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29〈現在・ルイ〉
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月明かりの差し込む部屋で、オーガストの寝顔を見ていた。
穏やかな呼吸音に、そっと微笑む。
じわりと汗が流れたかと思うと、全身が透明な水になった。孤が買ってくれた服だけが、くっきりと部屋に存在する。
ルイはふらつきながら立ち上がり、ドアを開けた。
エニシはルイの姿を目にしても、表情を変えなかった。
「話がある」
ルイは首肯し、エニシの後を追って、外へ出た。
歩く度、水が土に染みこんでいく。
顔を上げていられない。
自分と世界の境界線が消えていくようだった。
ぼんやりする意識にわずかな光りを感じ、ルイは上を向いた。
浮島にあるはずのない光景に、目を瞬かせる。
中央に岩のある池だ。ルイが引っこ抜いた木片が転がっている。
どうして?
「まず、話せる状態になってくれ」
エニシがその場に腰を下ろす。
ルイは引き寄せられるように、池へと入った。
ぬるかった体温が冷やされていく。
身体が包まれ、やがて、混ざり合う。
静かだ。
とても、心地がいい。
瞼を閉じ、水の揺らぎに身を任せていると、昔、聞いた、大勢の人々の歓喜の声が、どこかからか、わき上がってきた。彼らは池の水を浴び、はしゃぎ回っている。冷たい水に、生ぬるくどろりとした液体が混ざり、その濃度が濃くなるたび、彼らの声は大きく響いた。
大勢の人々の声がしなくなったあと、勢いよく水の中に入ってきた何者かの音がした。それは池の中央で立ち止まると、激しく泣いた。彼が流す涙が水に溶け込んでいく。その量が増すほど、見たことのない景色が見えた。
したことのない経験をしたような気になって、苦しくて痛くて、その感覚も、本当はわからないのに、わかったような気になって、水底に沈んでいくようだった。沈みきれなかったのは、静けさの戻った池の傍で、誰かが歌うメロディーが安らぎをくれたからだ。しかし、自分を救ってくれる歌を歌う彼は、歌い終わると、いつも、泣いていた。
自分はあなたのおかげで、暗闇に落ちていかずに済んでいる。それなのに、あなたはどうして泣くのだろう? なにが、そんなに悲しいの? 泣かないで。
何の経験もない。感覚も、想像するだけ。そんなガランドウな自分から、確かに絞り出された感情。
それさえも、一人の少年の声に犯される。歌い主がオーガストだと判明したとき、「泣かないで」と言ったのは、自分だったか、それとも少年だったか。
彼は自分で、自分は彼で。思いも、人生も、融合していく。
池から出ると、人間の色彩が戻っていた。エニシは無表情でルイを見つめてきた。
「話って、何ですか?」
尋ねると、相手は立ち上がった。
「初めに断っておくが、俺はお前が何であろうが、言動を違えたりしない。その時、その時の、こちらの事情や情報でのみ、判断し、接していく」
ルイは次の言葉を待った。
「お前について、俺なりに予想をたてた。そして、そのうちの一つは、当たっていた。お前は、この池の水がなければ、その身を保てない。他から栄養を得たとしても、いずれは消える」
「……そうみたいですね」
「新たな情報だ。お前は自分について、わかっていないことが多い。自分の生存を維持する方法ですら、それだ。俺にとっては、良い情報ではない」
「殺しますか? 孤のために」
口角が勝手に上がる。
にこりとしたルイに、しかし、エニシは表情を崩そうとしなかった。
「孤はお前が生きていないと、悲しむ」
「だから、不安要素のある僕を野放しにしておく、と?」
「殺さないことが、野放しと結びつくとは思わん。お前の人生はお前の人生だ。俺がどうこうして良いものではない。だから、これは確認だ。難しく考える必要はない。遠慮もしなくていい」
エニシは淡々と続ける。
「お前は生きたいか?」
ルイは顎を引いた。
エニシを睨みつける。
それでも、相手は感情を露わにしない。
ルイのことなど、どうでもいいのだろう。
「生きたいと言ったら?」
「わかった」
頷いた相手に、ルイは目を見開いた。
「俺は万能ではないが、お前の負担を共に持とう」
エニシは微笑んで、そう言った。
穏やかな呼吸音に、そっと微笑む。
じわりと汗が流れたかと思うと、全身が透明な水になった。孤が買ってくれた服だけが、くっきりと部屋に存在する。
ルイはふらつきながら立ち上がり、ドアを開けた。
エニシはルイの姿を目にしても、表情を変えなかった。
「話がある」
ルイは首肯し、エニシの後を追って、外へ出た。
歩く度、水が土に染みこんでいく。
顔を上げていられない。
自分と世界の境界線が消えていくようだった。
ぼんやりする意識にわずかな光りを感じ、ルイは上を向いた。
浮島にあるはずのない光景に、目を瞬かせる。
中央に岩のある池だ。ルイが引っこ抜いた木片が転がっている。
どうして?
