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エピローグ ~蛍の気持ち~
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分譲マンションを購入しよう、と言ったのは、昭弘だった。
蛍は朝食を並べ終え、昭弘の待つ、テーブルの向かい側に、相手を見つめながら放心状態で座った。
昭弘は、いただきます、と手を合わせ、いつものように、味噌汁を啜る。
「一軒家も考えたんだが、二人とも、昼間はほとんど、いないから、オートロックだと安心だろ? 二十四時間、ゴミ出しができるのも、ありがたいし、駅近も便利だと思う。荷物も増えてきているし、いい機会だと思うんだ。……気のり、しないか?」
「え?」
こちらの手つかずの料理に、視線を向けたあと、彼は、また、蛍を見た。
「そんなことは……」
ガタガタと風で窓が揺れる。
ここも、年季が入っている。
蛍は畳の部屋を見つめた。
「そんなことは、ないよ」
そうか、と、昭弘は微笑み、椅子の傍に置いてあった紙袋を渡してきた。
「パンフレット、一応、貰ってきたんだ」
蛍は袋を太腿の上にのせ、開いた。
「こんなに?」
「愛知県内と長久手、それから岐阜と三重。目星をつけておいてくれ。明日は仕事を入れていないから、二人で見に行こう」
昭弘は食べ終わると食器を流しへ持っていき、そればかりか、洗おうとするので、蛍は立ち上がった。
「今日、俺が有休とってんの知ってんだろ? やっとくって」
「お前だって、疲れているだろ? そうだ、今どきのマンションは、食洗機が標準でついているんだってな。食事のあとのストレスが削減されるって、書いてあった」
「はいはい。わかったから。歯、磨きに行けって」
蛍に押される形で、洗面所に入った昭弘は、大人しく歯ブラシを持った。
「なんで、ここ、出たいの?」
「ん? んー」
「俺は、別に、ここでも」
歯磨き粉の混ざった唾液を吐き出し、昭弘は息をついた。
「ローン、組むなら、少しでも若いうちがいいって、言うだろ?」
「ローン、組むのか?」
「……組まないけど」
「あのさ、無理して金を使う必要なんか、ないんだぜ。老後に必要だろ、老後に。俺達の世話は、俺達がしなきゃ、ならねえんだぞ」
言って、すぐ、後悔した。
昭弘は口を漱ぎ、笑んだ。
「だから、お前に、少しでも、財産を残しておきたいんだ。預金も、俺が生きている間に、少しずつ、お前に移していきたい」
頭をポンポンと軽く叩かれる。
「考えておいてくれよ」
じゃ、いってくる、と昭弘は、鞄を持ち、門口で革靴を履いた。
蛍は充電器に拘束されたままのスマートホンを解放してやり、昭弘の背中に、それを当てた。
「忘れもん」
「ありがとう。助かる」
恋人って、どんなだったっけ。
「他に、忘れてるもん、ねえよな?」
父さんと母さんは、どんなだったっけ。
「ないと思う」
「なら、いいけど。……今日は早く帰ってこられる?」
「ああ。依頼が来なければ、六時には帰るよ」
「わかった。いってらっしゃい」
「いってきます」
相続なんて、まるで、親と子どもだ。
ドアが開いて閉められる。
蛍はその場に、しゃがみ込んだ。
昭弘に好きだと言ってもらえた日から、半年、自分達の関係に進展はない。
蛍は溜息をつき、髪を掻き乱した。
膝を叩き、立ち上がる。
食器を片づけよう。
昭弘に食洗機の話題を持ち出されないように。
蛍は朝食を並べ終え、昭弘の待つ、テーブルの向かい側に、相手を見つめながら放心状態で座った。
昭弘は、いただきます、と手を合わせ、いつものように、味噌汁を啜る。
「一軒家も考えたんだが、二人とも、昼間はほとんど、いないから、オートロックだと安心だろ? 二十四時間、ゴミ出しができるのも、ありがたいし、駅近も便利だと思う。荷物も増えてきているし、いい機会だと思うんだ。……気のり、しないか?」
「え?」
こちらの手つかずの料理に、視線を向けたあと、彼は、また、蛍を見た。
「そんなことは……」
ガタガタと風で窓が揺れる。
ここも、年季が入っている。
蛍は畳の部屋を見つめた。
「そんなことは、ないよ」
そうか、と、昭弘は微笑み、椅子の傍に置いてあった紙袋を渡してきた。
「パンフレット、一応、貰ってきたんだ」
蛍は袋を太腿の上にのせ、開いた。
「こんなに?」
「愛知県内と長久手、それから岐阜と三重。目星をつけておいてくれ。明日は仕事を入れていないから、二人で見に行こう」
昭弘は食べ終わると食器を流しへ持っていき、そればかりか、洗おうとするので、蛍は立ち上がった。
「今日、俺が有休とってんの知ってんだろ? やっとくって」
「お前だって、疲れているだろ? そうだ、今どきのマンションは、食洗機が標準でついているんだってな。食事のあとのストレスが削減されるって、書いてあった」
「はいはい。わかったから。歯、磨きに行けって」
蛍に押される形で、洗面所に入った昭弘は、大人しく歯ブラシを持った。
「なんで、ここ、出たいの?」
「ん? んー」
「俺は、別に、ここでも」
歯磨き粉の混ざった唾液を吐き出し、昭弘は息をついた。
「ローン、組むなら、少しでも若いうちがいいって、言うだろ?」
「ローン、組むのか?」
「……組まないけど」
「あのさ、無理して金を使う必要なんか、ないんだぜ。老後に必要だろ、老後に。俺達の世話は、俺達がしなきゃ、ならねえんだぞ」
言って、すぐ、後悔した。
昭弘は口を漱ぎ、笑んだ。
「だから、お前に、少しでも、財産を残しておきたいんだ。預金も、俺が生きている間に、少しずつ、お前に移していきたい」
頭をポンポンと軽く叩かれる。
「考えておいてくれよ」
じゃ、いってくる、と昭弘は、鞄を持ち、門口で革靴を履いた。
蛍は充電器に拘束されたままのスマートホンを解放してやり、昭弘の背中に、それを当てた。
「忘れもん」
「ありがとう。助かる」
恋人って、どんなだったっけ。
「他に、忘れてるもん、ねえよな?」
父さんと母さんは、どんなだったっけ。
「ないと思う」
「なら、いいけど。……今日は早く帰ってこられる?」
「ああ。依頼が来なければ、六時には帰るよ」
「わかった。いってらっしゃい」
「いってきます」
相続なんて、まるで、親と子どもだ。
ドアが開いて閉められる。
蛍はその場に、しゃがみ込んだ。
昭弘に好きだと言ってもらえた日から、半年、自分達の関係に進展はない。
蛍は溜息をつき、髪を掻き乱した。
膝を叩き、立ち上がる。
食器を片づけよう。
昭弘に食洗機の話題を持ち出されないように。
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