父の男

上野たすく

文字の大きさ
上 下
33 / 78
誰かが誰かを愛している ~蛍視点~

33

しおりを挟む
 相手の羽織っていたコートと背広を掴み、背中に被せる。
 カサッと音がし、昭弘の背広の内ポケットから何かが落ちた。昭弘を抱え、手を伸ばす。二つ折りにされた長方形の紙は絵画の個展のチケットだった。
「浩平の?」
 こんな状態で行ったのか? それとも、こんな状態だから行ったのか? 
 三田がこちらを応援してくれる側でよかったと、心底、思う。昭弘が彼を特別な地位に置いているのは、確かだからだ。信頼度も、生活力も、包容力も、彼には敵わない。
 チケットを昭弘の内ポケットに戻し、腕の中のぬくもりに集中する。誰かが吸った煙草の移り香がした。そのまま、昭弘を抱きしめて目を瞑り、眠ろうとしてできなかった。
 どうやら、自分は好きな男が心を許し、身を預けてくれただけでは物足りない人間のようだ。
 昭弘を、自分がいなければ生きていけないような体にしたい。
 そんな性癖を、本人には怖くて言えない。
 午前五時にカラオケボックスを出て、昭弘を送るために駅へと向かった。一睡もせずに浴びる朝日は強烈に眩しかった。昭弘は三時間程度だが、眠れたと思う。その間、蛍は脳裏で憲法の条文を整理し、自分が間違えた過去問を思い出してやり過ごした。大学へ着いたなら、少し休もう。講義に差支えが出ないように。
 駅のロータリーで立ちどまる。バスもなく静かだった。
「一人で帰れる?」
「お前は?」
「今日は聞きたい講義があるから、大学へ行く」
「そうか……」
 昭弘は視線をそらし、黙った。いっこうに帰ろうとしない相手に、蛍は眉を上げた。
「どうした?」
 昭弘は肩の力を抜き、
「だいぶ遅れたが」
 と蛍を見つめた。
「大学合格おめでとう」
 腹がぐっと縮まり、肺が酸素をたらふくため込む。大学に受かったことを、初めて実感した。大学に受かって嬉しいと、やっと思えた。
「ありがとう」
 蛍は口角を上げた。

                    * * *

 昭弘と別れ、喫茶店でモーニング付きのコーヒーを頼んだ。トーストを片手に暗記カードの問題を解いていく。鞄の中から携帯電話のバイブ音が聞こえた。液晶画面を確認する。
 父からだった。
「電話をもらったようだが」
 安否を心配するメールと電話の着信が、両手では数えきれないほど送られていたことに気づいたのは、昭弘を送ってからだった。すぐに電話をかけたが、繋がらず、連絡が遅くなったことへの謝罪と無事でいること、このまま大学へ出ることを、メールで伝えた。
「悪かった。仕事が立て込んでいてとれなかった。どんな用件だ?」
 携帯電話には、メールと電話の着信が両方残る。こちらがメール送信の際、電話をした理由を含んだメッセージにしなかったため、父は別件で電話をかけてきたのだと思ったのだろう。父にそのことを伝え、紛らわしいことをしてしまったことに対して謝った。
「それと、昨日はごめん」
「無事ならいいんだ。だが、帰ったら、母さんにはよく謝っておけ。お前のことを、早朝まで寝ずに待っていた」
 じわりと心臓に染みた。
「わかった。母さんにはちゃんと話をする。……父さん」
「なんだ?」
「教えてくれて、ありがとう」
 携帯電話の先で、父が笑んだような気がした。 
「今、どこにいる?」
「喫茶店にいる」
「大学が始まるまでには、まだ時間がある」
 父は店を指定し、そこへ行くように言った。蛍は了承し、電話を切った。父に昭弘のことを言う、またとない機会だと思った。
 だが、昔の男と共にいようとする息子に、彼は頷いてくれるだろうか。
 喉に通したコーヒーが体の一部に変わっていく。
 昭弘と生きると決めた決意が、じわじわと現実の自分に同化していく。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

「優秀で美青年な友人の精液を飲むと頭が良くなってイケメンになれるらしい」ので、友人にお願いしてみた。

和泉奏
BL
頭も良くて美青年な完璧男な友人から液を搾取する話。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

一度くらい、君に愛されてみたかった

和泉奏
BL
昔ある出来事があって捨てられた自分を拾ってくれた家族で、ずっと優しくしてくれた男に追いつくために頑張った結果、結局愛を感じられなかった男の話

オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜

トマトふぁ之助
BL
 某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。  そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。  聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが

なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です 酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります 攻 井之上 勇気 まだまだ若手のサラリーマン 元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい でも翌朝には完全に記憶がない 受 牧野・ハロルド・エリス 天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司 金髪ロング、勇気より背が高い 勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん ユウキにオヨメサンにしてもらいたい 同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます

処理中です...