秘伝賜ります

紫南

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第四章 秘伝と導く音色

144 自慢のピアニスト

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不動産会社『稲船』歴史を持つこの会社の職員は、大半が転職組だ。それも、何度か転職した後に辿り着くという人が多い。そんなあまり長く同じ職場に留まれない者達が居つく。それは、社長の人柄が大きい。

この日、昼休憩の折、二人の男性社員が悲壮な面持ちで向き合っていた。それを見て、社長である稲船陽いなふねようが気になり、弁当とコーヒーを持ってその席に向かう。

「どうしたんだ? そんな顔で仕事はできんぞ? 気分が悪いなら帰れよ?」

この会社、普通に営業成績は良い。ただ、他の不動産が嫌がる曰く付きの物件をも受け持つ特殊な会社だ。

霊感の強い社員もおり、それらの物件のお陰で気分を悪くして早退するのも珍しくはない。それでも会社を辞めないのは、そういった体質も受け入れてくれる会社に恩を感じているからだ。

もちろん、そういった社員達には、しっかりとお守りも持たせてくれる。アフターケアも万全という、本当に変わった会社だった。それが面白くて辞めない社員も多い。

この二人も、どちらかといえばそっちの種類の社員だった。

とはいえ、今回はそういったことによるものではなかったらしい。

「それが……妻がアイドルの追っかけを始めたらしくて……」
「俺の妻も一緒です……娘まで……」
「ほぉ……それは、食費まで食い潰されんように気をつけろよ?」
「「やっぱり!?」」

二人は頭を抱えた。アイドルの追っかけはとてもお金がかかるのだ。

「どうすればいいですか!? どうやったら諦めてくれますかね!?」
「娘もなんですよ!? 家計が!」
「はははっ、いやぁ、大変だなぁ」
「「笑い事じゃないです!!」」

二人は家族ぐるみで仲が良い。二人も昔からの友人だが、妻二人も友人同士、一人ずついる娘達も友達で、家まで隣同士だ。

「もうグッズとか買ってたのか?」
「いえ……でも、待ち受けが……」
「妻と娘が嬉しそうに寄り添って立つ若い男が……これなんです」

一人がその待ち受け画面の写真を撮ったらしい。それでお互いが確認していたようだ。

それを見た陽は、目を丸くした。

「高耶君じゃないか」
「「へ?」」
「知ってるんですか?」

そんなに有名なのかと、今度は二人が驚く番だった。

「はははっ、よし! お前ら今夜ちょい付き合え」

そうして、二人を連れて陽は会社が終わってから少し食事をしてそこへ向かった。


クラブ『エルターク』


黒を基調としたお洒落で落ち着いた雰囲気のクラブだ。

「ここは会員制でな。同伴者は認められるが、二人までだ。会員はほとんどがどっかの社長だな。ここで、関係を持って会社同士の繋がりを持ったりする。俺も商談の約束とかさせてもらうよ」

二人は緊張しながら店に入る。その中には、雑誌やテレビで見たことのある社長達が確かにいた。

「おっ、稲船さんじゃないか。やっぱ、外さんなあ」
「当たり前でしょう。高耶君のステージ、二週間振りですよ?」
「だよな! いやあ、早い時間に切り上げてきて良かったよ。二時間後から相当な人数になると聞いたからね」

見渡せば、早い時間にも関わらず、かなりの人数が入っているのが分かる。

「……クラブって、こんなに人が集まるものなんですか……」
「すごいな……」

二人が感心したように呟いた。それを拾った陽は、やって来たボーイに席に案内されながら教える。

「今日は二週間振りにナンバーワンピアニストが来るんだ。それを目当てに集まっているんだよ」
「……お酒とか話しが目的ではないと?」
「社長、もしかして、そのピアニストって……」

察せられたらしいと分かり、陽はニヤリと笑った。

「そういうことだ。高耶君は、私たちにとってもアイドルなんだよ」

席に着くと、周りも高耶を待ち望んでいることが分かる。

「あ~! もうっ、今日は仕事も張り切っちゃったわ! 朝から楽しみで仕方なかったの!」
「分かるわ~、私もよ! こんなにご褒美に向かって頑張るって、子どもの頃を思い出したわ!」

楽しそうに女性達が話していた。

「今夜はお前の音楽嫌いを治してやるよ」
「騙されました……ただのクラブじゃないとは……」
「音楽による感動というものを教えてやる」
「寝ますよ」
「「「寝れるわけあるか!」」」
「っ!?」

