鈍色の先へ

上野たすく

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 学生時代から、俺は佐伯の相談相手の頭数にすら入っていない。
 だから、俺は実のところ、佐伯について何も知らない。
 佐伯が俺に見せている顔が、本当の顔なのかどうかも、俺は知らない……。
 若い頃は虚勢を張れた。
 佐伯が交通事故に遭ったときも、佐伯が就職活動で元気がないときも、俺は自分がその場所に不釣り合いだと自覚しながら、佐伯のもとへ行った。
 当時、佐伯には恋人がいた。
 黒髪で眼鏡をかけた、綺麗な人だった。
 彼女は佐伯のために泣くことができ、それを周りも認めていて、なにより、佐伯自身が彼女の存在をちゃんと許していた。
 そして、俺は二人の関係を見て、ようやく、佐伯への恋情を知った。
 友情と履き違えていた想いは、俺の意思とは無関係に、佐伯を欲しがった。
 抑えがきかず、あからさまに、あいつの股間を見つめてしまったときは、ゾッとした。
 自分の抱く恋情は、そういうものなのだ。
 つまり、俺は佐伯にいれられたい。
 抱かれたい。
 女のように、あいつの下で喘ぎたい。
 男として、自分の本心を受け入れられなかった。
 佐伯と距離を持とうとし、それがとても簡単に達成できたことに、俺は性懲りもなく、また、傷ついた。
 できることなら、佐伯への恋心を叩き潰して、なかったことにしたかった。
 佐伯の友人達がしているように、俺も佐伯のことを友人の内の一人だと、思えたなら、独りで盛り上がったり、性癖に悩んだり、傷ついたりしなくて済んだはずだ。

 職場のパソコンで、いつものように文字を打ち込んでいく。一日中、貼っている湿布のおかげで、手の痛みは大分、和らいだ。
 佐伯は昨日も深夜に帰ってきて、俺が出勤するときは、まだ、眠っていた。

 佐伯が酒の匂いだけでなく、甘い香水を纏ってくるようになったのは、もう何日も前のことだ。
 女ができたのか、それとも、初めからいたのか。
 なんにせよ、香水が付着するほど、佐伯が女と密着していることは事実だった。

 夢を叶えた佐伯の隣に、どうして、自分がいられると思ったんだろう。

 定時で仕事を終え、コートを羽織って、寒空の下に出た。
 最近、佐伯とまともにしゃべっていない。
 食事もバラバラに採っている。
 ただ、机に置いた今月の生活費はなくなっていたから、俺はまだ、必要とされているのかもしれない。
 冷えた空気に触れ、吐き出した息が白くなる。
 帰ろうとし、泥酔する佐伯が浮かび、目を伏せた。
 佐伯は俺が帰らなくても、何も言ってこないだろう。
 電車を乗りつぎ、バイトをしていたバーのドアを開けた。
 年配のバーテンダーが一人で切り盛りしている。
 普段なら、二人は入っているはずなのだが。
 バーテンダーは俺に眉を上げた。
 驚いたと言ったふうに。

「久しぶりだな」

 カウンターに座り、ソルティ・ドッグを頼む。

「今日は一人なんですか?」
「ああ……」

 この人にしては、珍しく歯切れが悪い。

「みんな、どうしています? 誰かいるなら、挨拶していってもいいですか?」

 バッグヤードに視線をはせてみる。

「今日は飲んだら帰れ」

 席を立ち、バーテンが止めるのを振り切るようにバッグヤードへ向かった。
 体内では警戒音が鳴り響いている。
 行くな。
 行ったら、取り返しがつかなくなる。
 ノックもせず、ドアを開け放ち、女とキスをするバーテン姿の佐伯に息を止めた。
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