上 下
34 / 46

29〈現在・ルイ〉

しおりを挟む
 月明かりの差し込む部屋で、オーガストの寝顔を見ていた。
 穏やかな呼吸音に、そっと微笑む。
 じわりと汗が流れたかと思うと、全身が透明な水になった。孤が買ってくれた服だけが、くっきりと部屋に存在する。
 ルイはふらつきながら立ち上がり、ドアを開けた。
 エニシはルイの姿を目にしても、表情を変えなかった。
「話がある」
 ルイは首肯し、エニシの後を追って、外へ出た。
 歩く度、水が土に染みこんでいく。
 顔を上げていられない。
 自分と世界の境界線が消えていくようだった。
 ぼんやりする意識にわずかな光りを感じ、ルイは上を向いた。
 浮島にあるはずのない光景に、目を瞬かせる。
 中央に岩のある池だ。ルイが引っこ抜いた木片が転がっている。
 どうして?
「まず、話せる状態になってくれ」
 エニシがその場に腰を下ろす。
 ルイは引き寄せられるように、池へと入った。
 ぬるかった体温が冷やされていく。
 身体が包まれ、やがて、混ざり合う。
 静かだ。
 とても、心地がいい。
 瞼を閉じ、水の揺らぎに身を任せていると、昔、聞いた、大勢の人々の歓喜の声が、どこかからか、わき上がってきた。彼らは池の水を浴び、はしゃぎ回っている。冷たい水に、生ぬるくどろりとした液体が混ざり、その濃度が濃くなるたび、彼らの声は大きく響いた。
 大勢の人々の声がしなくなったあと、勢いよく水の中に入ってきた何者かの音がした。それは池の中央で立ち止まると、激しく泣いた。彼が流す涙が水に溶け込んでいく。その量が増すほど、見たことのない景色が見えた。
 したことのない経験をしたような気になって、苦しくて痛くて、その感覚も、本当はわからないのに、わかったような気になって、水底に沈んでいくようだった。沈みきれなかったのは、静けさの戻った池の傍で、誰かが歌うメロディーが安らぎをくれたからだ。しかし、自分を救ってくれる歌を歌う彼は、歌い終わると、いつも、泣いていた。
 自分はあなたのおかげで、暗闇に落ちていかずに済んでいる。それなのに、あなたはどうして泣くのだろう? なにが、そんなに悲しいの? 泣かないで。
 何の経験もない。感覚も、想像するだけ。そんなガランドウな自分から、確かに絞り出された感情。
 それさえも、一人の少年の声に犯される。歌い主がオーガストだと判明したとき、「泣かないで」と言ったのは、自分だったか、それとも少年だったか。
 彼は自分で、自分は彼で。思いも、人生も、融合していく。

 池から出ると、人間の色彩が戻っていた。エニシは無表情でルイを見つめてきた。
「話って、何ですか?」
 尋ねると、相手は立ち上がった。
「初めに断っておくが、俺はお前が何であろうが、言動をたがえたりしない。その時、その時の、こちらの事情や情報でのみ、判断し、接していく」
 ルイは次の言葉を待った。
「お前について、俺なりに予想をたてた。そして、そのうちの一つは、当たっていた。お前は、この池の水がなければ、その身を保てない。他から栄養を得たとしても、いずれは消える」
「……そうみたいですね」
「新たな情報だ。お前は自分について、わかっていないことが多い。自分の生存を維持する方法ですら、それだ。俺にとっては、良い情報ではない」
「殺しますか? 孤のために」
 口角が勝手に上がる。
 にこりとしたルイに、しかし、エニシは表情を崩そうとしなかった。
「孤はお前が生きていないと、悲しむ」
「だから、不安要素のある僕を野放しにしておく、と?」
「殺さないことが、野放しと結びつくとは思わん。お前の人生はお前の人生だ。俺がどうこうして良いものではない。だから、これは確認だ。難しく考える必要はない。遠慮もしなくていい」
 エニシは淡々と続ける。
「お前は生きたいか?」
 ルイは顎を引いた。
 エニシを睨みつける。
 それでも、相手は感情を露わにしない。
 ルイのことなど、どうでもいいのだろう。
「生きたいと言ったら?」
「わかった」
 頷いた相手に、ルイは目を見開いた。
「俺は万能ではないが、お前の負担を共に持とう」
 エニシは微笑んで、そう言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

メテオライト

渡里あずま
BL
魔物討伐の為に訪れた森で、アルバは空から落下してきた黒髪の少年・遊星(ゆうせい)を受け止める。 異世界からの転生者だという彼との出会いが、強くなることだけを求めていたアルバに変化を与えていく。 ※重複投稿作品※

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~

ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。 *マークはR回。(後半になります) ・毎日更新。投稿時間を朝と夜にします。どうぞ最後までよろしくお願いします。 ・ご都合主義のなーろっぱです。 ・第12回BL大賞にエントリーしました。攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。 腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手) ・イラストは青城硝子先生です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

処理中です...