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第一章 秘伝のお仕事
034 保護されました
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2018. 2. 21
お待たせしました。
再開します。
**********
なぜ、こんなことになったのだろう。
麻衣子は冷たく凍っていくような感覚を感じていた。少し前、祖父と母が目の前で倒れた。その光景が目に焼き付いている。
神楽について色々知りたいと言った貴戸薫《キドカオル》を家に呼んだのは、学校が終わってすぐのことだった。
薫は同じ高校に半年前に編入してきた。過去に神楽をやったことがあると聞いて、転校してきてすぐに神社へ連れて行った。
舞い手の人数は、年々厳しくなっており、薫の話はまさに渡りに船だった。
そうして仲良くなった薫。美人で日本人らしい顔立ち。日頃の姿も洗練されたお嬢様のようで、田舎の高校では誰もが彼女に夢中だった。
けれど薫はほとんど自分の事を話さない。会話も姦しいと言われる麻衣子達の中には入ってこなかった。クールで、バカみたいに騒がない。時折見せる笑みはすごく綺麗だ。
特に仲良しのグループに入るでもなく、誰ともソツなく付き合う薫。だから、彼女と一番仲が良いのは誰かと聞かれた時、麻衣子だと認識されることはとても気持ちが良かった。
こんな美人を友人だと言って家に招けることが誇らしかった。それなのに、どういうことなのだろう。
《コレ、食べてもいいのか?》
コレと指されたのが、麻衣子自身だとなぜか分かってしまった。
目を開けているのかどうかも分からない暗闇の中、凍ったように動かない体。震える事も出来ない状態に、麻衣子の頭はパニックを起こしていた。
「そのために連れて来た。神事に中途半端に携わってきた女の血肉が一番取り込みやすい」
《確かに美味そうだ……》
低い声の主に話しかけている声は、薫のものに間違いない。そう頭が認識した時、生暖かい息が右手に触れたのを感じた。
「ッッッ!?」
ヒクリと喉が痙攣する。そして次の瞬間、滑るような何かが触れ、ゴリッと体に響く振動と酷い痛みが走った。
「ィッ!!」
何が起きたのか分からなかった。痛いと怖いと心が震える。けれど、悲鳴を上げることすらできないのだ。
《ははっ、美味い! 美味いぞ! 力が漲ってくる!!》
「ッ!!ッ!」
涙が溢れた。あまりの痛みと恐怖に、もう何がなんだかわからない。意識を手放してしまいたいのに、なぜかそれができなかった。
絶望的な状況。死さえも覚悟したその時、唐突に音が響いた。何かが割れるような、そんな音だったと思う。
《なんだ!?》
「術者……」
光が届いた。この時になって、自分が目を開けていたことがわかった。そして、その視界にその人が飛び込んできたのだ。
「おいっ、無事かッ!?」
掬い上げられるように背中に手を回され引っ張られた。動けると思った時、座り込んでいたのは、森の中だった。否、傾斜のある地面を見ると、おそらく山だ。外はもう日が沈んでいた。
目の前にある彼は、散々、麻衣子が怪しいと思って追い払おうとした人だった。
「食われてんじゃねぇかっ。この具合だと、それほど時間は経ってないな。ならっ」
「っ!?」
右手は、間違いなく先ほどまで手のひらが半分ほどなくなっていた。それを目の端に捉えた時、グラリと意識が揺れる。丸い半円の歯型の通り、食いちぎられていたのだ。
怖い、痛いと思って悲鳴を上げられる時というのは、まだ頭が冷静なのだろうか。徐々に湧き上がってくる恐怖心。叫びたくなる寸前だった。
自分が、涙や鼻水、ヨダレなんかでぐちゃぐちゃの顔をしているのにさえ気付けなかった。気が狂いそうになるほど痛かったのだ。けれど、それが夢であったかのように、目を向けた次の瞬間、何事もなく本来の形のその手があった。
「まだ時間が定着していないから衝撃を与えたりするなよ」
「うっ……ふっ……っ」
