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第2章 王都フレンテと魔王の影

22話 閃杖のローガン

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「俺はこの国の人間ではないのですが……、これなら大丈夫でしょうか?」
 魔物を狩って魔石を採取する職業マナーゼン。そんな仕事を路銀を稼ぐためにやることにした俺は、早速魔石を換金する施設に足を運んでいた。しかし最近国からお触れが出て、マナーゼンはここフレントーラ王国の民しか原則できないことになっているのだ。突然この世界に放り出されてほぼ身元不明な俺が困っていたところ、泊まっている宿の女将さんが抜け道を提案してくれたため、今こうして件の抜け道とやらを受付のお姉さんに差し出しているというわけだ。
「……長期宿泊証明書ですね。はい、大丈夫ですよ。それではマナーゼンの登録を行うのでこちらの書類に記入をお願いします」
 どうやら女将さんの抜け道が功を奏したようだ。心の中で全霊の感謝を女将さんに送っておこう。というのも、この街に長期間滞在することを証明するこの証明書があれば、例外的にマナーゼンの登録が可能になるそうなのだ。俺の完全な予想になるが、恐らくは国民のみ可という規制は国外への金の流出を防ぐためなので、長期間滞在する、つまりその場でお金を落としてくれるならば外に流れる金の量も少なくなるのでヨシ! ということなのではないだろうか。いやしかし、第三者が存在して、長期滞在している換金役とお金及び魔石の輸送役がいればその思惑は破綻してしまうので他に理由があるのだろうが、まあ細かいことは気にせず、今は登録に集中するとしよう。
 翻訳に苦労しながらゆっくり書類に目を通していくと、名前や出身の他に、死亡時の遺体の扱いについてだの、遺品の届け先だの、何やら物騒な項目があることに気がついた。魔石は手に入れるために魔物を殺してそのはらわたから取り出す必要がある以上、魔石の希少性が高いことと同時にかなりの危険が常に付きまとうのだ。ゆえに需要を満たすため他国の者を例外的にマナーゼンとして受け入れたり、また死亡時のことを事前に書かせるというのも納得できない話ではない。この世界では俺は天涯孤独なので、遺体やら遺品やらはすべてマナーゼンのギルド(遠い昔歴史の授業で習ったあのギルドと同じかは定かではないが、いわゆる組合のことらしい)に一任することにして書類を書き上げた。書いた書類を渡すと、職員のお姉さんはポケットから厚いレンズの入った眼鏡を取り出すと、書類をチェックし始めた。眼鏡をかけて書類に目を通す姿は、まっすぐに切り揃えられた黒い髪と相まってとても様になる。
 多分この人は眼鏡で補正できないレベルでとんでもなく目が悪いのだろう、眼鏡をかけているにもかかわらず書類を睨みつけるようにしてチェックしている。なんとなく先生に提出した課題を目の前でチェックされているような気分になりながら待っていると、やがて顔を上げて眼鏡を外したお姉さんは、相変わらずの無表情のまま機械的に言う。
「以上で登録は完了です。登録証を発行するのでそのまま少々お待ちください」
 さっきからなんとなくこのお姉さんの機械的なところに既視感があると思っていたが、誰かと思っていたら昨日の建国の剣があった広場のイベントのお姉さんだ。あちらは常に笑顔でこちらは真顔と表情は異なるものの、どこか機械的に思える対応はなんとなく似た印象を与えている。もしかして姉妹……? などと思案を巡らせていると、登録証が完成しました、と声がかかる。俺は慌てて現実に戻って完成したばかりのカードを受け取った。銅色の薄い金属板のカードには俺の名前と出身(どうしようもなかったので日本と書いたがそのまま修正されずに書かれている)、そしてその他の書類で書いたような項目が刻印されていた。
「換金時にはそちらを提示していただく必要がありますので、くれぐれも無くすことがないようお気をつけください」
「肝に銘じておきます。ありがとうございます!」
 登録が無事に済んだことに安堵のため息を漏らして立ち去ろうとする俺に、お待ちください、と彼女が声をかける。
