父の男

上野たすく

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カップの秘密

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「俺達は良くも悪くも四人だった。だから、お前から大学を辞めるって聴かされたとき、俺ん中の未来絵図が歪んじまった。勉強すればするほど、お前を置き去りにしていっているような気がした。だけど、俺は勉強することを許された環境にいて、気が抜けたからといって、勉強をしないことは、したくてもできないお前への、もっとも残酷な裏切り方だと思った。俺は、何度も、お前に考え直すよう、言おうとした。勉強なんて、どこでもできる。大学辞めても、司法試験は受けられるだろって。桜井は新しい未来に焦点を合わせてんのに、馬鹿だよな」

 笑った相手に、昭弘は目を伏せて微笑み、小さく首を左右した。
 友人は口角を上げ、瞼を閉じ、開けた。

「ずるずる勉強しているとき、なんとなく美術館へ行った。文字ばっか見てたからか、新鮮でさ。胸が高鳴った。絵を描きたい。他人から強制されるわけでもなく、将来のためでもなく、やりたいって気持ちだけが湧きあがったのは、生まれて初めてだった。お前がなに考えてんのか、わかんねえけど、俺は俺の直観に従っただけだ」

 テーブルへ戻った男はフォークでケーキを突き刺した。
 昭弘は唇を伸ばし、洗面所へと歩いた。
 育児と仕事で疲労をしていたとき、三田はこちらを気にかけてくれた。
 勉強をやめたから時間があると、自ら蛍の世話を買って出てくれたことだってある。

 洗面所でタオルの茶色いシミを揉む。
 茶色く濁った水が排水溝に流れていく。

 三田が決めたことだ。
 昭弘は介入していない。
 だけど、彼が選んだ未来に救われた。
 そして、もしかしたら、彼はこちらの寂しさを感知したのかもしれない。

 自分はそうやって、人の未来に影響してきたんじゃないだろうか?
 高校時代の友人が言ったように、視線や仕草、言動や声色、すべてで。

 自分が意図しなくとも……。

「おい、スマホ、鳴ってんぞ」

 我に返り、蛇口を閉める。
 タオルを絞って洗濯機へ入れ、リビングへ戻ると、三田からスマートホンを手渡された。

「……ありがとう」

 三田は微笑し、小さく頷いた。
 吉村からの着信だった。
 珍しい。
 スマートホンを耳に当てる。

「夜分にすみません」
「いや。どうした?」
「加賀島さんから連絡をもらいました。先輩、河原という司法書士をご存じですね?」

 吉村は、河原が加賀島に暴行し、逃亡していると言った。
 加賀島は、河原の罪を口にし、男が赤城庄次に執着をしていることと、蛍を目の敵にしていることをも、吉村に話したらしかった。
 蛍に電話を替われと言う吉村に対し、昭弘は中野京子のメモに載っていた住所を告げた。

 それからは、脳と現実が別次元にいるようだった。
 三田に謝罪をし、鍵を預けて、外へ駆け出し、タクシーを捕まえた。
 赤城のアパートへ着くと、吉村はすでに背の高い若い男性の刑事と共に、赤城の部屋を訪問していた。
 赤城はのっぽの刑事から河原が事件を起こし、こちらへ来る可能性があると聴き、蒼白になった。
 蛍は帰ったと、彼は震えた。
 昭弘は礼を言い、階段を駆け下りた。
 吉村が相棒の刑事に残るよう指示を出し、こちらへ走ってくる。
 途中、コンクリートに血液を見つけ、崩れそうになる四肢を叱咤した。

 蛍を失う恐怖は、何よりも怖かった。
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