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20 〈現在・縁視点〉

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「愛されていますね」
 冷静に口にしたつもりが、機械の心臓が鈍く痛む。
 エニシはチラリとこちらを目にし、小瓶を懐に仕舞うと、パソコンを担いだ。
 書庫を出て、実験器具のある部屋へと移動する。
 水質の調査をするらしかった。
「どうして、孤の血を求めないんですか?」
 聞いても、エニシは作業を進めるばかりで応えようとしない。
「気づいていますか? もし、命を亡くした場合、この世界に孤がいても、生き返りたくないと、エニシは言っているんですよ?」
 機械を操作する音が部屋に響く。
「孤は、あんなにエニシを愛しているのに、どうして応えようとしないんですか? エニシだって、孤を愛しているでしょ?」
 パソコンを打ち込みだした背中を、縁は見つめた。
「俺は生物だから、いつか死ぬ。死ねば、孤を置いていくことになる。でも、お前は違う。お前は消耗しても、自分で自分を直すことができる。浮島には、お前を生かすための部品を山ほど保管してある。孤が生涯を終えるまで、十分もつだろう。俺は心が狭いからな。他の人間に孤を渡すことが苦痛で仕方がない。お前を除いては。俺は、お前と孤が添い遂げてくれたらいいと思っていた」
 キーボードの音が止む。
 エニシは肩越しに、縁を見た。
「これからはお前にも、俺自身の過去にも、遠慮しない」
 エニシの眼差しに冷たさを感じ、縁は顔をしかめた。
「縁、お前は俺の友人で、理解者だ。そして」
 エニシが立ち上がる。
「今からは恋愛においてのライバルだ」
「恋、愛?」
「お前が孤を愛していることは、知っている」
「待ってください! 僕は人じゃない。僕では、孤に不釣り合いです!」
 エニシは無言を返してきた。
 縁は足下に視線を落とした。
「それに、僕はずっと、エニシと孤の幸せを願ってきました。僕の望みは、ふたりを支えることです」
「俺はお前に召使いになれと命令した覚えはない。お前を見つけた時から、お前は俺の友人だ」
 スクラップ置き場で、初めてエニシと出会った日を思い出す。縁は人型ではなく、円柱の作業用ロボットだった。前の雇い主に使えない奴だと罵られ、捨てられた。エニシは縁を直す過程で、縁の能力がないのではなく、酷使に耐えられなくなって部品が傷んだのだと慰めてくれた。
 嬉しかった。優しくされたことが、なかったから。
「ちなみに、孤は俺とお前と三人がいいと言っていた」
 エニシが唇を伸ばす。
「孤が選べば、そういう未来も、あるってことだ。だが、お前が気持ちの上で、同じところまで、到達しなければ、関係性は成り立たない」
「!」
 こちらが驚くと、エニシは笑顔を引っ込め、作業に没頭しだした。
 三人で?
 どちらかじゃなく、三人で、同じ気持ちを共有できるのか?
 エニシが口にした、孤の願いは、縁の思考回路にはない考え方だった。
 入力された倫理観が邪魔をする。
 それは適切ではない。
 でもそれは、そもそも、縁が決めた倫理観ではない。
 縁を作った誰かのものだ。
 はたと、そう気づいたとき、エニシが盛大な溜息をついた。
 縁、と名前を呼ばれる。
「手伝え」
「返事は、エニシが何をしようとしているのかを聞いてからです」
「奪ってやるんだ」
「え?」
 縁が眉を歪めると、エニシは不敵に笑んだ。
「この土地のご都合主義な伝説を、終わらせてやるのさ」
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