子だよ、マティ。でも追い詰めすぎには注意」
「あうん?」
ティアの警告に、マティが首を傾げた直後だった。
いよいよ命の危機を感じたウッドラビットが、体に魔力を込めて飛び跳ねたのだ。幹を窪ませるほどの勢いと威力で木々の間を飛び跳ね続け、止まる気配がない。
「あ~……仕方ない。マティはルクスのところに避難してて」
ティアは呆れ顔で呟くと、跳ね回る毛玉達を棍棒で次々と叩き落としていく。その様子を見ていた護衛のルクス・カランが、溜め息まじりに声をかけた。
「ティア。あまり捕りすぎるなよ」
カラン家の当主は代々ヒュースリー伯爵家に仕え、護衛の任に当たっている。先代が早く引退したため、その一人息子であるルクスが家業を継ぎ、ティアの護衛兼保護者を務めていた。
真面目で苦労性なルクスはまだ二十一歳の若さだが、ティアに振り回されるうちに妙に達観してしまった。そのせいで実年齢よりも少し上に見られるのが悩みらしい。
ティアはルクスの忠告をしっかりと聞きつつも、その手を止めようとはしない。
「うん。元気な奴を五匹だけにする」
よさそうな獲物に目星をつけながら、ティアはそう答える。だが、ルクスはその数に疑問を抱いたようだ。
「なんで五匹なんだ? クエストは三匹だったはずだろ?」
「残りは今日のお昼ご飯」
「あんっ」
間髪を容れず答えたティアに、マティも同意した。
「そうか……」
ルクスを納得させたティアは、楽しそうに毛玉達を気絶させていく。その手際は鮮やかで、とても子どもとは思えない。
「アイテムボックスに五匹も入るのか?」
「ルクスってば、今更そんな事聞くの? 私のアイテムボックスに不可能はないっ」
腰につけているポーチはアイテムボックスと呼ばれる魔導具で、ティアが独自に作製したものだった。市販のアイテムボックスの数倍もの容量を持つ、反則級の代物だ。
それを思い出し、ルクスは項垂れる。
「……聞いた俺が悪かった……」
今日ここへ来たのは、『そろそろクエストを受けてみたいなぁ』というティアの一言がきっかけだった。朝早く冒険者ギルドへ出掛けたティアは、すぐにクエストの掲示板へ向かい、一枚の紙をルクスに見せて言ったのだ。
『これこれっ。ウッドラビットを三匹狩ってくるってやつ。このお肉っておいしいんだよね~』
つい数ヶ月前に、前世からの夢であった冒険者になったティアは、そろそろ本格的に活動したいと思っていた。だが過保護なルクスに言えば止められるだろうと予想し、彼の返事を待たずにクエストの登録を終え、この森にやってきたのだ。
ティアの行動力を侮っていたらしいルクスは、止められなかった事を少し後悔しているようだ。そんな彼を励まそうと、ティアは努めて明るく言った。
「ルクスっ。ほら、全部で十二匹もいたよ」
「……そうみたいだな……」
ティアにとっては、虫をはたき落とすようなものだ。とはいえ、魔獣相手に全く動じないというのはいかがなものかとルクスは首を捻っていた。
そこで、不意にマティが不満げな声を出す。
「あぅ~ん」
ティアはマティが何を求めているのかを察して、咄嗟に注意する。
「あ、生ではダメだよマティ」
「あんっ」
地面に転がるウッドラビットを小さな前足で突き、鼻を近付けているマティは、最強の魔獣と恐れられるディストレアの子どもだ。だが今はディストレア特有の赤い毛色を魔術で黒く変えているので、無害な子犬にしか見えない。
ティアの注意を受けたマティは唐突に体に魔力を込め、口から吐いた炎で一匹を丸焼きにした。
「マティ……お腹空いてたの……?」
「くぅ~ん」
「そっか。あっちに持っていって食べな」
「あんっ」
マティは素直に従い、丸焼きにしたウッドラビットを咥えて少し離れた場所へ移動した。
その自由な姿が、ティアの前世の記憶を呼び戻す。
「……母様……」
懐かしい気持ちになったティアは、目を細めてマティを見た。
マティの名はティアの前世の母で、『赤髪のディストレア』と呼ばれた最強の女冒険者――マティアス・ディストレアからもらったのだ。
そう、ティアには前世の記憶がある。それは誰にも言えない秘密だった。
ここは現在フリーデル王国という国になっているが、かつてはバトラール王国という国があった。ティアはその国の第四王女サティア・ミュア・バトラールとして生きていたのだ。
母マティアスは冒険者から一転、バトラール国王の第三王妃となった。彼女はハイヒューマンと呼ばれる者の一人で、人族の中でも特に高い身体能力と、長い寿命を持っていた。だが、その命はサティアが十歳の時に唐突に尽きたのである。
思えば、それが悪夢の始まりだったのかもしれない。ゆっくりと、しかし確実に国は病み、衰退していった。
そして、サティアは決意したのだ。国を滅ぼし、全てを一からやり直す事を。
反乱軍を陰で導き、王族の血を絶やして、最後にサティア自身も命を絶った。これで国を一から作り直す事ができるだろうと、安心して永遠の眠りについた。
だがその後、予想外の神判が下り、この時代に転生したのだ。
「なんか嫌な事を思い出しちゃったな……」
前世では母マティアスに憧れ、冒険者として生きる事を夢見ていた。だからこうして生まれ変わり、冒険者になれた事は嬉しい。
