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第3章 蒼き海原と氷雪の砦

53話 因縁の再来

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「今から俺と魔物狩りに行かないか?」
 突拍子もない俺の提案に目の前の少年、もといカイナは軽く目を見開いた。本来はカイナに出会うことなく俺は魔物狩りに行く予定だったので特に考えることもなくせっかくだから一緒に行こうかと誘ったのだが、よくよく考えてみたら二週間前にこの少年を発見したのはまさにその魔物狩りの最中だったのだ。そんな思い出したくもない記憶を再びほじくり返すような真似は正気の沙汰ではないのかもしれない。慌てて浅はかな提案を取り消さんと言葉を紡ごうとしていると、それよりも先にカイナがいいよ、と素っ気なく答えた。
「本当にいいのか? その……、この前のこととかさ」
「もう傷は治ったし、今日お金いっぱい使っちゃったから稼がないと」
「そっか……。じゃあ行くか……」
 色々と思う所はあるが本人がそういうのなら俺にそれを強引に止める権利はない。気持ちを切り替えるために大きく伸びをすると俺とカイナはひとまずマナーゼンのギルドを目指して歩き出した。

 ギルドに魔物狩りの申請をして数十分ほど歩いてようやく俺たちは狩場である西の洞窟にたどり着いた。気づけば時間もそれなりに経っていたようで、この寒い午前中でもせっせと魔物を求めて洞窟の深淵へと進んでいくマナーゼンたちの姿がちらほらと見える。己の髪を見られないようにさらにフードを深くかぶるカイナをそこはかとなく彼らから見えないように庇いながら、俺たちも同じように洞窟の中に入っていった。
 洞窟の中に入った途端にいつものように骨も凍りつくような湿った冷気が押し寄せてくるかと身構えたが、存外内部は外の冷たい風を防ぐことが出来るためか外よりもむしろ暖かく感じる。昨日まではそんなことはなかったのにいやはや季節の変化を好みで体感するとは趣深いものだなあと老人じみた感慨を抱きつつ、俺たちは奥へ奥へと進んでいった。
 洞窟内ふと気になってちらりと俺の斜め後ろを歩くカイナを見やると、先ほど買ったばかりの短剣の重さを確かめるように鞘から軽く抜いて納めてを繰り返していた。俺が選んだ短剣なので気に入ってくれると嬉しいのだが。

