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青色魚

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第二章・破『英雄幻想』

第二章46『カナリアの真実』

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「……そーでしたか。そりゃまた、救われない話ですね」

 その翔の話を聞き終わったアンリは、苦い顔になってそう言った。そのアンリの珍しいしおらしさに、翔もつられてまた気分を落とす。思えばアンリは度々フィルヒナーと親子のように仲睦まじく話していた。そんなアンリからすれば、先の話はフィルヒナーに感情移入をして、より一層辛く感じてしまっていてもおかしくはなかった。

「……ヒナは、本当に頑張ってたんですよ」

 ふとその過去を思い出すかのように、アンリがポツリとそういった。その言葉は一見なんてこともない、ただの素朴な呟きのように思えた。しかしそれは、それが研究対象おもしろいものでない限り他人に興味など向けようとしないアンリの口からは、到底出てくることのない言葉であった。

「遠征隊が出発してから数日しても依然連絡も取れない遠征隊の安否を心配しながら、基地の人々の不安を和らげつつ食料を節約して、それによって出たみんなの不満も一身に背負って。出発から一か月、もう遠征隊が帰ってくる見込みはないと判断したヒナは出産間際の身体をなんとか動かして、基地の人間から代理遠征隊を募ったんです。……もちろん、それによってまた基地の人の不満は爆発しましたし」

 そうしてアンリが語った、遠征隊が消えてから一か月の出来事を聞いただけで翔は既にいたたまれない気持ちになっていた。遠征隊が消え、最愛の恋人も頼るべき存在もいない状態でフィルヒナーは奮闘していたのだ。その地獄のような三年間のことを改めて実感した翔は思わず押し黙る。その翔の様子を見て、アンリは翔が重々その事態に反省しているということを悟り、その後に小さく呟いた。

「……ヒナにも、ちゃんと謝ってきてくださいね」

「……ああ」

 そのアンリのか細い声に、翔は重々しくそう答えた。

「そんなわけで、カケルさんはこんなとこでうずくまってたんですね。理解しました」

「……ああ」

 そのアンリの言葉に、翔はそう頷く。アンリのその推測通り、翔はあの悲劇を作り出したのがほかならない自分であるという事実に打ちひしがれて、会議室を出たばかりのその場所で蹲っていたのだった。

 そんなことをしていても何の解決にもなりはしないということは翔にも分かっていた。しかし翔はあの事実が耐えきれなかった。翔には元二の悲しみが痛いほど理解出来てしまっていた。だからこそ、その悲しみの原因が自分自身であるということへの罪悪感は、この上なく翔の精神を蝕んでいた。

 そうしてまたその場に沈黙が訪れ始めた。そんな時ふと翔は気になって、アンリに尋ねる。

「……そういえば、なんでお前はこんなとこにいるんだ?」

 その翔の疑問は、その場所が彼女の住処である研究室から随分と離れているからこそのものであった。いつもならば昼夜を問わずその部屋にこもっているアンリが、こんな真昼間に普通に基地を歩いていたことが翔には不思議でならなかったのだった。

 その翔の疑問に、「ああ、それはですね……」と前置きして、アンリは答えた。

「ヒナに頼まれて、お見舞いに行ってきたんです。ヒロさんと、カナリアさんの」

 見舞い、という言葉に続けて並べられたその遠征隊の先輩の名前に、翔は自らが墓穴を掘ってしまったらしいことを悟った。そうして冷然と翔を見るアンリを見るに、その暗い雰囲気を払拭するための話題転換はどうやら水泡に帰したらしい。翔はその空気の悪さに苦い顔をしながらも、それを好機と思った翔は、かねてより心配事であったとある疑問をアンリにぶつけた。

「……先輩達の、容態は?」

 それは翔が犯したもう一つの罪の代償であった。『時間跳躍』を暴走させるよりも以前においても、翔は今回の遠征において自分勝手に『新種』に立ち向かい、結果としてランバートとヒロという二人の先輩に重傷を負わせた。その事については三年という時間差ギャップ同様に、翔が今更償えるものではなかった。しかしせめて翔は、その現実から目を背けたくはなかったのだった。