ほっとした途端、返事にならない鳴咽が漏れる。
見るのもおぞましい状態から、元に戻るまでの間に、彼が何かしたということはわかった。それが、普通では考えられないような力を見たという自覚もある。
けれど、驚くよりも恐怖心がまだ深く心に残っていて、何も言えなかった。
その間にも、その人は何てこともないように立ち上がり、誰かに声をかける。
「天柳、こいつを頼む」
彼が目を向けた先に、美しい着物姿の女性が現れた。まるで時代劇で見た花魁を思わせるような化粧。真っ白で滑らかな肩が見える。髪型も形良く後ろに簪を使って結い上げられていた。
その女性の小さな唇から発せられたのは、どこか不思議な響きを持つ声。
《承知しましたわ。無茶はなさいませんように》
「なるべくな。何より神事前だ。あまり山を穢したくない」
《ですが、手加減を間違えますと、いくら主様でも危険ですわ。そのことお忘れになりませんよう》
「わかった」
女性は彼といくつか言葉を交わすと、麻衣子を抱え上げた。
「へっ!?」
《口を閉じませ。舌を噛みますわよ》
「っ!!」
組んだ腕の上に麻衣子の尻を乗せ、落ちないように太ももが挟まれる。彼女の顔は麻衣子の胸の辺り。かなり視線が高くなる。だがこれは、子どもを抱える時の抱き方ではないのかと思う。
《首に掴まりなさい》
「うっ、は、はい……っ」
どこにどう手を回せばいいのか分からない。だが、迷っている間に、彼女は思わぬ高さまで跳躍した。
「へぇぇぇっ!?」
《舌を噛むと言いましたわ。気を付けなさい》
「うぅむっ」
必死で口を閉じる。こんなに口を閉じようと意識したのは初めてだ。彼女は目を見開いたり、きつく閉じたりする麻衣子になど構わず、木の枝などを足場にして飛びながら町の方へ向かっていく。
まるで本当に十キロほどの子どもを抱えているような手軽さ。見た目とは違い力があるのだろう。それは、人とは思えなかった。
そうして辿り着いたのは、町の公民館。
そこには、数人の麻衣子の父母より年上の男女がいた。
「おや? 秘伝の御当主の式様では?」
《ええ、彼女を保護していただきたい》
「その方は……神事に携わる者ですね。鬼に狙われましたか」
《そのようです。主様の邪魔になります》
邪魔だと言われて、少し震える。それが伝わったはずだ。すると、彼女はゆっくりと地面に降ろしてくれた。ただし、腰が抜けているのか、足に力を入れる方法を忘れたらしく、立つことができなかった。
そこへ、女性二人が駆け寄ってきた。
「あらあら。汚れてしまうわ。怖かったのね。もう大丈夫よ」
「この公民館には守りの強力な結界が張ってあるから安全だからね」
「っ……あ……」
やっと、もう大丈夫なのだと実感が湧いて涙が溢れた。既に乾いていた頬にあった涙。そこがヒリヒリと感じられる。
「こわ……っ、こわかった……っ」
「そうよね」
「さぁ、中に入りましょう」
両側から支えられて、ヨタヨタと公民館に向かう。その背中で話している声は聞こえていた。
「ここはお任せください」
《頼みます。あの子の家族が病院にいるようです、そちらにも連絡を》
「承知しました」
ドキリとした。祖父と母は無事なのだろうか。
「御当主様は……」
《主様とて、鬼を相手にするのです。片手間でとはいきませんわ。こちらは全てお任せします》
「はい。可能な限りこちらでもお力になれるように対応いたします」
《ええ。では》
女性は去っていったようだ。おそらく、彼のいる場所へ戻るのだろうと思う。
「あ……あの……っ、今の人は……」
聞かずにはいられなかった。中に入ると、十数名の人がいて、安心したというのもある。ここにいれば、もうあんな怖いめに合わないだろうと思えた。
「お会いになりませんでしたか? 二十歳ぐらいの青年に」
「あ、会いました……」
「その方の従者のようなものです」
「……あの人は一体……」
そこまで聞いて口を閉じた。目の前の女性達が、困ったような顔を見せたからだ。聞くべきではないと思わせた。
「いえ……すみません……」
