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第2章 王都フレンテと魔王の影
33話 王城前防衛戦
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突如として王都の各所に現れたドラゴンたち。俺を含めたマナーゼンたちによって大きな被害を出すこともなくドラゴンたちは討伐されたが、それから少しして、今度は王城の前に五倍ほどの大きさはあろうかという黄金色の竜が襲来した。そしてその巨竜は、あろうことか光線を放ち堅牢そうな王城に巨大な穴を穿って見せたのだった。
ようやく視覚と聴覚が元に戻り、なんとなくではあるが俺はこの竜の、ひいては先ほどの竜たちの襲撃の目的が分かった気がした。恐らく狙われているのは王城に住まう王その人だ。そして俺たちが倒した黒い竜の襲撃は、黄金の竜が王城を襲うまでの時間稼ぎ、あるいはこちら側の戦力の分散を狙っていたのだろう。
幸いなことにさっきの黒いドラゴンなら通り抜けられそうなほどの穴を開けられても王城は崩れ落ちるなどということにはならなかったが、今もなお、ここフレントーラの国王が存命かどうかは不明だ。ぼろぼろと大穴の近辺から瓦礫をこぼす王城に向かって黄金の巨竜はゆっくりと歩を進めていく。まるで標的がまだ生存していることが分かっているかのような行動だが、果たしてこの魔物にそれほどの感知能力、そもそもそれほどの知性があるのだろうか。
四足で城へ近づいた巨竜は手前で立ち止まると、上体を逸らして二足で立ち上がると右腕を大きく振り上げた。光線の一撃で崩壊しなかった王城を、今度こそはその膂力を以ってまるで積み木の城のように突き崩す気なのだ。
上限まで振り上げられた黄金の右腕が王城目がけて振り下ろされる。あまりのスケールの大きさに、なんだか特撮映画を見ているような感覚にさせられる。現実離れしたその光景を俺たちは一歩たちとも動けずにただ眺めていた。
そして巨竜の鉤爪付きの節くれだった腕が王城を叩き崩さんとした瞬間。突如として飛来した氷の槍が曇り空の薄明りを反射して煌めきながらドラゴンの手に直撃した。それに続いて次々に岩石やら黒い矢やら光線やらが飛んでいき、竜の攻撃を阻止していく。これにはさすがの巨竜も焦りを見せて一旦王城から後退った。
「王城を死守しろおお!! これ以上魔物どもの好きにはさせんぞおお!!!」
「おう!!!」
男の叫び声に続いて大勢の男の野太い雄たけびが響き渡る。そこでようやく竜のプレッシャーから解放された俺は窓に飛びつくように近づいて声の方向を見やる。そこにいたのは王都に点々を散らばっていたはずの歴戦のマナーゼンたちだった。
自慢の武器を手に果敢にも巨竜に飛びかかっていく者、後方から魔法を飛ばして攻撃する者、そして彼らを守るために大盾を並べ構える者。マナーゼンたちの役割はそれぞれでバラバラだが、むしろそれらがうまく噛み合い圧倒的な体格差のあるドラゴンを押していく。
しかし、彼らが相対しているのは人間などとは比べ物にならないほど強大で凶悪な魔物なのだ。怒りを隠せない様子の黄金のドラゴンはうるさい羽虫を払うかのように全長の半分を占める棘付きの尾を鞭のように振り回した。最前線で戦って居たマナーゼンたちが尾の直撃を食らってあっけなく弾き飛ばされていく。周りのマナーゼンたちを蹴散らし終えると今度は口を開いて光線を発射する。王城への照射よりは多少威力が低いおかげでなんとか視認できるその光線は、後方のマナーゼンたち目がけて左右に薙ぎ払われていき、あちこちで断末魔の叫び声とも思える悲鳴が上がった。この化け物は人間がどうこうできる範疇から外れている、俺はそう思ってしまった。こいつは魔物ではなく、もはや災害だ。
