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第2章 王都フレンテと魔王の影
23話 命の対価
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「うっ腰が! いつつつ……」
杖の一閃でスネウフなる魔物を殴り飛ばした老人、もとい”閃杖のローガン”ことローガンさんは、腰をさすりながら近くの倒木に座り込む。先ほどのすさまじい一撃とは打って変わって年相応の老人らしい姿になったローガンさんに理解が追いつかないが、とりあえずスネウフに突き飛ばされて入り込んでしまった草地から戻ることにした。
「すみません、俺の不注意で……」
本来ローガンさんは指導役であり、俺が魔物を狩るべきなのだ。俺のミスで取り逃してしまった挙句、ローガンさんの手を煩わせてしまったので申し訳なさがこみ上げてくる。頭を下げようとする俺を、しかしローガンはまあまあ、と手で制した。
「最初の狩りなんてものはそんなもんですぞ。むしろスネウフの突進に対するあの動きはなかなか堂に入っているように見えましたな」
叱責されると確信していたのに熟練のマナーゼンであるローガンさんにこうも言われてしまっては、もう俺には何も言い返せない。確かに一度の失敗にずっと固執していては前進はできない。よっこらせ、と言って腰をさすって飛んでいったスネウフの方へ歩き出したローガンさんの後ろを、俺は黙ってついていく。この時俺は、一秒でも早く一人前になれるように頑張ろうと決意したのだった。
さらに一回り森の奥に入ったところで、俺たちは件のスネウフを発見した。どうやら遠くから聞こえてきたグシャ! なる音は頭部が木に激突した音だったらしく、やつの頭は、未だぴくぴくと動いているのが信じられないほどに半壊していた。崩れそうな頭に続いてだらしなく伸びた体が仰向けに転がっている。吐きそうな顔でこらえている俺を見ておかしそうにほっほと笑ったローガンさんは、さあどうぞ、という具合に半死のスネウフを手で示した。
「マナーゼンの仕事は魔石を採ってこそ、ですぞ。確か短剣も持っておられたでしょう。それで魔石を取り出しますぞ」
促されるままにスネウフの近くにしゃがんで、俺は長剣を納める代わりに短剣を抜いた。グレン村での夜戦で大いにお世話になったこの短剣は、激戦を通して少し刃こぼれはしたものの、いまでもその頑強さを誇るようにキラリとわずかな日光を受けて鈍く濡れたように反射している。今からこの短剣で目の前のスネウフにとどめを刺すのだ。その事実を噛みしめた途端に握る手が震え出した。これまで戦ってきた魔物たちは正当防衛的に、というかその必要があったから殺したようなものだった。しかし今回、俺は進んでこの魔物を殺そうとしているのだ。だから今までよりもさらに罪悪感を覚えるのだ。
浅い呼吸を繰り返して短剣を震わせる俺を見て、ローガンさんは徐に俺の横に同じようにしゃがむと、左手で俺の短剣を握る右手を包んだ。
「……良いですかな。魔物というのは概して体の中心に核となる魔石を持っております。生きた魔物から取り出すには、肋骨の下あたりを切り裂いて魔石の入った内臓を引きずり出す他ありませぬ」
そういうとローガンさんは俺の右手をぐいぐいと前に進ませる。切っ先の向く先にはスネウフの柔らかそうな腹。短剣を戻そうとする俺の右手をローガンさんの怪力がむしろ前進させる。そのまま、ゆっくりと刃は進み続け、ついにスネウフの腹まで到達した。そこでローガンさんの力がさらに強くなって、俺の短剣は軽々とスネウフの腹に突き刺さった。どくどくと赤黒い液体が絶えず切り口からあふれ続ける。仰向けに倒れて痙攣していただけだったスネウフの体が、痛みに反応するようにばたんばたんと激しく動く。しかし、そんなことは気にする様子もなくそのままどんどん短剣を押し込んでいき、刃が七分ほど入ったところでくるりと手首を回された。何かを断ち切った感触があったその瞬間、さっきまで暴れていたのが嘘のようにスネウフは静かになった。短剣は最後に何かを突き刺してスネウフの体から引き抜かれた。
「見なされ、これが魔物固有の臓器”核袋”ですぞ。この中に魔石が入っておるのです」
