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5巻
5-3
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神殿長シエルが女性神官一人を伴ってやって来たのは、フィルズとセルジュがお茶受けのクッキーを数枚食べ、紅茶を一杯飲み切った頃だった。
《では、ごゆっくり》
案内して来たゴルドが二人分の紅茶を追加し、フィルズとセルジュの前には、二杯目の紅茶が用意されていた。
「……こんなすぐ来るとは……」
「いいじゃないですか。丁度お茶をしようとしていたところだったんですっ」
「……仕事に支障がないならいいが……」
フィルズは嬉しそうな神殿長を見てため息を吐き、次に気を取り直して、もう一人の来客、女性神官の方へ顔を向ける。年齢は三十代くらいで、母クラルスと同じ年頃に見える。
フィルズがセルジュの横に並び、フィルズの向かいに神殿長、セルジュの前に女性神官が座っていた。
「え~っと、呼び立てて申し訳ない。確か……アンリさんでしたよね」
「はい。エルセリア様のマナーの教師を任されております」
女性神官は、ほとんどが落ち着いた穏やかな人柄だ。こんな人に、物を投げるとかやめて欲しい。フィルズとセルジュは、二人揃って座ったまま頭を下げる。
「面倒なことを頼んで申し訳ない」
「私からも、妹がご迷惑をかけて申し訳ありません」
「っ、そんなっ。おやめくださいっ」
女性神官が慌てて腰を上げる。これとは正反対に、神殿長が紅茶に口を付けながら、ゆったりとした様子で微笑む。
「いいんですよ、フィル君。他から見たら面倒で、問題のある子の方がこちらもやる気になりますから」
「……それは神殿長の好みとか趣味じゃないのか?」
「おや。こんなにもフィル君に好意を見せているのに、心外です」
どういうことだろう、とフィルズは眉根を少し寄せて首を傾げる。だが、セルジュは理解したらしく、今日初めて笑った。
「フィルは面倒な問題児じゃないですよね」
「ええ。フィル君は違いますから」
「……?」
やはり意味が分からないと更に顔を顰めていると、女性神官も笑っていた。
「ふふっ。その……お世話のし甲斐がある方の方が、わたくし達は嬉しいのです。一緒に考え、困難を乗り越えていくことで、わたくし達も自身を磨くことができますから」
「「……なるほど……」」
フィルズもセルジュも、心底から感心した。神官達は、多くの人が苛立つことでも、穏やかに受け入れる姿勢で対応できる。それは、巡り巡って自分達に返って来るのだと信じているから。
実際そうして戻って来たと実感することは多いのだろう。だから、いつでも真摯に誰もに向き合おうとしてくれる。
「器が大きい……」
「尊敬します……」
「まあ……っ、ありがとうございます」
おっとりと穏やかに笑うアンリの様子に釣られて、フィルズやセルジュも笑っていた。だが、ゆっくりとアンリは表情を曇らせていく。
「ですが……わたくし達のやり方ではお嬢様には良くないかもしれません……」
「いくらでも時間を使っても良いというならば良いのですけれどねえ」
神殿長もこれには同意していた。フィルズは少し考え、思い至る。
「ああっ……なるほど。今十……一? だと、学園に行くまであと五年……それまでにある程度できるようにするってなると、難しいかもしれないのか」
「ええ。我々のやり方は、時間をかけて教え、諭していくものですから。いつまでにと限定されると、確実なことは言えません」
それこそ、何年もかけて心を開き、信頼関係を築き、解決していくのが神官達のやり方だ。
「貴族の教育ってなると向かないのか……」
「どういうこと?」
セルジュに尋ねられ、フィルズが答える。
「本来の教育係のやり方なら、無理にでも発破をかけてやる気を出させる。けど、神官さん達はあくまで自主性を重視するから、やる気が出るまで、信頼関係を築きながら待つって方針なんだよ」
「あっ、だから、学園入学までにって期限があると、確かなことが言えないってことか……」
「困るよな? まあ、できなかった、やらなかったのは本人が悪いってのもある。学園でできない奴って見られるのは、自業自得だ」
「……それは……そうだけど……でも、そうだよね……」
教えられなかった教師が悪いとも言われるだろうが、一番気まずいのは本人だ。
「そんで、他の貴族からして見れば、無能な教師しか雇えない家だって陰口叩きたくなるよな」
「っ……」
「ほんと、だから貴族って嫌だぜ。まあ、公爵家で良かったよなっ。他の奴らもはっきり聞こえるようには言わねえって」
「そういう問題じゃないよね⁉」
セルジュは、家の名にも傷を付けることになるかもしれないと知り、最初よりも危機感を覚えたようだ。
他人事のように言ったフィルズだが、ここで改めて対策を考えてみる。腕を組んで、背もたれに体を預けて、天井を向いて目を閉じる。
「まあ、けど、兄さんまで『あんな妹が居る兄』とか言われるのは俺も嫌だし……」
「っ、フィル……」
自分のことを思って考えてくれていることに気付き、セルジュは感動で目を潤ませる。だが、それに目を向けることはなく、フィルズは考え込んでいた。
神殿長は、フィルズがどんな対策を立てるのかを待つ。アンリも期待するような目でフィルズを見ていた。そして、フィルズの中で答えが出る。
