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クロス・ストリート ~蛍視点~
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アパートに着くまで、アスファルトをスポンジのように柔らかく感じ、何度か前のめりにつんのめった。部屋へ戻り、料理をしても、世界から切り離されたようだった。
俺は昭弘に何を言ってきた? 何をしてきた?
今、拭いても拭いても、涙が出てくる。
勉強をしている場合じゃなかった。
俺がしなきゃいけなかったのは過去を取り戻すことだったはずだ!
六法を引っ掴み、投げようと腕を振り上げた。
と、笑顔で法律を教える昭弘が過った。
違う。
これは俺の武器だ。
俺達の未来への切符だ。
「昭弘……」
冷静になれ。
額を六法につけ、瞼を閉じた。
雨が窓を打ち付け出していた。
まだ太陽が昇り切らない時間帯に、軽装で昭弘の母校へ行った。
昭弘が通っていた高校の住所を、三年前、父から教えてもらっていた。
夜中降り続いた雨のため、水たまりができている。
空はまだ、灰色の雲に覆われていた。
変哲もないコンクリート造りの横長な建物が、昭弘の母校と言うだけで、他の建築物より光って見えた。
パシャリと水が跳ねる音がした。
黒色のトイプードルのリールを手にした、年配の男が立っていた。
蛍の脳は横に並んだ男と昭弘の写真に写っていた男を、瞬時に重ね合わせた。
「卒業生ですか?」
男は視線を変えずに、尋ねてきた。
「いえ」
蛍も男の視線の先を見つめた。
「恋人が通っていた高校なんです」
「そうですか」
意外だった。
昭弘の通っていた高校は男子校だ。
そこでできた恋人と聴けば、女を想像するはずがない。
初見の人間に対する気遣いとも思えず、蛍は眉根を寄せた。
昭弘の父親は、息子が男と付き合うことに我慢できず、絶縁したのではなかったのか?
トイプードルは男の足元に寄り添いながら、舌で息をした。
「私の息子も、ここの生徒だったんです。あなたの大切な人よりも、大分、歳は上だと思いますが。…………至らない息子でしてね」
ワン、とトイプードルが吠える。
男は膝を曲げ、トイプードルの頭を撫でた。
「今、どこで何をしているのか」
「犬、お好きなんですか?」
「え? あ。ああ、いえ。息子が……」
男はトイプードルを眩しそうに見つめた。
「息子が飼いたいと言っていましたので」
「きっと、喜びますね」
しゃがみこみ、トイプードルと目を合わせる。
「触ってもいいですか?」
「どうぞ」
手を差し出すと赤く小さな舌がぺろぺろと舐めてきた。
頭に手を置くと撫でてくれと言わんばかりに頭部を下げられる。
「かわいいですね」
「ありがとうございます」
男はサンダルを履いていた。
ここは散歩コースの一部なのだろう。
「名前はなんていうんですか?」
「アキです」
スッと息を吸い込み、蛍は立ち上がった。
ズボンのポケットに押し込めていた財布を取り出し、常時、入っている名刺を一枚、両手で男へと差し出す。
「僕は渋谷蛍と言います」
男は躊躇いながらもリールを脇に挟み、両手で名刺を受け取ってくれた。
「桜井昭弘さんとお付き合いさせていただいています」
瞬間、男の瞳が大きくなった。
彼は放心状態で、
「そうですか」
と、こちらを足元から頭の先まで、目でなぞった。
「息子の大切な人を、生まれて初めて…………見ました」
頬を緩めた男に、はじめまして、と唇を伸ばした。
「……昭弘は元気にやっていますか?」
「事情があって、今、一緒に暮らしていないんです。忙しいみたいで連絡もとれません。だけど、帰ってきたら、必ず二人で挨拶へ伺います」
「……わかりました。家内に伝えておきます」
甘えたように見上げてくるアキの顔に微笑み、ふと思った。
昭弘が持っていた家族写真は、どこかの料亭前で撮られたものだった。
昭弘の父親が息子の過去の残像を追いかけたように、昭弘も家族との思い出を求めたりはしないものだろうか? 少なくとも、彼は家族に情を抱いていた。加賀島とまったく知らない土地で生活をするより、心の置き処の傍へ行ったりしないものか?
「あの。家族写真はよくお撮りになっていたんですか?」
「昭弘があなたに見せたのですか?」
「いえ。偶然、彼が見ているのを見ただけなんですが、みなさん、いい笑顔だったので覚えていたんです」
「だから、私が昭弘の父だとわかったんですね」
男は高校へと一歩近づき、息を吐いた。
「息子や娘が子どもの頃は撮りましたが、大きくなってからは」
アキが男の足に頬を擦り付ける。
「ですが、昭弘の大学の入学祝いのあと、一度だけ」
「すみません。その入学祝いをされた場所を教えていただけませんか?」
男が目を瞬かせる。
アキが元気よく、一声吠え、彼は我に返り、首肯した。
俺は昭弘に何を言ってきた? 何をしてきた?