刀身が突き刺していたのは血にまみれた歪な形の肉塊だった。上部に管のようなものが付いたその肉は、普通の内臓とは異なり若干表面が青みがかっている。力が抜けて俺が滑り落とした短剣を手に取ると、ローガンさんはその核袋なる内臓を丁寧に切り開いた。異形の内臓から出てきたのは俺にも見覚えのある、くすんだ青色をした魔石だった。
「ほれ、早く食べないと焦げてしまいますぞ」
ローガンさんが火中の肉を指さして俺に勧める。油の滴る肉は傍から見ればおいしそうかもしれないが、今の俺にとっては恐怖と罪悪感以外の何物でもなかった。
森の中で魔石を取り出した俺たちはローガンさんの提案でこのスネウフの肉を昼食に食べようということになり、森を出てすぐにある大きな河原で肉を焼いていたのだった。さすが長年のマナーゼンということもあり、ローガンさんの調理の手際には目を見張るものがあったが、俺は先ほどのショッキングなシーンのせいですっかり食欲を失ってグロッキーになっていた。せめてサバイバル知識は学ぼうと、吐き気を我慢してローガンさんの様子をずっと見ていたことぐらいは褒めてほしい。
「ローガンさんは魔物を殺すことに罪悪感とかはないんですか?」
いつかグアルドにした質問と同じことをローガンさんにもしてみる。今ここで焼かれているスネウフは俺たちが殺すまで元気に野山、もとい森の中を駆け回っていたのだ。それなのに殺した途端に、はい、これは食べ物ですよ、となることにすさまじい違和感と気持ち悪さを覚えるのだ。いや実際にこの魔物の殺害には俺も関与しているのだが。
俺が質問を投げかけると、ローガンさんはあっさりとした口調でこう言った。
「若い頃、それこそソーマさんくらいの頃はそう思ったこともあったやも知れませぬが、今となってはもう何も感じませんな」
言葉を切って焚火の中の肉を取り出すと、大口を開けてかぶりつきいかにもうまいといった感じに咀嚼する。
「人が魔物を狩れば、魔物も人を食らう。いうなれば命の循環、自然の摂理です。ワシらマナーゼンにとっては、魔物を狩るというのは当たり前、日常の範疇にあるのですな。食事がそうであるのと同じように」
そう言って笑うと、ローガンさんは再び肉汁滴るスネウフの肉にかぶりついた。その言葉に突き動かされるように俺はようやく枝に刺したスネウフの肉に手を伸ばした。覚悟を決めてその脂の乗った肉にかみつき、咀嚼する。なんとなく、肉の味というより命の味という気がした。狩った魔物の命すら背負って俺は生きていくんだという決意をした俺を、ローガンさんは優し気なまなざしで見つめていた。
それから日が暮れるまで、俺はローガンさんに教えてもらいながら、順調に魔物狩りのコツを掴んでいった。この森に生息する魔物の種類や危険性、その対処の仕方など、覚えておくべき知識は一通り得られたと思う。未だに魔物を殺す瞬間のあの独特の不快感は拭えないが、罪悪感は次第に割り切れるようになっていった。ちなみに魔物の死体はとりあえずは必要ないということで、午後の狩りでは魔物を殺して灰にしてから魔石を回収した。
最終的に俺たちはスネウフを始めとする魔物を最初出くわしたものを含め三体討伐し、ビー玉より少し大きいぐらいの魔石を三つ手に入れた。街へ帰還後、その足でギルドに行き、ギルドのスタッフであるエナセラのところに向かった。初めてにして(自分の血だとしても魔物の血だとしても)血まみれで帰ってくる者はあまりいないらしく、若干驚いた顔をしていたのが、機械のようであったエナセラさんの人間らしいところが見えた気がして少し得をした気分になった。
「では、さっそく魔石の質の鑑定の方に入ります」
そう言ってエナセラさんは眼鏡をかけると、上皿天秤のような器具と四角い平皿に乗ったすりきり一杯砂が入ったどんぶり的な物、そして目盛りの入った細い試験管らしきものと長さ二十センチメートル、幅三センチメートルほどのまっすぐな薄板を持って来た。どうやら不正がないことを証明するためにマナーゼンの目の前で鑑定をする決まりらしい。
