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第3章 蒼き海原と氷雪の砦
49話 シロカミ
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日に日に寒さを増していく初冬の午後。俺は堅い丸椅子に腰かけて目の前のベッドに寝かされて昏々と眠り続ける少年を眺めていた。そこだけを切り取れば何とも怪しい様子のように思われるが、今このような状況になった理由を説明するためにはやや時間を巻き戻さなくてはならないのだ。
いつものように魔石を集めるため魔物を求めて洞窟をさ迷い歩いていた俺は、巨大なコウモリライクの魔物デヴァ―ンの群れに襲われる男たちを発見した。助けに入ったはいいものの、結局一人の少年を残して他の男たちは命を落としてしまい、その少年も意識を失って倒れてしまったので、俺はその少年を背負って洞窟から脱出し、なんとかここ治療院にまでやって来たのだ。そうして一旦の治療を終え目が覚めた少年が混乱しないようにと、せめて目が覚めるまではここで見張っておくという判断を俺は下し、今に至るというわけだ。
さすがに治療の間もフードをかぶったままというわけにはいかなかったので、現在少年はボロボロになったフード付きのケープを脱がせた状態でベッドに寝そべっている。薄暗がりですら光って見えるほどだった真っ白な髪をぼんやりと眺めながら俺は思案にふけっていた。
結局彼が気を失う寸前に俺に放った”しろかみ”がどうの、という言葉は一体どういう意味だったのだろうか。”しろかみ”を”白髪”と変換し、そのまま彼の髪の色を指すのであれば別段不思議な色というわけでもないのではないかという結論に至ったが、ならばどんな字を当ててしろかみと読ますのかと言われれば見当もつかないというのが答えになる。
いくら考えてもそれらしい案は浮かばず、そんな思案にも飽きてきたので俺は一旦頭をリセットしようと大きく伸びをした。窓から見える空はすでにオレンジ色に染まり始めており、夜に備えて明かりを灯す家や店がちらちらと見え始めている。観光客でにぎわう屋台を見て、そういえばこの騒動に巻き込まれてから食事をとっていないことを思い出したが、さすがにあのような凄惨な現場を見た後にがつがつご飯が食べられるほど俺の心は図太くなかった。
冷え込んできたしそろそろカーテンを閉めておくかと俺が椅子から立ち上がったちょうどその時、寝台の上の少年の瞼がピクリと動いた。そして長いまつ毛に縁どられた薄曇り色の目がゆっくりと開かれ、眩しそうに周囲を見回した直後、ばね仕掛けのおもちゃのようにガバリと上体を起こした。しかし魔物につけられた傷が痛んだのか、その線の細い顔を苦痛に歪めて彼は再び体をベッドに沈めた。
「良かった……。目が覚めなかったらどうしようかと思ったよ。まだ傷が治っていないだろうから安静にするようにって」
命を賭して彼を守り抜いたあのマナーゼンの覚悟が水泡に帰すことがなくなったことにほっと胸を撫で下ろして、俺はその少年に話しかけた。俺の存在を認めた少年はやはりというべきか、冷たい視線を俺に送るとぷいっとそっぽを向いてしまった。どうやらまだフードの件を許されていないらしい。そのまま黙ったままでいる少年と俺との間に気まずい沈黙が流れ、俺はたまらず言葉を漏らした。
「……その、ごめん。無理やりフードを取ったりして。あの時は怪我を処置しないといけなかったし、まさかそんなに髪を見られるのが嫌だとは知らなかったんだ」
俺の言い訳じみた謝罪にもやはりだんまりを決め込む少年だったが、俺が対話をあきらめかけたその時、ぽつりと小さな声が部屋に零れた。
「……シロカミだって分かったのになんで助けたの?」
少年の警戒の籠った、あるいは今にも泣きそうな顔がちらりとこちらを見る。また”しろかみ”か。一体全体”しろかみ”とは何なのだろうか。彼の口ぶりから察するに何か不当な扱いを受ける存在だということはわかるが、そんな扱いが許容されるような何かが本当にあるのだろうか。だが、仮にそんな無茶苦茶がまかり通る絶対的な法則があったとしても、彼を助けることで己に命の危険が付き纏おうとも、俺は俺の信条を貫く以外の選択肢を持っていない。そうしなければ俺という存在の今までを否定しているような気がするからだ。そしてそう誓うきっかけとなった、陽光のような笑顔の少女を俺は忘れることが出来ないからだ。