マナーゼンたちから大幅に戦力を奪ったドラゴンは一旦彼らから距離を取ると、何を思ったか雨の降る空に向かって咆哮を上げた。先ほどまでの威嚇するような吠え声とはどこか異なる大音響が空一杯に響いた数秒後、それに応答するように同じような声が空から聞こえてきた。空を滑るようにして下りてきたのは三体の黒い竜。俺が戦ったものと同じくらいの大きさの黒竜たちは、まだ生き残っているマナーゼンたちを蹂躙せんと襲い掛かっていく。そしてその脅威の矛先は俺たちの今いる集会所にも向けられていた。
「こっちに来る……っ! みんな伏せろおおッ!!」
俺の突然の叫び声に反応したのは窓側で竜たちの襲撃を見ていた人たち。しかし、大多数の人々は何が起こったのかわからない様子でこちらを見返している。刹那、集会所の壁を突き破って黒い竜が飛び込んできた。そのまま集会所の中央辺りに突っ込んでいき、伏せることが出来なかった人たちが無残にも薙ぎ倒されていく。まずい、まずいすぎる。ドラゴンが入ってきたことで集会所の中は逃げ惑う人で混乱状態、たとえ外に逃げたとて他のドラゴンたちが待ち構えているので、事実上ここに逃げ場は存在しないのだ。唯一の活路はこのドラゴンを倒すことでしか開かれない。
「くそ! 俺が相手だッ!」
痛む体に鞭打って、俺は鞘から剣を抜き放つと全速力で竜の眼前に躍り出た。この集会所には俺以外のマナーゼンはいなかったので恐らくこのドラゴンに立ち向かうことが出来るのも俺だけということになる。体は無論万全の状態からは程遠いがそんな言い訳をこぼしている暇はないのだ。
「ゴアアアアアッ!!」
至近距離で黒い竜が咆哮を轟かせ両腕を振り上げる。大木のようなあの腕にそして鋭い爪に少しでも当たろうものなら俺の体はあっけなく粉砕されてしまうだろう。俺は体内のマナを根こそぎ足に集めて後方に向けて纏いを発動した。マナが空っぽになった時特有の虚脱感を覚える中、ぎりぎり回避に成功した俺の顔を数センチ先を爪がまっすぐ下に振り下ろされていき、集会所の板張りの床がめちゃくちゃに破壊される。
集会所のあちこちから悲鳴が上がっているのだろうが、俺の耳にはもはや届いてなどいなかった。この化け物を殺すのには集会所の他の人たちを巻き込まないように細心の注意を払う必要がある。もし俺以外に人がいないのであれば逃げ回って地の利を生かすような戦い方もできたかもしれないが、今回は周りに人がいるため、結果的に平坦な集会所の中央でのみの戦闘に限定されているのだ。となれば体格が俺よりもはるかに大きい奴の方が圧倒的に有利になる。
背中を汗が流れるのを感じながら俺は左手でグアルドの短剣を引き抜いた。狙いはドラゴンの腕と足。正確に斬撃を刺しこめれば奴の動きを停止させることが出来るかもしれない。俺は倒れそうなほど姿勢を低くしてドラゴンに向かって飛び出した。治療院での戦闘も含め、奴の腕攻撃はいったん腕を振り上げてから行われている。そこで体を低くして全力て突っ込めば攻撃をかいくぐれるのではないかと考えたのだ。俺の読み通りドラゴンは走り寄る俺を叩き潰さんと左腕を持ち上げ始めたので、しめたとばかりに地面を蹴る足を速めてドラゴンの腹の下に滑り込んだ。背後にドラゴンの左腕が地面に叩きつけられた騒音と風圧を感じながら、そのまま駆け抜けて未だ地に着いた右腕の裏に二刀で斬撃を放つ。分厚い鱗に覆われた表側よりも幾分柔らかいその皮を切り裂き、中にある恐らく腱と思しき太いひものようなものを断ち切ったところで俺はドラゴンの下から半ば転がるようにして脱出した。俺が再びドラゴンのほうに向きなおろうとした瞬間に反撃の尻尾の一閃が走り、俺は反応することもできずに胸当ての下あたりに直撃を食らった。瞬間、肺の中の空気が一気に吐き出され、真っ赤に熱した鉄の塊を叩きつけられたかのような激痛が襲いかかり、俺の体はゴム毬よろしく床をバウンドしながら壁の近くに置いてあった木箱の山に背中から突っ込んだ。俺が装備している胸当てはささやかだが背中側にも装甲が付いているので木箱の破片が突き刺さるようなことにはならなかったが、だからと言って無傷だというわけでは全くなく、全身を打ち付けて俺は声も出せずに転がっていた。もはや自分の体がどこまであるのか分からないほどに四肢の感覚が激痛と引き換えにどこかへ行ってしまっているようだ。口端からはな像の損傷が原因であろう血が絶え間なく零れ続けていた。
