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第1章 はじめての異世界

7話 グレン村

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 また同じ夢を見た。純白の少女と、虹色の光に包まれたことだけはなんとなく覚えているが、それ以外のことはまるで靄がかかったかのように思い出せない。
 なぜだかわからないが、俺はその内容を思い出さなければならない気がした。しかし追憶も虚しく、俺の意識は現実へと引き戻される。

 目覚めた途端に視界いっぱいに陽光が輝き、軽い目眩を覚える。遠くに見えた人家にたどり着こうとしたところで意識を失ったはずの俺の身体は、森の冷たい地面ではなくなぜか柔らかく暖かな布団の上に寝かされていた。
「……ううっ、ここどこだ……」
 じんじんと疼く頭を押さえつつ身体を起こして周囲を確認する。俺のいる部屋にはベッドの他に簡素な机くらいしかないが、開いた扉の奥に見える隣の部屋には簡素な玄関や年季の入っていそうな家具、パチパチと時折爆ぜる音を上げる暖炉があり、そして壁際には、いつか教科書で見たことのある気がする農具たちが立て掛けてある。
 時々外からキュルキュルと奇妙な鳴き声が聞こえるのはよくわからないが、それ以外は普通の中世の農村の家という感じだ。……中世? いや、それより家……?
「あ、目が覚めました?身体の調子はどうですか?」
 不意にドアの向こうから 澄んだよく通る声が響く。突然玄関から来訪したのは、ライトブラウンの髪に青い瞳を持つ少女だった。

「いやー、目覚めてくれて本当に良かったです。昨日の朝に薬草を取りに森に行ったら、あなたが血まみれで倒れてたんですよ。それもあのペウルスの隣で! 大人を呼んで村に運んで傷の手当をして……それから丸々一日眠ってたんですよ」
 テキパキとベッドの上の俺の世話をこなしながら、突然現れた少女は事情を説明する。
 今さらのように、なぜ日本人ではないような外見の彼女の口から発せられる言葉が流暢な、というよりネイティブとしか思えないような日本語であるのかという疑問がふと湧き上がるが、本人にそれを尋ねるのはいささか失礼な気がしてぐっと質問したい気持ちを飲み込む。
 俺よりも五歳くらいは年齢が低い、十二、三歳くらいの外見からは想像もできないほどしっかりとした彼女はさらに続ける。
「傷の具合はどうですか? 私が発見したときには上半身がズタズタになってて、できる限りの処置はしたんですけど……。とりあえず包帯を巻き直しますね」
 少女の話を聞いて、今更自分が包帯まみれになっていることに気がついた。確かにあのときはものすごい怪我を負った記憶はあるが、今はなぜか怪我に気づかないくらい痛みというものが全くない。
 怪我があるらしい場所をぺたぺたと触りながら首を傾げる俺をよそに、失礼します、と断りを入れて少女は接近する。深い海のようなブルーの目とそれを縁取る長いまつげ、健康的に焼けた肌とヘイゼルの艶のある長い髪と、そのすべてが彼女を美形たらしめていた。これは少女というよりむしろ美少女と形容するのが正しいだろうか。
 そんな美少女の急速な接近にどぎまぎしつつ、俺は包帯を取られていく。しゅるしゅると包帯が解かれる音が部屋に広がり、次第に上半身が顕わになる。緊張した面持ちで包帯を取る少女の顔に突如驚愕の色が現れた。
「すごい! もう傷が塞がってる!」
「え? うそだろ!?」
………本当に塞がっている。あの大トカゲ─彼女いわくペウルスの鋭い爪やら爆風やらでボロボロになったはずの身体は、痛々しい大きな傷痕こそあれどもすべて塞がってしまっていた。この現象には覚えがある。最初にペウルスに襲われたとき、なぜか大きな裂傷が一晩で治っていた。この現象の原因は俺自身にあるのか、それともこの環境にあるのか……。
「こんなに早く傷が塞がるなんて、よほどマナ量が多いんですね」
俺の様子を見て少女はそんな言葉を漏らす。まなりょう? 少なくとも俺の頭の辞書にはないワードに疑問を覚え、少女に質問を投げかける。
「そのまなりょうっていうのはなんのこと?」
 俺の質問に、少女は先ほどとは若干ニュアンスの異なる驚きを見せる。俺はそんなに非常識なのだろうか?少なくとも学校で習った覚えはないのだが。
 自分の非常識さについて思いを巡らせる俺を見かねて少女は説明を入れてくれる。
「マナ量というのは名前の通り、身体に蓄えられたマナの量のことで、これが多いほど傷の治りが早いんですよ。ご存知ないということはもしかして旅人さんは異国からやってきたんですか?」
 ……こんな話信じていいのか。俺は別に医学に精通しているわけではないが、そのマナとやらが存在し、かつ怪我の回復を早めるなど聞いたことがない。