「それが俺が俺である理由だからだよ」
さんざん返答を考えた挙句に何やら哲学じみた抽象的なことを言ってしまったが、困っている人を見捨てないというのが俺の根底にある信念なのだからまあしょうがない。そこで沈黙が流れ、やはり分かりづらかったかと頭を掻きながら他の言葉を探してもにょもにょ言っていると少年が口を開いた。
「自分の命より他人の命を優先するなんて、あんたおかしいよ」
「え? そうかな?」
確かに言われてみれば己の命を放り出して他者を助けるというのは、魔物の蔓延る危険だらけのこの世界においてはかなり異質な考え方なのかもしれない。しかしそれで見殺しにするのもなあ……と考えてしまうので、どうやら俺には利己的な思考は向いていないらしい。
少年のおかげで自分の信念が再確認できたところで、少年はごろりと寝返ってこちらに背を向けぼそりと呟く。
「あんまりシロカミとは関わらないほうがいいよ。あんたまで変な扱いを受けるかもね」
それほどのことをこの少年に言わしめるほどひどい差別ないし扱いがあったのだろう。その言葉を拒否できるほど俺は彼の心情や背景を知らないので、俺はそうか、と一言呟いたきり何も言えずに部屋を後にした。
部屋を出た後俺と少年の治療を担当した治療士に再会した俺は、”しろかみ”なる概念について彼に尋ねた。恐らく彼は俺が”しろかみ”なる概念を知ったうえで少年を連れてきたと思っていたのだろう、俺の質問に一瞬戸惑ったような表情を作ったが、俺が本当に知らないと悟ったのか、ため息を吐き出すようにゆっくりと語り始めた。
”しろかみ”、もとい”シロカミ”とは、一言で言ってしまえば魔法の素質があるのに魔法が使えない人のことだ。その名が語るように、シロカミに該当する人は頭髪を始めとする体毛が真っ白になるという特徴がある。
そもそも魔法の素質というのは体内にマナを保有できるかどうかで判別されるものであり、通例その素質を持つ者は、例えば俺は闇属性、グレン村のまじない師ライさんは光属性、聖火隊隊長のフラムさんは火属性といった感じに、各々出力しやすい魔法の属性というのを持ち合わせているはずなのだ。しかしそんな属性に対する適正を何一つ持たないままに生まれたのがシロカミということになる。
ゆえにシロカミとして生を受けた人間は、魔法使いにとっては出来損ない、あるいは落ちこぼれとして、魔法の素質がないものにとっては日ごろから抱いている魔法使いへの嫉妬や劣等感のはけ口として、大昔から大小様々な冷遇を受けているらしい。だから俺の助けた少年のように、多くのシロカミは頭巾やフードなどで自身の髪を隠してシロカミだとばれないようにしながらひっそりと暮らしているそうだ。ちなみに年老いて髪が白くなるときにも魔法属性への適性が失われていっているらしい。
数分後、治療士に一通りのことを聞いた俺はやるせない気持ちで拳を固く握りしめていた。シロカミという存在がそれほどまでにひどい扱いを受けていたとは。そしてそんなシロカミの少年に対して、俺はなんと不躾な真似をしてしまったのだ。今すぐにでも謝らなければ、たとえ少年が許しても俺が俺自信を許すことが出来ない。治療士に礼を言うと俺はすぐに踵を返し、急ぎ足で少年の部屋に戻った。
俺が気持ちに押されるまま飛び込むようにして少年のいる部屋の扉を開けると、途端に冷たい風が俺の顔面に吹き付けられる。隙間風だとかそういうレベルではなく窓が大きく開かれ、部屋全体がまるで屋外であるかのように冷たい夜の外気に満ちているのだ。何事かと部屋に入ってベッドに近づくと、先ほどまでベッドに寝そべっていたはずの少年の姿はきれいに消え去っていた。唯一彼が存在していたことを示すのは、はねのけられた毛布とそこに付着した血だけで、そばに置かれていた彼の荷物やボロボロのケープは跡形もなくなくなっていた。
