父の男

エピローグ ～昭弘の気持ち～

1

　半年、蛍との関係を先に進められない。
　地下鉄の吊り革に掴まりながら、昭弘は額を下に向けた。

　どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。

　相続のことは以前から思っていることだ。
　けれど、新居へ移りたいのは、今の関係を変えたかったからだ。
　溜息を洩らす。
　電車が駅に停まり、高校生のカップルが入ってきた。

　若いな。
　俺も、せめて、二十年、若ければな……。

　若く、綺麗な体だったなら、もっと、積極的に行けたかもしれない。
　制服を着た恋人達は昭弘の斜め前に座り、二言、三言、話しては微笑みあった。
　電車が動き出す。
　加賀島と立ち上げた事務所を辞め、一人で開業をして、五ヶ月。
　人脈が人脈を呼び、赤字にはならずに働けている。
　蛍は、家にいてもいい、と言ってくれたが、働けるうちは働きたい。
　自分が蛍に残せるのは、金しかないのだから。
　地下鉄の窓に映る、自分の顔を見つめた。
　地下を映す車窓が明るくなる。
　ホームが近づき、車輪にブレーキがかかった。
　開いたドアから、ベビーカーを押す女性が乗ってくる。
　段差に苦戦している彼女を手助けし、感謝を告げられ、微笑んで会釈した。
　彼女は高校生のカップルの隣に、ベビーカーの中の赤ちゃんと向き合って座った。
　高校生の男女が赤ちゃんに笑いかける。
　淡い桃色の服を着た赤ん坊は、無邪気に小さな手をばたつかせ、喜んだ。
　かわいい、と思う。
　子どもが、特別、好きという訳ではないが、幼い姿を見ていると心が安らぐ。

　蛍にも、あんな頃があった。

　目を伏せて笑み、吊り革をきつく握りしめる。
　蛍は自分といる限り、子どもとの思い出を作れない。
　今でも、蛍が、自分を待っていてくれたことを嬉しいと思う一方、彼の将来を憂う。
　蛍はゲイじゃない。
　たぶん、バイセクシャルだ。
　女とだって、寝ることができる。
　だから、彼は望めば、子どもを持てるのだ。

「あの……」

　下から声をかけられ、昭弘は瞬いた。

「桜井昭弘さんですよね？」

　ショートヘアーの女がこちらを見上げている。

「渋谷蛍君のお父さん、ですよね」

　お父さん……。

　心臓を鋭利なもので刺されたような痛みを、昭弘は唇を伸ばしてカバーした。