「不躾なことをお伺いして申し訳ないのですが、ソウマ様は魔物の討伐の経験はどれほどおありですか?」
 魔物の討伐の経験か。急に突飛な質問だと思ったが、確かに未経験の人を送り出して魔物に殺されるなんてことになったら、ギルドとしてもあまり良いことではないだろう。俺自身少しばかり魔物を殺したが、ほとんど偶然の重なりで勝てたようなものだし、ここはあまり経験がないと言っておいたほうが身のためかもしれない。
「あまり経験はないですね」
「でしたら、講習として熟練のマナーゼンに教わることをお勧めします。こちらから指導役の方を推薦しますので、初回はその方と一緒に魔物の討伐に行かれてください」
 そういってお姉さんはカウンターの奥に向かうと、また眼鏡をかけて、何やら大量の名前が書かれた分厚い名簿を睨み始めた。すさまじい勢いで目が文字を追い、ぺらぺらと名簿をめくっていく。俺はただ彼女の仕事ぶりに目を奪われていた。
 そして五分後。名簿を置いて、カウンターに戻ってきたお姉さんは俺に言う。ちなみに律儀にもまた眼鏡を外している。
「それではローガン様にソウマ様の指導役をやっていただきます。先ほどいらしていたのでまだギルドの中にいらっしゃるはずですが……」
 そう言ってカウンターから身を乗り出してきょろきょろと辺りを見回すお姉さん。ギルド内にかなりのマナーゼンがいる上に彼女の視力で果たして件のローガン氏を発見できるのかと内心思っていたが、すぐに、見つかりました、と声が上がった。どうやら遠くは普通に見えているようだ。そんなくだらないことを考えていると、お連れしますね、と言ってお姉さんはギルドのもう一つのブースである休憩所に向かって行った。一体どんな強面漢を連れてくるのかと若干不安になりながら待っていると、お姉さんが戻ってきた。その後ろには杖を突きながら歩いてくる、いかにも普通といった感じのご老人。一体だれかと思っていたら、よくよく見れば彼は昨日の公園で俺に建国の剣について話してくれた老人ではないか。思わぬ再開には驚きだが、なんでまたこんなところにいるのだろうか。まさかこの老人がローガン氏なんてことは間違ってもないだろう。
 ついに俺の目の前までやって来たお姉さんとご老人。困惑している俺などお構いなしにお姉さんがこんな言葉を投げる。
「ご紹介します。こちらがマナーゼンのローガン様です。ローガン様、こちらはソウマ様。今回ご指導をしていただきたい方です」
 このご老人がベテランマナーゼンのローガン氏!? 誠に失礼な物言いだが、どう見ても魔物を狩れるほどの体力はないように思えるが、本当に大丈夫なのだろうか。いや、しかし魔法があるような世界なのだ。このご老人改めローガンさんも秘められた何かすごい能力を持っているのかもしれない。
「えっと……、昨日ぶりですかね。……ソウマと言います。ご指導のほどよろしくお願いします」
 微妙な顔で挨拶する俺にローガンさんは昨日別れた時と同じ快活な笑顔で応じて返事を返す。
「昨日の旅のお方ともう一度お会いできるとは、なんという奇跡でしょうな。ともかく、エナセラ嬢に紹介された通り、ワシがローガン。”せんじょうのローガン”と呼ぶ者もおりますな。こんな老いぼれでよろしいのなら、ぜひとも手ほどきいたしましょうぞ」
 せんじょう。戦場、あるいは船上だろうか。いわゆる二つ名という奴だろう。この国では一般人は名字を持っていないらしいので、特に有名な人などは識別のために二つ名をつけるといった文化があるんだろうか。
 ローガンさんが杖を持っていない右手を差し出してきたので、握手という文化が果たしてこの世界にも存在するのかと一瞬だけ逡巡して、俺も慌てて手を差し出して握手をする。その瞬間にこの一見普通な老人の異常性が垣間見えた。握った右手が老人とは思えないほど異様に分厚いのだ。節くれだった太い指にがっしりと握り返されて俺は無理やり笑顔を作るしかなかった。

「それでは、早速魔石の採取の方に向かわれますか?」
「ワシはそれで構いませんぞ。ソーマさん、どうされますかの?」
 これから継続的にマナーゼンとして資金調達しなければならないのなら、早めにこの仕事に慣れておいたほうがよいだろう。お姉さん改めエナセラさんとローガンさんに返答を待たれている俺は少しの間を空けて頷く。
