父の男

上野たすく

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星に願いを

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 地下鉄の乗り継ぎが上手くいき、思ったよりも早く目的地へと着けた。
 午前九時半。
 赤城はまだ帰ってこない。
 コンクリート造りのアパートの前で、蛍は缶コーヒーを啜った。
 アパートの近くに、自販機があってよかった。
 夕飯を食べずに来たから。
 星空を見上げ、缶に口を当てる。
 他の男のところへ行く恋人を、昭弘はどう思っただろう。
 黒い空は黒一色ではなく、雲や月、星の色がそれぞれの味を出して、そこにあった。

「どうも、思わないか」

 手を離さない、と告げたのは、自分だ。
 その気持ちに偽りはない。
 だけど、相手が拒んでも、手を掴み続けるのは一途を超えて、もはや、犯罪だ。
 きらきらと輝く星に見入る。
 あの星が光りを放ったのは今ではない。
 なん百年も、昔。
 自分も、昭弘も、赤城も、中野も、過去を忘れられない。
 それは、あの光のように、ふとしたとき、すぐ傍らで光るからだ。
 醜悪に、それでいて、美しく。
 今だけを生きているのに、今だけを見られないのは、たくさんの星を抱えていて、その光が、あたかも、掴めそうだから。

「渋谷?」

 振り返る。
 赤城はコンタクトに替えたのか、眼鏡をしていなかった。
 やつれてはいないが、目の下にクマができている。

「どうして?」
「中野から教えてもらった」
「なんで?」
「お前に会ってくれって」
「だからって、どうして来るんだよ? ふつう、スルーするだろ?」
「構ってきたのは、お前が先だろ?」

 赤城はしかめっ面で、横に視線をずらした。

「部屋には入れない。帰れ」

 男が歩き出す。
 蛍は缶をゴミ箱へ入れ、後を追った。
 赤城がこちらを見ずに、帰れと言ってくる。
 階段を上がり、三階に着くと相手は頭を垂れた。

「頼む。部屋、汚いから、帰って」
「気にしない」
「帰れって」
「……話ができるまで、帰れない」
「わかんないかなあ……」
「赤城?」

 彼は応えず、三○五号室のドアを開け、蛍を見た。

「どうぞ」

 赤城の部屋は、大量の書籍とレポートで、足の踏み場もなかった。
 赤城は先に入り、それらを隅へ、どかした。
 ガスコンロは一口しかない。
 流しに、ピンク色の洗剤とかわいらしい柄のスポンジがあった。

「なに?」

 肩が触れるところまで赤城がやってくる。

「……お前、なんで、死のうとした?」

 中野がいるのに。
 独りじゃないのに。

「話って、それ?」

 赤城は面倒くさそうに後頭部を掻いた。

「午後十時半、非通知」
「なに? なにかの呪文?」
「惚けるなよ。お前なんだろ? 電話の相手。星に願いをのオルゴール。お前がかけてくれたんだろ?」

 赤城は視線を泳がせ、一点で止めた。
 蛍は勉強机に駆けて引き出しを開け、息を飲んだ。

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