「いいのですよ。ご家族へ連絡しましょう」
「……はい……お願いします……」
聞くなと言われた気がした。
お待たせしました。
再開します。
**********
なぜ、こんなことになったのだろう。
麻衣子は冷たく凍っていくような感覚を感じていた。少し前、祖父と母が目の前で倒れた。その光景が目に焼き付いている。
神楽について色々知りたいと言った貴戸薫《キドカオル》を家に呼んだのは、学校が終わってすぐのことだった。
薫は同じ高校に半年前に編入してきた。過去に神楽をやったことがあると聞いて、転校してきてすぐに神社へ連れて行った。
舞い手の人数は、年々厳しくなっており、薫の話はまさに渡りに船だった。
そうして仲良くなった薫。美人で日本人らしい顔立ち。日頃の姿も洗練されたお嬢様のようで、田舎の高校では誰もが彼女に夢中だった。
けれど薫はほとんど自分の事を話さない。会話も姦しいと言われる麻衣子達の中には入ってこなかった。クールで、バカみたいに騒がない。時折見せる笑みはすごく綺麗だ。
特に仲良しのグループに入るでもなく、誰ともソツなく付き合う薫。だから、彼女と一番仲が良いのは誰かと聞かれた時、麻衣子だと認識されることはとても気持ちが良かった。
こんな美人を友人だと言って家に招けることが誇らしかった。それなのに、どういうことなのだろう。
《コレ、食べてもいいのか?》
コレと指されたのが、麻衣子自身だとなぜか分かってしまった。
目を開けているのかどうかも分からない暗闇の中、凍ったように動かない体。震える事も出来ない状態に、麻衣子の頭はパニックを起こしていた。
「そのために連れて来た。神事に中途半端に携わってきた女の血肉が一番取り込みやすい」
《確かに美味そうだ……》
低い声の主に話しかけている声は、薫のものに間違いない。そう頭が認識した時、生暖かい息が右手に触れたのを感じた。
「ッッッ!?」
ヒクリと喉が痙攣する。そして次の瞬間、滑るような何かが触れ、ゴリッと体に響く振動と酷い痛みが走った。
「ィッ!!」
何が起きたのか分からなかった。痛いと怖いと心が震える。けれど、悲鳴を上げることすらできないのだ。
《ははっ、美味い! 美味いぞ! 力が漲ってくる!!》
「ッ!!ッ!」
涙が溢れた。あまりの痛みと恐怖に、もう何がなんだかわからない。意識を手放してしまいたいのに、なぜかそれができなかった。
絶望的な状況。死さえも覚悟したその時、唐突に音が響いた。何かが割れるような、そんな音だったと思う。
《なんだ!?》
「術者……」
光が届いた。この時になって、自分が目を開けていたことがわかった。そして、その視界にその人が飛び込んできたのだ。
「おいっ、無事かッ!?」
掬い上げられるように背中に手を回され引っ張られた。動けると思った時、座り込んでいたのは、森の中だった。否、傾斜のある地面を見ると、おそらく山だ。外はもう日が沈んでいた。
目の前にある彼は、散々、麻衣子が怪しいと思って追い払おうとした人だった。
「食われてんじゃねぇかっ。この具合だと、それほど時間は経ってないな。ならっ」
「っ!?」
右手は、間違いなく先ほどまで手のひらが半分ほどなくなっていた。それを目の端に捉えた時、グラリと意識が揺れる。丸い半円の歯型の通り、食いちぎられていたのだ。
怖い、痛いと思って悲鳴を上げられる時というのは、まだ頭が冷静なのだろうか。徐々に湧き上がってくる恐怖心。叫びたくなる寸前だった。
自分が、涙や鼻水、ヨダレなんかでぐちゃぐちゃの顔をしているのにさえ気付けなかった。気が狂いそうになるほど痛かったのだ。けれど、それが夢であったかのように、目を向けた次の瞬間、何事もなく本来の形のその手があった。
「まだ時間が定着していないから衝撃を与えたりするなよ」
「うっ……ふっ……っ」
ほっとした途端、返事にならない鳴咽が漏れる。
見るのもおぞましい状態から、元に戻るまでの間に、彼が何かしたということはわかった。それが、普通では考えられないような力を見たという自覚もある。
