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第2章 王都フレンテと魔王の影

30話 襲来

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 雨の森で大ガニの魔物オーベルセルムとの戦いに勝利した俺は、ひとまず突き刺さった剣を回収するために件の魔物に近寄った。
 剣の柄頭を殴りつけて砕けてしまった右手にはもう力が入らないので、右手に比べればまだ怪我がひどくない左手で剣の柄を握ってこじりながら引き抜く。大切に使うと決心した剣だったが、結局こんな具合に乱暴に使ってしまっているのは我ながら呆れ返ってしまう。しかしこの剣はそんな使い方にもしっかり応えて、多少の傷はついたものの折れずに最後まで一緒に戦ってくれた。心の中で感謝しつつ剣についた青い血を振り払って腰の鞘にしまうと、俺はもう一振りの相棒の元に歩み寄った。オーベルセルムの右目に突き刺さった短剣。俺が携帯していた時よりは若干汚れてはいるが、刃の頼りある輝きに衰えはない。長剣の方をへし折ってしまったことをグアルドにいつか謝りに行かないとなあ……と今更感のある思案を巡らせるが、グアルドの住むグレン村では俺はどうやら魔王の回し者という風に噂されているので、いかんせん足が向かないのが正直なところだ。いっそ魔王を倒して俺が噂通りではないことを証明して見せようかとも思ったが、そこまで俺には行動力もなければ実力もないので却下せざるを得なかった。
 得物を二本とも回収したところで、俺はオーベルセルムの魔石の回収に入った。
 あれだけ頑丈だったオーベルセルムが胸の中心辺りを剣で突き刺した途端あっという間に絶命したので、恐らくちょうど刺さった場所に魔石を抱く核袋という内臓があるはずだ。剣が穿った甲羅の穴から左腕を突っ込み、到底心地のいいものではない感覚を味わいながら中を手で探していると、何やら他より硬いものが手に当たった。かなりの重量のそれを力ずくで体内から引きずり出すと、やはりその正体は核袋。短剣で核袋を切り開いてソフトボールほどの巨大な魔石を取り出し、腰のポーチに無理やり押し込んだ。
 ひとまずこれで目標は達成だが、ここまで命を削る戦いをした相手なのだ。すべて持ち帰るのは無理だが、甲羅の一枚くらいは持って帰って何かに活かしてやりたい。不思議とそんな気持ちに駆られた俺は、オーベルセルムの亡骸に近づくと、俺を何度も殴りつけてくれた因縁のある腕を短剣で関節から切り取って手持ちの袋に入れると、よっこらせと若者らしからぬ掛け声とともに肩に担ぎあげた。
 丸太ほどある大ガニの腕の重みを感じながら、ようやく俺は森の外へと歩み出した。いつの間にか雨は止んで、空は透き通るような青に染まっていた。

「ただいま戻りましたー!」
 疲れた体に鞭打ってやっとのことでギルドまでたどり着いた俺は、魔石の換金をしてもらうためにエナセラさんを呼んだ。全身血と泥まみれでギルド的には大層迷惑な話だが、俺も早く換金を済ませて休みたいので何とかご勘弁いただきたい。
 少ししてエナセラさんが現れると、彼女は俺の姿を見てぎょっとした顔をして詰め寄ってきた。
「ソウマ様!? その怪我どうされたのですか! 早く医務室の方へ!!」
 俺に返答の隙を与えることなくエナセラさんはカウンターから飛び出すと、俺の手を引いてギルドの奥にある部屋まで向かった。ドアをぶち破るような勢いで開けて、びっくり仰天といった表情の医務室のスタッフに俺を見せる。
「この方の手当てをお願いします。一刻を争う状態ですので!」
 そこまでの動作を一気に終えて、エナセラさんは怒っているような心配しているような複雑な顔で見つめた後、バタンとドアを閉めて出ていった。
 エナセラさんのいなくなった医務室で呆然と立ち尽くす俺とギルドスタッフのおじさん。おじさんは椅子に座り直して小さくため息をつくと、俺を上から下まで眺め、扉の向こうに消えていったエナセラさんを小窓からちらりと見てから言った。
「何をどうしたらこんなことになるのかね?」
 その言葉は俺の状態を指しているのか、はたまたエナセラさんのことを指しているのか、俺には何とも判断しかねるものだった。