まず天秤に乗せて一つ一つ魔石の質量を量っていき、紙に羽ペンで記入していく。そして次に、どんぶりに魔石を押し込んで中まで埋めこむと板を使ってぐいぐいとどんぶりの上の砂を押し込んでいき、それ以上押し込めなくなったところでその板を使って盛り上がった分の砂をすりきると、さらに平皿に乗ったすりきられた砂を試験管に移して目盛りを読む。質量、そして体積を量ったということは、恐らく魔石の密度を測定しようとしているのだろう。密度が一様ではない場合はどうするのだろうと邪推してしまうが、考慮しないということは魔石に密度は均一になるという性質があったりするのかもしれない。
二つの器具で質量と体積を量ったところでエナセラさんは器具を片付け、代わりにノートくらいの大きさの分厚い石板をカウンターの下から取り出した。落としそうになりながらもカウンターにドスンと見るからに重そうな石板を下ろし、どうだとばかりに心なしかドヤ顔なエナセラさんが、なんというか微笑ましかった。してその石板はなんじゃろな、と思いながら眺めていると、エナセラさんは石板右側面にあるスライド式のスイッチのようなものを動かした。スイッチが恐らくオンになった瞬間、ブン……という低い起動音を上げながら石板の上に青白い文字が浮かび上がった。マス目上に並んだその文字群をよく見てみるとフレントーラ語の数字であることが分かる。俺がガン見しているのをよそに、エナセラさんは先ほどの値を見ながら慣れた手つきで数字を押していく。そうか、これはこの世界の電卓なのか。いや、恐らく動力は魔石であるはずなので”電”卓というのは間違いか。もし俺が名前を付けるとしたら、電子式卓上計算機の魔石版だからマナ式卓上計算機、略してマ卓といったところか。なんじゃそりゃ。
俺がくだらない考えを膨らませている間にもエナセラさんはポチポチと仮称”マ卓”に数値を入力していき、十秒余りで計算を終えて満足げに頷いていた。こうしてみると、最初の機械的な印象というのは実際の彼女の性格とは真反対だったのかもしれない。
「お待たせしました。鑑定が終了しましたので換金に移ります。今回ソウマ様が採取していただいた魔石の質は中級三位だったので、それぞれの体積、質量を考慮して六百レカに換えさせていただきます。ご協力ありがとうございました」
そう言って、エナセラさんは艶やかな布張りのトレイに乗った六枚の茶色の硬貨を俺の前に差し出した。これが初めての稼ぎ。六百レカということは宿代を二日分払っても百レカ余る値段であり、パエーゼならば十個も買えてしまう値段なのだ。途端六百レカがとてつもない大金に思えて、俺は緊張で少し震える手で六百レカを受け取った。
エナセラさんにお礼を言ってカウンターをあとにすると、休憩所の方で先を呷りながら待っていたローガンさんのところへ向かう。
「見てくださいよ、六百レカに換金してもらえました! 今日は本当にありがとうございました」
正直魔物を狩りに行く前まではこの仕事をなめていたが、実際に体験してみて初めてその過酷さを実感した。ローガンさんの助けがなければ、今日仮に死ななかったとしても近いうちに死ぬのは確定的に明らかだっただろう。
勢い良く頭を下げる俺が愉快に映ったのか、ローガンさんはほっほと楽しげに笑う。
「困った仲間がいるのなら進んで助けてやるのがワシらマナーゼンという生き物です。ソーマさんもいつか困っている人を助けてやってくださいな。では、またいつかお会いしましょうぞ!」
酒に酔っていくらか赤くなった顔でまた笑った後、ローガンさんは仲間たちとの酒盛りに戻っていった。
マナーゼンのギルドを出た俺は朝行った風呂屋を再び訪れ、狩りの疲れと汗を洗い流した後、日が傾いていくらか涼しくなった街路をゆっくり歩いて宿に戻った。まだ一泊しかしていないにもかかわらず、トカゲの角亭の蔦だらけの外観が見えてくるとなんだかほっとした気分になるから不思議なものである。
夕食までまだ少し時間があるとのことだったので、俺は女将さんに頼んで水場を貸してもらってグアルドの長剣と短剣を手入れすることにした。この剣たちがなければそもそもマナーゼンの仕事もできなかったわけで、つくづくこの世界の人たちには親切にしてもらっているなあと感慨深いものを感じながら、俺は丁寧に二振りの刃を手入れした。
夕食を食べて部屋に戻るなり、俺はベッドに吸い込まれるように潜り込んだ。予想外に魔物狩りのあの命を懸けたやり取りが心も体も疲弊させていたらしい。明日の俺に明日の行動計画を丸投げして、俺は深い眠りの中に沈んでいった。