 その翔の言葉に、アンリも苦い顔をして答える。

「ヒロさんについては、ほとんど心配はありません。完治にはも少しかかるでしょーけど、ひとまず命の心配はありませんし、無事意識も取り戻しました。あの人の怪我については、安心してよさそーです」

 そうして語ったヒロの容態は、そのアンリの口調ほど絶望的なようには思えなかった。ということはつまり、その少し大袈裟にも聞こえるようなアンリの『安心』の言葉は、それとは正反対にもう一人の傷病人は相当危険な状態にあるということの裏返しにほかならないのだった。

「……『先輩』の、容態は……?」

 その翔の重々しい疑問に、アンリはひとつため息をついて、覚悟を決めてからその容態を語り出した。

「……ぶっちゃけ、芳しくありませんね。カナリアさんが負った傷は主に腹部の引っかき傷だけですし、そっちの方は傷跡は残るかもしれませんケド問題ありません。問題は、むしろその体調ですね」

 そうして語るアンリの口調は、覚悟を決めたにも関わらず重い。その暗さを必死に払拭しようと、ふと翔は気になったその疑問を口にする。

「つーかアンリ、前から思ってたんだがお前のその『先輩』の呼び方、なんか変じゃねえか? 金糸雀カナリア、って別に『先輩』と関係ありそうにないんだが」

 それは前々から翔が抱いていたささやかな疑問であった。ランバートの呼称については、未だ皮肉の意を込めて『先輩』と称している翔の言えたことではないが、それでもアンリのその呼び方は翔には奇妙に思われた。

 その翔の疑問に、「あー……」と少し唸ってから、ふと呟いた。

「言ってませんでしたっけ。ま、さっきの話にも関わることですし、カケルさんにも話しておきますか」

「……?」

 そのアンリの妙な言い草にまた首をかしげつつも、翔は大人しくアンリの話を聞こうと口を閉じる。

 普段の彼女にしては信じられないほど静かな口調で、アンリは語り出した。

「……あのあだ名は、ヒナが私に教えてくれたものなんですよ。小さい頃、私はカナリアさんのあの鋭い目付きが怖くてですね~」

 そのアンリの回想に、翔は少し共感する。確かにランバートはお世辞にも優しそうとは言えない目付きをしている。ましてやそれが小さな子供に向けられたならば、たちまち子供達はその怖さに泣き出すだろう。そんなことを翔が考えていると、アンリは続けて話し始めた。

「そんな時、ヒナが私に教えてくれたんですよ~。怖いものには可愛い名前を付ければいい、って。

 ほら、カナリアさんはあの通り金髪じゃないですか。それに加えて、小さい頃あの人の名前をラン『バード』だと勘違いしてましてですね。小さい頃図鑑で見た、『金』と『鳥』を名前に持つその鳥であの人を呼ぶことにしました」

「……なんか、無茶苦茶だな」

 そう語るアンリだが、その暴論に翔は付いていくことが出来ず混乱する。その翔の言葉に、アンリは口を尖らせて答える。

「まあ、あだ名ってそんなもんじゃないですか~? ムチャクチャなのは自覚してますけど、小さい頃からの癖なんでなかなか抜けないんですよね~」

「……言われてみれば、確かにそうだな」

 そのアンリの主張に、翔は自らの過去を回想してそう共感する。思えば翔も自らの親友のことを、もう『松つん』以外の呼称で呼ぶことなど考えられなかった。特にそれが慣れ親しんだ相手である場合、呼びなれた呼称あだなの癖を無くすのはなかなか難しいことなのだろう。

 と、そこまで考えてから、翔はふとそのアンリの話を疑問に思う。

「……それで? お前が『先輩』をそんなあだ名で呼んでる理由は分かったけどよ、それがどう『先輩』の容態に関わってくるんだ?」

 その話からランバートの現状への関連を見出せなかった翔はそう言った。その翔の言葉に、苦しそうにアンリは言った。

「……カケルさんは、『炭鉱のカナリア』って言葉知ってます?」

 そのアンリの突飛な質問に、少し考え込んで翔は返す。

「確か、炭鉱とかで発生する毒ガスを吸い込まないように、カナリアを一緒に連れてって検知機センサー代わりにするって話だよな?」

 翔はその単語に聞き覚えがあった。翔の記憶が正しければ、金糸雀カナリアはよくさえずる鳥であり、その鳥が鳴き止んだ時は毒ガスが発生しているなど異常が発生している時なのだそうだ。そのため古くからその鳥は毒ガスの検知に使われていると翔は聞いた覚えがあった。

