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 残酷にもほどがある。
 期待しちまうじゃねえか。
 お前が俺を好きになってくれるんじゃないかって、絶望的な確率に、それでも、かけたくなっちまうじゃねえか。

「おっとお、あっぶない!」

 西山のわざとらしい叫びに気を取られ、向井がこちらに突っ込んでくるのを、支えきれなかった。 
 机の角で背中を打ったじゃねえか。

「ごめんごめん。背後霊にどつかれたかなあ」

 つくなら、まともな嘘をつけ。

「ついでに僕達、明日の大会の準備があるから、そろそろ帰るよ」

 二の句が告げられない脇田を、西山が小突きながら、出入り口へと誘っていく。

「そんじゃ、大会当日に!」

 ドアが閉められると、向井が俺の袖を掴んできた。
 匂いがした。
 ザラメのように甘い匂い。
 俺はこちらの袖を掴む向井の指に、指を絡めた。

「言え」

 向井の指が食い込んでくる。

「行かないって、言え」

 離れられそうにない。
 女を抱いても、お前と比べてしまう自分がいて、本当に重症なんだ。

「言えよ!」

 俺は重なっていない方の向井の手の甲に、口付けをした。
 困ったように笑んでやると、向井の目に涙が盛り上がり、次から次へと伝い落ちた。
 どこかで、野球部が打ったバッドの音が聞えた。
 ブラスの演奏が、生徒の笑い声が、聞えた。
 でも、どの音も、向井の嗚咽をさらってくれやしなかった。
 一杯一杯だったのは、俺だけじゃなかったんだ。
 こいつはこいつで悩んで、苦しんで、解決策を、手探りで見つけようとしていたんだ。
 俺は向井を抱きしめ、その頭に頬をつけた。

「行かない」

 向井が泣きながら頷く。

「俺が抱きたいのは、お前だけだ」
「ああ」

 大切な人の涙声に、俺も泣きたくなる。

「傍にいたいのは、お前だけだ」
「ああ」

 俺はずっと、死ぬためだけに、生まれてきたんだと思ってきた。
 死ぬのが当たり前だから、怖くない、と言い聞かせてきた。
 俺は冗談じゃなく、死ぬのが何十年後でも、たとえ数分後でも良いと思ってきた人間なんだ。

「……キスがしたい」

 顔を上げてくれた向井に、そっと口づけた。


* * *


 カーテンが閉められた暗い自室は、見慣れているのに、他人の部屋のようだった。
 俺達は部屋に入るなり、待ちきれなさを慰めるように、キスをした。
 足がもつれて、ベッドに倒れ、それでもキスをやめず、やめさせなかった。
 キスの最中に、向井の学ランのボタンを下から外し、シャツをたくし上げ、手を入れた。
 向井が唾液を嚥下し、一筋の涙を流す。
 首筋を愛撫し、下へと唇を下ろしていくと、掠れた喘ぎ声が部屋に響いた。
 俺は再度、キスをし、向井は俺を包んでくれた。


 太陽が沈み、月のか細い光が、部屋をかろうじて、外部と連結させている。
 俺も向井も、学ランを乱すだけ乱してはいたが、脱がずにベッドに寝ていた。
 セックスはしなかった。
 何度か、俺の携帯がバイブし、その度に、向井からキスを強請られ、俺はそのすべてに応えた。
 女は怒って帰っただろう。
 俺は母さんに、ど叱られるだろう。

「不戦敗でも、良いんだぞ」

 向井が俺の肩に、頭をのせる。

「西山達は、林の苦手なことを、種目にしているんだろ? できなくて、当然だ。わざわざ、馬鹿にされにいくことはない」

 涙でかさついた頬に触れ、瞼を吸う。

「向井が許すのは俺だけだから、勝敗の行方は関係ない?」
「そうだ」

 こいつは駆け引きを、楽にこなしてみせる。
 俺の気も知らずに。

「俺が林を束縛するなら、林も俺に対して、そうする権利がある」

 権利だと?
 好き放題、言いやがって。
 お前は、日本語を、学びなおすべきだ。

「気持ちは?」
「気持ち?」
「お互いに束縛しあう、理由だ?」

 向井の視線が、焦点を無くす。

「分からない。けど」

 目を伏せられる。

「林が他の誰かと寝るのを想像して、吐き気がした。ムカつくのに、悲しくて、頭がぐちゃぐちゃになった」

 俺は生唾を飲んだ。

「気持ちが一つに定まらなくて、発狂しそうだった」

 向井が舌打ちをする。

「みんな林のせいだ。林が俺の理解できない行動ばかりするから、俺は一日中、林のことばかり考えて、おかしくなったんだ」
「確かに、俺の責任だな」

 脈はあるんだ。

「そうだ。やっと分かったか? だから、林も俺に束縛される義務がある。それが理由だ」

 打つ鼓動は弱くても、可能性はゼロじゃないんだ。

「なるほど」
「分かったなら、二度と俺以外に良い顔をするな。特に、夜は外出禁止だ」
「それは勘弁」
「なぜだ?」
「お前にサプライズができなくなる」
「なっ! そんなもの、必要ないから家を出るな」
「クリスマスとか誕生日とか、イベント系には良いスパイスだ」
「だから、いらないって言ってるだろ!」
「束縛するんだろ?」

 顎を掴み、顔を上に向かせる。

「お互い、権利を行使したいのなら、まず義務を果たさないとな」

 向井がむくれる。

「俺も明日、義務を果たすからさ」
「大会に出るのか?」

 体を起こし、首の骨を鳴らす。

「そっ。練習に付き合えよ」

 これからは、悩んでやる。
 抱えたいものを、どうすれば抱えられるかを。
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