 ここは一体どこなのか。なぜこんな状況になっているのか──。次々と湧いてくる疑問とともに冷たい予感が忍び寄ってくるのを感じながら俺は少女に尋ねる。
「まずは助けてくれてありがとう。異国かどうかはわからないけど、俺は多分ここじゃないどこかから来たんだと思う。とりあえず知り合いに連絡を取りたいんだけど、電話とかって借りられるかな?」
 せめて俺の知っている人と連絡を取ることができれば、少しは現状が好転するだろう。直接的な状況の解決にこそならないが、何もしないよりは確実になんらかの良い影響をもたらすのではないだろうか。
 おそらくは一瞬であろうが、俺の中では何時間にも感じた間が空いた後、少女は可愛らしく首を傾げた。
「……えっと、そのでんわ?っていうのはなんですか?」
 さっきの俺の反応とそっくりな少女の反応に、俺も思考が停止してしまう。
「…え? いや、電話ってのはこういう形の離れた人と話すための機械だけど、知らない?」
ジェスチャーで電話を示しながら俺は少女に確認する。
「うーん……ごめんなさい、わからないです。ここって田舎だし、そもそもこの国は魔法中心の国だからほとんど機械が導入されていないんですよ」
 申し訳なさそうな少女の言葉に俺は固まる。いつから日本は魔法メインの国などというのびっくり仰天な国になったのだろうか。機械が導入されていない? いまどきそんな国なんて、多少の例外を除けば存在しないのではないか。
 俺の嫌な予感が的中しないことを祈りつつ恐る恐る少女に尋ねる。
「ちなみにここって日本のどこらへん…?」
「にほん? ……ああ、旅人さん、もしかして迷子になってここに来たんですか? ここはそのにほん?って言う国じゃなくて、フレントーラって言う国の北東の平原にあるグレンの村ですよ」
 俺に正しい場所を示した少女のにこやかな表情と、俺の引きつり青ざめた表情はさぞ対照的に映ったことだろう。
 つまり彼女の話を信じると、俺は気がつくと自宅からフレントーラなる聞いたこともない国の北東の森に飛ばされて、現在ここグレン村にいるということになる。
 うん、これは夢に違いない。未だに体の節々は痛むし、そもそも夢の中なのに何度も寝ているが。
 頭を抱えて現実逃避を始めた俺を見て不思議そうな顔を少女は、励ますように俺に声をかける。
「大丈夫ですよ、迷子になってこの村に来る旅人さんは結構いますし、旅人さんもきっと目的地にたどり着けますよ。王都に行けば交通の便もいいですし、行ってみるのもいいかもしれませんよ」
 王都などというまたもやおかしな言葉を耳に入れつつ俺は考える。とりあえずはどこへ行けばいいかもわからない以上、その王都とやらに行って情報を集めるのも手の一つかもしれない。しかし今すぐに行動するには、あまりにも不安要素がありすぎる。
 またもや悩みだした俺を見て少女は言う。
「ご飯でも食べれば、いい案が浮かんでくるかもしれませんよ」
 確かに昨日、ペウルスとやらと戦ってから何も口にしていない。食事をしてエネルギーを回復すれば打開策も見つかるかもしれない。
「そうだね。じゃあ、いただこうかな」
 俺の返事を聞き、少女は元気よく部屋を出ていった。彼女の靴が床板を打つ軽快な音ともに、俺が来ていた服とよく似た民族風のスカートが揺れる。というか室内でも土足なのか。そうなると日本の文化圏でない可能性が高くなってくるが、まったくどういうことなのだろうか。
 扉の向こうから料理の音とともに鼻腔をくすぐる美味しそうな香りが漂ってきた。途端に俺の腹の虫が情けない声を漏らし始める。
 数分後、部屋に戻ってきた少女が盆に載せて運んできてくれたのは、素朴な木の器に並々とよそわれたオートミールのような何かだった。湯気を立ち上らせるそれを見ると、口中に唾液があふれるのがわかった。
「じゃーん! グレン村特産のリーフェと森で採れた木の実で作った乳粥ですよ~」
 なるほど、”リーフェ”というのが恐らく麦のような穀物を指しているのだろう。お礼を言って乳粥とスプーン(これも見慣れた形をしている)を受け取り、俺は早速白き海に櫂を差し入れた。
「うん! うまい!」
 口に含んだ瞬間にミルクの豊かな風味と香ばしい木の実、そして最後に、リーフェのまろやかな甘みが押し寄せてきた。昨日口にしたトカゲ肉とは大違いの美味しさ。これまでの人生で、料理にこんなにも感動することがあっただろうか。いや、ない。それほどまでに今の俺にはこの乳粥の旨さが染み渡ったのだった。
「それは良かったです! これ私の得意料理なんですよ。おじいちゃんも美味しいって褒められるんです」
えへへ、と嬉しそうに笑う少女。
「君はおじいさんと一緒に住んでるの?」
 俺が目覚めたときにはそのようなご老人の姿は見えなかったが、もうすでに出かけているのだろうか。
 俺の質問に頷いて少女は答える。
「はい! おじいちゃんは捨て子だった赤ちゃんの私を拾ってくれて、今まで育ててくれた命の恩人なんです。この村の村長をしていて、今は外の畑でお仕事をしてますよ」
 少女の話を聞き、少女がなぜこんなにも見ず知らずの人に親切にしてくれるのかがわかった気がした。こんな優しい子を育てた人だ。きっと彼もまた人格者であるに違いない。