杖の一閃でスネウフなる魔物を殴り飛ばした老人、もとい”閃杖のローガン”ことローガンさんは、腰をさすりながら近くの倒木に座り込む。先ほどのすさまじい一撃とは打って変わって年相応の老人らしい姿になったローガンさんに理解が追いつかないが、とりあえずスネウフに突き飛ばされて入り込んでしまった草地から戻ることにした。
「すみません、俺の不注意で……」
本来ローガンさんは指導役であり、俺が魔物を狩るべきなのだ。俺のミスで取り逃してしまった挙句、ローガンさんの手を煩わせてしまったので申し訳なさがこみ上げてくる。頭を下げようとする俺を、しかしローガンはまあまあ、と手で制した。
「最初の狩りなんてものはそんなもんですぞ。むしろスネウフの突進に対するあの動きはなかなか堂に入っているように見えましたな」
叱責されると確信していたのに熟練のマナーゼンであるローガンさんにこうも言われてしまっては、もう俺には何も言い返せない。確かに一度の失敗にずっと固執していては前進はできない。よっこらせ、と言って腰をさすって飛んでいったスネウフの方へ歩き出したローガンさんの後ろを、俺は黙ってついていく。この時俺は、一秒でも早く一人前になれるように頑張ろうと決意したのだった。
さらに一回り森の奥に入ったところで、俺たちは件のスネウフを発見した。どうやら遠くから聞こえてきたグシャ! なる音は頭部が木に激突した音だったらしく、やつの頭は、未だぴくぴくと動いているのが信じられないほどに半壊していた。崩れそうな頭に続いてだらしなく伸びた体が仰向けに転がっている。吐きそうな顔でこらえている俺を見ておかしそうにほっほと笑ったローガンさんは、さあどうぞ、という具合に半死のスネウフを手で示した。
「マナーゼンの仕事は魔石を採ってこそ、ですぞ。確か短剣も持っておられたでしょう。それで魔石を取り出しますぞ」
促されるままにスネウフの近くにしゃがんで、俺は長剣を納める代わりに短剣を抜いた。グレン村での夜戦で大いにお世話になったこの短剣は、激戦を通して少し刃こぼれはしたものの、いまでもその頑強さを誇るようにキラリとわずかな日光を受けて鈍く濡れたように反射している。今からこの短剣で目の前のスネウフにとどめを刺すのだ。その事実を噛みしめた途端に握る手が震え出した。これまで戦ってきた魔物たちは正当防衛的に、というかその必要があったから殺したようなものだった。しかし今回、俺は進んでこの魔物を殺そうとしているのだ。だから今までよりもさらに罪悪感を覚えるのだ。
浅い呼吸を繰り返して短剣を震わせる俺を見て、ローガンさんは徐に俺の横に同じようにしゃがむと、左手で俺の短剣を握る右手を包んだ。
「……良いですかな。魔物というのは概して体の中心に核となる魔石を持っております。生きた魔物から取り出すには、肋骨の下あたりを切り裂いて魔石の入った内臓を引きずり出す他ありませぬ」
そういうとローガンさんは俺の右手をぐいぐいと前に進ませる。切っ先の向く先にはスネウフの柔らかそうな腹。短剣を戻そうとする俺の右手をローガンさんの怪力がむしろ前進させる。そのまま、ゆっくりと刃は進み続け、ついにスネウフの腹まで到達した。そこでローガンさんの力がさらに強くなって、俺の短剣は軽々とスネウフの腹に突き刺さった。どくどくと赤黒い液体が絶えず切り口からあふれ続ける。仰向けに倒れて痙攣していただけだったスネウフの体が、痛みに反応するようにばたんばたんと激しく動く。しかし、そんなことは気にする様子もなくそのままどんどん短剣を押し込んでいき、刃が七分ほど入ったところでくるりと手首を回された。何かを断ち切った感触があったその瞬間、さっきまで暴れていたのが嘘のようにスネウフは静かになった。短剣は最後に何かを突き刺してスネウフの体から引き抜かれた。
「見なされ、これが魔物固有の臓器”核袋”ですぞ。この中に魔石が入っておるのです」
刀身が突き刺していたのは血にまみれた歪な形の肉塊だった。上部に管のようなものが付いたその肉は、普通の内臓とは異なり若干表面が青みがかっている。力が抜けて俺が滑り落とした短剣を手に取ると、ローガンさんはその核袋なる内臓を丁寧に切り開いた。異形の内臓から出てきたのは俺にも見覚えのある、くすんだ青色をした魔石だった。
