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38〈現在・アリサ視点〉
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オーガストがルイの手を握りしめている光景を目にし、心がほぐれていく。ずっと見ていたかったが、オーガストの動く気配を感じ、視線をそらした。
まもなく、エニシが軍服の男を一人連れて帰ってきた。短髪の男は孤に挨拶をしてから縁を確認し、何も言わずに、アリサに向き直った。
「お前がアリサか?」
「ええ」
目視だけで、男が相当の訓練を積んでいることがわかった。リヴォーグの軍事力は高いとは言えない。それでも、他国がリヴォーグに攻め込むことを躊躇うのは、ヒューマノイドと公認ドナーの存在が大きかった。いわば、彼らは生きた爆弾なのだ。生還よりも死をもってしてリヴォーグを守る一度きりの爆弾。
エニシの殺害を依頼され、リヴォーグに潜り込んだ時に、いくつかの軍隊を探ったが、ダラクが恐れる要素はなかった。だが、この男は別格だ。本気で殺しあったとして、どちらが生き残るか判断できない。
「俺はリヴォーグ王国第一軍隊長ジル・コリーだ。お前の育成及び指揮命令を任せられた」
「説明はジェットの中で聞くわ」
アリサはまとめられた荷物に手を伸ばした。
「重いので、僕が運びます」
縁が気を使ってくれる。
「平気よ」
片手で荷物を掴み、持ち上げる。ジルはアリサ以外に頭を下げ、さっさと外へと出て行った。
アリサ、とオーガストに名前を呼ばれる。彼は微笑もうと努力してくれ、そればかりか、
「ありがとう」
と声を絞り出してくれた。
アリサはオーガストに唇を伸ばした。
ジェット機へと急ぐ。背後で足音がし、立ち止まる。数人分の足音がやんだ。
「ここで、お別れしましょう」
それだけ伝え、アリサはドアを閉めた。
ジルは速度を緩めない。アリサは息を小さく吐いて勢いよく地面を蹴り、ジルの背後に移動した。男は平然とジェット機を目指す。これからはこの景色が日常になるのだ。
肩の上にいるムササビがじゃれてくる。応えようとして、すぐ横にエニシを見つけ、悲鳴を飲み込んだ。
ジルが歩をとめる。エニシはアリサから荷物をひったくり、ジルに投げた。
「お前の融通の利かないところは嫌いじゃないが、時と場合を選べ」
「お言葉ですが、彼女は私の部下です。我々軍人はリヴォーグのためにあります。彼女がどれだけ使えるのか、部下の力量を図るのも私の仕事です」
エニシが諦めたような眼差しを男へと注ぐ。
「今は訓練の時間でもないし、ここは戦場でもない。アリサは女性だ。そもそも生物として男と女では体のつくりが異なる。互いが補い合うことが合理的だ」
「軍人にそのような差は意味を持ちません」
「だから、男側に合わせろと? 非合理だな」
「そうではありません。我々はリヴォーグのもとにおいてのみ平等なのです」
エニシが唇だけで呟く。読唇術を学んでいたアリサは目を見開いた。
「ジル。自分の正しさを疑え。リヴォーグにお前の心を支配させるな」
ジルが苦虫を噛みしめたように苦い顔をする。
「しかし、私は」
エニシはかまわず、モモンガを人差し指で撫でた。
「お前の主様はお前を無意味に殺そうとしなかったんだな。よかったな」
エニシの言う主とはアリサのことだ。それなのに、ダメージを受けたのはジルだった。
「スノウはお前と違って可愛げがあるからな」
当然のことを口にしただけなのに、エニシは眉を上げた。
「なに?」
「いや」
エニシの表情が柔らかくなる。
「アリサを守ってやってくれ、スノウ」
「あ……」
体温が急激に上がり、顔が熱くなる。
「ケイセイ様、私はエイセイ様が愛したリヴォーグを愛しています」
ジルの口調はしっかりとしていた。