 そのアンリの発した単語に翔がそう反応すると、アンリはその翔の説明に苦い顔で頷いた。そのアンリの様子を見て、翔の頭にとある仮説が思い浮かぶ。

「……まさか」

「その、通りです。私があの人をカナリアと呼んでるのは、も兼ねてるんです」

 そう言ったアンリの言葉に、翔は目を見開く。そうして驚く翔をよそに、アンリは話し始めた。

「……ご存じのトーり、この世界の外には人間には有害なガスが広がってます。個人差はありますけど、大抵は防護手段マスクなしで五分ほど外に居たら命の保証ホショーはできません。

 その中でも、カケルさんのように外のガスに『強い』人はいます。カケルさんはほぼ無制限で外に入れるみたいですけど、そうでなくても少しは外のガスに抗体を持つ人もいるんですよ。それこそ、私のお母さんとかですね」

 そうして語るアンリの『お母さん』というのは、この世界の『救世主』、朝比奈アサヒナハルのことであろう。彼女がどれだけガスに強かったかはその話からは分からないが、『氷の女王』の襲来を予知し、あまつさえその襲来の副産物であるガスにさえ強いとなれば、改めて彼女の底は知れない。

 そうして翔が改めてその『救世主』の謎の力に震撼しながらも、アンリは話を続ける。

「……カケルさんたちをガスに『強い』人達というなら、カナリアさんは』人なんです。普通の人なら五分ほどの時間制限タイムリミットが、あの人の場合は一分ほどです。まあ端的に言えば、ちょっと吸っただけでも危ない、って感じですね。

 元々あの人の家系はみんな外のガスに弱いんですけどね。ヒナだって強い方じゃありませんし。けどその中でも、カナリアさんは特に、んです」

 そのアンリの言葉に、翔は先の遠征において、微かに聞こえていたとある通信を思い出す。

『リー、ランの怪我は!?』

『……それ程良いとは言えませんね。腹の辺りが裂けてましたし、マスクが外れかかってました。気付いた時すぐに付け直しましたが、多少たと思います』

 それは翔が一人で『新種』に立ち向かおうとする直前のことであった。あの通信の中で、ベイリーが言っていたその言葉の意味をその時の翔には理解することが出来なかったが、その体質のことを聞いた今ならば、翔は否が応でもその意味を理解してしまった。

 ──そういえばやけに隊長も、『先輩』がが息を吸っちまったことを気にかけてた。

 翔はその真実を知った瞬間、それまで謎となっていた様々な遠征隊の言動が線となり繋がっていくのを感じていた。ランバートが外気に弱いのだとしたら、それだというのに外気を吸ってしまったのだとしたら、退

「ぁ……ぁ」

 そして翔は覚えていた。そうして金糸雀カナリアと称されるほどガスに弱いその男が、何故そのガスを吸うことになったのかを。

 ──俺を、助けて……。

 ランバートが『新種』の攻撃を受けたのは、翔が一人『新種』の痕跡を追っていったあの時に違いない。あの時は咄嗟の事態に翔はそのことに気付けていなかったが、今思えば彼は翔を助けることであの怪我を負ったのだった。

 自らが嫌うその男に助けられた。翔はその事実に、自らの矜恃プライドを傷つけられたというよりも、最早悲しみを感じていた。

 ──俺が、先輩を……!

 翔は最早、続けざまに引き起こされる悲劇に疲弊しきっていた。今や戦闘可能な遠征隊のメンバーは三人にまで減り、残された遠征隊員も翔の生み出した三年というギャップに苦しんでいる。基地側の人間にしても同様だった。遠征隊という精神の拠り所を失った彼らは、この三年間どれほど怖がって、苦しんできたのだろうか。それは翔には、到底想像出来なかった。

 そして、そのどれよりも恐ろしいことは、それらの悲劇は全てものである、ということだった。

 ──俺は、俺は……っ!

 そうして翔は、もうこの世界には何の救いなどありはしないのだと、絶望したのだった。
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