上 下
52 / 74
第3章 蒼き海原と氷雪の砦

49話 シロカミ

しおりを挟む
 日に日に寒さを増していく初冬の午後。俺は堅い丸椅子に腰かけて目の前のベッドに寝かされて昏々と眠り続ける少年を眺めていた。そこだけを切り取れば何とも怪しい様子のように思われるが、今このような状況になった理由を説明するためにはやや時間を巻き戻さなくてはならないのだ。
 いつものように魔石を集めるため魔物を求めて洞窟をさ迷い歩いていた俺は、巨大なコウモリライクの魔物デヴァ―ンの群れに襲われる男たちを発見した。助けに入ったはいいものの、結局一人の少年を残して他の男たちは命を落としてしまい、その少年も意識を失って倒れてしまったので、俺はその少年を背負って洞窟から脱出し、なんとかここ治療院にまでやって来たのだ。そうして一旦の治療を終え目が覚めた少年が混乱しないようにと、せめて目が覚めるまではここで見張っておくという判断を俺は下し、今に至るというわけだ。
 さすがに治療の間もフードをかぶったままというわけにはいかなかったので、現在少年はボロボロになったフード付きのケープを脱がせた状態でベッドに寝そべっている。薄暗がりですら光って見えるほどだった真っ白な髪をぼんやりと眺めながら俺は思案にふけっていた。
 結局彼が気を失う寸前に俺に放った”しろかみ”がどうの、という言葉は一体どういう意味だったのだろうか。”しろかみ”を”白髪”と変換し、そのまま彼の髪の色を指すのであれば別段不思議な色というわけでもないのではないかという結論に至ったが、ならばどんな字を当ててしろかみと読ますのかと言われれば見当もつかないというのが答えになる。
 いくら考えてもそれらしい案は浮かばず、そんな思案にも飽きてきたので俺は一旦頭をリセットしようと大きく伸びをした。窓から見える空はすでにオレンジ色に染まり始めており、夜に備えて明かりを灯す家や店がちらちらと見え始めている。観光客でにぎわう屋台を見て、そういえばこの騒動に巻き込まれてから食事をとっていないことを思い出したが、さすがにあのような凄惨な現場を見た後にがつがつご飯が食べられるほど俺の心は図太くなかった。

 冷え込んできたしそろそろカーテンを閉めておくかと俺が椅子から立ち上がったちょうどその時、寝台の上の少年の瞼がピクリと動いた。そして長いまつ毛に縁どられた薄曇り色の目がゆっくりと開かれ、眩しそうに周囲を見回した直後、ばね仕掛けのおもちゃのようにガバリと上体を起こした。しかし魔物につけられた傷が痛んだのか、その線の細い顔を苦痛に歪めて彼は再び体をベッドに沈めた。
「良かった……。目が覚めなかったらどうしようかと思ったよ。まだ傷が治っていないだろうから安静にするようにって」
 命を賭して彼を守り抜いたあのマナーゼンの覚悟が水泡に帰すことがなくなったことにほっと胸を撫で下ろして、俺はその少年に話しかけた。俺の存在を認めた少年はやはりというべきか、冷たい視線を俺に送るとぷいっとそっぽを向いてしまった。どうやらまだフードの件を許されていないらしい。そのまま黙ったままでいる少年と俺との間に気まずい沈黙が流れ、俺はたまらず言葉を漏らした。
「……その、ごめん。無理やりフードを取ったりして。あの時は怪我を処置しないといけなかったし、まさかそんなに髪を見られるのが嫌だとは知らなかったんだ」
 俺の言い訳じみた謝罪にもやはりだんまりを決め込む少年だったが、俺が対話をあきらめかけたその時、ぽつりと小さな声が部屋に零れた。
「……シロカミだって分かったのになんで助けたの?」
 少年の警戒の籠った、あるいは今にも泣きそうな顔がちらりとこちらを見る。また”しろかみ”か。一体全体”しろかみ”とは何なのだろうか。彼の口ぶりから察するに何か不当な扱いを受ける存在だということはわかるが、そんな扱いが許容されるような何かが本当にあるのだろうか。だが、仮にそんな無茶苦茶がまかり通る絶対的な法則があったとしても、彼を助けることで己に命の危険が付き纏おうとも、俺は俺の信条を貫く以外の選択肢を持っていない。そうしなければ俺という存在の今までを否定しているような気がするからだ。そしてそう誓うきっかけとなった、陽光のような笑顔の少女を俺は忘れることが出来ないからだ。
「それが俺が俺である理由だからだよ」
 さんざん返答を考えた挙句に何やら哲学じみた抽象的なことを言ってしまったが、困っている人を見捨てないというのが俺の根底にある信念なのだからまあしょうがない。そこで沈黙が流れ、やはり分かりづらかったかと頭を掻きながら他の言葉を探してもにょもにょ言っていると少年が口を開いた。
「自分の命より他人ひとの命を優先するなんて、あんたおかしいよ」
「え? そうかな?」
 確かに言われてみれば己の命を放り出して他者を助けるというのは、魔物の蔓延る危険だらけのこの世界においてはかなり異質な考え方なのかもしれない。しかしそれで見殺しにするのもなあ……と考えてしまうので、どうやら俺には利己的な思考は向いていないらしい。
 少年のおかげで自分の信念が再確認できたところで、少年はごろりと寝返ってこちらに背を向けぼそりと呟く。
「あんまりシロカミとは関わらないほうがいいよ。あんたまで変な扱いを受けるかもね」
 それほどのことをこの少年に言わしめるほどひどい差別ないし扱いがあったのだろう。その言葉を拒否できるほど俺は彼の心情や背景を知らないので、俺はそうか、と一言呟いたきり何も言えずに部屋を後にした。