けれど、驚くよりも恐怖心がまだ深く心に残っていて、何も言えなかった。
その間にも、その人は何てこともないように立ち上がり、誰かに声をかける。
「天柳、こいつを頼む」
彼が目を向けた先に、美しい着物姿の女性が現れた。まるで時代劇で見た花魁を思わせるような化粧。真っ白で滑らかな肩が見える。髪型も形良く後ろに簪を使って結い上げられていた。
その女性の小さな唇から発せられたのは、どこか不思議な響きを持つ声。
《承知しましたわ。無茶はなさいませんように》
「なるべくな。何より神事前だ。あまり山を穢したくない」
《ですが、手加減を間違えますと、いくら主様でも危険ですわ。そのことお忘れになりませんよう》
「わかった」
女性は彼といくつか言葉を交わすと、麻衣子を抱え上げた。
「へっ!?」
《口を閉じませ。舌を噛みますわよ》
「っ!!」
組んだ腕の上に麻衣子の尻を乗せ、落ちないように太ももが挟まれる。彼女の顔は麻衣子の胸の辺り。かなり視線が高くなる。だがこれは、子どもを抱える時の抱き方ではないのかと思う。
《首に掴まりなさい》
「うっ、は、はい……っ」
どこにどう手を回せばいいのか分からない。だが、迷っている間に、彼女は思わぬ高さまで跳躍した。
「へぇぇぇっ!?」
《舌を噛むと言いましたわ。気を付けなさい》
「うぅむっ」
必死で口を閉じる。こんなに口を閉じようと意識したのは初めてだ。彼女は目を見開いたり、きつく閉じたりする麻衣子になど構わず、木の枝などを足場にして飛びながら町の方へ向かっていく。
まるで本当に十キロほどの子どもを抱えているような手軽さ。見た目とは違い力があるのだろう。それは、人とは思えなかった。
そうして辿り着いたのは、町の公民館。
そこには、数人の麻衣子の父母より年上の男女がいた。
「おや? 秘伝の御当主の式様では?」
《ええ、彼女を保護していただきたい》
「その方は……神事に携わる者ですね。鬼に狙われましたか」
《そのようです。主様の邪魔になります》
邪魔だと言われて、少し震える。それが伝わったはずだ。すると、彼女はゆっくりと地面に降ろしてくれた。ただし、腰が抜けているのか、足に力を入れる方法を忘れたらしく、立つことができなかった。
そこへ、女性二人が駆け寄ってきた。
「あらあら。汚れてしまうわ。怖かったのね。もう大丈夫よ」
「この公民館には守りの強力な結界が張ってあるから安全だからね」
「っ……あ……」
やっと、もう大丈夫なのだと実感が湧いて涙が溢れた。既に乾いていた頬にあった涙。そこがヒリヒリと感じられる。
「こわ……っ、こわかった……っ」
「そうよね」
「さぁ、中に入りましょう」
両側から支えられて、ヨタヨタと公民館に向かう。その背中で話している声は聞こえていた。
「ここはお任せください」
《頼みます。あの子の家族が病院にいるようです、そちらにも連絡を》
「承知しました」
ドキリとした。祖父と母は無事なのだろうか。
「御当主様は……」
《主様とて、鬼を相手にするのです。片手間でとはいきませんわ。こちらは全てお任せします》
「はい。可能な限りこちらでもお力になれるように対応いたします」
《ええ。では》
女性は去っていったようだ。おそらく、彼のいる場所へ戻るのだろうと思う。
「あ……あの……っ、今の人は……」
聞かずにはいられなかった。中に入ると、十数名の人がいて、安心したというのもある。ここにいれば、もうあんな怖いめに合わないだろうと思えた。
「お会いになりませんでしたか? 二十歳ぐらいの青年に」
「あ、会いました……」
「その方の従者のようなものです」
「……あの人は一体……」
そこまで聞いて口を閉じた。目の前の女性達が、困ったような顔を見せたからだ。聞くべきではないと思わせた。
「いえ……すみません……」
「いいのですよ。ご家族へ連絡しましょう」
「……はい……お願いします……」
聞くなと言われた気がした。
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