すぐに立ち上がらなければと力を込めるが、俺の体はピクリとも動かない。かすかに見える視界の中で怒りの希薄を放射するドラゴンがこちらに向かってきているのが見えた。諦める気は毛頭ないが体が動かせないのでもうどうしようもないのだ。そもそも両手に握っていたはずの剣がどちらも見当たらないので、もし動いたとしても無謀ではあるが。
しかしその絶望的な状況は一瞬の出来事で大きく動いた。ゆっくりと接近してくるドラゴンと俺の間にきらりと光る小さな何かが投げ込まれると、地面に激突して控えめな破砕音とともに真っ白い煙が爆発した。先も見通せないほどの濃い煙の中で誰かが俺を背後から持ち上げて引きずっていく。物陰まで引きずられた後、影にもたれかかるような姿勢にされた俺は何者かに頬をぺちぺちと叩かれた。
「おい、まだ意識はあるか?」
そのかすれ気味の低い声には聞き覚えがある。何とか視界のきかない煙の中で目を凝らすとやはり見覚えのある顔がそこにあった。
「トレトさん……、ですか?」
「ああ、今から俺が言うことを黙って聞け。……いいか、今のお前は全身を強打して体がバラバラになりかけている。この煙幕であいつがお前を見失っているうちに俺たち治療士であいつを引き付けて助けが来る時間を稼ぐ、だからお前はここで隠れていろ」
何を言っているのだ。治療士で時間を稼ぐ? 戦闘経験のある俺でもこのざまなのに、非戦闘員である治療士たちで一体どれだけのことが出来るというのだ。そもそも外もマナーゼンたちが窮地に追い込まれている状況で、一体誰の助けを待てというのだ。
「そんなの無茶ですよ……! 俺はまだ戦えます、から、……マナポーションを、下さい……」
さっきの治療院での戦いのようにマナポーションを使って超回復をすればまた戦線に復帰できる。しかし俺の懇願をトレトさんは険しい顔で強くはねのけた。
「馬鹿言え! これ以上マナポーションで傷を治せば肉体は治っても魂がボロボロになるぞ!」
人間の魂というのはマナでできていると、かつてライさんに話していたことがあったのを思い出す。しかし俺はそんなデメリットだけで止まるわけにはいかないのだ。再びグレン村のような災厄を招きたくない。フェルテルのような犠牲を生みたくない。
「傷つくのは、血を流すのはもう俺だけで十分なんだよッ!!」
そこで俺の心臓辺りで何か温かいものが脈動するのを感じた。どくん、どくんと波打ちが次第に大きくなっていくにつれて冷え切った体の隅々に血が通っていくような感覚が増していく。そうして何とか立ち上がれるまでになると俺はドラゴンの方へ向き直った。欲しいのはドラゴンの殺す力。奴の膂力を上回るほど強く、奴の動きを制するほど早く、奴の硬い鱗を切り裂けるほど鋭く──。
「テネロ・エンボード・ルーン」
俺の詠唱に従って現れたのは普段の紫光煌めく魔法陣ではなく、その空間をハサミで切り抜いたかのような真っ黒い円の集合。そして最後の式句を唱えた直後、俺は体の奥底から何か大切なものが削られる感覚を味わいながら黒く歪な長剣を召喚した。
どこか普通の魔法とは根本的に異なる何か──グラン村でのオークとの戦いのときも使用していたおぼろげな記憶があるが、どちらも何か絶対に侵してはならないラインを踏み越えているかのような嫌な感覚があった。つまりはこの感覚こそが俺に宿る”心喰の呪い”の発動を示しているのだろう。