「よしっ。要はあいつにも危機感を与えればいいんだよっ。プライド高いのは分かってるし、そこを利用する」
「……けど、このままじゃダメだって言っても、理解できないと思うよ?」
理解できたとしても、それこそ自分ができないのは、教える人が悪いと周りを責めるだろう。それでは困る。ならばとフィルズはニヤリと笑った。
「言って理解できないなら『やってみろ』だ」
「やってみろ?」
フィルズは早速、その算段に入った。
◆ ◆ ◆
フィルズがセルジュにエルセリアの状況について相談を受けてから十日が経った。
この日、二日前に帰領していたリゼンフィアは、前日に何とかまとめられていた仕事を終え、今日は朝からセルジュと共に離れの屋敷に向かっていた。
その足取りがやけに早いのは、本邸を出る直前に、エルセリアの部屋から癇癪を起こす声が聞こえ、逃げて来たからだ。
『わたくしがお姫様に見えないじゃないっ』
「「……」」
リゼンフィアとセルジュは、頭が痛いと、揃って額を押さえる。
「……セルジュ……本当に上手くいくと思うか?」
「どのみち、一度はきちんと現実を見せないといけません……理解できる頭があるかどうかは……誰も保証してくれませんが……」
何日か前、フィルズも『せめてできないことを理解できる頭があるといいよな~』と笑っていた。
「そうだよな……ここまで酷いとは……っ」
「学園に行く前に気付いて良かったとフィルも言っていたではありませんか。このまま放っておいたらと思うと……恐ろしくて眠れなくなりそうです」
出かける時に『自分をお姫様に』と言うような十一歳。町にも出るようになって、一般的な十一歳の少女を知っているセルジュにとっては、寒気がして仕方がない。
「『王子様と結婚するのが当然だ』とか言いそうですし……」
「っ、そっ」
「あんなのを王家になどやれませんよ? いくら何でも、王家に失礼です!」
「も、もちろんだっ」
「というか今のところ、恥ずかしくてどこにも出せません」
「そうだな……」
「「はあ……」」
重々しくため息を吐いた。そして、その原因になった者をこれから迎えに行く。
離れの屋敷で二人を出迎えたのは、簡素なワンピースを着た、化粧っ気もなくなった第一夫人であるミリアリアだ。
「お、お久し振りでございます。旦那様……」
「ああ……」
この離れの屋敷では、今は、二日に一度神官とメイドが部屋の環境を確認しに来る以外、ミリアリア一人で暮らしている。食事のためのパンが毎朝厨房に届けられ、二日に一度の神官とメイドの訪問時に食材が届く。簡単な料理も自分ですることになっているのだ。
身支度も自分でしなくてはならないため、本邸で暮らしていた頃のように、派手なドレスを着て、化粧をし、髪を複雑に結うことなどできない。一般的なワンピースを着て、髪を一つに縛るくらいが精々だ。
お陰で、リゼンフィアには何度見ても別人にしか見えない。勝ち気で、自分は誰よりも愛されていると言って憚らなかった様子も、今は感じられなかった。
その結果、リゼンフィアもミリアリアも、お互いどう接すれば良いのか分からず、気まずさから目を合わせることさえできなくなっていた。
仕方なく、セルジュが声を掛ける。
「母上。準備はよろしいですか」
「っ、ええ。でも、その……こんな格好で外に出るなんて……お化粧もしていなくて……貴族として孤児院へ行くなら、もっときちんと……」
今日、公爵家の面々は孤児院へ行くことになっている。
貴族達が孤児院を視察する時は、お忍びであっても、それなりの格好をする。どんな場所でだって、身分の違いを見せ付けようとする傾向が強いためだ。
相手側である孤児院の子ども達も、そうした格好の人への態度には気を付けようと学ぶ機会になるため、悪いことばかりではない。
だが、それでは孤児院の本来の姿を見ることはできないだろう。だから、貴族達の視察は意味がないというのが、本当のところだ。
そんな事情を知るはずもなく、ただ、ミリアリアは今の姿では相応しくないと思っているようだ。何よりも、この格好で外に出ること、人前に出ることに抵抗があるらしい。
セルジュも、久し振りに見た母親の姿に、思うところはあった。
以前は侍女達によってきっちりと油でまとめられていた髪は、本来の傷みが目に見えて分かるようになっている。それに、顔は腫れぼったくなっていた。
日々のスキンケアは大事だと言うクラルスや町の女性達を見ているセルジュには、それが肌荒れのせいだと分かっていた。化粧をやめても、ケアをするということに思い至らないのだろう。
貴族ではない、自分達で何でもできる人達と比べると、ミリアリアが本当に何もできないのだとよく分かる。
「……もう少しきちんと整えるのは必要かもしれませんね……」
「っ、そ、そうよねっ」
またドレスを着せてもらえると思ったのだろう。期待するように目を輝かせるミリアリア。それに、セルジュはため息を吐く。
「勘違いしないでください。もう少し整えるくらいです。ドレスを着て、きつい化粧の匂いをさせるようでは、迷惑になりますから」
「……あ……」
セルジュは、ミリアリアがこちらに移ってから、言うべきことは、はっきりと口にすることにしている。
ミリアリアに限らず、貴族特有の婉曲な言い回しでは、相手に都合のいいように捉えられて、本当に伝えたいことが伝わらないのだ。