「そうですね。じゃあ今から行ってみます。よろしくお願いします、ローガンさん」
「ほっほ、こちらこそよろしく頼みますぞ」
 ローガンさんが満足そうに豊かな髭をしごく。具体的なことを何も知らずにその場の乗りと勢いで決定してしまったが、まあ歴戦のマナーゼンだというローガンさんが一緒ならば大丈夫だろう。日暮れまでにはまたギルドに戻るとエナセラさんに伝えて、俺たちは初仕事のために街の外へと向かった。

 やって来たのは王都フレンテから南に三キロほど離れたところにある森。俺が初めてこの世界に降り立った森よりも薄暗く鬱蒼としたそこには、人間以外の生物が存在することを示唆するように大きな傷が入った木が何本も立っている。頭上を木と葉が覆っているにもかかわらず日向と同じくらい暑い上にかなりの湿度があるせいか、あるいは緊張のせいか、じっとりと嫌な汗をかきながらそわそわと辺りを見回す俺を見て、先を歩くローガンさんがほっほと笑う。
「そこまで気を張らんでも大丈夫ですぞ。ここの森は初心者でも気を付けてさえいれば対処がしやすいような魔物しか出ませんからの」
「そう言われても怖いものは怖いですよ!」
 そもそも俺は元の世界では狩人でも何でもない、一介の学徒だったのだ。これで殺戮上等! なんて精神性ならばそれはそれでサイコパスの部類ではないか。だから俺の反応は至極常識的なものなのだ。
「いやいや、そう硬くなりすぎると本来の力も発揮できませんからの。……おや、そんなことを言っていると早速何かがこちらにやってきていますな……」
 ローガンさんはそう言って、動こうとした俺を手で制する。俺にはまだ接近する物音は聞こえなかったのでどういうことなのかと困惑していたが、その数秒後に遠くから草をかき分けるカサカサという音が聞こえてきた。
「恐らくスネウフですな。ソーマさん、剣を抜きなされ……」
 ローガンさんが静かに指示を出す。鞘走りの音を立てないように慎重にグアルドから譲り受けた長剣を引き抜いて、切っ先を音源の方に向ける。グアルドと一緒に洞窟でゴブリンと戦ったことを思い出すようなシチュエーションだ。スネウフとやらに注意を向けた途端、こちらに接近してくる音が止み、そこから無限に思えるほどの静寂が流れる。張り詰めた空気に耐え切れなくなろうというその瞬間、視界の先の茂みから弾丸のように黒っぽい物体が飛び出してきた。咄嗟のことに対処できず、剣をかいくぐった黒い何かはまっすぐに俺の腹の飛び込む。
「ぐほッ!!」
情けない声を漏らしながら俺は後方に突き飛ばされる。サイズ自体は小型犬ほどだが、スピードがすさまじいために突進攻撃がとんでもない威力になっている。慌てて起き上がって前方を向くと、突撃をかましてきた正体が華麗な回転の後着地するのが見えた。まず一番目を引くのはその鼻。犬とイノシシの中間ぐらいの顔に、サイズに不釣り合いな大きな鼻が前方に向かって生えている。表面は地面を掘るためか、あるいは獲物を狩るためか、頑丈そうなゴツゴツした皮膚に覆われている。そしてそんな頭部の後ろには暗い茶色の短い毛を蓄えたずんぐりとした体と四本の手足が付いており、骨格的には太めの犬といった感じだ。このような体格で先ほどの素早い突進をこの体で一体どうやって可能にしているのか、全くもって見当もつかない。
 幸い現れたのはこの一匹だけだったようで、すぐさま追撃が飛んでくることはなかったが、俺が体勢を戻したころには、スネウフはすでに次の突進のプレモーションに入っていた。この休みのない攻撃の感じ、森で出会った最悪の敵ペウルスを思い出させる。あの時より成長していることを信じつつ、俺も迎撃の体制に入る。ペウルスの一件を引用するならば、この手の突進は単に避けただけでは思わぬ追撃を被る可能性があるので、避けるのではなく受け流すべき。
 俺が姿勢を低くして剣を横にして構えると同時に、スネウフが地を蹴ってこちらに飛びかかってきた。距離はおよそ三メートル。うまく受け流せなければもろにその衝撃を受けることになるだろう。少なくとも腕の骨折は避けれまい。驚くべき加速度で迫る巨大な鼻に瞑りそうになる目を無理やり合わせて間合いをはかる。……ここだ!