「ほれ、早く食べないと焦げてしまいますぞ」
ローガンさんが火中の肉を指さして俺に勧める。油の滴る肉は傍から見ればおいしそうかもしれないが、今の俺にとっては恐怖と罪悪感以外の何物でもなかった。
森の中で魔石を取り出した俺たちはローガンさんの提案でこのスネウフの肉を昼食に食べようということになり、森を出てすぐにある大きな河原で肉を焼いていたのだった。さすが長年のマナーゼンということもあり、ローガンさんの調理の手際には目を見張るものがあったが、俺は先ほどのショッキングなシーンのせいですっかり食欲を失ってグロッキーになっていた。せめてサバイバル知識は学ぼうと、吐き気を我慢してローガンさんの様子をずっと見ていたことぐらいは褒めてほしい。
「ローガンさんは魔物を殺すことに罪悪感とかはないんですか?」
いつかグアルドにした質問と同じことをローガンさんにもしてみる。今ここで焼かれているスネウフは俺たちが殺すまで元気に野山、もとい森の中を駆け回っていたのだ。それなのに殺した途端に、はい、これは食べ物ですよ、となることにすさまじい違和感と気持ち悪さを覚えるのだ。いや実際にこの魔物の殺害には俺も関与しているのだが。
俺が質問を投げかけると、ローガンさんはあっさりとした口調でこう言った。
「若い頃、それこそソーマさんくらいの頃はそう思ったこともあったやも知れませぬが、今となってはもう何も感じませんな」
言葉を切って焚火の中の肉を取り出すと、大口を開けてかぶりつきいかにもうまいといった感じに咀嚼する。
「人が魔物を狩れば、魔物も人を食らう。いうなれば命の循環、自然の摂理です。ワシらマナーゼンにとっては、魔物を狩るというのは当たり前、日常の範疇にあるのですな。食事がそうであるのと同じように」
そう言って笑うと、ローガンさんは再び肉汁滴るスネウフの肉にかぶりついた。その言葉に突き動かされるように俺はようやく枝に刺したスネウフの肉に手を伸ばした。覚悟を決めてその脂の乗った肉にかみつき、咀嚼する。なんとなく、肉の味というより命の味という気がした。狩った魔物の命すら背負って俺は生きていくんだという決意をした俺を、ローガンさんは優し気なまなざしで見つめていた。
それから日が暮れるまで、俺はローガンさんに教えてもらいながら、順調に魔物狩りのコツを掴んでいった。この森に生息する魔物の種類や危険性、その対処の仕方など、覚えておくべき知識は一通り得られたと思う。未だに魔物を殺す瞬間のあの独特の不快感は拭えないが、罪悪感は次第に割り切れるようになっていった。ちなみに魔物の死体はとりあえずは必要ないということで、午後の狩りでは魔物を殺して灰にしてから魔石を回収した。
最終的に俺たちはスネウフを始めとする魔物を最初出くわしたものを含め三体討伐し、ビー玉より少し大きいぐらいの魔石を三つ手に入れた。街へ帰還後、その足でギルドに行き、ギルドのスタッフであるエナセラのところに向かった。初めてにして(自分の血だとしても魔物の血だとしても)血まみれで帰ってくる者はあまりいないらしく、若干驚いた顔をしていたのが、機械のようであったエナセラさんの人間らしいところが見えた気がして少し得をした気分になった。
「では、さっそく魔石の質の鑑定の方に入ります」
そう言ってエナセラさんは眼鏡をかけると、上皿天秤のような器具と四角い平皿に乗ったすりきり一杯砂が入ったどんぶり的な物、そして目盛りの入った細い試験管らしきものと長さ二十センチメートル、幅三センチメートルほどのまっすぐな薄板を持って来た。どうやら不正がないことを証明するためにマナーゼンの目の前で鑑定をする決まりらしい。
まず天秤に乗せて一つ一つ魔石の質量を量っていき、紙に羽ペンで記入していく。そして次に、どんぶりに魔石を押し込んで中まで埋めこむと板を使ってぐいぐいとどんぶりの上の砂を押し込んでいき、それ以上押し込めなくなったところでその板を使って盛り上がった分の砂をすりきると、さらに平皿に乗ったすりきられた砂を試験管に移して目盛りを読む。質量、そして体積を量ったということは、恐らく魔石の密度を測定しようとしているのだろう。密度が一様ではない場合はどうするのだろうと邪推してしまうが、考慮しないということは魔石に密度は均一になるという性質があったりするのかもしれない。