他の人までがツッコんでいた。

「高耶君の演奏以上のご褒美なんて用意できないって思い知りなさい?」
「社長……じゃあどうしろと?」

おかしな言い合いがそこここで聞こえ、二人は混乱する。

「社長、そんなにすごいんですか?」
「こればっかりは、聞いてもらわんとな……どうすごいかとか説明できんよ」
「演奏会なんですか?」
「いや、本来は店のBGMだ。ただ、高耶君だけは完全に演奏会仕様になっていてな。連れとの会話も止まるし、食事の手も止まっちまうんだよ」
「……明らかに周りの人、その演奏を待ってますね」
「週一だったのが、少し空いたからな」

陽も心待ちにしていたらしいと、その表情と声音で二人には分かった。

そして、待ちに待ったその青年が現れた。

「「「高耶く~ん!」」」
「「「待ってたぞ!」」」

周りが熱狂的に声を上げる中、二人は店の中央にある一段高くなったステージに向かう高耶を見て茫然と見惚れた。

「間違いない……」
「だよな。あの写真の子だ……」

写真に写っていた私服ではなく、きちっと決めたスーツ姿。同性であっても見惚れてしまうほど、歩き方や姿勢もカッコいいと思えるものだ。

その感覚が間違っていないのは、周りの反応を見ても分かる。

「ほれ、写真撮るなら今がチャンスだぞ」
「「はい!!」」

思わず従った。

そして、演奏が始まる。たった数秒で息を呑んだ。

店のBGMだということを無視してはいないらしく、最初の曲からムーディなゆったりとした曲だった。

だが、あれほど熱狂的に騒いでいた人々が、うっとりと目を細めていた。そして、その一曲が終わる時には、大半が静かに涙を流す。

胸にあった苦しい何かが滲み出て、消えていくような感覚があったのだ。泣いていたり、茫然としている者は、高耶の演奏に慣れていない付き人が多かった。

二人も知らぬ間に流れていた涙に驚く。

「あれ? なんで……」
「なにこれ……」

子どもじゃあるまいし、人のいる場所で涙を流すなどあり得ない。恥ずかしいと思ったその時には、次の曲が始まっており、誰もが気まずげに思いながらも静かにカバンからハンカチを取り出して目を押さえていた。

恥ずかしいと思ったはずなのに、それもいつの間にかどうでも良くなる。

不思議な時間だった。

五曲弾き終わると、高耶は静かに立ち上がって綺麗な礼をする。うるうると感動を胸に見つめる客達に笑みを向け、店の奥へ消えて行った。

それから数拍でようやく皆が声を上げた。

「っ、すごかった!」
「なにあれ、カッコ良すぎ!」
「そうだろう、そうだろう!」

興奮する二人に、陽も嬉しくなる。

周りでも同じだ。連れてきた社長達が付き人達に誇らしげに声をかけていた。

「ほらな? 一曲も聴かずに寝るお前でも、大丈夫だったろ?」
「なんなんですか、アレ! 初めてまともにピアノを聞きましたよ!」
「どうよ。これ以上のご褒美なんて無理でしょ?」
「完敗です……いい音を聴いたのに、なんだか絶望しそうです」
「やっぱりイイ!! あ~、もうっ、なんで五曲だけ!? 演奏会して欲しいわ!」
「それ思った! せめて週二にして欲しいわ!」

スピーカーから普通のBGMが流れていることにすら気付かない。盛り上がりながら三十分、お酒やツマミを取りながら過ごす。この間に商談が決まるところもあったようだ。

「そろそろ引き上げるか。次の客が入ってくるからな」
「あ、なるほど」
「譲らないとダメですね」

高耶の演奏を聞きに来た人達は多いのだ。時間で譲り合って席を空ける仕組みが自然と出来たらしい。

すれ違う者達も笑顔だ。そして、自慢できる相手として、付き人がいる。

店を出ると、二人は大きく深呼吸をした。そして、いい笑顔で振り返り、陽に頭を下げる。

「今日はありがとうございました!」
「すごく貴重な体験ができました!」
「いやいや。自慢できて私も嬉しいよ」

清々しい表情で駅までの道を歩く。

「それにしても、奥さん達はどこで高耶君と知り合ったんだろうな。仕事以外のプライベートというのは難しいんだが……」

それを聞いて二人も考える。そこで思い出したらしい。

「そういえば、娘がお兄さんにピアノを教えてもらっていると……」
「週末の勉強会にお兄さん居るかなとか言っていたような……」
「そのお兄さんが高耶君だと?」
「分かりませんけれど、知り合いでお兄さんと呼べる人は居ないはずなんで」
「まさか浮気なんじゃ……」
「おいおい……」

沈んでいく二人に、陽は苦笑する。

「ちゃんと聞いてみたらどうだ? 写真も撮ったろ?」
「なるほど!」
「それがいい!」

一気に浮上した二人は、自慢してやろうと笑い合う。それを見て陽も笑い、帰路についていく。

「そろそろ、また相談しないといかんしな……」

陽はそんな呟きを零しながら、夜の街をゆったりと歩いていった。

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読んでくださりありがとうございます◎
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