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スピンオフ

extra9 フェノーメノ、笑う〈2〉

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 城内きうち家の朝は炊きたてのごはん、インスタントではなくちゃんと出汁をとった味噌汁、それといくつかのおかずで始まる。
 元々この家では朝食なんてトーストとコーヒーくらいのものだった。だが凜奈の白ごはん好きを知った伯母の奈津子が、その次の日からがらりと食卓の内容を変えてきたのだ。

「おはよう、パパ」

 亡き父の位牌に手を合わせてきた凜奈は席につき、「いただきます」と言ってからまずは味噌汁へと口をつけた。これが今の彼女の日常だった。
 表札に書かれた「城内」を「じょうない」と間違って読んだ当初からでは凜奈自身、想像もできない。何気ない日々の暮らしのなかで幾度となく凜奈はどれほど自分が恵まれているのかを実感している。そして深く感謝している。
 自分を引き取ってよくしてくれた奈津子と和伸の伯母夫婦に、こちらでできた最初の友人である国枝菫に、そして今でも気にかけてくれている姫ヶ瀬の仲間たちに。

 城内夫妻には子供がいなかった。できなかったのだ、と奈津子は淡々と口にしていたがその結論へと至るには相当の葛藤があったことだろう。それくらいは凜奈にもわかる。
 しかしもし、実の子供がいたとしてもきっと彼女へと注いでくれた愛情には何の変わりもなかっただろう。城内夫妻はそういう人たちだった。
 少しずつでいい、返していこう。凜奈は固くそう心に決めていた。もらった優しさを、温かさを、今度は他の誰かにもそっと渡していくのだ。

        ◇

 昼休みの教室にまだ真田の姿はない。

「んー、今日はなかなか来ないねぇ」

「静かでいいだろうが」

 机の上に腰かけている御子柴と、その机の主である潮見の会話が凜奈の耳に聞くともなく聞こえてくる。

「来年は受験だし、こっちだってお嬢さまの気まぐれなお遊びに付き合ってられるほど暇じゃねんだよ」

 潮見の言う通り、真田礼乃が裕福な家の娘であるのは凜奈だって知っている。けれどもさすがにその言い方はないのでは、とつい眉をひそめてしまう。見れば今日も向かいに座っている菫も同様の表情となっていた。
 そして他にも快く思わなかった者がいたようだった。

「おまえさー、ちょっとあの子につんけんしすぎじゃね? かわいそうだろ」

 二木晃誠、クラスのなかでも目立つ部類に入る男子生徒だ。たしか彼はサッカー部だったはずだ、と凜奈が思い出しているところへ菫が新しい情報を加えてくれる。

「潮見さんと二木くん、家が隣同士だからって昔は随分からかわれてたんだよね」

 ゆっくり歩み寄ってくる二木を迎え撃つがごとく、立ち上がった潮見が腕組みをして鋭く睨みつける。今の彼女をからかおうとする生徒などまずいないに違いなかった。

「ああ、あんたはああいう子がタイプ?」

 薄い唇をわずかに動かしただけの潮見に対し「そういうんじゃねえよ」と少し怒ったように二木が言う。

「入ってあげたっていいだろうが。きっと楽しくサッカーやれるって」

「楽しく?」

 あからさまなほどに侮蔑した笑みを潮見が浮かべる。

「楽しく、ねえ。はん、そんなだからあんたたち男子のサッカー部は中途半端な成績しか残せないんだよ。そこそこ勝っても結局県大会には進めないってのを何度繰り返せば気がすむんだか」

 そのあまりにきつすぎる物言いに、教室中が一瞬静まり返ってしまう。
 屈辱的な言葉を投げつけられた二木もわずかではあったが顔を歪める。
 やや間があって次に彼の口から出てきたのは、明らかな意趣返しであった。

「子供じみた八つ当たりかよ。まったく、おまえの未練がましさには泣けてくるわ」

 それを聞いた潮見はすぐさま二木との距離を詰めた。

「あ? 誰が未練がましいって?」

 二人は互いに心臓の音まで届きそうなくらいの近さとなっていた。
 さほど背の高いほうではない二木が少しだけ目線を上げている。

「決まってるだろ。人目につかない深夜にランニングしたりボール蹴ったりしている健気なデカ女のことだよ」

 彼が口にした内容は、凜奈にしてみれば「ああ、やっぱり」と思えるものだった。
 だが隠しておきたかったのであろう潮見の顔はみるみるうちに紅潮していく。

「喧嘩売ってんのか、コーセイ」

「どっちがだよ」

「どうみたっておまえだろうが!」

 一触即発といった空気になってきたにもかかわらず、意外にも今日の御子柴は成り行きを静観している。そんな彼女がちらりと廊下へ目を遣った。
 すると直後、勢いよく教室の後ろ側の扉が開け放たれた。

「だったらサッカーで決着をつけましょう!」

 こんなことをできるのはおそらく学内で一人しかいない。真田礼乃だ。
 誰もが呆気にとられて対応を決めかねているなか、彼女が廊下にいるのを事前に知っていたであろう御子柴がにやりとする。

「真田ちゃん、もしかしてタイミングをうかがってたぁ?」

 意外にも真田はこの問いに対して首を横に振った。

「いえ、その。男子と何やら楽しくお話をされていたので、邪魔をしてはいけないなと」

 私だって空気くらい読みます、と見当違いも甚だしく真田は胸を張った。

「潮見さん!」

 大きく手を広げた真田が声に力を込める。

「痴話喧嘩はよくありません! ここは禍根を残さぬよう、サッカーで恨みっこなしの決着をつけられてはいかがでしょう!」

「そうきたか……」

 さすがの潮見も毒気を抜かれたように呟いた。
 しかし驚くことに、女子とのゲームに何のメリットもないはずの二木が真っ先に頷く。周りから見れば勝って当たり前、しかも怪我をさせてしまえば非難されるのはわかりきっているにもかかわらず。

「わかった、やろうか。でも11人同士はさすがに厳しいから1対1で──」

「いえ、3対3でミニゲームをやりましょう!」

 二木の言葉に被せるようにして真田が決定事項のごとき勢いで提案をする。

「潮見さん、御子柴さん、私の三人でチームを組みます!」

 だがこれには即座に御子柴からクレームがついた。

「だめ。却下」

 そのまま彼女は親指以外の四本指を掲げて言った。

「真田ちゃん、4対4で。あの名門マンチェスター・ユナイテッドも育成年代じゃ4対4を重視しているって言うよぉ」

 そして話は潮見を無視して凜奈へと振られてくる。

「てことで片倉ちゃん、いいよねぇ」

 御子柴に真田、二木、不満げな表情を浮かべている潮見、それにクラスの面々も唐突に名前の挙がった凜奈へと視線を向けてきた。向かいの菫は心配そうに眉を寄せている。
 先ほどの潮見のセリフを借りて「そうきたか」と口にした凜奈だったが、言葉とは裏腹に気持ちはとても落ち着いていた。
 たぶん、来るべき時がやってきたのだ。
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