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佐伯はバイトをしながら小説を書き続けた。
三月下旬には、深夜まで響いていたパソコンのキーボードを叩く音が、四月に入ってぱたりと止んだ。
佐伯は特別、なにも言わないが、コピー機がフル活動していたことと、積み重なる書類の上に封筒があったことを加味すると、小説をどこかへ応募したと予想できた。
何日か、佐伯は眠ることだけに専念し、日曜日、水族館へ誘ってきた。
その行動に深い意味がないことを、経験上、知っている。
佐伯は水族館へ行きたかったのだろう。
そして、俺が誘われたのは、ただ単に、誘いやすかったからだ。
卑屈にはなっていない。
だけど、そういうものだと、自分の中で佐伯の言動を変換しなければ、ダメージを受けてしまう。
俺は今でも、佐伯が好きだから。
水族館は親に手を引かれて行った以来、ご無沙汰だった。
そのため、水族館のイメージが古かったのだろう。
佐伯に連れられて入館したそこは、少なからず俺に衝撃を与えた。
なかでも、くらげの展示の仕方には脱帽した。
ここはドラマや映画のロケにも使われているんだ、と佐伯が言った。
「へえ。どんなやつ?」
「恋愛物。帰ったらチェックしてみるか?」
「俺と佐伯で?」
喉の奥から笑いが込み上げてくる。
水族館がデートスポットだとは言え、やけに男女の恋人達が目立つと思っていたが、そういうことか。
「遠慮しとく」
「食わず嫌いは損だぜ?」
「どうとでも言ってくれ」
佐伯の無神経さに慣れるには、まだ時間がいるようだ。
ズキズキと痛む心臓に目を伏せた。
傷心したからと言って、顔に出せるはずもなく、意地で、水族館を回り、イルカショーを観て、館内のカフェで食事を採った。
佐伯は楽しそうだった。
小説を投稿でき、緊張の糸が解けたのかもしれない。
「展望台へ行かないか? 歩いて行けるみたいなんだ」
友人がそう言ったのは、水族館を出てすぐだった。
「俺はそろそろ帰りたい」
「俺は夜景が観たい」
「じゃあ、俺は先に帰る。一人で観たくなければ、女に声でもかければいい。佐伯なら、そう苦労しないで相手が見つかるさ」
「どうして、女が出てくるんだ?」
きょとんとした佐伯に、ぐっと言葉が詰まる。
相手はこちらの様子に眉根を寄せた。
「ごめん。誘い方がなってなかった。ごめん……」
小さく頭を下げられる。
「加藤と行くつもりだったから、それ以外は想定外で萎える」
茶けた瞳に吸い込まれそうだ。
「付き合ってくれないか?」
目前が涙で滲む。
キスがしたい。
一歩、佐伯へと踏み込む。
本当は、俺だけを見ていてほしい。
顔を近づける。
周囲にはさまざまな人がいた。
目を伏せ、佐伯の横に並んだ。
「これに関しては、貸しだからな」
佐伯が微笑む。
「わかった」
海に架けられた長い橋を渡り、異国風の建物の間を通っていく。
緑色の鳥居をくぐって、どんどん先へと進んだ。
あまり広い道ではない。
途中、佐伯が神社へ寄って行こうと言うので、小さく頷いた。
賽銭箱に五円玉を入れ、佐伯の作品が世間に受け入れられるよう祈った。
展望台は緑に囲まれていた。
佐伯の要望で、日が沈むまでカフェで時間を潰し、空が暗くなったとき、入場料を支払った。
展望台から望める景色は素晴らしかったが、吹きさらしの階は四月でも寒く、身震いした。
「下へ行くか?」
「いい。見たかったんだろ?」
「加藤と見たかったんだ」
「俺にはもったいないお言葉だ。聴かなかったことにしとく」
佐伯は苦笑し、夜景へと視線を移した。
「こないだ小説を出版社に送ってきた」
風が肌を冷やす。
「学生のときみたいに集中して書けた。加藤のおかげだ」
佐伯を振り返る。
相手も同じように、こちらへと首を回した。
「結果がどうであっても、それは事実だから、礼が言いたかった」
ありがとう、と佐伯の口が動き、目頭が熱くなる。
佐伯、と呼ぼうとし、自分とは違う声が佐伯の意識を奪った。