しかしそんなことはどうでもいい。俺の過熱された思考の中には、もはやこのドラゴンを殺すこと以外何もなかった。
「行くぞッ!!」
段々と薄くなってきた煙を切り裂きながら俺はドラゴンに向かって駆け出した。
ようやく視覚と聴覚が元に戻り、なんとなくではあるが俺はこの竜の、ひいては先ほどの竜たちの襲撃の目的が分かった気がした。恐らく狙われているのは王城に住まう王その人だ。そして俺たちが倒した黒い竜の襲撃は、黄金の竜が王城を襲うまでの時間稼ぎ、あるいはこちら側の戦力の分散を狙っていたのだろう。
幸いなことにさっきの黒いドラゴンなら通り抜けられそうなほどの穴を開けられても王城は崩れ落ちるなどということにはならなかったが、今もなお、ここフレントーラの国王が存命かどうかは不明だ。ぼろぼろと大穴の近辺から瓦礫をこぼす王城に向かって黄金の巨竜はゆっくりと歩を進めていく。まるで標的がまだ生存していることが分かっているかのような行動だが、果たしてこの魔物にそれほどの感知能力、そもそもそれほどの知性があるのだろうか。
四足で城へ近づいた巨竜は手前で立ち止まると、上体を逸らして二足で立ち上がると右腕を大きく振り上げた。光線の一撃で崩壊しなかった王城を、今度こそはその膂力を以ってまるで積み木の城のように突き崩す気なのだ。
上限まで振り上げられた黄金の右腕が王城目がけて振り下ろされる。あまりのスケールの大きさに、なんだか特撮映画を見ているような感覚にさせられる。現実離れしたその光景を俺たちは一歩たちとも動けずにただ眺めていた。
そして巨竜の鉤爪付きの節くれだった腕が王城を叩き崩さんとした瞬間。突如として飛来した氷の槍が曇り空の薄明りを反射して煌めきながらドラゴンの手に直撃した。それに続いて次々に岩石やら黒い矢やら光線やらが飛んでいき、竜の攻撃を阻止していく。これにはさすがの巨竜も焦りを見せて一旦王城から後退った。
「王城を死守しろおお!! これ以上魔物どもの好きにはさせんぞおお!!!」
「おう!!!」
男の叫び声に続いて大勢の男の野太い雄たけびが響き渡る。そこでようやく竜のプレッシャーから解放された俺は窓に飛びつくように近づいて声の方向を見やる。そこにいたのは王都に点々を散らばっていたはずの歴戦のマナーゼンたちだった。
自慢の武器を手に果敢にも巨竜に飛びかかっていく者、後方から魔法を飛ばして攻撃する者、そして彼らを守るために大盾を並べ構える者。マナーゼンたちの役割はそれぞれでバラバラだが、むしろそれらがうまく噛み合い圧倒的な体格差のあるドラゴンを押していく。
しかし、彼らが相対しているのは人間などとは比べ物にならないほど強大で凶悪な魔物なのだ。怒りを隠せない様子の黄金のドラゴンはうるさい羽虫を払うかのように全長の半分を占める棘付きの尾を鞭のように振り回した。最前線で戦って居たマナーゼンたちが尾の直撃を食らってあっけなく弾き飛ばされていく。周りのマナーゼンたちを蹴散らし終えると今度は口を開いて光線を発射する。王城への照射よりは多少威力が低いおかげでなんとか視認できるその光線は、後方のマナーゼンたち目がけて左右に薙ぎ払われていき、あちこちで断末魔の叫び声とも思える悲鳴が上がった。この化け物は人間がどうこうできる範疇から外れている、俺はそう思ってしまった。こいつは魔物ではなく、もはや災害だ。
マナーゼンたちから大幅に戦力を奪ったドラゴンは一旦彼らから距離を取ると、何を思ったか雨の降る空に向かって咆哮を上げた。先ほどまでの威嚇するような吠え声とはどこか異なる大音響が空一杯に響いた数秒後、それに応答するように同じような声が空から聞こえてきた。空を滑るようにして下りてきたのは三体の黒い竜。俺が戦ったものと同じくらいの大きさの黒竜たちは、まだ生き残っているマナーゼンたちを蹂躙せんと襲い掛かっていく。そしてその脅威の矛先は俺たちの今いる集会所にも向けられていた。
