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あの時、恥ずかしがらずに、心の内を告げていたなら、自分たちの関係は変わっていただろうか。
「金森さん?」
後ろから名前を呼ばれ、我に返る。
立ち止まると、後ろの足音もやんだ。
「資料室、過ぎてしまいますよ」
青柳の声だ。
夏目じゃない。青柳の声。
その事実が伊緒を打ちのめし、また、打ちのめされたことに対して自分を責めた。
くるりと青柳を振り返る。
「ごめんなさい。仕事がたくさん残っていて。だから、やっぱり、私」
青柳が悲しそうな表情をする。
傷つけた。
「ごめんなさい」
頭を勢いよく下げ、資料室へと入りドアを閉める。
青柳はなかなかその場を去ろうとしなかった。伊緒は弁当を傍に置き、膝を抱えた。
「また、誘います」
青柳が明るい声で話しかけてくれる。
彼はそっとその場を離れていった。
最低だ、私。
青柳の厚意を台無しにしてしまった。
せっかく、声をかけてくれたのに。
ごめんなさい。
膝に額をつけ、瞼を閉じる。書類や書籍が多くある部屋の、独特な匂いを吸い込み、落ち着こうと努めた。
実家の屋敷にいる時も、伊緒は書斎にこもることが多かった。小学校に入学して、初めての春、桜が葉桜になった頃、夏目啓吾と会うまでは。
両親は夏目と仲良くするよう言ってきた。当時、夏目は愛想笑いすら浮かべようとしなかった。それなのに、登校しようと家を出ると、玄関の前で必ず待っていた。下校も、約束をしなくとも傍にいて、だけど、まともに話をしてくれなかった。
夏目の兄と婚約した今なら、夏目が伊緒に関わってきた理由がわかる。夏目は口にしないが、伊緒の本当の相手は兄ではなく、弟の啓吾だったのだ。
金森の家はだいだい夏目家の跡継ぎを絶やさぬため、配偶者としての役目を担ってきた。伊緒はその時が来るまで知らされることなく過ごしてきたが、夏目の兄との婚約を両親から言い渡された時、すべてを悟った。そして、あのおまじないが夏目を勘違いさせたことも、知った。
苗字で呼ばれるようになった自分と、おそらく名前で呼ばれるであろう兄。親密さは後者に分があると思ったのだ。
その証拠に、おまじないのあと、夏目は伊緒から離れていった。夏目がしてくれていたことは、代わりに彼の兄が引き継いだ。ずっと昔からそうしていたかのように。
彼の兄は伊緒に優しく微笑んでくれたが、愛してはくれなかった。決まっているから傍にいる。ただ、それだけ。
伊緒は長い時間をかけて夏目を好きになった。無口だった夏目が次第に打ち解けてくれることが嬉しかった。両親が真実を隠したのは、決まり事ゆえの結婚ではなく、娘に愛のある結婚を望んだからだろう。そして、夏目が身を引いたのも、伊緒の恋愛の対象が自分ではないと思ったからだ。伊緒を、家の決まりから解放し、普通の女の子にしようとしてくれたのだ。
でも、私は本当は啓吾が好きだった。
涙が次から次へと零れ落ちていく。
どうして間違えちゃったんだろう。
どうしてあなたがいいと言わなかったのだろう。
夏目の手首を思い出す。作業の合間、彼は愛おしそうに富嶽からつけられたハンカチに触れていた。
胸が苦しい。自分が生み出した結果なのに、苦しくて悲しい。
薄暗い部屋で、伊緒はさらに体を丸めた。
「金森さん?」
後ろから名前を呼ばれ、我に返る。
立ち止まると、後ろの足音もやんだ。
「資料室、過ぎてしまいますよ」
青柳の声だ。
夏目じゃない。青柳の声。
その事実が伊緒を打ちのめし、また、打ちのめされたことに対して自分を責めた。
くるりと青柳を振り返る。
「ごめんなさい。仕事がたくさん残っていて。だから、やっぱり、私」
青柳が悲しそうな表情をする。
傷つけた。
「ごめんなさい」
頭を勢いよく下げ、資料室へと入りドアを閉める。
青柳はなかなかその場を去ろうとしなかった。伊緒は弁当を傍に置き、膝を抱えた。
「また、誘います」
青柳が明るい声で話しかけてくれる。
彼はそっとその場を離れていった。
最低だ、私。
青柳の厚意を台無しにしてしまった。
せっかく、声をかけてくれたのに。
ごめんなさい。
膝に額をつけ、瞼を閉じる。書類や書籍が多くある部屋の、独特な匂いを吸い込み、落ち着こうと努めた。
実家の屋敷にいる時も、伊緒は書斎にこもることが多かった。小学校に入学して、初めての春、桜が葉桜になった頃、夏目啓吾と会うまでは。
両親は夏目と仲良くするよう言ってきた。当時、夏目は愛想笑いすら浮かべようとしなかった。それなのに、登校しようと家を出ると、玄関の前で必ず待っていた。下校も、約束をしなくとも傍にいて、だけど、まともに話をしてくれなかった。
夏目の兄と婚約した今なら、夏目が伊緒に関わってきた理由がわかる。夏目は口にしないが、伊緒の本当の相手は兄ではなく、弟の啓吾だったのだ。
金森の家はだいだい夏目家の跡継ぎを絶やさぬため、配偶者としての役目を担ってきた。伊緒はその時が来るまで知らされることなく過ごしてきたが、夏目の兄との婚約を両親から言い渡された時、すべてを悟った。そして、あのおまじないが夏目を勘違いさせたことも、知った。
苗字で呼ばれるようになった自分と、おそらく名前で呼ばれるであろう兄。親密さは後者に分があると思ったのだ。
その証拠に、おまじないのあと、夏目は伊緒から離れていった。夏目がしてくれていたことは、代わりに彼の兄が引き継いだ。ずっと昔からそうしていたかのように。
彼の兄は伊緒に優しく微笑んでくれたが、愛してはくれなかった。決まっているから傍にいる。ただ、それだけ。
伊緒は長い時間をかけて夏目を好きになった。無口だった夏目が次第に打ち解けてくれることが嬉しかった。両親が真実を隠したのは、決まり事ゆえの結婚ではなく、娘に愛のある結婚を望んだからだろう。そして、夏目が身を引いたのも、伊緒の恋愛の対象が自分ではないと思ったからだ。伊緒を、家の決まりから解放し、普通の女の子にしようとしてくれたのだ。
でも、私は本当は啓吾が好きだった。
涙が次から次へと零れ落ちていく。
どうして間違えちゃったんだろう。
どうしてあなたがいいと言わなかったのだろう。
夏目の手首を思い出す。作業の合間、彼は愛おしそうに富嶽からつけられたハンカチに触れていた。
胸が苦しい。自分が生み出した結果なのに、苦しくて悲しい。
薄暗い部屋で、伊緒はさらに体を丸めた。
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