しかし、転生の折に天使カランタから告げられた言葉が、ティアを嫌な気持ちにさせる。
「女神とか……マジ勘弁だよ」
サティアの意図を知る者達が、その死を悼み、後世の人々に功績を語り継いだ。そのせいでサティアは『断罪の女神』として崇められ、信仰されていったのだ。
五百五十年もの間、人々から捧げられ続けた祈りは、サティアの眠れる魂に力を与えた。その結果、彼女の生まれ変わりであるティアは、女神としての絶大な力を宿す事になったのだ。
「魔力が多いのはいいんだけどね……」
そう呟きながら、ティアはウッドラビットを素早く血抜きし、さばいていく。血の臭いが辺りに残らないよう、風の魔術で散らす事も忘れない。
サティアであった頃は魔術の研究が趣味だったが、魔力をほとんど持っていなかったため、あまり実践できなかった。そのせいで溜まっていた鬱憤を晴らすように、莫大な魔力を手に入れた今、ティアは前世の知識を乱用している。
「どう? ルクス。これって冒険者っぽくないっ?」
「初めてのはずなのに、さばき慣れてるように見えるのは気のせいか?」
「えー、気のせいじゃない?」
前世の記憶のおかげで、知識は無駄に有り余っているのだ。これを使わない手はないだろう。
「冒険者、サイコーっ」
天使からは『世界を平和に導いてほしい』と言われたが、今のティアにはそんな事はどうでもよかった。今回の人生こそは自由に生きたいと望んでいるのだ。だから今が楽しくて仕方がない。
アイテムボックスにウッドラビットをしまい込んだティアは、「早く帰ってご飯にしよう」などと言いながら、街に向かって歩き出した。しかし、しばらくして突然ピタリと立ち止まる。
「どうした、ティア」
ティアが何かに注意深く意識を向ける様子を見て、ルクスは反射的に警戒態勢をとる。ここ数年の付き合いで、ティアの気配察知能力が並外れて高い事を誰よりも理解しているのだ。その足元では、マティも小さく唸り声を発していた。
「ねぇ、聞こえない?」
「……ん? 馬の鳴き声と……」
それにルクスが気付いた時、ティアはもう走り出していた。
森から出て近くの街道へ向かうと、そこには一台の馬車が停まっていた。その周囲を盗賊らしき者達と、たくさんの魔獣が取り囲んでいる。
「魔獣に襲われてるのかっ?」
慌てて後を追ってきたルクスが、焦ったように言った。
「違うっ。『魔獣使いの盗賊』だよ」
そう言いながら、ティアは躊躇なくそちらへ走る。最近、魔獣を連れた盗賊による被害が多発していたのだ。
魔獣の数があまりにも多いので、ルクスはティアを止めるべきかどうか迷っている様子だった。だが、止めても無駄だと分かっているからか、何も言わずに追いかけてくる。
その気配を感じながら、ティアは冷静に状況を分析していた。
その時、ルクスが驚きの声を上げる。
「っ親父!?」
「へ?」
ティアは思わず後ろを振り返る。ルクスの視線は、馬車を守る護衛のうちの一人に向けられていた。
◆ ◆ ◆
男は馬車の窓から外の状況を確認していた。
護衛はゲイルを含めて五人。手を貸したいところだが、手元には少年との訓練に使うナマクラしかない。それでも力になれるだけの技量はあるつもりだが、温室育ちの少年を一人残していくのは気が引けた。
(仕方ない。ここはゲイル達に頑張ってもらうしか……)
その時、辺りに甲高い声が響いた。
「【嵐花】ッ」
ゴウッという音と共に、キャンキャンという魔獣達の悲鳴が聞こえる。魔術で作った風の球をぶつけられたようだ。男は誰がやったのかと窓から外を見回す。
すると今度は、場違いに呑気な声が聞こえた。
「ふっふっふっ、勉強してた甲斐があったわぁっ」
その声の幼さに、誰もが動きを止める。男も、ようやくその姿を捉えた。
嬉々として盗賊達の中へ突っ込んだ少女は、長い棍棒を器用に操り、盗賊と魔獣を次々と蹴散らしていく。その動きは舞を踊るかのように軽やかだった。
「お髭のオジサン三十万~。吊り目のネエさん二十万~」
おかしな歌を歌い出した少女は満面の笑みを浮かべており、見るからにご満悦だ。
「二人合わせて五十万~。今日の夜ご飯はなんだろなぁ~」
「やめなさいっ」
すかさず注意したのは、若い青年の声だった。
「いやぁん。臨時収入ぅぅ~」
「そんな言葉、どこで覚えてきたっ!?」
「ふふっ、秘密~。ああっ、二十万が逃げるっ」
それを聞いた男が少女の視線を辿ると、一人の女盗賊が逃げていくのが見えた。
「だから、やめなさいってっ」
青年が止めるのも聞かず、少女は女盗賊に向かって両手を翳した。
「逃がさないんだからぁっ。【岩花】ッ」
次の瞬間、少女の手からいくつもの石礫が出現し、その全てが女盗賊に命中する。女盗賊が倒れるのを見た男は、目を見開く事しかできなかった。
「こらっ、死んだらどうするっ」
そんな青年の声が響く中、倒れずに残っていた盗賊達は我先にと逃げ出す。それを見たゲイルが檄を飛ばした。
「全員捕まえろっ!!」
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