エニシがスノウから指を離す。
「警告だ。誰に命令されたとしてもユウセイには手を出すな。お前がリヴォーグを愛しているのであれば、従うべきは特定の人間じゃない」
「私を恨んでいらっしゃるのですね」
ジルが俯き、苦し気に笑みを浮かべる。
「終わったことだ。それに、俺に関して言いたいことは前に言った。まあ、お前が俺への行為に対し未練があるのなら、こちらも便乗させてもらおうか」
エニシが口角を上げる。
「お前は俺を殺害しようとした。死ぬ間際の言葉も聞かずにな。今、あの時、言えなかったことを言わせてもらう。むろん、感情と状況を整理した今だから言える言葉だ」
ジルが背筋を正す。
エニシは力の抜けた表情で唇を伸ばした。
「お前もリヴォーグの国民だ。国には民を幸福にする義務がある。民を幸福にできない国はいずれ滅びる。お前が幸せでいることが、お前の愛するリヴォーグを守ることに繋がるんだ。お前がリヴォーグを愛するのであれば、お前の幸せを握りつぶそうとする相手の言うことなど聞くな。お前は嫌われ者の俺に、多くの書物を持ってきてくれた。あれは誰かの命令だったか? そんなはずはない。だって、俺はそれくらいあそこで煙たがられていた。お前が気づいていないなら、教えてやる。お前は優しい。冷血になりきれないから、俺に恨んでいるのかと聞くんだ。悩むくらいなら一人で抱えこむな。行動する前に誰かに相談しろ。相談できる相手がいないなら、今からでも作れ。俺はユウセイとアリサを推薦する。どちらも信用に値する人間だ」
ジルが沈痛な面持ちで額を下へ向ける。
「ケイセイ様のお言葉、しかと受け取りました」
アリサはエニシに別れを告げ、ジルとジェット機に乗った。
後部座席に座ったアリサはエニシが声にしなかった言葉を脳裏でたどった。
俺を殺した理由も、それか。
エニシは殺したと言った。彼は生きているのに、まるで殺害が遂行されたかのような言いぐさだ。
スノウがアリサの体を這いまわる。アリサはスノウに微笑み、思考を中断した。
ジェット機が浮島からゆっくりと離陸した。
まもなく、エニシが軍服の男を一人連れて帰ってきた。短髪の男は孤に挨拶をしてから縁を確認し、何も言わずに、アリサに向き直った。
「お前がアリサか?」
「ええ」
目視だけで、男が相当の訓練を積んでいることがわかった。リヴォーグの軍事力は高いとは言えない。それでも、他国がリヴォーグに攻め込むことを躊躇うのは、ヒューマノイドと公認ドナーの存在が大きかった。いわば、彼らは生きた爆弾なのだ。生還よりも死をもってしてリヴォーグを守る一度きりの爆弾。
エニシの殺害を依頼され、リヴォーグに潜り込んだ時に、いくつかの軍隊を探ったが、ダラクが恐れる要素はなかった。だが、この男は別格だ。本気で殺しあったとして、どちらが生き残るか判断できない。
「俺はリヴォーグ王国第一軍隊長ジル・コリーだ。お前の育成及び指揮命令を任せられた」
「説明はジェットの中で聞くわ」
アリサはまとめられた荷物に手を伸ばした。
「重いので、僕が運びます」
縁が気を使ってくれる。
「平気よ」
片手で荷物を掴み、持ち上げる。ジルはアリサ以外に頭を下げ、さっさと外へと出て行った。
アリサ、とオーガストに名前を呼ばれる。彼は微笑もうと努力してくれ、そればかりか、
「ありがとう」
と声を絞り出してくれた。
アリサはオーガストに唇を伸ばした。
ジェット機へと急ぐ。背後で足音がし、立ち止まる。数人分の足音がやんだ。
「ここで、お別れしましょう」
それだけ伝え、アリサはドアを閉めた。
ジルは速度を緩めない。アリサは息を小さく吐いて勢いよく地面を蹴り、ジルの背後に移動した。男は平然とジェット機を目指す。これからはこの景色が日常になるのだ。
肩の上にいるムササビがじゃれてくる。応えようとして、すぐ横にエニシを見つけ、悲鳴を飲み込んだ。