 部屋を出た後俺と少年の治療を担当した治療士に再会した俺は、”しろかみ”なる概念について彼に尋ねた。恐らく彼は俺が”しろかみ”なる概念を知ったうえで少年を連れてきたと思っていたのだろう、俺の質問に一瞬戸惑ったような表情を作ったが、俺が本当に知らないと悟ったのか、ため息を吐き出すようにゆっくりと語り始めた。
 ”しろかみ”、もとい”シロカミ”とは、一言で言ってしまえば使のことだ。その名が語るように、シロカミに該当する人は頭髪を始めとする体毛が真っ白になるという特徴がある。
 そもそも魔法の素質というのは体内にマナを保有できるかどうかで判別されるものであり、通例その素質を持つ者は、例えば俺は闇属性、グレン村のまじない師ライさんは光属性、聖火隊隊長のフラムさんは火属性といった感じに、各々出力しやすい魔法の属性というのを持ち合わせているはずなのだ。しかしそんな属性に対する適正を何一つ持たないままに生まれたのがシロカミということになる。
 ゆえにシロカミとして生を受けた人間は、魔法使いにとっては出来損ない、あるいは落ちこぼれとして、魔法の素質がないものにとっては日ごろから抱いている魔法使いへの嫉妬や劣等感のはけ口として、大昔から大小様々な冷遇を受けているらしい。だから俺の助けた少年のように、多くのシロカミは頭巾やフードなどで自身の髪を隠してシロカミだとばれないようにしながらひっそりと暮らしているそうだ。ちなみに年老いて髪が白くなるときにも魔法属性への適性が失われていっているらしい。
 数分後、治療士に一通りのことを聞いた俺はやるせない気持ちで拳を固く握りしめていた。シロカミという存在がそれほどまでにひどい扱いを受けていたとは。そしてそんなシロカミの少年に対して、俺はなんと不躾な真似をしてしまったのだ。今すぐにでも謝らなければ、たとえ少年が許しても俺が俺自信を許すことが出来ない。治療士に礼を言うと俺はすぐに踵を返し、急ぎ足で少年の部屋に戻った。

 俺が気持ちに押されるまま飛び込むようにして少年のいる部屋の扉を開けると、途端に冷たい風が俺の顔面に吹き付けられる。隙間風だとかそういうレベルではなく窓が大きく開かれ、部屋全体がまるで屋外であるかのように冷たい夜の外気に満ちているのだ。何事かと部屋に入ってベッドに近づくと、先ほどまでベッドに寝そべっていたはずの少年の姿はきれいに消え去っていた。唯一彼が存在していたことを示すのは、はねのけられた毛布とそこに付着した血だけで、そばに置かれていた彼の荷物やボロボロのケープは跡形もなくなくなっていた。
「参ったもんだ……」
 俺の後ろから部屋に入ってきた治療士の男は部屋を見回しながら困ったように呟く。脳裏に少年の悲痛な顔がフラッシュバックして、俺の心に不安の棘がちくりと突き刺さるのが分かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!

七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

オタクおばさん転生する

ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。 天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。 投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)

処理中です...