 医務室で応急処置をしてもらった包帯まみれの俺は、ようやくエナセラさんの元で魔石の換金をすることとなった。不機嫌そうな彼女に渡された換金額一万五千レカをやや震える手で慎重に受け取り、すぐさまポーチにしまい込んだ。ちなみにオーベルセルムの腕一節分は、ギルドの方で解体するため後日受け取りに来るようにと言われた。
「今回は何とかなりましたが」
 エナセラさんが俺をジト目で睨みながら口を開いた。まあエナセラさんの反対を押し切って結果ボロボロになったのだから怒られて当然だ。
「次回からは絶対にこのような無謀な行為は控えていただきますからね!」
 びしりと指さされてはもはや言い逃れのしようもない。俺は両手を上げて降伏のポーズを取りながらエナセラさんに心の込めて謝罪を述べる。
「ハイ、ハイ……。以後気をつけます……」
 なんだか宿題を忘れて先生にこっぴどく叱られている気分だ。
「本当に約束ですからね! ソウマ様はマナーゼンになられてまだ一月も経っていないのですから、もっとご自分のお体をたいせつになさってください! ひとまずは治療院の方に行かれてください」
「ハイ、ハイ……」
 珍しくぷりぷりと頬を膨らませながら俺を叱るエナセラさんに申し訳ない気持ちになってくる。エナセラさんに一礼してカウンターを去ると、無理せず頑張ろうと心中で反省して俺は治療院を目指してギルドを後にした。そういえばフェルテルにも無理をするなと言われたことがあったっけ。瞬間、脳裏にフェルテルのまぶしい笑顔がよみがえって、癒えたと思っていた心の傷が久しぶりにじくじくと痛むのが分かった。

 再び降り出してきた小雨の中しばらく歩くと、ようやく先日も目にした白い建物が見えてきた。服についた水滴を払って中に入ると、途端に元の世界の病院に似た消毒の匂いが鼻先を掠める。まだ昼頃ということもあって患者の姿は少ない。ひとまず受付に行ってカルテ的なものを書いて近くの椅子に座って待っていると、数分して白衣らしきものを着た男が部屋の奥にある扉から出てきた。
「そんじゃ次の患者さーん、どうぞー……って、お前また来たのかよ……」
 俺の顔を見るなり露骨に嫌そうな顔をする男は、以前にもお世話になったトレトさんだった。