迷惑ならば迷惑とはっきり告げる。甘えは許さない。それは、家族だからこそできることだ。厳しいことも、言わなくてはならなかった。
リゼンフィアは驚いてセルジュを見ていた。そして、そうだったと思い直す。こうして毅然とした態度で向き合うべきだと理解した。妻への接し方が分からなかった彼は、息子に教えられるという不甲斐なさに少し肩を落としつつ、気持ちを切り替える。大きく息を吐いてからミリアリアへ顔を向けた。
「エルセリアの用意もある。屋敷に移動し、早急に身なりを整えてくれ。出発までにそれほど時間はないぞ」
「わ、分かりましたっ」
きちんとリゼンフィアの言葉を聞いたのは久し振りで、ミリアリアは動揺しながらも少し嬉しそうに、本邸へと向かうために背を向けた彼の後に続いた。
そんな様子を数歩離れて見るセルジュは、今日のこの後の予定を思って不安になった。
「……はあ……身支度だけでもこれとは……先が思いやられる……フィル……恨むよ~……」
大変な一日になりそうな予感に、既に涙目になるセルジュ。今日は、始まったばかりだった。
◆ ◆ ◆
エルセリアは、久し振りに出かけられると聞いて、朝から張り切っていた。
若干の不摂生のせいもあり、彼女は少しふくよかな見た目をしている。だが、本人としては、鏡で見てもそれほどとは思っていないようだ。
それは、母親であるミリアリアが幼い頃から『将来は絶対に美人になる』と洗脳するように言って来たせいでもある。そのため自分は、大人になればとても美しい女性になれると、絶対の自信を持っていたのだ。ただし、それは以前の話だ。自身が離れに移動してから娘が目に見えるくらいふくふくして来たことを、ミリアリアは知らない。
メイド達も、何度もお菓子の食べ過ぎは良くないと注意、進言して来たが全く聞かなかった。それならばと少なくすると、お茶をぶっかけながら、もっと持って来いと怒るし、勉強を少しやれば、飽きたと言ってお茶と菓子を持って来させる。
次第にメイド達も、一応注意はするが、内心では好きにしろと諦めた。
「ちょっとっ、もっと可愛くしなさいよ! こんなんじゃわたくしが目立たないじゃないっ」
文句を言う姿が母親であるミリアリアのかつての様子とそっくりで、長年この公爵家に仕えているメイド長は、青筋を立てそうになるのを上手く誤魔化しながら告げる。
「……本日は、孤児院の視察でございます。着飾る必要はございません」
表情を隠すのに必死なため、エルセリアの前ではどうしても無表情になってしまうことを、メイド長としては気にしている。
「孤児院ならなおさら、完璧なお姫様を見たいはずよ! 髪型も問題だけど、ドレスじゃないなんて許されないわっ」
「……」
『完璧なお姫様』がどこに居るのか、と心の中では悪態をつきそうになるが、メイド長も聞いているメイド達もぐっと堪える。
「……孤児院は通路も狭く、このようなドレスでは、動きに支障が出ます」
エルセリアが求めるのは、ピンクのヒラヒラが多いボリュームのあるドレスだ。ガーデンパーティ用にと作らせていた物だった。
だが、ミリアリアが居た頃に頼んだそのドレスは、はっきり言って今のぽっちゃりした見た目では、更に太って見えるデザインだ。自分が着たらどうなるかなど、ドレスの見た目だけを重視するエルセリアには理解できていなかった。
メイド達は、せめてもの情けと言うように、体格以外のことに話題を向けて説得を図っていた。
「はあ⁉ このドレスでダメなんて、どんな狭さよ! そんな所に子どもを閉じ込めてるなんてっ。教会は何をやっているの⁉」
『横幅を増やしたのはお前の体だろう』と思っても口にはしない。メイド達は、この頃自分達の性格が悪くなっていくような気がしていた。
元々、エルセリアに付いていたメイド達は、彼女やミリアリアを全て肯定してしまう者達だった。リゼンフィアの方針でそれらを降格させたり、辞めさせたりしたため、今ここに居るのは常識も良識もある者達だけだ。
彼女達はリゼンフィアやセルジュから『エルセリアを甘やかさないように』と言われているため、その目は厳しい。その上、エルセリア自身の日頃の行いを知ったことで、誠心誠意仕えようと思うことは全くなくなってしまっていた。
他のメイド達が『頑張れメイド長』と応援する視線を送る。それを受けて、メイド長は何とか心を落ち着け、納得してもらおうと心を砕く。
「……一般的な家では普通の幅でございます。問題ございません」
「じゃあ、わたくしがお姫様に見えないじゃないっ。ドレスが着れないなら、意味ないわ!」
「「「……」」」
さすがのポーカーフェイスなメイド長も、眉根が寄るのを抑えきれなかった。服を用意したり、髪型を整えたりしている他のメイド達も同じだ。そして誰もが思っていた。
『こいつ本当にやべえな……』
常識以前の問題だ。物事を知らな過ぎる。ミリアリアも世間知らずなところがあったが、それなりに口に出して良いことと悪いことは分かっている大人だった。
しかし、エルセリアは十一歳とはいえ精神が幼い。何も学ぼうとしないし、ミリアリアがお手本であり、全てだったのだ。彼女が居ない今、何が悪いか良いかも分かっていない。
メイド長が何とか上手く言い含め、納得させるのにそれから五分。準備が整うのにまた五分かかった。時間は迫って来ており、メイド達の動きは最速だ。