二つの器具で質量と体積を量ったところでエナセラさんは器具を片付け、代わりにノートくらいの大きさの分厚い石板をカウンターの下から取り出した。落としそうになりながらもカウンターにドスンと見るからに重そうな石板を下ろし、どうだとばかりに心なしかドヤ顔なエナセラさんが、なんというか微笑ましかった。してその石板はなんじゃろな、と思いながら眺めていると、エナセラさんは石板右側面にあるスライド式のスイッチのようなものを動かした。スイッチが恐らくオンになった瞬間、ブン……という低い起動音を上げながら石板の上に青白い文字が浮かび上がった。マス目上に並んだその文字群をよく見てみるとフレントーラ語の数字であることが分かる。俺がガン見しているのをよそに、エナセラさんは先ほどの値を見ながら慣れた手つきで数字を押していく。そうか、これはこの世界の電卓なのか。いや、恐らく動力は魔石であるはずなので”電”卓というのは間違いか。もし俺が名前を付けるとしたら、電子式卓上計算機の魔石版だからマナ式卓上計算機、略してマ卓といったところか。なんじゃそりゃ。
俺がくだらない考えを膨らませている間にもエナセラさんはポチポチと仮称”マ卓”に数値を入力していき、十秒余りで計算を終えて満足げに頷いていた。こうしてみると、最初の機械的な印象というのは実際の彼女の性格とは真反対だったのかもしれない。
「お待たせしました。鑑定が終了しましたので換金に移ります。今回ソウマ様が採取していただいた魔石の質は中級三位だったので、それぞれの体積、質量を考慮して六百レカに換えさせていただきます。ご協力ありがとうございました」
そう言って、エナセラさんは艶やかな布張りのトレイに乗った六枚の茶色の硬貨を俺の前に差し出した。これが初めての稼ぎ。六百レカということは宿代を二日分払っても百レカ余る値段であり、パエーゼならば十個も買えてしまう値段なのだ。途端六百レカがとてつもない大金に思えて、俺は緊張で少し震える手で六百レカを受け取った。
エナセラさんにお礼を言ってカウンターをあとにすると、休憩所の方で先を呷りながら待っていたローガンさんのところへ向かう。
「見てくださいよ、六百レカに換金してもらえました! 今日は本当にありがとうございました」
正直魔物を狩りに行く前まではこの仕事をなめていたが、実際に体験してみて初めてその過酷さを実感した。ローガンさんの助けがなければ、今日仮に死ななかったとしても近いうちに死ぬのは確定的に明らかだっただろう。
勢い良く頭を下げる俺が愉快に映ったのか、ローガンさんはほっほと楽しげに笑う。
「困った仲間がいるのなら進んで助けてやるのがワシらマナーゼンという生き物です。ソーマさんもいつか困っている人を助けてやってくださいな。では、またいつかお会いしましょうぞ!」
酒に酔っていくらか赤くなった顔でまた笑った後、ローガンさんは仲間たちとの酒盛りに戻っていった。
マナーゼンのギルドを出た俺は朝行った風呂屋を再び訪れ、狩りの疲れと汗を洗い流した後、日が傾いていくらか涼しくなった街路をゆっくり歩いて宿に戻った。まだ一泊しかしていないにもかかわらず、トカゲの角亭の蔦だらけの外観が見えてくるとなんだかほっとした気分になるから不思議なものである。
夕食までまだ少し時間があるとのことだったので、俺は女将さんに頼んで水場を貸してもらってグアルドの長剣と短剣を手入れすることにした。この剣たちがなければそもそもマナーゼンの仕事もできなかったわけで、つくづくこの世界の人たちには親切にしてもらっているなあと感慨深いものを感じながら、俺は丁寧に二振りの刃を手入れした。
夕食を食べて部屋に戻るなり、俺はベッドに吸い込まれるように潜り込んだ。予想外に魔物狩りのあの命を懸けたやり取りが心も体も疲弊させていたらしい。明日の俺に明日の行動計画を丸投げして、俺は深い眠りの中に沈んでいった。
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