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11-1〈過去 景虎視点)

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 牢屋に入れられているルイの元へ、医師達と共に行く。左の目があった辺りが、ひどく痛むが、手術の後で感じていた倦怠感は、吹き飛んでいた。早く、ルイの目の具合を、医師に診て欲しい。その気持ちが体を突き動かしていた。
 だが、ルイは俺達が到着すると、待っていたと言わんばかりに素早く、牢から抜け出してしまった。
 失った左目を右目で補うことができず、動きが鈍り、気づいた時には、ルイは目の前からいなくなっていた。

 どうして、逃げた?
 あと少しで、自由にしてやれたのに。
 罪を犯したのはお前じゃなく、俺だ。
 お前を罠にはめた、俺が悪い。
 お前は何も知らなかった。
 お前は、俺が願った通り、純粋に俺を信じただけだ。
 苦い記憶の奥底に、幼いルイの笑顔がちらつく。
 憎かった。
 その感情には、俺なりの理由があった。
 雪の涙だ。

 俺が六才のとき、ルイの国の連中は、俺の国の人々に、ある商談を持ち込んだ。
 雪の涙を服用し、万病に効く薬を体内で生成し、売りに出さないか。
 俺の国の人々の中で、雪の涙を見た人は一人もいなかった。
 外貨が手に入るならば、と商談は成立し、国中の大人が、相手国がくれた雪の涙を口にした。俺の家族も雪の涙を食べた。相手国の使者が、具合を診て、効果が出た人から体液を回収し、その量に応じて対価を渡した。
 国は豊かになった。相変わらず、雨が少なく、作物も育てにくかったが、相手国の商人がやって来て、食料や衣類、本なんかも、手軽に買うことができるようになった。
 幾人かの女が、他国へ嫁いだと耳にするようになり、その国が大国であればあるほど、周囲は自分達のことのように喜んだ。
 同じように、何人もの男が、他国で職に就くことができ、それも、人々を歓喜させた。
 俺の兄も、恋人と暮らしていくための土台を作りに、他国へ職を探しに行き、その日のうちに契約までして、帰宅した。
 俺は自分の国の人々が大好きだった。
 だから、他国の人々に認められることを誇りに思ったし、また、自慢したいような高揚感を抱いた。

 馬鹿だったんだ。
 雪の涙は、人の体を作りかえる。
 服用した人間に、害がないわけがない。

 商談を持ち込んできた国の連中や、他国の奴らは、俺の故郷の人々に不利益を押しつけ、おいしいところだけ、かっさらった。そう気づいた時、国には、人がほとんどいなくなっていた。若い人々が他国へ行ったまま、一度も帰ってこず、子どもが生まれる数が極端に減ったからだ。また、国に残った人々の間で、原因不明の病が流行った。その病を皮切りに、相手国の商人がパタリと来なくなった。
 俺は十歳になっていた。

 流行病に苦しむ人のために、雪の涙を服用した人の体液を与えたが、症状は良くなるどころか、いっそう悪くなった。
 俺は両親の言いつけで、雪の涙を食べなかった。金目当てで、子どもに食べさせる親ばかりだったから、父と母は希有な存在だった。雪の涙の副作用は知らなかったが、何かしら引っかかるものがあったのだろう。
 雪の涙の代わりに、俺が与えられたのは、異国の書物だった。
 俺の故郷には商談の相手国や、他国の言葉を話せる人がいなかった。通訳はもっぱら、異国側だった。
 医師も匙を投げる症状に苦しみながら、国にいたほんのわずかな人達が、次々に死んでいった。国のあちらこちらから、咳と呻き声が、昼夜を問わず、聞こえていた。
 俺の両親も床に伏せ、まもなくこの世を去った。独りになった俺を、故郷の医師が面倒をみてくれた。医師は、白髪の男で、その治療法は食べ物や按摩だった。
 俺は彼の手伝いをした。彼へのお礼だけでなく、苦しむ人達に、何かしてあげたかったからだった。
 だが、白髪の医師もまた、突然、倒れた。俺はパニックになった。自分だけがまともに動けるのに、自分にはどうすることもできなかったからだ。
 解決策が思い浮かばない俺に、医師は一冊のノートを手渡してきた。彼は雪の涙を服用してからの、自分の経過観察を書き留めていたのだ。
 彼は、故郷の人々の病は、雪の涙のせいかもしれない、と言った。
「この国には資料がないが、異国にはあるかもしれん。よくよく頭を巡らせたなら、万病を治癒できるとは、神のお力のごときだ。それだけで、金には困らぬだろう。それなのに、その力を異国が我が国へ持ってきたのは、雪の涙に不都合な面があるからだったんじゃないだろうか。そうであるならば、他国へ行った仲間達が気にかかる」
 スッと、兄が頭を過ぎった。
「この国の人々は自分自身を商品にしていた。周囲の国々の共通の認識も、そうであるならば、私達は人ではない、別の何かであったはずだ」
 その別の何かには、人が持っているはずの権利など、ない……。