「ふんっ。まあ、これならいいわ」
「「「……」」」
ようやく納得してくれた。出来上がりは、髪に様々な色のリボンを沢山付けて編み込み、ドレスの地味さを誤魔化したようなもの。
メイド達ももう意地になり、言われた通りにしか動かなかった。沢山のリボンで髪を飾ったのはエルセリアの提案だ。一つで十分だと言っても聞かなかった。はっきり言って趣味が悪い感じだが、本人が納得したならもういいかと、メイド達は死んだような目をしている。そしてメイド長の横に並んで、部屋から出て行くエルセリアの後を追う。
彼女達が階段を降りて行くと、入り口にはもう、リゼンフィアとセルジュ、そして、シンプルな見た目になったミリアリアが待っていた。
エルセリアは得意げに鼻を膨らませ、胸を張って声を掛ける。
「お待たせいたしましたわっ」
「「「っ……」」」
振り返った三人は、エルセリアの姿に顔を引き攣らせた。
ミリアリアは真っ青だ。確実に、彼女が知っているエルセリアとは体形が違っていたため、余計に衝撃を受けていた。
「え、エル……っ? な、なんなの、そのすがっ」
その先は言わせぬよう、ミリアリアの仕度をした小柄なメイドが前に出て、優雅に礼をして口を挟む。
「旦那様。お時間が迫っております」
「っ、あ、ああ……い、行こうか。カナル、留守を頼む」
「承知しました」
そうして脇に居たカナルに声を掛けながらも、リゼンフィアはそのメイドに何度もチラチラと視線を送っていた。セルジュもこれには苦笑するしかない。エルセリアの残念な出来よりも、そちらが気になるのは仕方がないと、事情を知る者達は納得顔だ。
対する小柄なメイドは、静かに目を伏せて無言のまま控えている。そうして、使用人一同は馬車を見送ると、ふうと揃って大きく息を吐いた。これに、小柄なメイドが噴き出す。
「ふっ、くくっ。みんな顔っ。マジで引き攣ってんじゃんっ」
「っ、フィルズ坊っちゃま……」
カナルが泣きそうな顔で小柄なメイドに目を向ける。そう。そのメイドは、髪色や目の色も変え、祖父リーリル直伝の化粧で見た目も変えたフィルズだったのだ。
フィルズは腰に手を当て、遠ざかって行く馬車に目を向けると、しみじみと本音を口にした。
「いやあ、それにしてもアレは酷えなっ」
「笑い事ではございませんっ」
「あははっ。だって、ポーカーフェイスな美人メイド長が、青筋立てそうになってたしっ」
「坊っちゃまっ……不甲斐ないですわ……」
「いやいやっ。あれはしゃあないって。しっかし……太ったな」
「「坊っちゃま……」」
はっきり言い過ぎだ、とカナルとメイド長に窘められた。
フィルズは、誰彼構わずはっきりと身体的特徴を口にすることはない。遺伝的にだとか、体に異常があって仕方なく、ということもあると知っているのだから。
しかし、エルセリアの場合は明らかに不摂生だ。その自覚もないのは問題だろう。彼女からすると、自分は太っていないらしい。
とはいえ、言い過ぎたのは事実なので、彼は悪いと笑いながら誤魔化しつつ、肩の力が抜けた使用人一同を振り返って、この後のメインイベントのための準備をお願いする。
「さてと。そんじゃ。はじめますか!」
「「「「「はいっ」」」」」
そこには、先ほどまでとは打って変わって楽しそうな笑顔が揃っていた。
◆ ◆ ◆
孤児院に向かう間、馬車の中は気まずい雰囲気だった。それに気付いていないのは、エルセリアだけだ。喋っているのもエルセリアだけ。
「孤児院の子ども達は、実際にわたくしのような令嬢や、お姫様を見ることなんてないでしょう? だからきっと、わたくしを見て喜んでくれると思うのですっ」
「「「……」」」
ずっと喋っているのだ。一人で。
返答がなければ全部同意されたとみなすようで、機嫌良く喋り倒す。幼い頃から、静かに頷いて同意、肯定する者しか傍にいなかったことの弊害だ。
「ちゃんとカビにならないように、宝石は付けていませんし、その代わり、リボンを付けたのですっ。リボンの方が、お金のない子ども達でも手に入れやすいですものっ。女の子達もマネしやすいでしょう?」
「「「……」」」
『華美』という言葉の使いどころは知っているようだが、意味まで理解していないのは聞いていれば分かる。
そして、どこまでも上から目線。自分は子ども達が憧れるお姫様だと思い込んでいるのは滑稽だ。エルセリアが馬鹿みたいに付けているリボンは、本来その辺に売っているような物ではない。
何より、孤児達だけではなく、平民の子どもはあまり髪を長くしたがらない。自分で身支度をする時に手間がかからないように、短くするのが通例なのだ。そんなことさえ、エルセリアは知らない。
「そうですわっ。お母様っ。メイド長がひどいのですっ。わたくし付きのメイド達を勝手にコウカクさせたのです! あの子達が居たら、今日だってもっと可愛くしてくれましたわっ。本当、今のメイド達は気がきかなくてっ」
「「……」」
「っ……」
セルジュとリゼンフィアがミリアリアに冷たい視線を送る。
『コレ、どうしてくれんだ?』と言わんばかりのそれに、ミリアリアは顔色を悪くした。
神官達をはじめ、大聖女からも諭されたことで、さすがにミリアリア自身も自分のこれまでの行いを省みていた。エルセリアとも離れて暮らしたことで、娘を客観的に見ることができるようになっていた。
そして今、かつての自身と同じ思考を持つエルセリアを見て、恥ずかしいと思うことができたのだ。