「あ、そういえばまだお互い名乗ってませんでしたね。私、フェルテルっていいます。旅人さんのお名前は?」
少女、もといフェルテルはにこやかに俺に自己紹介をする。フェルテル、か。少なくとも英語圏やその他の俺の知る言語圏の名前ではなさそうだ。
「俺の名前は壮真。よろしくね」
「ソーマさんですね、こちらこそよろしくお願いします!」
 輝かんばかりの笑顔のフェルテルが、なぜだか俺にはとても眩しく見えた。

 軽い自己紹介を済ませ朝食を食べ終えた後、フェルテルは祖父の畑仕事を手伝うから、安静にして寝ておくようにと言った。しかし俺も命を救ってくれたお礼がしたいということで、怪我を治すのに専念しろというフェルテルの反対を押し切って、無理をしないという条件付きで一緒に畑に向かうことになった。
 ボロボロになってしまった俺の服の代わりに、祖父の若い頃のものだという服を借りて玄関を抜けると、俺の目の前に牧歌的な村の光景が広がった。朝の穏やかな陽光を浴びて空を泳いでいく鳥っぽい生物、舗装されていない土の道、その道に装用にして建てられた簡素な家々、遠くには豊かな恵みを育む畑と、そこで働く村人たちの姿もある。
「す、げえ……」
 見れば見るほど映画やゲームで見るような農村の出で立ちに、その類の作品の中に入ってしまったかのような不思議な感慨を覚える。
 目を見開いて固まる俺を見てフェルテルはふふっと笑う。
「すごくいい景色ですよね。人も動物も草木も、支え合って生きてるのがグレン村なんです。そんなグレン村が私大好きなんです」
 村を見やりながら、フェルテルがそう言葉を紡いだ。
 すさんだ現代社会に生きてきた俺にとって、この村は理想のようなものに思えた。不便はあれども皆が充実して一日一日を送っている。現代とは逆位相とも思われる光景を目にすることができただけでも、俺はどこか救われたような気分になった。
「よし! 元気が湧いてきたところでおじいちゃんのところに向かいましょう!」
「……そうだね、行こう!」
 フェルテルのはつらつとした声に感慨から呼び戻され、俺は彼女に案内されて祖父の畑を目指した。
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