「こっちに来る……っ! みんな伏せろおおッ!!」
俺の突然の叫び声に反応したのは窓側で竜たちの襲撃を見ていた人たち。しかし、大多数の人々は何が起こったのかわからない様子でこちらを見返している。刹那、集会所の壁を突き破って黒い竜が飛び込んできた。そのまま集会所の中央辺りに突っ込んでいき、伏せることが出来なかった人たちが無残にも薙ぎ倒されていく。まずい、まずいすぎる。ドラゴンが入ってきたことで集会所の中は逃げ惑う人で混乱状態、たとえ外に逃げたとて他のドラゴンたちが待ち構えているので、事実上ここに逃げ場は存在しないのだ。唯一の活路はこのドラゴンを倒すことでしか開かれない。
「くそ! 俺が相手だッ!」
痛む体に鞭打って、俺は鞘から剣を抜き放つと全速力で竜の眼前に躍り出た。この集会所には俺以外のマナーゼンはいなかったので恐らくこのドラゴンに立ち向かうことが出来るのも俺だけということになる。体は無論万全の状態からは程遠いがそんな言い訳をこぼしている暇はないのだ。
「ゴアアアアアッ!!」
至近距離で黒い竜が咆哮を轟かせ両腕を振り上げる。大木のようなあの腕にそして鋭い爪に少しでも当たろうものなら俺の体はあっけなく粉砕されてしまうだろう。俺は体内のマナを根こそぎ足に集めて後方に向けて纏いを発動した。マナが空っぽになった時特有の虚脱感を覚える中、ぎりぎり回避に成功した俺の顔を数センチ先を爪がまっすぐ下に振り下ろされていき、集会所の板張りの床がめちゃくちゃに破壊される。
集会所のあちこちから悲鳴が上がっているのだろうが、俺の耳にはもはや届いてなどいなかった。この化け物を殺すのには集会所の他の人たちを巻き込まないように細心の注意を払う必要がある。もし俺以外に人がいないのであれば逃げ回って地の利を生かすような戦い方もできたかもしれないが、今回は周りに人がいるため、結果的に平坦な集会所の中央でのみの戦闘に限定されているのだ。となれば体格が俺よりもはるかに大きい奴の方が圧倒的に有利になる。
背中を汗が流れるのを感じながら俺は左手でグアルドの短剣を引き抜いた。狙いはドラゴンの腕と足。正確に斬撃を刺しこめれば奴の動きを停止させることが出来るかもしれない。俺は倒れそうなほど姿勢を低くしてドラゴンに向かって飛び出した。治療院での戦闘も含め、奴の腕攻撃はいったん腕を振り上げてから行われている。そこで体を低くして全力て突っ込めば攻撃をかいくぐれるのではないかと考えたのだ。俺の読み通りドラゴンは走り寄る俺を叩き潰さんと左腕を持ち上げ始めたので、しめたとばかりに地面を蹴る足を速めてドラゴンの腹の下に滑り込んだ。背後にドラゴンの左腕が地面に叩きつけられた騒音と風圧を感じながら、そのまま駆け抜けて未だ地に着いた右腕の裏に二刀で斬撃を放つ。分厚い鱗に覆われた表側よりも幾分柔らかいその皮を切り裂き、中にある恐らく腱と思しき太いひものようなものを断ち切ったところで俺はドラゴンの下から半ば転がるようにして脱出した。俺が再びドラゴンのほうに向きなおろうとした瞬間に反撃の尻尾の一閃が走り、俺は反応することもできずに胸当ての下あたりに直撃を食らった。瞬間、肺の中の空気が一気に吐き出され、真っ赤に熱した鉄の塊を叩きつけられたかのような激痛が襲いかかり、俺の体はゴム毬よろしく床をバウンドしながら壁の近くに置いてあった木箱の山に背中から突っ込んだ。俺が装備している胸当てはささやかだが背中側にも装甲が付いているので木箱の破片が突き刺さるようなことにはならなかったが、だからと言って無傷だというわけでは全くなく、全身を打ち付けて俺は声も出せずに転がっていた。もはや自分の体がどこまであるのか分からないほどに四肢の感覚が激痛と引き換えにどこかへ行ってしまっているようだ。口端からはな像の損傷が原因であろう血が絶え間なく零れ続けていた。