「せい……やあッ!」
 衝突の直前、さらに姿勢を低くして構えた俺の体の上にちょうどスネウフが乗る形になる。その瞬間に後転の要領でごろりと後ろに転がり、剣でホールドしたスネウフを思い切り後方に蹴り飛ばした。俺も絶賛回転中なのでスネウフがどうなったかは確認できないが、一呼吸置いてドカッ! という盛大な衝突音がしたので恐らく作戦成功のはずだ。地面に両手で持った剣が着いたところで勢いよく腕を伸ばし、バク転のように着地してすぐに飛んでいった方向に剣を向ける。受け流しはうまくいったがまだまだスネウフは元気なようで、フルフルと頭を振った後回復した様子でこちらに向き直った。三度目の突進に備えて剣を握りなおすが、なんだかスネウフの様子がおかしい。俺を狙っていればまっすぐこちらに向かって突進の体勢に入るはずだが、今回は少し右に逸れたほうに向けて構えている。俺以外に標的がいるとするならば……。次なる標的がローガンさんだと気づいたときには、スネウフはすでにロケットのようにまっすぐ彼のほうまで駆け出していた。まずい、歴戦のマナーゼンとはいえローガンさんはお年寄り。さらには武器すら持っている様子はないので迎撃することすらままならない。
 もう追いつけないとわかっていながらも俺はローガンさんの方へ駆け出していた。左腕を突き出し、走りながら魔法の詠唱を開始する。
テネロ闇よエメルゲ顕現せよ……」
全速力で式句を詠唱していくが衝突までにはとても間に合わない。避けてくれ! と祈りながら詠唱を進める俺とは対照的にローガンさんは涼しげな表情でスネウフの突進を待ち構えている。
「ほっほ、元気な奴だのう」
 公園で遊ぶ子供を見るような目でそう呑気な声を漏らすと、左手に握った杖をくるくると回して右後方まで振りかぶる。
「しかし、ちと元気すぎるかの」
 スネウフが飛びかかった瞬間、左手に握られた杖が閃く。ローガンさんの放った神速の一閃は、向かってきたスネウフをはるか森の奥まで水平な軌道を描いて吹っ飛ばした。スネウフは風切り音を上げながら飛んでいき、数秒後にグシャ! というなんとも物騒な音が聞こえてきた。
「ほっほ、まだまだ腕は鈍っておらぬようですな」
 予想外の光景に、俺は口をあんぐり開けたまま固まることしかできない。しかしその瞬間彼の二つ名の恐らく正しい意味が分かった気がした。恐らくこういう漢字を当てるのだ。”閃杖のローガン”。襲い掛かった魔物を杖の一振りで蹴散らしたその老人は、先ほどと変わらぬ涼しげな顔でほほ笑んでいた。
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