《では、ごゆっくり》
案内して来たゴルドが二人分の紅茶を追加し、フィルズとセルジュの前には、二杯目の紅茶が用意されていた。
「……こんなすぐ来るとは……」
「いいじゃないですか。丁度お茶をしようとしていたところだったんですっ」
「……仕事に支障がないならいいが……」
フィルズは嬉しそうな神殿長を見てため息を吐き、次に気を取り直して、もう一人の来客、女性神官の方へ顔を向ける。年齢は三十代くらいで、母クラルスと同じ年頃に見える。
フィルズがセルジュの横に並び、フィルズの向かいに神殿長、セルジュの前に女性神官が座っていた。
「え~っと、呼び立てて申し訳ない。確か……アンリさんでしたよね」
「はい。エルセリア様のマナーの教師を任されております」
女性神官は、ほとんどが落ち着いた穏やかな人柄だ。こんな人に、物を投げるとかやめて欲しい。フィルズとセルジュは、二人揃って座ったまま頭を下げる。
「面倒なことを頼んで申し訳ない」
「私からも、妹がご迷惑をかけて申し訳ありません」
「っ、そんなっ。おやめくださいっ」
女性神官が慌てて腰を上げる。これとは正反対に、神殿長が紅茶に口を付けながら、ゆったりとした様子で微笑む。
「いいんですよ、フィル君。他から見たら面倒で、問題のある子の方がこちらもやる気になりますから」
「……それは神殿長の好みとか趣味じゃないのか?」
「おや。こんなにもフィル君に好意を見せているのに、心外です」
どういうことだろう、とフィルズは眉根を少し寄せて首を傾げる。だが、セルジュは理解したらしく、今日初めて笑った。
「フィルは面倒な問題児じゃないですよね」
「ええ。フィル君は違いますから」
「……?」
やはり意味が分からないと更に顔を顰めていると、女性神官も笑っていた。
「ふふっ。その……お世話のし甲斐がある方の方が、わたくし達は嬉しいのです。一緒に考え、困難を乗り越えていくことで、わたくし達も自身を磨くことができますから」
「「……なるほど……」」
フィルズもセルジュも、心底から感心した。神官達は、多くの人が苛立つことでも、穏やかに受け入れる姿勢で対応できる。それは、巡り巡って自分達に返って来るのだと信じているから。
実際そうして戻って来たと実感することは多いのだろう。だから、いつでも真摯に誰もに向き合おうとしてくれる。
「器が大きい……」
「尊敬します……」
「まあ……っ、ありがとうございます」
おっとりと穏やかに笑うアンリの様子に釣られて、フィルズやセルジュも笑っていた。だが、ゆっくりとアンリは表情を曇らせていく。
「ですが……わたくし達のやり方ではお嬢様には良くないかもしれません……」
「いくらでも時間を使っても良いというならば良いのですけれどねえ」
神殿長もこれには同意していた。フィルズは少し考え、思い至る。
「ああっ……なるほど。今十……一? だと、学園に行くまであと五年……それまでにある程度できるようにするってなると、難しいかもしれないのか」
「ええ。我々のやり方は、時間をかけて教え、諭していくものですから。いつまでにと限定されると、確実なことは言えません」
それこそ、何年もかけて心を開き、信頼関係を築き、解決していくのが神官達のやり方だ。
「貴族の教育ってなると向かないのか……」
「どういうこと?」
セルジュに尋ねられ、フィルズが答える。
「本来の教育係のやり方なら、無理にでも発破をかけてやる気を出させる。けど、神官さん達はあくまで自主性を重視するから、やる気が出るまで、信頼関係を築きながら待つって方針なんだよ」
「あっ、だから、学園入学までにって期限があると、確かなことが言えないってことか……」
「困るよな? まあ、できなかった、やらなかったのは本人が悪いってのもある。学園でできない奴って見られるのは、自業自得だ」
「……それは……そうだけど……でも、そうだよね……」
教えられなかった教師が悪いとも言われるだろうが、一番気まずいのは本人だ。
「そんで、他の貴族からして見れば、無能な教師しか雇えない家だって陰口叩きたくなるよな」
「っ……」
「ほんと、だから貴族って嫌だぜ。まあ、公爵家で良かったよなっ。他の奴らもはっきり聞こえるようには言わねえって」
「そういう問題じゃないよね⁉」
セルジュは、家の名にも傷を付けることになるかもしれないと知り、最初よりも危機感を覚えたようだ。
他人事のように言ったフィルズだが、ここで改めて対策を考えてみる。腕を組んで、背もたれに体を預けて、天井を向いて目を閉じる。
「まあ、けど、兄さんまで『あんな妹が居る兄』とか言われるのは俺も嫌だし……」
「っ、フィル……」
自分のことを思って考えてくれていることに気付き、セルジュは感動で目を潤ませる。だが、それに目を向けることはなく、フィルズは考え込んでいた。
神殿長は、フィルズがどんな対策を立てるのかを待つ。アンリも期待するような目でフィルズを見ていた。そして、フィルズの中で答えが出る。
「よしっ。要はあいつにも危機感を与えればいいんだよっ。プライド高いのは分かってるし、そこを利用する」
「……けど、このままじゃダメだって言っても、理解できないと思うよ?」
理解できたとしても、それこそ自分ができないのは、教える人が悪いと周りを責めるだろう。それでは困る。ならばとフィルズはニヤリと笑った。