 洞窟に侵入してからに三十分ほど経った頃だろうか、不意に一瞬だけちくりと首筋に殺気のような何かを向けられた気がして俺は直ちに立ち止まってカイナを腕で制した。この洞窟に棲む魔物のほとんどは音で獲物の位置を感知して襲い掛かって来る。微小な音すら立てないように慎重に首を動かして辺りを見回すと、どうやら俺の勘は当たっていたようで、細長い円筒状のこの空間の天井近くの壁に魔石灯の光をわずかに反射する四つの点があった。この洞窟であんな風に高い壁にへばりついて狩りをする魔物は一種しかいない。
「……デヴァ―ンだ。二体いる」
 ほぼ無声でカイナに情報を送ると彼もその状況を察したように無言で頷いた。デヴァ―ンといえば二週間前にカイナたちの一団を壊滅させた因縁の相手といえる巨大なコウモリ型の魔物だ。一人での狩りの時にもしばしば遭遇しては鬱憤を晴らすように蹴散らしていたが、まさかカイナと洞窟に潜った時に限ってこうしてかち合おうとは。音を殺して腰の鞘から剣を抜き放つとカイナに囁いた。
「カイナ、戦いの心得は?」
 思えば俺はカイナが戦っているところを見たことがない。あの時も怪我をして仲間に庇われているところに俺が飛び込んだのでカイナの実力は未知数だ。その上新調する前の短剣は明らかに体格に合っていないものだったのであまり期待できなそうだが果たして……。
「……ほとんどない」
「そうか……。なら俺の後ろに下がって自分の身を守っててくれ」
「わかった」
 やはり予想通りカイナはあまり戦闘経験がないらしい。ならばなぜあの時、危険を冒してまで洞窟に魔物狩りに行っていたのだろうか。カイナの行動のちぐはぐさに俺はなんとなく引っかかるものを感じていた。
 それはともかくとして、もとより俺は一人で魔物狩りをしてきたのだ、カイナが戦えなくともさほど支障にはならないはずだ。とりあえずカイナには俺の戦いを見学してもらうことにしよう。
 カイナが十メートルほど後方に下がったのを確認して無音で深呼吸をすると、俺は腰のポーチから投擲釘を二本取り出した。狙うは頭上十数メートルの高さにいる二体のデヴァ―ン。天井から垂れ下がるいくつもの鍾乳石に阻まれて奴らに的中させるのは至難の業だが何とかごり押すしかない。
 俺は投擲釘を握る左手を地面ぎりぎりまで下ろして構えを取る。通常の投擲なら明らかに投げづらいこのフォームだが、件のごり押しをするにはこれで良いのだ。そのまま俺は左手にマナを集中させていき、十分に集まったと同時にマナを一気に爆発的な推進力に変換する。敢えて地面すれすれまで倒した左腕は紫の閃光とともに大きな円を描きながら加速していき、その速度が臨界に達した瞬間に投擲釘をデヴァ―ン目がけて放った。マナを魔法を通すことなく推進力に変換する技術である”纏い”はその原理上自分の体にしか作用できないため、できる限り速度を稼ぐにはこうして長いストロークを作る必要があるのだ。紫光を切り裂きながら飛翔する釘は狙い通り行く手を阻む鍾乳石を軽々とへし折り、ついに暗闇に潜むデヴァ―ンの一体に突き刺さった。カラスの鳴き声を野太くしたような絶叫を洞窟中に響き渡らせながら壁から剥がれた巨体が氷柱石とともに落下してくる。これで先制攻撃は成功。戦いの舞台は地上へと移り変わった。
「……ッ!!」
 ぐしゃりと音を立てて地面に墜落したデヴァ―ンに向かって、俺は無音の気合とともに剣を右下段に構えて駆け出す。奴の首を跳ね飛ばさんと斜め上に切り上げた刃は、しかしその標的に到達することはなかった。コンマ一秒前まで地面に倒れ伏していたはずのデヴァ―ンは突然起き上がると、ゴムまりのように後方に飛んで器用に俺の一撃を躱したのだ。さらにデヴァ―ンは地面を蹴って切り上げた剣を引き戻そうと体をひねる俺の方へ飛びかかる。まずい、このままではがら空きの胴体に攻撃をもらってしまう。いくら胸当てをしているとはいえ抵抗も受け流しもなしで無防備に攻撃を受けるのは危険すぎる。
 心中で舌打ちしつつ、迫りくるデヴァ―ンの凶悪な爪に閉じそうになる目を強引にこじ開けて視界に留めると、俺は即座に左拳にマナを溜める。集中によって鈍化した世界の中で体内のマナが急速に流れを成し左手に流れ込んでいくのを感じるが、それを待つことなく奴の腕はどんどん俺の首元を狙って伸びていく。二週間前、マナーゼンの男たちを豆腐のように引き裂いた粗いナイフのような爪が視界の下半分を埋め尽くす。もう少し、もう少し……、今だ!
「はああッ!!」
 俺の首とデヴァ―ンの鉤爪が触れ合うその刹那、纏いによって爆発した推進力は俺の左腕を限界を超えた速度で突き動かし、デヴァ―ンの手首を跳ね上げながらがしりと掴んだ。なおも余力を残す左手を剣を戻す体のひねりを使って体の上を回し、そのままデヴァ―ンを強引に背負い投げる。纏いによる加速を利用したあまりにも無理やりな投げに左肩に嫌な痛みが走り背骨がみしみしと軋むのが分かるが、せっかく掴んだ好機だ。絶対に逃すわけにはいかない。血管が切れるのではないかというほどの気合を込めてデヴァ―ンの巨体を地面に叩きつけると、俺はすかさず剣を逆手に持ち替え奴の顔面目掛けて思い切り振り下ろした。幾度の戦いで摩耗し欠損し、しかしその度に鋭く研ぎ直された歴戦の業物は、上を向いて伸びるデヴァ―ンの哺乳類と爬虫類の中間を思わせる顔面の中央、眉間辺りにまっすぐに突っ込み、硬い頭蓋をいとも簡単に粉砕して見せた。そのまま刃は地面にまで突き刺さり、辺りに澄んだ金属音を響かせる。一瞬で命を刈り取られた巨大コウモリはびくんと一際大きく体を跳ねさせると筋肉を弛緩させて地面に崩れる。
 これで一体。残りは投擲釘で打ち落とし損ねた一体のみだ。じわじわとその体躯を灰に変貌させていくデヴァ―ンの死体から剣を引き抜くと、俺は未だ壁に張り付いてこちらを窺うもう一体の魔物に切っ先を突きつけた。

「キシャァアアッ!!」
 仲間を失い窮地に立たされたデヴァ―ンは己を鼓舞するかのように雄たけびを上げると壁を蹴って真下に飛び降りた。仲間の敵を討つためか、あるいは逃げられない状況にやけくそになったかは定かではないが、真正面から向かってくるのというのならばこちらもそれに対応するまでだ。数瞬の後にやって来る衝撃に備えて姿勢を低くすると、長剣を倒して両手で支える。剣の腹でデヴァ―ンの衝突を受け流す作戦だが、一センチでも手元が狂えば瞬く間に俺の体はあの邪悪な爪と牙にバラバラにされてしまうだろう。先ほどからの戦闘で季節に似合わずグローブと胸当ての内にじっとりと汗をかいているのを感じながら俺はただその瞬間を待つ。……今!!
「ぐっ!!」
 わずかに位置を調整した剣とデヴァ―ンの爪撃が衝突し、つんざくような轟音が土煙とともに空間を満たす。規格外の運動量にがくりと体が沈み込み、ついには片膝をついてしまった。このままでは押し込まれる。地面に組み伏せられたら最後、肉の欠片も残らないほどに俺は食いつくされてしまうだろう。そうなれば背後に隠れるカイナも──。
 そんな最悪のビジョンが見えたその時だった。不意に剣を押し込むデヴァ―ンの力がなくなったかと思うと、それまで頭上を覆っていた真っ黒な巨体が瞬く間に俺の背後に回り込んだ。辛うじて追いついた俺の視線の先にあったのは俺の背中を狙う……と思いきや、さらに後ろへと疾駆するデヴァ―ンの姿だった。最悪の予想が的中してしまった。奴の狙いは俺ではない、カイナだ。
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