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クロス・ストリート ~蛍視点~
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徹夜でそこらじゅうを歩き、早朝、義侠屋に帰ってチェックアウトの時間まで仮眠したなら、また歩いたが、昭弘は見つけられなかった。
当てが外れた。それだけだ。
公共交通機関を使い、行きつけのスーパーで値の下がった売れ残りの弁当を買い、交差点で歩みを止めた。信号を見なくとも、赤だとわかっていた。車が一台、通り過ぎていく。
もし、俺が死んだなら、昭弘は葬式に来てくれるだろうか?
車が走ってくる。
踵をあげた。
と、隣に若い夫婦がきた。
持つよ、と男が女に手を向ける。
―袋。
昭弘の声が脳裏でスパークした。
自分に向けてくれた手を思い出す。
涙を飲み下し、踵を戻した。
信号機はいまだ赤を光らせ、人を立ち止まらせる。前に視線を移し、木々の奥にある住宅街に背筋を伸ばした。
長いね、と女がもっともなことを言う。車が右へ、左へと走り去っていく。赤と白の車体が重なり、分離する。開けたそこに目を見開いた。何年も見てきた横顔に足が動く。交差点に踏み出す直前で車に邪魔をされ、弁当を落とした。
昭弘は住宅街とは違う方向へと歩いていく。仕事中なのか、背広姿だ。アパートへ戻るために来たわけではないのだ。
信号は赤だ。交差点をさまざまな色の車が通り過ぎていく。反対車線を走っていたタクシーが坂道で停車した。ドアの前に昭弘がいた。タクシーのドアが開く。
背後から女の悲鳴がした。男が、止まれ、と叫んだ。すぐ横を風が吹き抜け、鼓膜がその強烈な音に生命の危険を知らせる。クラクションがガラス越しに聞こえるのに、頭は異常なくらいに冴えていた。
昭弘がこちらを振り向く。交差点を渡り切り、震える足を叩いて坂道へと駆けだす。
うまく走れない。ふらつく。歩こうとして耐えきれず、膝をついた。
動いてくれ。
枯葉が散らばるアスファルトに手をつき、立ち上がろうとして足が笑い、横に倒れて肩を打った。誰かに腕を掴まれ、起こされる。
「蛍……」
吐息のように名を呼ばれる。
ここが外だとか、他人がいるだとか、モラルだとか、いくつもの枷を踏み倒し、昭弘をきつく抱きしめた。彼は説教を溜息に替えたようだった。
「無事でよかった」
そう呟く唇にキスをした。歯が当たり、相手の唇を傷つける。血の味がした。
昭弘はゆっくりとこちらの背中を撫でた。
男の背広を掴む指に力を入れた。
昭弘はアパートの部屋まで一緒に来てくれ、背広の胸ポケットから携帯電話を取出し、蛍に断りを入れると台所で電話をし出した。
今日は仕事で帰れない。
目を伏せた。たぶん、電話の相手は加賀島だ。
立ち上がり、驚く昭弘から携帯電話を取り上げ、切った。昭弘は悲しげにこちらの名前を呼んだ。携帯を床に落とし、口づけた。
台所のテーブルへと追い詰め、キスをしたまま体を押しやる。唇を離し、昭弘の腰をずり上げた。焦ったように名前を呼ばれる。スラックスのベルトを外し、ファスナーを下げる。昭弘は上半身を起こし、抵抗した。両手首を強く掴み、テーブルに力づくで固定した。唇を舐め、首筋をついばみ、わずかに開いた口へ、舌を差し入れる。
加賀島の元へは帰さない。絶対に!
舌で相手の口腔を愛撫しながら、シャツの中へ手を入れる。
だけど、どんなに言い訳をしても、これじゃあ、こんなんじゃ……。
手を引っ込めた。涙が昭弘の頬に落ちた。
これはレイプだ。昭弘は玩具じゃない。欲しいからって、同意もなく、セックスをしていいわけがない。なにをやってんだよ、俺は。
背中に温かみを感じ、息を止めた。昭弘は微笑んでいた。
「ごめん。すぐにどくから」
やましさから、上半身を起こした。
が、すぐさま腕を掴まれ、昭弘を囲うようにテーブルに両手をついた。彼はとろんとした眼差しをこちらへ向けた。腕を撫でられる。ねっとりと。息遣いも、手や指の動きも、官能的だった。まるで、こちらの腕で自慰をしているような……。
口づけようとして、顔を傾けられた。
「どうして?」
いつもそうだ。期待すると突き放される。
昭弘は蛍の腕から抜け出し、スーツを整えた。
「そんなに加賀島って男が、怖い?」
相手はこちらを見つめ、俯き、苦笑した。
「浩平は無事だよ」
「……浩平には悪いことをした」
「その気もないのに告白したことを言っているのなら、浩平は怒っていないと思う」
「……知っていたのか?」
答える代わりに口を閉ざした。
昭弘は自嘲した。
「幻滅しただろ?」
「どう応えて欲しい?」
男は笑顔をはりつかせたまま、泣きそうな瞳を下へ向けた。
当てが外れた。それだけだ。
公共交通機関を使い、行きつけのスーパーで値の下がった売れ残りの弁当を買い、交差点で歩みを止めた。信号を見なくとも、赤だとわかっていた。車が一台、通り過ぎていく。
もし、俺が死んだなら、昭弘は葬式に来てくれるだろうか?