「参ったもんだ……」
俺の後ろから部屋に入ってきた治療士の男は部屋を見回しながら困ったように呟く。脳裏に少年の悲痛な顔がフラッシュバックして、俺の心に不安の棘がちくりと突き刺さるのが分かった。
いつものように魔石を集めるため魔物を求めて洞窟をさ迷い歩いていた俺は、巨大なコウモリライクの魔物デヴァ―ンの群れに襲われる男たちを発見した。助けに入ったはいいものの、結局一人の少年を残して他の男たちは命を落としてしまい、その少年も意識を失って倒れてしまったので、俺はその少年を背負って洞窟から脱出し、なんとかここ治療院にまでやって来たのだ。そうして一旦の治療を終え目が覚めた少年が混乱しないようにと、せめて目が覚めるまではここで見張っておくという判断を俺は下し、今に至るというわけだ。
さすがに治療の間もフードをかぶったままというわけにはいかなかったので、現在少年はボロボロになったフード付きのケープを脱がせた状態でベッドに寝そべっている。薄暗がりですら光って見えるほどだった真っ白な髪をぼんやりと眺めながら俺は思案にふけっていた。
結局彼が気を失う寸前に俺に放った”しろかみ”がどうの、という言葉は一体どういう意味だったのだろうか。”しろかみ”を”白髪”と変換し、そのまま彼の髪の色を指すのであれば別段不思議な色というわけでもないのではないかという結論に至ったが、ならばどんな字を当ててしろかみと読ますのかと言われれば見当もつかないというのが答えになる。
いくら考えてもそれらしい案は浮かばず、そんな思案にも飽きてきたので俺は一旦頭をリセットしようと大きく伸びをした。窓から見える空はすでにオレンジ色に染まり始めており、夜に備えて明かりを灯す家や店がちらちらと見え始めている。観光客でにぎわう屋台を見て、そういえばこの騒動に巻き込まれてから食事をとっていないことを思い出したが、さすがにあのような凄惨な現場を見た後にがつがつご飯が食べられるほど俺の心は図太くなかった。
冷え込んできたしそろそろカーテンを閉めておくかと俺が椅子から立ち上がったちょうどその時、寝台の上の少年の瞼がピクリと動いた。そして長いまつ毛に縁どられた薄曇り色の目がゆっくりと開かれ、眩しそうに周囲を見回した直後、ばね仕掛けのおもちゃのようにガバリと上体を起こした。しかし魔物につけられた傷が痛んだのか、その線の細い顔を苦痛に歪めて彼は再び体をベッドに沈めた。
「良かった……。目が覚めなかったらどうしようかと思ったよ。まだ傷が治っていないだろうから安静にするようにって」
命を賭して彼を守り抜いたあのマナーゼンの覚悟が水泡に帰すことがなくなったことにほっと胸を撫で下ろして、俺はその少年に話しかけた。俺の存在を認めた少年はやはりというべきか、冷たい視線を俺に送るとぷいっとそっぽを向いてしまった。どうやらまだフードの件を許されていないらしい。そのまま黙ったままでいる少年と俺との間に気まずい沈黙が流れ、俺はたまらず言葉を漏らした。
「……その、ごめん。無理やりフードを取ったりして。あの時は怪我を処置しないといけなかったし、まさかそんなに髪を見られるのが嫌だとは知らなかったんだ」
俺の言い訳じみた謝罪にもやはりだんまりを決め込む少年だったが、俺が対話をあきらめかけたその時、ぽつりと小さな声が部屋に零れた。
「……シロカミだって分かったのになんで助けたの?」
少年の警戒の籠った、あるいは今にも泣きそうな顔がちらりとこちらを見る。また”しろかみ”か。一体全体”しろかみ”とは何なのだろうか。彼の口ぶりから察するに何か不当な扱いを受ける存在だということはわかるが、そんな扱いが許容されるような何かが本当にあるのだろうか。だが、仮にそんな無茶苦茶がまかり通る絶対的な法則があったとしても、彼を助けることで己に命の危険が付き纏おうとも、俺は俺の信条を貫く以外の選択肢を持っていない。そうしなければ俺という存在の今までを否定しているような気がするからだ。そしてそう誓うきっかけとなった、陽光のような笑顔の少女を俺は忘れることが出来ないからだ。
「それが俺が俺である理由だからだよ」