三月下旬には、深夜まで響いていたパソコンのキーボードを叩く音が、四月に入ってぱたりと止んだ。
佐伯は特別、なにも言わないが、コピー機がフル活動していたことと、積み重なる書類の上に封筒があったことを加味すると、小説をどこかへ応募したと予想できた。
何日か、佐伯は眠ることだけに専念し、日曜日、水族館へ誘ってきた。
その行動に深い意味がないことを、経験上、知っている。
佐伯は水族館へ行きたかったのだろう。
そして、俺が誘われたのは、ただ単に、誘いやすかったからだ。
卑屈にはなっていない。
だけど、そういうものだと、自分の中で佐伯の言動を変換しなければ、ダメージを受けてしまう。
俺は今でも、佐伯が好きだから。
水族館は親に手を引かれて行った以来、ご無沙汰だった。
そのため、水族館のイメージが古かったのだろう。
佐伯に連れられて入館したそこは、少なからず俺に衝撃を与えた。
なかでも、くらげの展示の仕方には脱帽した。
ここはドラマや映画のロケにも使われているんだ、と佐伯が言った。
「へえ。どんなやつ?」
「恋愛物。帰ったらチェックしてみるか?」
「俺と佐伯で?」
喉の奥から笑いが込み上げてくる。
水族館がデートスポットだとは言え、やけに男女の恋人達が目立つと思っていたが、そういうことか。
「遠慮しとく」
「食わず嫌いは損だぜ?」
「どうとでも言ってくれ」
佐伯の無神経さに慣れるには、まだ時間がいるようだ。
ズキズキと痛む心臓に目を伏せた。
傷心したからと言って、顔に出せるはずもなく、意地で、水族館を回り、イルカショーを観て、館内のカフェで食事を採った。
佐伯は楽しそうだった。
小説を投稿でき、緊張の糸が解けたのかもしれない。
「展望台へ行かないか? 歩いて行けるみたいなんだ」
友人がそう言ったのは、水族館を出てすぐだった。
「俺はそろそろ帰りたい」
「俺は夜景が観たい」
「じゃあ、俺は先に帰る。一人で観たくなければ、女に声でもかければいい。佐伯なら、そう苦労しないで相手が見つかるさ」
「どうして、女が出てくるんだ?」
きょとんとした佐伯に、ぐっと言葉が詰まる。
相手はこちらの様子に眉根を寄せた。
「ごめん。誘い方がなってなかった。ごめん……」
小さく頭を下げられる。
「加藤と行くつもりだったから、それ以外は想定外で萎える」
茶けた瞳に吸い込まれそうだ。
「付き合ってくれないか?」
目前が涙で滲む。
キスがしたい。
一歩、佐伯へと踏み込む。
本当は、俺だけを見ていてほしい。
顔を近づける。
周囲にはさまざまな人がいた。
目を伏せ、佐伯の横に並んだ。
「これに関しては、貸しだからな」
佐伯が微笑む。
「わかった」
海に架けられた長い橋を渡り、異国風の建物の間を通っていく。
緑色の鳥居をくぐって、どんどん先へと進んだ。
あまり広い道ではない。
途中、佐伯が神社へ寄って行こうと言うので、小さく頷いた。
賽銭箱に五円玉を入れ、佐伯の作品が世間に受け入れられるよう祈った。
展望台は緑に囲まれていた。
佐伯の要望で、日が沈むまでカフェで時間を潰し、空が暗くなったとき、入場料を支払った。
展望台から望める景色は素晴らしかったが、吹きさらしの階は四月でも寒く、身震いした。
「下へ行くか?」
「いい。見たかったんだろ?」
「加藤と見たかったんだ」
「俺にはもったいないお言葉だ。聴かなかったことにしとく」
佐伯は苦笑し、夜景へと視線を移した。
「こないだ小説を出版社に送ってきた」
風が肌を冷やす。
「学生のときみたいに集中して書けた。加藤のおかげだ」
佐伯を振り返る。
相手も同じように、こちらへと首を回した。
「結果がどうであっても、それは事実だから、礼が言いたかった」
ありがとう、と佐伯の口が動き、目頭が熱くなる。
佐伯、と呼ぼうとし、自分とは違う声が佐伯の意識を奪った。
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