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朔は言葉を辿ることはしなかった。
どこまで理解しているのかも定かではない。
だが、朔はキラキラした瞳で、お握りを二つ持ち、一つを神薙に渡した。
「これはお握り。食べられる。これは、こうやって」
神薙はしゃがんだまま、お握りの包装を破こうとする。
「神薙さん、ベッドに座ってください」
一心が言うと、相手は戸惑った。
「朔が知りたがっています。これはどうするものなのかって」
神薙は泣くのを堪えるような表情で、一心を見た。
一心は努めて微笑み、頷いた。
が、座ろうとした神薙を、「おい」と野岸が止めた。
「ビニールを破るなら、手を洗ってこいよ」
「あ……、ああ」
神薙はお握りをベッドに置いた。
「洗面所を借りる」
一心は首肯した。
野岸は、すごすごと洗面所へ歩き出す神薙を見送り、一心に向き直った。
「朝波の手を洗いに行ってもいいか?」
「ああ。頼む」
野岸は微笑み頷くと、朔の腕を指で軽くノックした。
「俺達も、手を洗いに行こう」
朔は相づちを打つこともなかったが、野岸は気にとめず、ベッドから下りてスリッパを整え、朔の手をとり、ベッドのサイドフレームに座らせた。
朔が足をぶらぶらと揺らす。朔が自分からスリッパを履かないであろうことを理解し、野岸はしゃがんむと、ぶらぶらと揺れる足にスリッパを履かせた。
が、揺れている足の上下運動が大きくなったことで、スリッパが吹っ飛んだ。その様子がおもしろかったのか、朔が嬉しそうに笑う。逆に、野岸は困り顔だ。
「裸足で大丈夫だ」
言うと、彼は頷き、朔の手を握った。
「手を洗いに行こう」
野岸に両手を引っ張られ、朔が床に足をつき、立ち上がる。
その体は不安定にゆらゆらと揺れている。
朔が体のバランスを保てず、野岸に倒れかけたところで、一心は背後から朔を抱きしめた。怖かったのだろう、朔は火がついたように泣き出した。
一心は朔を抱擁に後頭部を撫で、野岸を見た。
「大丈夫か?」
「俺は平気だ。朝波は?」
「怪我はないはず」
洗面所から神薙が血相を変えて走ってきた。
男は野岸に状況の説明を求めた。
「手を洗いに行こうとしたんだ。けど、倒れかけて。だから」
一心同様、野岸も、朔が歩けないのではないか、と思っていたのだろう。
彼はそこで唇を噛んだ。
神薙は黙り込んだ野岸に追求をせず、視線をずらし、ふと一点を見た。
「あのスリッパは?」
神薙が問うたのは、不自然に離れた場所でひっくり返るスリッパだ。
「朝波が飛ばしたんだ」
「手で?」
「足だ」
野岸は、なぜそんなことを聞くのかと思案顔をしたが、神薙は、
「なら、足はしっかりしている」
と微笑んだ。
男の前向きな言葉は、朔を宥めていた一心の心を強くした。
一心は今、泣きわめく朔を撫で、大丈夫だと声をかけるしかできない。
無力さと不安で、いっぱいだったのだ。
神薙は何を思ったのか、スラックスから、きっちりと畳まれたハンカチを取り出した。彼は朔の苗字を言いかけ、口を閉じ、ハンカチを折り曲げると、仕上げに内ポケットに入っていたボールペンで何やら書いた。
できたのは、笑ったネコの顔だ。男はそれを人差し指と中指にさした。
「朔君、こっち、こっち」
朔は頭を上下するネコを、泣きながら目にした。
「朔君、こんにちは。ぼくはニャン太。はじめまして」
一心の腕の中で、朔が指の関節を吸い始めた。
どこまで理解しているのかも定かではない。
だが、朔はキラキラした瞳で、お握りを二つ持ち、一つを神薙に渡した。
「これはお握り。食べられる。これは、こうやって」
神薙はしゃがんだまま、お握りの包装を破こうとする。
「神薙さん、ベッドに座ってください」
一心が言うと、相手は戸惑った。
「朔が知りたがっています。これはどうするものなのかって」
神薙は泣くのを堪えるような表情で、一心を見た。
一心は努めて微笑み、頷いた。
が、座ろうとした神薙を、「おい」と野岸が止めた。
「ビニールを破るなら、手を洗ってこいよ」
「あ……、ああ」
神薙はお握りをベッドに置いた。
「洗面所を借りる」
一心は首肯した。
野岸は、すごすごと洗面所へ歩き出す神薙を見送り、一心に向き直った。
「朝波の手を洗いに行ってもいいか?」
「ああ。頼む」
野岸は微笑み頷くと、朔の腕を指で軽くノックした。
「俺達も、手を洗いに行こう」
朔は相づちを打つこともなかったが、野岸は気にとめず、ベッドから下りてスリッパを整え、朔の手をとり、ベッドのサイドフレームに座らせた。
朔が足をぶらぶらと揺らす。朔が自分からスリッパを履かないであろうことを理解し、野岸はしゃがんむと、ぶらぶらと揺れる足にスリッパを履かせた。
が、揺れている足の上下運動が大きくなったことで、スリッパが吹っ飛んだ。その様子がおもしろかったのか、朔が嬉しそうに笑う。逆に、野岸は困り顔だ。
「裸足で大丈夫だ」
言うと、彼は頷き、朔の手を握った。
「手を洗いに行こう」
野岸に両手を引っ張られ、朔が床に足をつき、立ち上がる。
その体は不安定にゆらゆらと揺れている。
朔が体のバランスを保てず、野岸に倒れかけたところで、一心は背後から朔を抱きしめた。怖かったのだろう、朔は火がついたように泣き出した。
一心は朔を抱擁に後頭部を撫で、野岸を見た。
「大丈夫か?」
「俺は平気だ。朝波は?」
「怪我はないはず」
洗面所から神薙が血相を変えて走ってきた。
男は野岸に状況の説明を求めた。
「手を洗いに行こうとしたんだ。けど、倒れかけて。だから」
一心同様、野岸も、朔が歩けないのではないか、と思っていたのだろう。
彼はそこで唇を噛んだ。
神薙は黙り込んだ野岸に追求をせず、視線をずらし、ふと一点を見た。
「あのスリッパは?」
神薙が問うたのは、不自然に離れた場所でひっくり返るスリッパだ。
「朝波が飛ばしたんだ」
「手で?」
「足だ」
野岸は、なぜそんなことを聞くのかと思案顔をしたが、神薙は、
「なら、足はしっかりしている」
と微笑んだ。
男の前向きな言葉は、朔を宥めていた一心の心を強くした。
一心は今、泣きわめく朔を撫で、大丈夫だと声をかけるしかできない。
無力さと不安で、いっぱいだったのだ。
神薙は何を思ったのか、スラックスから、きっちりと畳まれたハンカチを取り出した。彼は朔の苗字を言いかけ、口を閉じ、ハンカチを折り曲げると、仕上げに内ポケットに入っていたボールペンで何やら書いた。
できたのは、笑ったネコの顔だ。男はそれを人差し指と中指にさした。
「朔君、こっち、こっち」
朔は頭を上下するネコを、泣きながら目にした。
「朔君、こんにちは。ぼくはニャン太。はじめまして」
一心の腕の中で、朔が指の関節を吸い始めた。
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