「言って理解できないなら『やってみろ』だ」
「やってみろ?」
フィルズは早速、その算段に入った。
◆ ◆ ◆
フィルズがセルジュにエルセリアの状況について相談を受けてから十日が経った。
この日、二日前に帰領していたリゼンフィアは、前日に何とかまとめられていた仕事を終え、今日は朝からセルジュと共に離れの屋敷に向かっていた。
その足取りがやけに早いのは、本邸を出る直前に、エルセリアの部屋から癇癪を起こす声が聞こえ、逃げて来たからだ。
『わたくしがお姫様に見えないじゃないっ』
「「……」」
リゼンフィアとセルジュは、頭が痛いと、揃って額を押さえる。
「……セルジュ……本当に上手くいくと思うか?」
「どのみち、一度はきちんと現実を見せないといけません……理解できる頭があるかどうかは……誰も保証してくれませんが……」
何日か前、フィルズも『せめてできないことを理解できる頭があるといいよな~』と笑っていた。
「そうだよな……ここまで酷いとは……っ」
「学園に行く前に気付いて良かったとフィルも言っていたではありませんか。このまま放っておいたらと思うと……恐ろしくて眠れなくなりそうです」
出かける時に『自分をお姫様に』と言うような十一歳。町にも出るようになって、一般的な十一歳の少女を知っているセルジュにとっては、寒気がして仕方がない。
「『王子様と結婚するのが当然だ』とか言いそうですし……」
「っ、そっ」
「あんなのを王家になどやれませんよ? いくら何でも、王家に失礼です!」
「も、もちろんだっ」
「というか今のところ、恥ずかしくてどこにも出せません」
「そうだな……」
「「はあ……」」
重々しくため息を吐いた。そして、その原因になった者をこれから迎えに行く。
離れの屋敷で二人を出迎えたのは、簡素なワンピースを着た、化粧っ気もなくなった第一夫人であるミリアリアだ。
「お、お久し振りでございます。旦那様……」
「ああ……」
この離れの屋敷では、今は、二日に一度神官とメイドが部屋の環境を確認しに来る以外、ミリアリア一人で暮らしている。食事のためのパンが毎朝厨房に届けられ、二日に一度の神官とメイドの訪問時に食材が届く。簡単な料理も自分ですることになっているのだ。
身支度も自分でしなくてはならないため、本邸で暮らしていた頃のように、派手なドレスを着て、化粧をし、髪を複雑に結うことなどできない。一般的なワンピースを着て、髪を一つに縛るくらいが精々だ。
お陰で、リゼンフィアには何度見ても別人にしか見えない。勝ち気で、自分は誰よりも愛されていると言って憚らなかった様子も、今は感じられなかった。
その結果、リゼンフィアもミリアリアも、お互いどう接すれば良いのか分からず、気まずさから目を合わせることさえできなくなっていた。
仕方なく、セルジュが声を掛ける。
「母上。準備はよろしいですか」
「っ、ええ。でも、その……こんな格好で外に出るなんて……お化粧もしていなくて……貴族として孤児院へ行くなら、もっときちんと……」
今日、公爵家の面々は孤児院へ行くことになっている。
貴族達が孤児院を視察する時は、お忍びであっても、それなりの格好をする。どんな場所でだって、身分の違いを見せ付けようとする傾向が強いためだ。
相手側である孤児院の子ども達も、そうした格好の人への態度には気を付けようと学ぶ機会になるため、悪いことばかりではない。
だが、それでは孤児院の本来の姿を見ることはできないだろう。だから、貴族達の視察は意味がないというのが、本当のところだ。
そんな事情を知るはずもなく、ただ、ミリアリアは今の姿では相応しくないと思っているようだ。何よりも、この格好で外に出ること、人前に出ることに抵抗があるらしい。
セルジュも、久し振りに見た母親の姿に、思うところはあった。
以前は侍女達によってきっちりと油でまとめられていた髪は、本来の傷みが目に見えて分かるようになっている。それに、顔は腫れぼったくなっていた。
日々のスキンケアは大事だと言うクラルスや町の女性達を見ているセルジュには、それが肌荒れのせいだと分かっていた。化粧をやめても、ケアをするということに思い至らないのだろう。
貴族ではない、自分達で何でもできる人達と比べると、ミリアリアが本当に何もできないのだとよく分かる。
「……もう少しきちんと整えるのは必要かもしれませんね……」
「っ、そ、そうよねっ」
またドレスを着せてもらえると思ったのだろう。期待するように目を輝かせるミリアリア。それに、セルジュはため息を吐く。
「勘違いしないでください。もう少し整えるくらいです。ドレスを着て、きつい化粧の匂いをさせるようでは、迷惑になりますから」
「……あ……」
セルジュは、ミリアリアがこちらに移ってから、言うべきことは、はっきりと口にすることにしている。
ミリアリアに限らず、貴族特有の婉曲な言い回しでは、相手に都合のいいように捉えられて、本当に伝えたいことが伝わらないのだ。
迷惑ならば迷惑とはっきり告げる。甘えは許さない。それは、家族だからこそできることだ。厳しいことも、言わなくてはならなかった。
リゼンフィアは驚いてセルジュを見ていた。そして、そうだったと思い直す。こうして毅然とした態度で向き合うべきだと理解した。妻への接し方が分からなかった彼は、息子に教えられるという不甲斐なさに少し肩を落としつつ、気持ちを切り替える。大きく息を吐いてからミリアリアへ顔を向けた。
