クローバー

上野たすく

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52(一心視点)

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 月見里一心は甦禰看千草から携帯電話を受けとり、家の電話番号を押した。
 母は、一回目の呼び鈴で出た。
 数時間しか会えないだけだったのに、何日も会っていなかったような懐かしさがあった。
 母は震える声で、「大丈夫なの?」と繰り返し、聞いてきた。
 一心は無事であることを、何度も、母に伝えた。
 朔に会えたこと。左目が開けたこと。友人ができたこと。自分がクローバー病に誓い症状であり、治療を受けること。治療費と生活費は自分で稼ぐこと。
 話しておきたいことを話し、また電話をする約束をして、電源オフのボタンを押した。
 ついで、一心はバイト先の店主である佐藤へ電話をかける許可をもらうとともに、電話番号を調べてもらい、店の番号にかけた。
 佐藤には、事情があり、暫く、バイトを休むことだけを伝えた。
 男は追求せず、頷いてくれた。
 佐藤への電話を終えた後、一心は甦禰看に携帯電話を返した。
 甦禰看は視線を朔へと移した。
「実は、ここへ来る前、朝波君の部屋へ行きました。神薙さんは、自分が不注意を犯したと言っていましたが、何があったんですか?」
 一心は朔と神薙の会話を話し、それが聞き取れた部分だけであることもつけ加えた。
 甦禰看は沈痛な面持ちで、朔を見つめた。
「神薙さんは飯島さんの下で働く、地上の人間です。意識的にかどうかは知りませんが、彼らはクローバー病を理由に、人を二つに分けているきらいがあります。地下にいる人たちは、その空気を押しつけられ、受け入れざるを得ない心境にさせられるのです。朝波君も、例外ではありません。けれど、嫌だったのでしょうね、本当は」
 すやすや寝息をたてる朔の口元に、吸われて赤くなった指があった。
「神薙さん達だけではなく、私も彼の心の傷に向き合おうとしませんでした。ごめんなさい」
 一心は唇を噛み、朔を支える手の握力を強めた。
「新月はいったい、どういう刀なんですか? この刀のせいで、朔が苦しんでいるなら、神薙さんが望む通り、俺が新月を持ちます」
「新月は神器の一つです。地下には特殊武器と呼ばれ、本来の使い道である以上の力が出せる武器がありますが、神器の力はそれを勝ります。特殊武器とは違い、神器は使うことができたなら、力を発揮することができますが、神器自身が所有者を選ぶため、適合しないと一般的な刀と変わりません。月見里君はクローバー病のことを、どこまで知っていますか?」
「葉の数によって、体が変わると朔が言っていました」
 甦禰看は頷き、一心の瞳を見つめた。
「まだ、クローバー病の知識が今より乏しかったとき、葉の数に焦点をあてた実験が行われていました」
 愕然とした。
「実験って、クローバー病になっているのは」
「人です」
 朔がクローバー病になったのは中学の頃、まだ、クローバー病が流行だしてまもない時。
「そのうち、研究者によって、転換装置が作られ、物体を分解し、別の物に作り替えられるようになりました。夏目君が所有する叢雲は、大勢の亡くなった方達を分解して作られた物の内、ようやく、形にできたものだと聞いています」
 夏目が振るっていたのが、人の集合体だと知り、寒気を感じた。
「転換装置を使用した実験を進めていく中、葉の数が四つであれば、単体であっても、人の力を越えた領域の武器を作れることがわかりました。B班の班長である龍崎さんが持っている虎徹は、彼の愛犬が元になっています」
「クローバー病になるのは、人だけじゃないんですか?」
「判明している数は、そう多くありませんが」
 鼓動が大きくなっていく。
 飯島が見せてくれた画像の朔の皮膚にあった、黒色のクローバーの葉の数は……四つだった。
「新月は」
 記憶の中の朔が訴えてくる。