 白髪の男が死んだ日から、日が昇る前に、遠くに流れる川へ水を汲みに行き、何度も失敗しながら火をおこし、自分の家や白髪の男の家の備蓄から、芋や大根、米を炊いて、苦しむ人々の家を回った。
 精一杯のことをしても、一人、また、一人と命が失われていった。
 最後まで生きていてくれた老婦人が亡くなった時、俺の生きる気力は底をついた。
 故郷と共に死にかけていた俺を、通りかかったキャラバンが拾い、育ててくれた。
 キャラバンの人達はやさしかった。
 特に、俺の国の言葉を話せる、アリサという名の、二十を過ぎた女性は、無愛想な俺に関わり続けてくれた。
 反応を返さないのに、アリサはしゃべりかけてくれた。笑いかけてもくれた。
 それでも、俺の心は止まったままだった。
 色々な国へ行き、色々な人に出会った。
 キャラバンは多種多様な本の販売を、主に行っていた。俺は故郷に雪の涙を持ち込んだ国の言葉を、努めて学んだ。
 白髪の医師の疑念の答えを見つけたかった。
 雪の涙は、子どもが読む図鑑に載っていた。毒性あり、というフレーズと共に。
 異国では、子どもさえ知っているであろう知識を、俺達は知らなかったのだ。
 俺は壊れたみたいに笑った。
 キャラバンの人達が驚き、心配するほど。
 そのあと、俺は、以前より塞ぎ込んだ。
 シーツに包まり、仕事の手伝いをする以外、独りで過ごした。
 そんな状態の俺の前に、ルイが現れたのだ。
 豪華な馬車に大切に運ばれる、幼いルイに。
 キャラバンの仲間が、ダラクの王族だと呟いた。
 途端、俺は自分の記憶にある、故郷を貶めた連中と照合させ、息を飲んだ。
 そして、苦しむ故郷の人々と、煌びやかなドレスを着た女と漆黒の軍服を着た男の間で、幸せそうに笑っている幼いルイが比較され、ふつふつと怒りが押し上がってきた。
 久しく抱かなかった感情を、抱かせてくれたのは、他でもない。
 ルイだった。
 俺は、キャラバンの中で、その国の王族に憎しみの視線を向ける、幾人かに気づき、彼らと結託して、ルイを両親から引き離し、その足で、キャラバンを去った。その中には、アリサもいた。彼女はダラクを憎んでいたわけではなく、俺達の行動を不審に思い、後をつけていたのだ。キャラバンに返せば、自分達の罪を暴かれる恐れがあった。アリサが大人しく着いてきたとして、いつ、裏切るともわからない。
 どこからともなく、殺そうと誰かが言った。
 俺はダラクを討ち滅ぼしたいと思っているにもかかわらず、一人の女の死を想像し、血の気が引いた。
 相づちすらしない俺に、めげずに話しかけてくれる彼女の笑顔が脳裏をちらつき、仲間の意見を強く否定した。
 殺すのはダメだ。あくまで、俺達の敵はダラクであって、彼女ではない。
 仲間達は、しぶった。
 このままでは、アリサが殺されてしまう。
 そう絶望した時、アリサ本人が俺達の前へと現れ、俺達と行動を共にする決意を口にした。彼女は、外部の人間に、情報を漏らさないことを約束し、漏らした場合は命を持って罰を受けると宣言した。
 仲間は皆、そもそも、アリサを殺したくはなかったのだろう。
 アリサがそう言うならば、と同行を許した。

 ルイに、雪の涙を食べさせよう提案したのは、俺だ。
 幼いルイは、俺を信用し、懐いた。
 追っ手から身を隠すためだと嘘を吐いて、名前を変えさせた時も、毒である雪の涙を口に入れる時も、治癒の力を得たことを理由に、英雄だと担ぎ上げた時も、ルイは、俺の傍らで、屈託なく笑っていた。
 俺はその笑顔が、虫酸が走るほど嫌いだった。
 踏みにじり、絶望した様を見て、そいつの不幸と偽りの罪を、そいつの家族に突き出し、他国から睨まれ、行き場を失ったそいつに、言ってやるんだ。
 俺はお前のことが、出会った時からずっと、大嫌いだった、と。
 あいつを両親から引き離した俺達は、ダラクと友好関係を結んでいたブロサムへ矛先を向けた。ブロサムは一国家として独立をしていたが、ダラクの手となり足となり動いていることが明らかであった。ダラクはブロサムを隠れ蓑に、暗躍していたのだ。
 ブロサムがダラクの命令により仕掛けた侵略戦争は、数知れず、傷ついた人達がたくさんいて、それはブロサムの国民も含んだ。
 俺達は真の標的をダラクに定め、ブロサムの支配に苦しむ人々を解放しながら旅をした。むろん、ブロサムから抵抗勢力として攻撃を受け、幾度か応戦をした。
 こちらの戦力がブロサムに匹敵するものになった頃、俺達はブロサムの国王と話をしたい旨、書簡を出し、荒野で顔を合せることになった。その荒野はブロサムが侵略をしかけた国の領土であり、俺達はそこを守るために血を流していた。
 俺は憎きダラクの王族であるルイを連れて、ブロサムの国王の前に立った。
 そして、俺を慕い、愛してくれたルイを蹴り倒した。
 すべての罪を、ダラクの陰謀であると思わせるために。
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