「エルセリアの用意もある。屋敷に移動し、早急に身なりを整えてくれ。出発までにそれほど時間はないぞ」
「わ、分かりましたっ」
きちんとリゼンフィアの言葉を聞いたのは久し振りで、ミリアリアは動揺しながらも少し嬉しそうに、本邸へと向かうために背を向けた彼の後に続いた。
そんな様子を数歩離れて見るセルジュは、今日のこの後の予定を思って不安になった。
「……はあ……身支度だけでもこれとは……先が思いやられる……フィル……恨むよ~……」
大変な一日になりそうな予感に、既に涙目になるセルジュ。今日は、始まったばかりだった。
◆ ◆ ◆
エルセリアは、久し振りに出かけられると聞いて、朝から張り切っていた。
若干の不摂生のせいもあり、彼女は少しふくよかな見た目をしている。だが、本人としては、鏡で見てもそれほどとは思っていないようだ。
それは、母親であるミリアリアが幼い頃から『将来は絶対に美人になる』と洗脳するように言って来たせいでもある。そのため自分は、大人になればとても美しい女性になれると、絶対の自信を持っていたのだ。ただし、それは以前の話だ。自身が離れに移動してから娘が目に見えるくらいふくふくして来たことを、ミリアリアは知らない。
メイド達も、何度もお菓子の食べ過ぎは良くないと注意、進言して来たが全く聞かなかった。それならばと少なくすると、お茶をぶっかけながら、もっと持って来いと怒るし、勉強を少しやれば、飽きたと言ってお茶と菓子を持って来させる。
次第にメイド達も、一応注意はするが、内心では好きにしろと諦めた。
「ちょっとっ、もっと可愛くしなさいよ! こんなんじゃわたくしが目立たないじゃないっ」
文句を言う姿が母親であるミリアリアのかつての様子とそっくりで、長年この公爵家に仕えているメイド長は、青筋を立てそうになるのを上手く誤魔化しながら告げる。
「……本日は、孤児院の視察でございます。着飾る必要はございません」
表情を隠すのに必死なため、エルセリアの前ではどうしても無表情になってしまうことを、メイド長としては気にしている。
「孤児院ならなおさら、完璧なお姫様を見たいはずよ! 髪型も問題だけど、ドレスじゃないなんて許されないわっ」
「……」
『完璧なお姫様』がどこに居るのか、と心の中では悪態をつきそうになるが、メイド長も聞いているメイド達もぐっと堪える。
「……孤児院は通路も狭く、このようなドレスでは、動きに支障が出ます」
エルセリアが求めるのは、ピンクのヒラヒラが多いボリュームのあるドレスだ。ガーデンパーティ用にと作らせていた物だった。
だが、ミリアリアが居た頃に頼んだそのドレスは、はっきり言って今のぽっちゃりした見た目では、更に太って見えるデザインだ。自分が着たらどうなるかなど、ドレスの見た目だけを重視するエルセリアには理解できていなかった。
メイド達は、せめてもの情けと言うように、体格以外のことに話題を向けて説得を図っていた。
「はあ⁉ このドレスでダメなんて、どんな狭さよ! そんな所に子どもを閉じ込めてるなんてっ。教会は何をやっているの⁉」
『横幅を増やしたのはお前の体だろう』と思っても口にはしない。メイド達は、この頃自分達の性格が悪くなっていくような気がしていた。
元々、エルセリアに付いていたメイド達は、彼女やミリアリアを全て肯定してしまう者達だった。リゼンフィアの方針でそれらを降格させたり、辞めさせたりしたため、今ここに居るのは常識も良識もある者達だけだ。
彼女達はリゼンフィアやセルジュから『エルセリアを甘やかさないように』と言われているため、その目は厳しい。その上、エルセリア自身の日頃の行いを知ったことで、誠心誠意仕えようと思うことは全くなくなってしまっていた。
他のメイド達が『頑張れメイド長』と応援する視線を送る。それを受けて、メイド長は何とか心を落ち着け、納得してもらおうと心を砕く。
「……一般的な家では普通の幅でございます。問題ございません」
「じゃあ、わたくしがお姫様に見えないじゃないっ。ドレスが着れないなら、意味ないわ!」
「「「……」」」
さすがのポーカーフェイスなメイド長も、眉根が寄るのを抑えきれなかった。服を用意したり、髪型を整えたりしている他のメイド達も同じだ。そして誰もが思っていた。
『こいつ本当にやべえな……』
常識以前の問題だ。物事を知らな過ぎる。ミリアリアも世間知らずなところがあったが、それなりに口に出して良いことと悪いことは分かっている大人だった。
しかし、エルセリアは十一歳とはいえ精神が幼い。何も学ぼうとしないし、ミリアリアがお手本であり、全てだったのだ。彼女が居ない今、何が悪いか良いかも分かっていない。
メイド長が何とか上手く言い含め、納得させるのにそれから五分。準備が整うのにまた五分かかった。時間は迫って来ており、メイド達の動きは最速だ。
「ふんっ。まあ、これならいいわ」
「「「……」」」
ようやく納得してくれた。出来上がりは、髪に様々な色のリボンを沢山付けて編み込み、ドレスの地味さを誤魔化したようなもの。