車が走ってくる。
踵をあげた。
と、隣に若い夫婦がきた。
持つよ、と男が女に手を向ける。
―袋。
昭弘の声が脳裏でスパークした。
自分に向けてくれた手を思い出す。
涙を飲み下し、踵を戻した。
信号機はいまだ赤を光らせ、人を立ち止まらせる。前に視線を移し、木々の奥にある住宅街に背筋を伸ばした。
長いね、と女がもっともなことを言う。車が右へ、左へと走り去っていく。赤と白の車体が重なり、分離する。開けたそこに目を見開いた。何年も見てきた横顔に足が動く。交差点に踏み出す直前で車に邪魔をされ、弁当を落とした。
昭弘は住宅街とは違う方向へと歩いていく。仕事中なのか、背広姿だ。アパートへ戻るために来たわけではないのだ。
信号は赤だ。交差点をさまざまな色の車が通り過ぎていく。反対車線を走っていたタクシーが坂道で停車した。ドアの前に昭弘がいた。タクシーのドアが開く。
背後から女の悲鳴がした。男が、止まれ、と叫んだ。すぐ横を風が吹き抜け、鼓膜がその強烈な音に生命の危険を知らせる。クラクションがガラス越しに聞こえるのに、頭は異常なくらいに冴えていた。
昭弘がこちらを振り向く。交差点を渡り切り、震える足を叩いて坂道へと駆けだす。
うまく走れない。ふらつく。歩こうとして耐えきれず、膝をついた。
動いてくれ。
枯葉が散らばるアスファルトに手をつき、立ち上がろうとして足が笑い、横に倒れて肩を打った。誰かに腕を掴まれ、起こされる。
「蛍……」
吐息のように名を呼ばれる。
ここが外だとか、他人がいるだとか、モラルだとか、いくつもの枷を踏み倒し、昭弘をきつく抱きしめた。彼は説教を溜息に替えたようだった。
「無事でよかった」
そう呟く唇にキスをした。歯が当たり、相手の唇を傷つける。血の味がした。
昭弘はゆっくりとこちらの背中を撫でた。
男の背広を掴む指に力を入れた。
昭弘はアパートの部屋まで一緒に来てくれ、背広の胸ポケットから携帯電話を取出し、蛍に断りを入れると台所で電話をし出した。
今日は仕事で帰れない。
目を伏せた。たぶん、電話の相手は加賀島だ。
立ち上がり、驚く昭弘から携帯電話を取り上げ、切った。昭弘は悲しげにこちらの名前を呼んだ。携帯を床に落とし、口づけた。
台所のテーブルへと追い詰め、キスをしたまま体を押しやる。唇を離し、昭弘の腰をずり上げた。焦ったように名前を呼ばれる。スラックスのベルトを外し、ファスナーを下げる。昭弘は上半身を起こし、抵抗した。両手首を強く掴み、テーブルに力づくで固定した。唇を舐め、首筋をついばみ、わずかに開いた口へ、舌を差し入れる。
加賀島の元へは帰さない。絶対に!
舌で相手の口腔を愛撫しながら、シャツの中へ手を入れる。
だけど、どんなに言い訳をしても、これじゃあ、こんなんじゃ……。
手を引っ込めた。涙が昭弘の頬に落ちた。
これはレイプだ。昭弘は玩具じゃない。欲しいからって、同意もなく、セックスをしていいわけがない。なにをやってんだよ、俺は。
背中に温かみを感じ、息を止めた。昭弘は微笑んでいた。
「ごめん。すぐにどくから」
やましさから、上半身を起こした。
が、すぐさま腕を掴まれ、昭弘を囲うようにテーブルに両手をついた。彼はとろんとした眼差しをこちらへ向けた。腕を撫でられる。ねっとりと。息遣いも、手や指の動きも、官能的だった。まるで、こちらの腕で自慰をしているような……。
口づけようとして、顔を傾けられた。
「どうして?」
いつもそうだ。期待すると突き放される。
昭弘は蛍の腕から抜け出し、スーツを整えた。
「そんなに加賀島って男が、怖い?」
相手はこちらを見つめ、俯き、苦笑した。
「浩平は無事だよ」
「……浩平には悪いことをした」
「その気もないのに告白したことを言っているのなら、浩平は怒っていないと思う」
「……知っていたのか?」
答える代わりに口を閉ざした。
昭弘は自嘲した。
「幻滅しただろ?」
「どう応えて欲しい?」
男は笑顔をはりつかせたまま、泣きそうな瞳を下へ向けた。
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