さんざん返答を考えた挙句に何やら哲学じみた抽象的なことを言ってしまったが、困っている人を見捨てないというのが俺の根底にある信念なのだからまあしょうがない。そこで沈黙が流れ、やはり分かりづらかったかと頭を掻きながら他の言葉を探してもにょもにょ言っていると少年が口を開いた。
「自分の命より他人の命を優先するなんて、あんたおかしいよ」
「え? そうかな?」
確かに言われてみれば己の命を放り出して他者を助けるというのは、魔物の蔓延る危険だらけのこの世界においてはかなり異質な考え方なのかもしれない。しかしそれで見殺しにするのもなあ……と考えてしまうので、どうやら俺には利己的な思考は向いていないらしい。
少年のおかげで自分の信念が再確認できたところで、少年はごろりと寝返ってこちらに背を向けぼそりと呟く。
「あんまりシロカミとは関わらないほうがいいよ。あんたまで変な扱いを受けるかもね」
それほどのことをこの少年に言わしめるほどひどい差別ないし扱いがあったのだろう。その言葉を拒否できるほど俺は彼の心情や背景を知らないので、俺はそうか、と一言呟いたきり何も言えずに部屋を後にした。
部屋を出た後俺と少年の治療を担当した治療士に再会した俺は、”しろかみ”なる概念について彼に尋ねた。恐らく彼は俺が”しろかみ”なる概念を知ったうえで少年を連れてきたと思っていたのだろう、俺の質問に一瞬戸惑ったような表情を作ったが、俺が本当に知らないと悟ったのか、ため息を吐き出すようにゆっくりと語り始めた。
”しろかみ”、もとい”シロカミ”とは、一言で言ってしまえば魔法の素質があるのに魔法が使えない人のことだ。その名が語るように、シロカミに該当する人は頭髪を始めとする体毛が真っ白になるという特徴がある。
そもそも魔法の素質というのは体内にマナを保有できるかどうかで判別されるものであり、通例その素質を持つ者は、例えば俺は闇属性、グレン村のまじない師ライさんは光属性、聖火隊隊長のフラムさんは火属性といった感じに、各々出力しやすい魔法の属性というのを持ち合わせているはずなのだ。しかしそんな属性に対する適正を何一つ持たないままに生まれたのがシロカミということになる。
ゆえにシロカミとして生を受けた人間は、魔法使いにとっては出来損ない、あるいは落ちこぼれとして、魔法の素質がないものにとっては日ごろから抱いている魔法使いへの嫉妬や劣等感のはけ口として、大昔から大小様々な冷遇を受けているらしい。だから俺の助けた少年のように、多くのシロカミは頭巾やフードなどで自身の髪を隠してシロカミだとばれないようにしながらひっそりと暮らしているそうだ。ちなみに年老いて髪が白くなるときにも魔法属性への適性が失われていっているらしい。
数分後、治療士に一通りのことを聞いた俺はやるせない気持ちで拳を固く握りしめていた。シロカミという存在がそれほどまでにひどい扱いを受けていたとは。そしてそんなシロカミの少年に対して、俺はなんと不躾な真似をしてしまったのだ。今すぐにでも謝らなければ、たとえ少年が許しても俺が俺自信を許すことが出来ない。治療士に礼を言うと俺はすぐに踵を返し、急ぎ足で少年の部屋に戻った。
俺が気持ちに押されるまま飛び込むようにして少年のいる部屋の扉を開けると、途端に冷たい風が俺の顔面に吹き付けられる。隙間風だとかそういうレベルではなく窓が大きく開かれ、部屋全体がまるで屋外であるかのように冷たい夜の外気に満ちているのだ。何事かと部屋に入ってベッドに近づくと、先ほどまでベッドに寝そべっていたはずの少年の姿はきれいに消え去っていた。唯一彼が存在していたことを示すのは、はねのけられた毛布とそこに付着した血だけで、そばに置かれていた彼の荷物やボロボロのケープは跡形もなくなくなっていた。
「参ったもんだ……」
俺の後ろから部屋に入ってきた治療士の男は部屋を見回しながら困ったように呟く。脳裏に少年の悲痛な顔がフラッシュバックして、俺の心に不安の棘がちくりと突き刺さるのが分かった。
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