メイド達ももう意地になり、言われた通りにしか動かなかった。沢山のリボンで髪を飾ったのはエルセリアの提案だ。一つで十分だと言っても聞かなかった。はっきり言って趣味が悪い感じだが、本人が納得したならもういいかと、メイド達は死んだような目をしている。そしてメイド長の横に並んで、部屋から出て行くエルセリアの後を追う。
彼女達が階段を降りて行くと、入り口にはもう、リゼンフィアとセルジュ、そして、シンプルな見た目になったミリアリアが待っていた。
エルセリアは得意げに鼻を膨らませ、胸を張って声を掛ける。
「お待たせいたしましたわっ」
「「「っ……」」」
振り返った三人は、エルセリアの姿に顔を引き攣らせた。
ミリアリアは真っ青だ。確実に、彼女が知っているエルセリアとは体形が違っていたため、余計に衝撃を受けていた。
「え、エル……っ? な、なんなの、そのすがっ」
その先は言わせぬよう、ミリアリアの仕度をした小柄なメイドが前に出て、優雅に礼をして口を挟む。
「旦那様。お時間が迫っております」
「っ、あ、ああ……い、行こうか。カナル、留守を頼む」
「承知しました」
そうして脇に居たカナルに声を掛けながらも、リゼンフィアはそのメイドに何度もチラチラと視線を送っていた。セルジュもこれには苦笑するしかない。エルセリアの残念な出来よりも、そちらが気になるのは仕方がないと、事情を知る者達は納得顔だ。
対する小柄なメイドは、静かに目を伏せて無言のまま控えている。そうして、使用人一同は馬車を見送ると、ふうと揃って大きく息を吐いた。これに、小柄なメイドが噴き出す。
「ふっ、くくっ。みんな顔っ。マジで引き攣ってんじゃんっ」
「っ、フィルズ坊っちゃま……」
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フィルズは腰に手を当て、遠ざかって行く馬車に目を向けると、しみじみと本音を口にした。
「いやあ、それにしてもアレは酷えなっ」
「笑い事ではございませんっ」
「あははっ。だって、ポーカーフェイスな美人メイド長が、青筋立てそうになってたしっ」
「坊っちゃまっ……不甲斐ないですわ……」
「いやいやっ。あれはしゃあないって。しっかし……太ったな」
「「坊っちゃま……」」
はっきり言い過ぎだ、とカナルとメイド長に窘められた。
フィルズは、誰彼構わずはっきりと身体的特徴を口にすることはない。遺伝的にだとか、体に異常があって仕方なく、ということもあると知っているのだから。
しかし、エルセリアの場合は明らかに不摂生だ。その自覚もないのは問題だろう。彼女からすると、自分は太っていないらしい。
とはいえ、言い過ぎたのは事実なので、彼は悪いと笑いながら誤魔化しつつ、肩の力が抜けた使用人一同を振り返って、この後のメインイベントのための準備をお願いする。
「さてと。そんじゃ。はじめますか!」
「「「「「はいっ」」」」」
そこには、先ほどまでとは打って変わって楽しそうな笑顔が揃っていた。
◆ ◆ ◆
孤児院に向かう間、馬車の中は気まずい雰囲気だった。それに気付いていないのは、エルセリアだけだ。喋っているのもエルセリアだけ。
「孤児院の子ども達は、実際にわたくしのような令嬢や、お姫様を見ることなんてないでしょう? だからきっと、わたくしを見て喜んでくれると思うのですっ」
「「「……」」」
ずっと喋っているのだ。一人で。
返答がなければ全部同意されたとみなすようで、機嫌良く喋り倒す。幼い頃から、静かに頷いて同意、肯定する者しか傍にいなかったことの弊害だ。
「ちゃんとカビにならないように、宝石は付けていませんし、その代わり、リボンを付けたのですっ。リボンの方が、お金のない子ども達でも手に入れやすいですものっ。女の子達もマネしやすいでしょう?」
「「「……」」」
『華美』という言葉の使いどころは知っているようだが、意味まで理解していないのは聞いていれば分かる。
そして、どこまでも上から目線。自分は子ども達が憧れるお姫様だと思い込んでいるのは滑稽だ。エルセリアが馬鹿みたいに付けているリボンは、本来その辺に売っているような物ではない。
何より、孤児達だけではなく、平民の子どもはあまり髪を長くしたがらない。自分で身支度をする時に手間がかからないように、短くするのが通例なのだ。そんなことさえ、エルセリアは知らない。
「そうですわっ。お母様っ。メイド長がひどいのですっ。わたくし付きのメイド達を勝手にコウカクさせたのです! あの子達が居たら、今日だってもっと可愛くしてくれましたわっ。本当、今のメイド達は気がきかなくてっ」
「「……」」
「っ……」
セルジュとリゼンフィアがミリアリアに冷たい視線を送る。
『コレ、どうしてくれんだ?』と言わんばかりのそれに、ミリアリアは顔色を悪くした。
神官達をはじめ、大聖女からも諭されたことで、さすがにミリアリア自身も自分のこれまでの行いを省みていた。エルセリアとも離れて暮らしたことで、娘を客観的に見ることができるようになっていた。
そして今、かつての自身と同じ思考を持つエルセリアを見て、恥ずかしいと思うことができたのだ。
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❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
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