「……こんなもんでいいだろ。ったく、せっかく俺が治してやったのにまたボロボロになりやがってよ」
 さすがの手際で治療を済ませたトレトさんは、俺をぎろりと睨みつけながらそんな言葉を口にする。前回の入院からわずか一週間余りしか経っていないにも関わらずこんな怪我だらけで舞い戻ってしまったので言い訳のしようもない。
「スイマセン……。以後気をつけます……」
 エナセラさんが普段優しい先生だとするならば、この人はいつも怖い鬼教師という感じだ。俺とあまり年が変わらないはずのトレトさんになんとなく委縮してしまう。
 しっしとトレトさんに追い払われるようにして部屋を出た俺の目に廊下にある窓が目に入った。白くくすんだ空からは絶え間なく雨粒が降ってきている。ここから宿までかなりの距離があるから到着する頃にはびしょびしょになっているだろうなあと呑気に考えていると、突然空が真っ黒になった。いや、急に暗雲が立ち込めたとかそういうわけではない。文字通り、窓の向こうの空がまるでペンキをこぼしたかのように真っ黒に染まってしまったのだ。その証拠に空が黒くなった直後雨が急に止んだのだ。つまり空が黒くなったのは、空を覆いつくすような巨大な何かが今頭上にあるから……?
 次の瞬間、すさまじい轟音とともに巨大な何かが空から降ってくる。おもちゃの家を壊すかのようにいとも簡単に崩れていく建物、飴細工が如く連続して粉砕されていく窓ガラス、響き渡る悲鳴、突風と一緒に飛んでくる瓦礫たち。その光景はまさに災害と呼ぶのにふさわしい。
 雷鳴に似た何かの音が轟く中、なんとか崩れた治療院から抜け出した俺の目に映ったのは、黒い鱗に全身を包まれた巨大なドラゴンだった。四足歩行で建物を破壊して回るそのドラゴンの全長は恐らく十メートルほど。細身の体躯と腕に付随したコウモリチックな皮膜、そしてその全長の半分は占めようかという鞭のような尾は、その体色も相まってドラゴンというよりむしろ悪魔の類を思わせる外見だ。
 幸いまだ俺の姿は認識されてないようで、ドラゴンは治療院だった瓦礫の山を前足を使って掘り返している。奴から発せられる迫力に身動きできないまま動向をうかがっていると、不意に奴は残骸の中から何かを掴み出した。
「いやあ!! 誰か助けてええッ!!」
 その悲鳴でようやく俺はドラゴンの掴んだそれが人間だということに気がついた。泣き叫ぶ女性を掴んだ前足がゆっくりとその細長い頭のほうへ近づいていき、ナイフのような歯が並ぶ真っ赤な口がばっくりと開かれたところで俺は我に返った。魔物の迫力なんかに負けてどうする。グレン村での惨劇をなかったことにするのか。村のみんなの、そしてフェルテルの死を無駄にするのか!!
「やめろおおおおッ!!」
 咆哮とともにドラゴンの金縛りから解放された俺は、足元に落ちていた拳大の石を拾い上げると振り上げた右腕に回復した分のわずかなマナを集める。このマナの残量では多分ドラゴンを殺すことなどは到底できないだろうが、つかまっている人を助けることくらいならできるはず。
 紫光の尾を描きながら全力で振り抜かれた腕から放たれた石はまっすぐにドラゴンの元へ飛来し、鈍い音を立てて人を掴んだ腕の付け根辺りに直撃した。トレトさんに治療してもらって痛みが引いていたはずの右手に再び鋭い激痛が戻る。投石を直撃を受けたドラゴンは腹に響くような重低音の声を上げながら女性を取り落とした。しまった、ドラゴンの行動を阻止することに夢中で、その後のことをどうすればいいのか全く考えていなかった。腕が地面からだいたい二、三メートルほどの高さにあるので、そんな高さから落とされれば絶対に無傷では済まない。己の詰めの甘さに反吐が出そうだ。
 ずるりとドラゴンの腕の中から落ちていく女性の落下地点を目指して、俺はできる限りの力を振り絞って走る。間に合ってくれ、と祈りながら瓦礫を押しのけ駆け寄るがまだ五メートルほど距離がある。だめだ、間に合わないと脳裏に諦念がよぎった瞬間、ドラゴンを挟んで俺とは反対の方向から、というより瓦礫の中から誰かが飛び出してきた。汚れてはいるもののその白い上着には見覚えがある。瓦礫を押しのけ姿を現した男は滑り落ちてきた女性をふわりとキャッチして、そのままこちらにすさまじいスピードで走ってきた。そして女性を俺たちの後ろに下ろして上着の左の内ポケットから小さなナイフを取り出す。
「トレトさん……!?」
「今は目の前の敵に集中しろ!」
 ナイフを構えて並び立つトレトさんと利き手でない左手で短剣を握る俺に、黒竜は怒りに満ちた黄金色の目を向けて低く唸った。
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