父の男

上野たすく

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クロス・ストリート ~蛍視点~

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 昭弘の父親から、義侠屋ぎきょうやという名の料亭の場所を教えてもらい、蛍は彼に一礼して駆けた。
 三年間、なにもしてこなかったわけではない。心当たりのある場所は片っ端から足を運んだし、赤城と中野を除く友人、警察官、仕事仲間には昭弘を見たなら連絡をくれるよう頼んだ。大学も事務所も休みの日は足が棒になるまで歩いた。
 自分が彼を探すために費やしてきた年月を、思いつきで乗り越えられるとは思っていない。それでも、わずかに垂れた出口への糸が見えたのなら、途切れるまで掴んでいたかった。
 バスを乗り継ぎ、何駅も電車に揺られ辿りついたその料亭は四季折々の色を愛でられるように、さまざまな木々に囲まれていた。夜になれば、そこかしこにある灯がぼんやりと日本庭園を照らすのだろう。敷石に導かれ、玄関へと進む。石造りの橋の向こうに、スーツを着た茶髪の女性と着物姿の女性が見え、足を止めた。
 スーツの女性が黒く薄っぺらい手帳を、着物姿の女性の顔まで上げた。彼女は懐から写真を取り出した。
 視力のおかげで物はよく見えたが、話声は耳を澄ましても聞き取りにくかった。
 スーツの女性が頭を下げ、こちらへと歩いてくる。
 蛍は彼女に背を向けた。
 過ぎ去る間際、女性の容姿を脳に叩き込む。神経質そうな女性だった。
 気を取り直して、こちらに会釈をしてくる着物姿の女性まで足早に進んだ。
 彼女の説明で、義侠屋が料亭旅館であることを知る。明日は休日だ。予定は特に入っていない。宿泊の予約(可能であるなら、シングルルーム)に空きがあるかどうか調べてもらい、空いておりますのゴーサインに宿泊の意思を固めた。
 別の仲居に案内され入った部屋は洋室で、ベッドとバストイレ、そして壁に直に接着された長机という、和を感じられない造りだった。女性は鍵を渡すと去って行った。
 蛍はベッドに腰掛け、カーテンが閉められた窓を見た。
 クリーム色のそれを開け、木々とぽつぽつ建つ民家を見下す。ここからでは人の出入りを観察できない。
 時刻は正午を少しだけ過ぎていた。腹の虫が鳴く。探索がてら、食事をしに行こう。
 受付で地図をもらい、一番近くのうどん屋で昼食を済ませて、興味のある店や神社を回った。日本の名高い観光地ではないものの、義侠屋は住居区域からほどよく離れていて、周囲には古民家風の店がいくつもあり、探索者を想定した休憩所やトイレまで設置されていた。
 昭弘や彼の家族も、昔、そうやって思い出を増やしただろうことを思い、辿るごとに胸がやわらいだ。そして、人とすれ違う数が多くなればなるほど、視線が下がった。
 足が次第に速度をあげていく。人と人の間をすり抜け、闇雲に先へ、先へ……。
 誰かにぶつかった。
 黒いフード付きパーカーを着た男だった。
「すみません」
 謝罪すると相手は肩を揺らした。
 手首を掴まれる。半端じゃない握力に、蛍の指が震えた。
「あっ! くっ!」
 くぐもった声が出た。
 男はハッとし、手を離してフードの奥にある顔を覆った。身体がブルブルと搖動している。蛍は痛みの残る手首を掴み、後ずさった。
 男は頭を何度か下げ、逃げるように歩いて行く。ところどころで、人と接触し、そのたびに謝っているようだった。腰の低い姿勢に、こちらの手首を掴んできたときとは別人のようだ、と眉根を寄せる。
 向こうは蛍に何も言わなかった。
 知らない男だ。
 そう思おうとした。
 だが、なぜか、鈍い痛みが心臓から広がる。
 蛍は首を左右し、脳裏に浮かんだ男の顔を振り払った。
 空を仰ぐと汗が顎から流れ落ちた。
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