ジルが歩をとめる。エニシはアリサから荷物をひったくり、ジルに投げた。
「お前の融通の利かないところは嫌いじゃないが、時と場合を選べ」
「お言葉ですが、彼女は私の部下です。我々軍人はリヴォーグのためにあります。彼女がどれだけ使えるのか、部下の力量を図るのも私の仕事です」
エニシが諦めたような眼差しを男へと注ぐ。
「今は訓練の時間でもないし、ここは戦場でもない。アリサは女性だ。そもそも生物として男と女では体のつくりが異なる。互いが補い合うことが合理的だ」
「軍人にそのような差は意味を持ちません」
「だから、男側に合わせろと? 非合理だな」
「そうではありません。我々はリヴォーグのもとにおいてのみ平等なのです」
エニシが唇だけで呟く。読唇術を学んでいたアリサは目を見開いた。
「ジル。自分の正しさを疑え。リヴォーグにお前の心を支配させるな」
ジルが苦虫を噛みしめたように苦い顔をする。
「しかし、私は」
エニシはかまわず、モモンガを人差し指で撫でた。
「お前の主様はお前を無意味に殺そうとしなかったんだな。よかったな」
エニシの言う主とはアリサのことだ。それなのに、ダメージを受けたのはジルだった。
「スノウはお前と違って可愛げがあるからな」
当然のことを口にしただけなのに、エニシは眉を上げた。
「なに?」
「いや」
エニシの表情が柔らかくなる。
「アリサを守ってやってくれ、スノウ」
「あ……」
体温が急激に上がり、顔が熱くなる。
「ケイセイ様、私はエイセイ様が愛したリヴォーグを愛しています」
ジルの口調はしっかりとしていた。
エニシがスノウから指を離す。
「警告だ。誰に命令されたとしてもユウセイには手を出すな。お前がリヴォーグを愛しているのであれば、従うべきは特定の人間じゃない」
「私を恨んでいらっしゃるのですね」
ジルが俯き、苦し気に笑みを浮かべる。
「終わったことだ。それに、俺に関して言いたいことは前に言った。まあ、お前が俺への行為に対し未練があるのなら、こちらも便乗させてもらおうか」
エニシが口角を上げる。
「お前は俺を殺害しようとした。死ぬ間際の言葉も聞かずにな。今、あの時、言えなかったことを言わせてもらう。むろん、感情と状況を整理した今だから言える言葉だ」
ジルが背筋を正す。
エニシは力の抜けた表情で唇を伸ばした。
「お前もリヴォーグの国民だ。国には民を幸福にする義務がある。民を幸福にできない国はいずれ滅びる。お前が幸せでいることが、お前の愛するリヴォーグを守ることに繋がるんだ。お前がリヴォーグを愛するのであれば、お前の幸せを握りつぶそうとする相手の言うことなど聞くな。お前は嫌われ者の俺に、多くの書物を持ってきてくれた。あれは誰かの命令だったか? そんなはずはない。だって、俺はそれくらいあそこで煙たがられていた。お前が気づいていないなら、教えてやる。お前は優しい。冷血になりきれないから、俺に恨んでいるのかと聞くんだ。悩むくらいなら一人で抱えこむな。行動する前に誰かに相談しろ。相談できる相手がいないなら、今からでも作れ。俺はユウセイとアリサを推薦する。どちらも信用に値する人間だ」
ジルが沈痛な面持ちで額を下へ向ける。
「ケイセイ様のお言葉、しかと受け取りました」
アリサはエニシに別れを告げ、ジルとジェット機に乗った。
後部座席に座ったアリサはエニシが声にしなかった言葉を脳裏でたどった。
俺を殺した理由も、それか。
エニシは殺したと言った。彼は生きているのに、まるで殺害が遂行されたかのような言いぐさだ。
スノウがアリサの体を這いまわる。アリサはスノウに微笑み、思考を中断した。
ジェット機が浮島からゆっくりと離陸した。
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