孤塁の縁 第二章 ~死装束の少年~

上野たすく

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23 〈現在・孤視点〉

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 孤、と声が聞こえた。膨張したように重なる声は男のようで、女のようでもあった。それは、孤がずっと聞いていたかった穏やかな声と似ていた。
 自分が生まれてきたことに、何の疑念も抱かずにいられたあの頃、父と母に愛されていると信じ切っていたあの頃、自分がまだ人であったあの頃、耳にした声。
 瞼を上げると、オーガストと目が合った。
 怪我はないか、と聞かれ、孤は頷いた。
 オーガストが、ほっと息をつく。
 彼の表情が、どことなしか幼い。
 孤はオーガストが今まで極度の緊張状態だったことを知った。
 たぶん、孤と会う以前から。
 何が、彼の緊張を解いたのかは分からない。
 答えは、オーガストの中にしかない。
「ここから早く出なければ」
 オーガストが周囲を確認する。
 孤はロボットの上部を開かせるスイッチを探した。
 機械は、あれだけ熱を持ったことが嘘のように、静まりかえっている。
 どこを押しても反応しない。
 エニシはルイが池で血を流すと言った。
 治癒の力があるから。
 治癒と聞いて思い当たったのは、城下街の服屋の男が言っていた贖罪の池の話だ。
 あれは、伝説でも作り話でもなく、脚色された事実。命を絶たれたのは、ルイ・エイミール。
 ルイがされたであろう過去を思い、孤はグッと奥歯を噛みしめた。泣いている場合ではない。ルイが首を横に振ったとしても、彼が傷つくことのない未来へと舵をきる。
 しゃがみこみ、機械の下を確認する。コンコンと上から音がし、顔を上げた。
 エニシが作ったであろう糸トンボが、ロボットのガラス部分を頭部でノックしている。
 こちらが気づいたことを見て、糸トンボはノックをやめた。
「ガラスが溶けた状態で固まってしまっている。破壊して、助け出す。危険だから、操縦席のできるだけ下で、頭を守って蹲っていて」
 縁の声だ。
 孤は頷き、オーガストに目配せした。
 二人でしゃがみ込み、頭を腕で覆う。
 ガラスの割れる音がし、しかし、何も降ってこない。いや、正確には、自分達の周りだけに降っていないだけで、離れたところでは雪崩のようにガラスが落ちる音がした。
「今のうちに、外へ!」
 縁が言い、頭を上げた。
 孤とオーガストに降り注ぐはずだったガラスが宙で浮いている。
 孤、とオーガストが動くことを促してくる。
 急いで、人型ロボットから脱出した。
 直後、浮いていたガラスが落下する。
 糸トンボは孤たちの傍まで飛び、
「よかった」
 と音声を発した。
「助けてくれてありがとう」
 孤の言葉に、糸トンボは下へとさがった。
「本当はもっと早く助けたかった。怖い思いをさせてしまった。オーガストも」
 糸トンボがオーガストへと顔の向きを変える。
「申し訳ありませんでした」
 オーガストは糸トンボに姿勢を正し、やや俯いた。
「原因は俺だ。むやみに機械に触った。すまない」
 頭を下げたオーガストを前に、糸トンボは無言で羽を羽ばたかせた。
 怒っているのか?
 孤は焦って口を開いた。
「ルイがいなくなったんだ。きっと、あの池に向かっている。オーガストはルイを助けたかったんだ」
「……」
「大切な人を助けたいって気持ちは、俺もわかる。がむしゃらになってしまうって思う。だから」
「孤から大切だと思われた人は、幸せだね」
 縁は少し笑ったようだった。
「僕もオーガストの気持ち、理解できるよ。黙っていてごめん。考え事をしていて」
「考え事?」
「うん。だから、オーガストに負の感情を抱いてはいないよ」
 糸トンボがくるりと空に円を描く。
「池へ急ごう。エニシからサポートを頼まれている」
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