――ものほんの体は動けないんだけどさ、練習して、意識を送れるようになった。どんなものでも、うまく入り込めれば、器を動かすことができる。
 笑顔でずっと。
――ん~、そうだなあ。どこか当ててみろよ。本体も、すぐ傍にいるから。
 ずっと、新月が朔自身なのだと。
 だから、門で別れるとき、新月の柄を手に触れさせてきたのだ。
「新月は……、朔なんですか?」
 否定して欲しかった。
 しかし、甦禰看は、震える一心の前で頷いた。
「朝波君の意識が残っていることから推測すると、生存している状態で、転換装置にかけられたのだと思います」
 一心は揺れる指先で朔の頬を撫で、新月を掴んだ。
 憎悪と悲しみが喉を突き破りそうになり、奥歯を噛みしめたが、滲み出る気持ちを抑えられなかった。
「朔は、役に立たなければいけないと、言っていました。ここにいる人たちは自分と同じように、無理矢理、生き方を変えられたからって。朔は、守ろうとしたんです。なのに、ずっと、人ではない扱いを受けていたなんて、あんまりです」
 涙が溢れそうになる。
 泣いて解決などしない、と瞳に力を入れ、押しとどめた。
 甦禰看は一心の両肩に手を置き、膝をついた。
「悲観しないでください。朝波君は意識を保っています。転換装置を使えば、元に戻れる可能性があります」
「だったら、今すぐ。……今すぐ、朔を戻してください」
 無情にも、甦禰看は首を横に振った。
「可能性があるというだけの状態で使うことはできません。転換装置の使用により、新月すら、消えてしまうことだってありうるかもしれないのです。もっと、確かな情報を得る必要があります」
「絶対できることじゃないのに、どうして、希望を持たせるようなことを言うんですか? 希望を見せられて落とされる方が辛いんです」
「人には思いを叶える力があります。しかし、できると思わなければ、叶える力があっても、叶えられません」
 見開いた瞳から涙が零れた。
 甦禰看がそっと微笑む。
「月見里君、あなたの望みは、何ですか?」
「俺は……、俺の望みは」
 脳裏には、朔と過ごした穏やかな日常があった。
 朔と笑いながら話がしたい。
 朔とおいしい料理が食べたい。
 映画を観て、祭に行って、レジャーランドに行って、たくさん、思い出を作りたい。
「甦禰看さん」
「はい」
「イーバが襲ってこなければ、神器は不要になりますか?」
「おそらく」
「神器が不要になれば、朔が新月である必要はなくなりますか?」
「ええ」
「朔を元に戻すことに、誰も反対しなければ、大人は、全力で、朔を元に戻す方法を見つけ出そうとしてくれますか?」
 本当なら、自分が見つけ出すと宣言したかった。
 だが、オニキスやネオ・シードで、一心は自分の無力さを知った。
 人にはできることと、できないことがある。
 自分ができることをし、それが他の誰かの心のスイッチを入れるきっかけになるならば、自分が直接、朔を助けられなくてもいい。
 甦禰看は瞳を湿らせ、微笑んだ。
「人々に、真実を告げれば、人道的にも、朝波君を助けることを求める声が、あがると思います」
「甦禰看さん」
「はい」
「班員になれる一番の近道を教えてくれませんか?」

* * *

 甦禰看から支給してもらった衣類に着替えて、一心は新月を抱きしめ、ベッドで横になった。
 隣にでは、朔が心地よさげに眠っている。
 一心は甦禰看が話してくれた、最速で班員になれる方法を反芻した。
 学生の身分を盾に、一定の身の安全が守られる班員志願校に所属するのではなく、直接、班の試験を受け、合格したなら、即、実践にかり出される。班の試験は指令班、救護班、戦闘班と三つあるが、今の一心には指令班の試験突破は勉強をする時間が少ないため困難であり、救護班はそもそも試験を受けるのに医療関係の資格がいるため、必然的に、戦闘班へと、志望先が絞られた。
 寝て、起きたら、新しい生活に飛び込まなければいけない。
 体力も気力も、備えなければ、やりこなせない。
 一心は瞼を閉じ、眠気が来るのを待った。
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