今、拭いても拭いても、涙が出てくる。
勉強をしている場合じゃなかった。
俺がしなきゃいけなかったのは過去を取り戻すことだったはずだ!
六法を引っ掴み、投げようと腕を振り上げた。
と、笑顔で法律を教える昭弘が過った。
違う。
これは俺の武器だ。
俺達の未来への切符だ。
「昭弘……」
冷静になれ。
額を六法につけ、瞼を閉じた。
雨が窓を打ち付け出していた。
まだ太陽が昇り切らない時間帯に、軽装で昭弘の母校へ行った。
昭弘が通っていた高校の住所を、三年前、父から教えてもらっていた。
夜中降り続いた雨のため、水たまりができている。
空はまだ、灰色の雲に覆われていた。
変哲もないコンクリート造りの横長な建物が、昭弘の母校と言うだけで、他の建築物より光って見えた。
パシャリと水が跳ねる音がした。
黒色のトイプードルのリールを手にした、年配の男が立っていた。
蛍の脳は横に並んだ男と昭弘の写真に写っていた男を、瞬時に重ね合わせた。
「卒業生ですか?」
男は視線を変えずに、尋ねてきた。
「いえ」
蛍も男の視線の先を見つめた。
「恋人が通っていた高校なんです」
「そうですか」
意外だった。
昭弘の通っていた高校は男子校だ。
そこでできた恋人と聴けば、女を想像するはずがない。
初見の人間に対する気遣いとも思えず、蛍は眉根を寄せた。
昭弘の父親は、息子が男と付き合うことに我慢できず、絶縁したのではなかったのか?
トイプードルは男の足元に寄り添いながら、舌で息をした。
「私の息子も、ここの生徒だったんです。あなたの大切な人よりも、大分、歳は上だと思いますが。…………至らない息子でしてね」
ワン、とトイプードルが吠える。
男は膝を曲げ、トイプードルの頭を撫でた。
「今、どこで何をしているのか」
「犬、お好きなんですか?」
「え? あ。ああ、いえ。息子が……」
男はトイプードルを眩しそうに見つめた。
「息子が飼いたいと言っていましたので」
「きっと、喜びますね」
しゃがみこみ、トイプードルと目を合わせる。
「触ってもいいですか?」
「どうぞ」
手を差し出すと赤く小さな舌がぺろぺろと舐めてきた。
頭に手を置くと撫でてくれと言わんばかりに頭部を下げられる。
「かわいいですね」
「ありがとうございます」
男はサンダルを履いていた。
ここは散歩コースの一部なのだろう。
「名前はなんていうんですか?」
「アキです」
スッと息を吸い込み、蛍は立ち上がった。
ズボンのポケットに押し込めていた財布を取り出し、常時、入っている名刺を一枚、両手で男へと差し出す。
「僕は渋谷蛍と言います」
男は躊躇いながらもリールを脇に挟み、両手で名刺を受け取ってくれた。
「桜井昭弘さんとお付き合いさせていただいています」
瞬間、男の瞳が大きくなった。
彼は放心状態で、
「そうですか」
と、こちらを足元から頭の先まで、目でなぞった。
「息子の大切な人を、生まれて初めて…………見ました」
頬を緩めた男に、はじめまして、と唇を伸ばした。
「……昭弘は元気にやっていますか?」
「事情があって、今、一緒に暮らしていないんです。忙しいみたいで連絡もとれません。だけど、帰ってきたら、必ず二人で挨拶へ伺います」
「……わかりました。家内に伝えておきます」
甘えたように見上げてくるアキの顔に微笑み、ふと思った。
昭弘が持っていた家族写真は、どこかの料亭前で撮られたものだった。
昭弘の父親が息子の過去の残像を追いかけたように、昭弘も家族との思い出を求めたりはしないものだろうか? 少なくとも、彼は家族に情を抱いていた。加賀島とまったく知らない土地で生活をするより、心の置き処の傍へ行ったりしないものか?
「あの。家族写真はよくお撮りになっていたんですか?」
「昭弘があなたに見せたのですか?」
「いえ。偶然、彼が見ているのを見ただけなんですが、みなさん、いい笑顔だったので覚えていたんです」
「だから、私が昭弘の父だとわかったんですね」
男は高校へと一歩近づき、息を吐いた。
「息子や娘が子どもの頃は撮りましたが、大きくなってからは」
アキが男の足に頬を擦り付ける。
「ですが、昭弘の大学の入学祝いのあと、一度だけ」
「すみません。その入学祝いをされた場所を教えていただけませんか?」
男が目を瞬かせる。
アキが元気よく、一声吠え、彼は我に返り、首肯した。
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