すぐに立ち上がらなければと力を込めるが、俺の体はピクリとも動かない。かすかに見える視界の中で怒りの希薄を放射するドラゴンがこちらに向かってきているのが見えた。諦める気は毛頭ないが体が動かせないのでもうどうしようもないのだ。そもそも両手に握っていたはずの剣がどちらも見当たらないので、もし動いたとしても無謀ではあるが。
しかしその絶望的な状況は一瞬の出来事で大きく動いた。ゆっくりと接近してくるドラゴンと俺の間にきらりと光る小さな何かが投げ込まれると、地面に激突して控えめな破砕音とともに真っ白い煙が爆発した。先も見通せないほどの濃い煙の中で誰かが俺を背後から持ち上げて引きずっていく。物陰まで引きずられた後、影にもたれかかるような姿勢にされた俺は何者かに頬をぺちぺちと叩かれた。
「おい、まだ意識はあるか?」
そのかすれ気味の低い声には聞き覚えがある。何とか視界のきかない煙の中で目を凝らすとやはり見覚えのある顔がそこにあった。
「トレトさん……、ですか?」
「ああ、今から俺が言うことを黙って聞け。……いいか、今のお前は全身を強打して体がバラバラになりかけている。この煙幕であいつがお前を見失っているうちに俺たち治療士であいつを引き付けて助けが来る時間を稼ぐ、だからお前はここで隠れていろ」
何を言っているのだ。治療士で時間を稼ぐ? 戦闘経験のある俺でもこのざまなのに、非戦闘員である治療士たちで一体どれだけのことが出来るというのだ。そもそも外もマナーゼンたちが窮地に追い込まれている状況で、一体誰の助けを待てというのだ。
「そんなの無茶ですよ……! 俺はまだ戦えます、から、……マナポーションを、下さい……」
さっきの治療院での戦いのようにマナポーションを使って超回復をすればまた戦線に復帰できる。しかし俺の懇願をトレトさんは険しい顔で強くはねのけた。
「馬鹿言え! これ以上マナポーションで傷を治せば肉体は治っても魂がボロボロになるぞ!」
人間の魂というのはマナでできていると、かつてライさんに話していたことがあったのを思い出す。しかし俺はそんなデメリットだけで止まるわけにはいかないのだ。再びグレン村のような災厄を招きたくない。フェルテルのような犠牲を生みたくない。
「傷つくのは、血を流すのはもう俺だけで十分なんだよッ!!」
そこで俺の心臓辺りで何か温かいものが脈動するのを感じた。どくん、どくんと波打ちが次第に大きくなっていくにつれて冷え切った体の隅々に血が通っていくような感覚が増していく。そうして何とか立ち上がれるまでになると俺はドラゴンの方へ向き直った。欲しいのはドラゴンの殺す力。奴の膂力を上回るほど強く、奴の動きを制するほど早く、奴の硬い鱗を切り裂けるほど鋭く──。
「テネロ・エンボード・ルーン」
俺の詠唱に従って現れたのは普段の紫光煌めく魔法陣ではなく、その空間をハサミで切り抜いたかのような真っ黒い円の集合。そして最後の式句を唱えた直後、俺は体の奥底から何か大切なものが削られる感覚を味わいながら黒く歪な長剣を召喚した。
どこか普通の魔法とは根本的に異なる何か──グラン村でのオークとの戦いのときも使用していたおぼろげな記憶があるが、どちらも何か絶対に侵してはならないラインを踏み越えているかのような嫌な感覚があった。つまりはこの感覚こそが俺に宿る”心喰の呪い”の発動を示しているのだろう。
しかしそんなことはどうでもいい。俺の過熱された思考の中には、もはやこのドラゴンを殺すこと以外何もなかった。
「行くぞッ!!」
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