「まず、話せる状態になってくれ」
エニシがその場に腰を下ろす。
ルイは引き寄せられるように、池へと入った。
ぬるかった体温が冷やされていく。
身体が包まれ、やがて、混ざり合う。
静かだ。
とても、心地がいい。
瞼を閉じ、水の揺らぎに身を任せていると、昔、聞いた、大勢の人々の歓喜の声が、どこかからか、わき上がってきた。彼らは池の水を浴び、はしゃぎ回っている。冷たい水に、生ぬるくどろりとした液体が混ざり、その濃度が濃くなるたび、彼らの声は大きく響いた。
大勢の人々の声がしなくなったあと、勢いよく水の中に入ってきた何者かの音がした。それは池の中央で立ち止まると、激しく泣いた。彼が流す涙が水に溶け込んでいく。その量が増すほど、見たことのない景色が見えた。
したことのない経験をしたような気になって、苦しくて痛くて、その感覚も、本当はわからないのに、わかったような気になって、水底に沈んでいくようだった。沈みきれなかったのは、静けさの戻った池の傍で、誰かが歌うメロディーが安らぎをくれたからだ。しかし、自分を救ってくれる歌を歌う彼は、歌い終わると、いつも、泣いていた。
自分はあなたのおかげで、暗闇に落ちていかずに済んでいる。それなのに、あなたはどうして泣くのだろう? なにが、そんなに悲しいの? 泣かないで。
何の経験もない。感覚も、想像するだけ。そんなガランドウな自分から、確かに絞り出された感情。
それさえも、一人の少年の声に犯される。歌い主がオーガストだと判明したとき、「泣かないで」と言ったのは、自分だったか、それとも少年だったか。
彼は自分で、自分は彼で。思いも、人生も、融合していく。
池から出ると、人間の色彩が戻っていた。エニシは無表情でルイを見つめてきた。
「話って、何ですか?」
尋ねると、相手は立ち上がった。
「初めに断っておくが、俺はお前が何であろうが、言動を違えたりしない。その時、その時の、こちらの事情や情報でのみ、判断し、接していく」
ルイは次の言葉を待った。
「お前について、俺なりに予想をたてた。そして、そのうちの一つは、当たっていた。お前は、この池の水がなければ、その身を保てない。他から栄養を得たとしても、いずれは消える」
「……そうみたいですね」
「新たな情報だ。お前は自分について、わかっていないことが多い。自分の生存を維持する方法ですら、それだ。俺にとっては、良い情報ではない」
「殺しますか? 孤のために」
口角が勝手に上がる。
にこりとしたルイに、しかし、エニシは表情を崩そうとしなかった。
「孤はお前が生きていないと、悲しむ」
「だから、不安要素のある僕を野放しにしておく、と?」
「殺さないことが、野放しと結びつくとは思わん。お前の人生はお前の人生だ。俺がどうこうして良いものではない。だから、これは確認だ。難しく考える必要はない。遠慮もしなくていい」
エニシは淡々と続ける。
「お前は生きたいか?」
ルイは顎を引いた。
エニシを睨みつける。
それでも、相手は感情を露わにしない。
ルイのことなど、どうでもいいのだろう。
「生きたいと言ったら?」
「わかった」
頷いた相手に、ルイは目を見開いた。
「俺は万能ではないが、お前の負担を共に持とう」
エニシは微笑んで、そう言った。
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